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第18章 幸せの定義
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一月に入って幾日が過ぎ、伊東ら三人の謹慎はようやく解かれた。
薫は七草粥の用意に忙しい。
「薫さん。」
自分の名前を呼ぶ声がして、声のする方へ振り向けば沖田の姿があった。
「沖田先生。」
「今宵、齋藤さんと永倉さんと謹慎明け祝いをするんです。一献いかが?」
「えーと、私は構いませんが…。」
上司たる土方の許可を得なければならないと思うと、少し気が引ける。
「土方さんのこと気にしているんですか?
大丈夫ですよ、話は通してあります。」
薫はほっと胸を撫で下ろし、そういうことならと承諾した。
飲み会なんていつぶりだろう。
七草粥作りに追われていた薫の胸は弾んだ。
京の街で一番の繁華街、四条の高瀬川沿いにある居酒屋で宴は催される。
夜道の一人歩きは危ないと沖田は薫が仕事を終えるのを待ってくれていたようで、
二人で話をしながら街へと向かった。
浮蓮亭、と書かれた暖簾をくぐれば、既に出来上がった二人がこっちへ来いと手をこまねいていた。
「来てくれたか、薫。嬉しいぞ。」
「謹慎が解かれて良かったです。」
「薫と飲むのはいつぶりだ?」
「近藤先生が開いてくれた宴以来だと思います。」
「過保護の土方さんが中々許してくれませんもんね。」
「可愛い子には旅をさせよ、って昔っから言うじゃねえか。なあ、齋藤。」
「二人はそれ以上の仲らしいからな。」
ふっと意地悪く笑う齋藤に薫は先日の一件を思い出して慌てて訂正する。
「そ、それ以上の仲なんて、誤解を生む言い方止めてください!」
「お?なんだ、なんだ。やることやってんのか、薫。」
ほんのり顔の赤い永倉は興味津々と言わんばかりに前のめりになる。
「ち、違います!」
「ほらほら、これ以上からかっちゃだめですよ。」
助け船を出してくれた沖田さんには感謝をこめて気持ち多めにお酌する。
「俺は良いと思うぞ。」
どうやら齋藤も酔っているらしい。
「べ、別にそういう仲じゃないですし。」
そうだ。
愛している、と耳元で囁いてくれたけど。
手をつないだこともなければ、デートだってしたこともない。
むしろ、向こうは既にお妾さんがいて子供だって授かっているのだから。
薫は手酌で注いだお酒を一気に飲み干した。
「おぉ、やるな。薫、良い飲みっぷりだぞ。」
永倉は面白がって、薫の空いたお猪口に酒を注ぐ。
薫も酔いが回って来たらしく、饒舌に語り出した。
「第一、私がこのままでいいって言ったんです。」
「なんだ、何がこのままでいいんだ?」
「薫さん、お酒は嗜むものですよ。」
酒を煽ろうとする薫の手を沖田は止めようと必死だったが、
薫は沖田の手を振り払い再び酒を一気に飲み干した。
「私は歳三さんの傍に居られればそれで十分なんです。」
「見上げた忠義だな。」
「赤穂浪士もおったまげるぜ。」
なんてな、と永倉と齋藤は下世話な笑い声をあげる。
「まあ、それくらいの忠義心がなけりゃ伊東さんに刀を向けられねえよ。」
「何の話ですか、それ。」
食いついたのは沖田だ。
「こいつ、俺達を迎えに来た時、一緒に帰らないならここで斬るつって伊東に刀を抜いたんだ。」
「薫さん、そんなカッコいい啖呵吐いたんですか。
私も見たかったな。」
「必死だっただけです!
