灰被りの聖女

彩峰舞人

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青天白日

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「──準備万端、いつでも出発できるよ」

 馬車に荷物を積み入れたツヴァイは、扉を勢いよく閉めるとユアに人懐っこい笑みを向けてきた。

 (なんだかロシナンテを思い出す……)

 灰被りの街で一時期行動を共にしていた犬のロシナンテとツヴァイの姿が重なる。

 最初は得体が知れないところがあってツヴァイを警戒していたユアだったが、三日を過ぎた頃には天然の要素が大分強いということがわかり、今ではそれなりに話す間柄にまでなっていた。

「ん? そんなに僕の顔をジッと見て……もしかして僕に惚れたの?」

 ユアは作った笑みを浮かべながら、

「なんでツヴァイはそう思ったのかなー?」

「なんでって意味もなく女が男をジーッと見るときは好きをアピールしているからに決まってるじゃん。そんなの常識でしょう」

 誇らしげに言うツヴァイ。
 ユアも人に常識を説けるような経験などしていないが、それでもツヴァイの発言が常識ではないことだけはわかる。

 これ以上この話を続けても面倒なことになりそうだったので、ユアはさっさと話を切り替えることにした。

「ところでツヴァイも一緒に行くの?」

「もちろん。こんな楽しいイベ──危険な場所に行くのに僕が同行しなくてどうするの」

「今、楽しいイベントって言いかけたよね?」
「言いかけてない」

 ツヴァイは顔を背けて否定する。

 ユアに歩み寄ったカイルがツヴァイに白い視線を浴びせながら言った。

「本当はフィーアに同行を頼みたかったんだがあいにく別の用件で手が離せなくてな。あれでもいないよりかはましだから我慢してくれ」

「そういうことじゃなくて……」

 カイルをジッと見る。
 カイルはすぐに察してくれたらしく、ユアの無言の問いに対し、力強く頷いてみせた。

 ユアが安堵の息を落とすその一方で、ツヴァイは唇を尖らせながら不満を口にする。

「そんな風に言ったら僕が全然役に立たないみたいに聞こえちゃうじゃん。フィーアより僕のほうが全然力が上なのに」

「俺がいる以上腕っ節はさほど必要としていない。必要としているのは総合的な調整力だ」

「でもカイルは王様に喧嘩を売ったんだよね? このままで済むとは思えないんだけど?」

 もっともな話だとユアも思った。レガード王がカイルに少なからずの恩があることはカイルとミゼルの会話から察することもできるが、レガード王は上級貴族たちが集まる場で公然と批判されたのだ。

 貴族はプライドが服を着た生き物。それが王ともなれば破格だろう。ましてや500年間誰も触れることがなかった禁忌を簡単に犯すような男である。

 カイルは緊張感の欠片もない気軽な口調で、

「何か仕掛けてきたらツヴァイの力をあてにするだけさ」

「それって調子が良過ぎない?」

 口ではそう言いつつもツヴァイの唇はニヨニヨと波打っている。喜んでいるのが丸わかりで、そういうところは少年らしく実に微笑ましい。

 ふと思い立ち、ユアは尋ねた。

「ところでツヴァイって強いの?」

「は? 今さらそんなことを聞いちゃうの? 一週間も一緒にいれば僕がどれだけ強いかなんて普通わかるよね?」

「わからないから聞いてるんだけど。そもそもまだ子供だし。年は11歳くらいでしょう?」

「違う‼ 12歳だ‼」

 ツヴァイは噛みつかんばかりの勢いで訂正を求めてくる。11歳も12歳も大した違いがあるとは思えないが、ツヴァイにとっては天と地ほどの差があるのかもしれない。

「12歳ね。私が知っているのは気配が消すのが上手だってことくらいだよ」

「やれやれ。聖女っていっても大したことないね。そんなことじゃあこれから先が思いやられる──ッッ‼」

 カイルに拳骨を落とされたツヴァイが頭を抱えてしゃがんでいると、背後から朗らかな笑い声が聞こえてきた。

「またツヴァイはカイル兄さんに怒られているのかい?」

「新当主様からも気軽に頭を殴らないよう言ってくださいよ」

「私が言ったところでカイル兄さんが聞く耳を持つとはとても思えないけれど」

 ツヴァイが視線だけを上に傾けてカイルを見れば、深い溜息と共にさらなる拳骨が見舞われる。頭を抱えながら派手に地面を転がるツヴァイを無視し、カイルはミゼルの肩に手を置いた。

「後のことは頼んだぞ」

「務めはしっかり果たしますからご安心を。それより本当にツヴァイひとりでいいのですか? せめてもう一人くらい闇狼えんろうの誰かを護衛に付けたほうがよいと思うのですが?」

「ツヴァイだけで十分だ」

 転がりながらもニヨニヨしているツヴァイを若干引き気味で見ながら、ユアはカイルに尋ねた。

「闇狼って?」

「闇狼はジェミニ家が所有する諜報組織だ。その名の通り諜報を主な任務としているが、まぁユアが聞けば引くような任務も色々とやらせていたりもする」
 
 カイルは意味深にそう言って、暗闇が滲み出たような笑みを浮かべた。

「ええと、聞いといて今さらだけどそんな大事なことを私に話して大丈夫なの?」

「本当に今さらだな。問題ないから話している」

「それもそうだよね」

 たははと笑うユアへ、いつの間にか復活していたツヴァイが自信満々に告げてきた。

「ちなみに俺は闇狼のNO.2だから」

「NO.1じゃないんだ」

「はああっ⁉ NO.2だってすごいんだぞ!」

 単純にそう思ったから聞いただけのことで他意はない。だが、ツヴァイは侮られたと受け取ったらしく、憤慨だとばかりに声を荒らげた。

「そんなことはどうでもいい」

「どうでもよくないからっ! 僕にとっては超死活問題だからっ!」

 猛然と抗議するツヴァイ。カイルが無言で御者台に指を滑らせば、ツヴァイはさらに文句を言いつつも最終的には御者台に飛び乗った。

「出発前からこう騒がしいと先が思いやられるな」

「カイル兄さん、聖女様のことくれぐれも頼みますよ」

「ああ、適時連絡は入れる」

 ミゼルはカイルと固く握手を交わし、その視線をユアへと向けた。

「聖女様、兄は粗雑で適当なところも多々ありますが約束は絶対に守る男です。もちろん私も聖女様が健やかに過ごすことができるよう今後も骨身は惜しまないつもりです」

 ミゼルの言葉が上っ面なものでないことはこれまでの献身で証明されている。

 ユアはミゼルの手をしっかりと握り、

「夢のようなひとときを過ごさせていただきました。このご恩は一生忘れません」

「聖女様は私の命を救ってくださいました。この程度のことで返せたとは思っていませんが……でも少しでも喜んで頂けたのなら私も嬉しいです」

「前半部分は大いに納得しかねるが後半部分はミゼルが言った通りだ。──ではそろそろ行くぞ」

「皆様も今日まで本当にお世話になりました」

 ユアは見送りに出てきてくれた執事やメイドたち一人一人に改めて感謝の言葉を伝えていく。中には泣き出すメイドもいてユアを大いに戸惑わせた。
 
「聖女様のお世話をすることができ大変光栄でした。我ら一同道中の無事を心よりお祈り申し上げます」

 扉を開けた執事に丁寧に促されたユアは、スカートの裾をつまみ上げながら馬車にその身を滑り込ませる。
 続いてカイルが向かい側に座ると、扉は厳かに閉じられた。

「出発進行!」

 快活なツヴァイの声と同時に車輪が滑らかに動き出し、馬車は来た時と同じように花が咲き誇る庭を進んでいく。

 やがて正門に近づくと双子の門兵が馬車に向けて敬礼する姿が見えてくる。
 ユアも窓越しに笑みを交えながら敬礼を返していると、すれ違う直前、双子の唇が僅かに笑んだような気がした。

(かけがえのない思い出をたくさんありがとう)

 抜けるような青空の下、ユアの瞳はまだ見ぬタイニアへと早くも注がれていた。
 
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