齋藤先生が止めてくれなかったら、私は伊東先生に斬り殺されてましたよ。」
「相手は北辰一刀流免許皆伝だからな。」
そう言って薫のお猪口に酒を満たす齋藤を沖田は物凄い剣幕で睨みつけたが、齋藤は意に介さない。
「伊東に言いくるめられた土方さんも胸がすく思いだったろう。」
「しかし、伊東さんも大胆なことするよな。」
「近藤さんもこれ以上身内を死ぬのは見たくないっていう腹だろう。」
「もし伊東さんが離れるとしたら、平助は…。」
「止めましょう。しんきくさいはな…しは…。」
薫は既に泥酔状態らしく、呂律が回っていない。
「そうだな。薫の恋路の方がよっぽど気になるぞ。」
「俺の目の前でまざまざと見せつけられたからな。」
「齋藤、聞かせてくれよ。」
「土方さんが君菊を落籍せた日、好きだと薫が思いを打ち明けた。」
「「ええ!!」」
二人の驚きの声が重なった。
「お、おい。土方さんはどうしたんだい。」
「黙って、薫を抱きしめた。」
「くっ~。色男のやることは違えなぁ。」
「いいんですか、土方さんに怒られますよ。」
「夜の見廻りから帰って来た途端に薫を探しに行かされた仕返しだ。」
「ははは、良い話を聞いたぜ。」
「原田には言うなよ。」
「そうだな、左之助に知れたら屯所中に言いふらしちまうからな。」
「皆ばっかり…たのしそう…。」
「あなたはお茶を飲んで酔いをさましてください。」
沖田さんにお茶を押し付けられ、薫はお茶をちびちびと飲む。
それから三人は酒を楽しみ、宴がお開きになる頃には薫も歩けるまでには回復していた。
「全く、薫さん一人ではお酒を飲ませられませんね。」
「返す言葉もありません…。」
会社の飲み会では薄いウーロンハイでその場を乗り切っていたことをようやく思い出す。
酒、と言えば日本酒しかないこの時代で酒を飲むなんて無謀だったのだ、と薫は後悔した。
まあでも、久しぶりの酔った心地は気持ち良い。
いつもならば縮み上がるほど冷たい夜風も今宵だけは火照った身体を冷ますのに丁度良い。
小川と呼ぶのにふさわしい高瀬川の脇をふらつく足取りで歩いていると、
なんともない小石に躓きそうになった。
前のめりで倒れそうになる薫を沖田が腰に手を回して支えたことで事なきを得る。
「小道をふらついて歩いていたら危ないですよ。」
「そ、そうですね…。すみません。」
「でも、頼られるのは悪い気がしません。」
「おんし、肩がぶつかったあゆうのに、謝りもせんとは何事ぜよ。」
薫が顔を上げると、厳つい顔をした男がこちらを睨んでいる。
「し、失礼しました…。」
薫は頭を下げて謝ったが、男たちの腹の虫は収まらないようだ。
後ろから歩いて来た齋藤と永倉も何事だ、と薫と男の間に割って入った。
「こいつはおまんらぁの連れかえ。」
「すまんな、泥酔しているが故の粗相だ。
大目に見てくれないか。」
男は永倉を睨みつけたままで、頑として引く様子はない。
辺りの空気に緊張が走る。
土佐訛りの男の後ろに控えていた男が提灯を上げて永倉や齋藤の顔に光を当てた。
「お、おまんら、新選組か!」
どうやら、後ろの男には永倉や齋藤の人相に心当たりがあるらしく、声を上げた。
「新選組…?斬られた仲間の仇討ちぜよ。」
突如、薫のぶつかった男は刀を抜いて永倉に斬りかかろうとした。
永倉の隣に立っていた齋藤が目にもとまらぬ速さで刀を抜き、男は意識を失ったようにその場に倒れた。
「中井…!」
もう一人の男の名前だろうか、男は叫んだ。
「安心しろ、峰打ちだ。」
チャキン、という刀を納める音がしたが、男の怒りは収まらない。
「舐めた真似を!」
男は永倉に斬りかかる。
既に刀を抜いていた永倉は男の刀を軽々と受け止めた。
「薫さん、ここから動かないように。」
沖田は薫をその場にしゃがませると、永倉の助太刀に入る。
男は肩口と右足に傷を負ったらしく、傷口を押さえ右足を引きずりながら土佐藩邸のある方へ逃げて行った。
「ご、ごめんなさい。」
薫の体を起こすために支える沖田に薫は頭を下げて謝った。
「大丈夫ですよ、こういうことは日常茶飯事ですから。」
命のやり取りが日常茶飯事だなんて。
明日をも知れぬ身、という沖田の口癖を本当の意味でようやく理解した気がする。
「こいつ、どうする。」
意識を失ったままの男を見下ろして永倉は言った。
「奉行所に渡そう。後々、面倒なことにならぬためにもそれが最善だろう。」
三人は意見が一致し、齋藤と永倉で奉行所に送り届けることになった。
齋藤と永倉と別れ、薫は沖田に支えられながら屯所へと戻る。
「沖田先生。」
「何でしょう。」
「私は皆さんのことを理解しているつもりで理解していなかったのかもしれません。」
「急にどうしたんですか。」
「沖田先生はよく“明日をも知れぬ身”っておっしゃてましたけど。」
えぇ、と沖田は相槌を打つ。
「毎日涼しい顔で帰って来られるから何事もないのかと思ってました。
でも、違うんですね。
毎日、命のやり取りをしてるんですね。」
「今更ですか?」
おどけたように沖田は笑った。
「これからは梅干をたくさん食べても怒らないで下さいね?」
「それとこれとは別です!…でも。」
「でも?」
「ちゃんと無事に帰って来てくれるなら、ちょっと大目に見ます。」
「ふふふ、ありがとうございます。」
西本願寺の大門が見えてきた。
端の方に人影のようなものが見える。
「ほら、心配性の土方さんがお迎えに来てるみたいですよ。」
沖田は薫の腰から手を離して、肩を軽く前に押す。
「ただいま戻りました、歳三さん。」
歩いて来た勢いそのままに、薫は土方に抱きつくと緊張の糸が切れたのかそのまま眠りこけてしまった。
あらあら、と沖田は楽しそうにこぼすと土方は照れくさそうに飲みすぎだと言って薫を引き剥がした。
しかし、土方も満更でもないようで、眠ったままの薫を抱えて屯所の中へ入る。
「永倉と齋藤はどうした。」
「あのー、ちょっといざこざがありまして…。」
その後、土方から沖田がこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
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