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【第2部】26.若
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しばらくの後、夕食の支度しますね、と聡子は言った。
「おう……よし、俺も手伝おう」
「今日はいいですよ。ゆっくりしていてください」
「けど……」
「次は一緒にしましょ」
「わかった。今日は頼むな」
トモはテレビを見ることにし、聡子が包丁で野菜を切る音に耳を傾けた。
(こんな感じの音……俺は聞いたことがないんだよな……)
夕方になると聞こえる晩御飯の支度をする音。
小学生の頃、その音を聞くと嬉しいと言う友達がいた。今日の晩御飯何かな、お母さんのお手伝いしなきゃ、じゃあまた明日、と手を振って別れる。その友達の母親はパートだから、帰宅する前には家にいると話してくれた。羨ましいようなそうでもないような、よくわからない気持ちだったことを思い出した。
物心ついたときには父親はいなかった。トモの母親は朝から晩まで働いていて、自分にかまう時間などなかった。しかし不自由はさせまいとしてくれていたし、晩御飯代は用意してくれていた。それを毎日は使わずに、ある程度貯まったら食材を購入し、図書館で借りた調理本を見ながら料理をしたものだった。コンビニやスーパーの弁当も美味かったが、自分で作って食べるものはとても美味かった。休みの日に母親に食べさせると、とても喜んでくれ……ずに、こっぴどく叱られた。小学校低学年の自分が、勝手にガスを使っていたのを知ってかなり叱られた。喜んでくれると思っていたのに、母親に責められどうしようもなくなり、それからはしなくなった。
しかし──小学三年生の時に、生活が変わった。
母親が家にいることが多くなり、料理を作ってくれることが増えた。
(でも、俺のための料理じゃなかった……)
自分でもっと料理を作ってみたくなった。
(小さい頃に母親のカレーとかシチューとか……食べた記憶ないな……)
中学生になった頃には、また母親が働きに出始めて、自分が料理をすることが増えた。今度は叱られなくて済んだし、喜んでもらえた。だが、美味しいと言って喜んでくれているわけではない……トモはわかっていた。
それが心に残って、なんだかんだあっても料理人の道に進んでしまっているのだ。
かつては組長も、その息子の高虎も、会長の神崎も今の同居人達も、美味いと言って食べてくれた……聡子も美味しいと言って食べてくれる。店の客達は、金を払って食べる価値があると思ってくれているかどうだはわからないが。
「智幸さん、智幸さん」
「……ん……あ?」
「やっぱりお疲れだったんですね。眉間にしわが寄ってますよ?」
いつの間にか転た寝をしていたようだ。ごろんと転がっていたらしく、目を開けると聡子が覗き込んでいた。
「御飯、できましたけど、もう少し後にしましょうか?」
「いや、大丈夫だよ、ありがとう。結構寝てたのかな」
「どうですかね……。作り始めて三十分ちょっとですけど、長くてもそのくらいだと思いますよ」
起き上がろうとしたトモの身体を、聡子は支えてくれた。
(介護されてるみたいだ)
と自分の姿が可笑しくなってしまう。
「どうかしましたか?」
「じーさんになって起き上がれなくなったら、こんな感じなのかなって」
「いいですよ、わたしが起こしてあげますよ」
悪いな、とトモは笑った。
「運ぶのくらいは手伝うよ」
「じゃあお願いします」
献立は、ごはんにお味噌汁、聡子の作り置きの金平とサラダ、あとは野菜炒めだ。
トレーに乗せて、トモが運んだ。
「相変わらず、智幸さんみたいにおしゃれなもの作れなくて」
「いいや? うまそうだぞ? 定食みたいなごちそうだ」
「そうやっておだてるの上手なんでから」
「ほんとだって」
ごちそうだごちそうだ、とトモは子供のようにはしゃいだ。
「喜んでもらえるなら嬉しいですけど……」
「家庭料理とか、ごちそうだろ?」
「……そうなんですかね?」
「俺にとってはごちそうだぞ」
「…………」
お茶を入れて食べる準備をすると、二人は、
「いただきます」
「いただきます」
合掌して食事を開始した。
「美味いな」
「よかった」
「野菜炒めも、家庭によって違うんだろうな」
味噌汁の味噌や具、ハンバーグのソースやタネが異なるように、野菜炒めも味付け方が違うものなのだと気付いたのはいつ頃だっただろう。
「智幸さんのおうちは、醤油じゃなかったんですか?」
「うん、俺は……塩こしょうだったな」
聡子が作ってくれた野菜炒めは和風で、醤油ベースに鰹の風味がする。自分が小さい頃作っていたのは、ただ塩こしょうで味付けをしただけのものだった。
「そうなんですね。塩だと野菜の美味しさが引き立つのかな」
「んー、そうなのかな。まあ、当時はしゃれた調味料とか知らなかったし。今の俺なら洋風にもアレンジできそうだけど」
和風も美味いな、とトモはパクパクと箸を進めた。
「新しいメニュー、考えてみようかな」
「わっ、何か思いつきましたか?」
「聡子のおかげでヒントになったな。なんかイメージ沸きそうだ」
「いいもの、生まれるといいですね」
「ああ」
聡子といると前向きになれる自分がいる。
単純に、嬉しくて、楽しみで、高揚感がある。
「ありがとな」
「何もしてませんよ?」
彼女は困ったように笑った。
「聡子」
「はい」
「……一緒に暮らす部屋、探そう」
トモは唐突に言ったのだった。
「おう……よし、俺も手伝おう」
「今日はいいですよ。ゆっくりしていてください」
「けど……」
「次は一緒にしましょ」
「わかった。今日は頼むな」
トモはテレビを見ることにし、聡子が包丁で野菜を切る音に耳を傾けた。
(こんな感じの音……俺は聞いたことがないんだよな……)
夕方になると聞こえる晩御飯の支度をする音。
小学生の頃、その音を聞くと嬉しいと言う友達がいた。今日の晩御飯何かな、お母さんのお手伝いしなきゃ、じゃあまた明日、と手を振って別れる。その友達の母親はパートだから、帰宅する前には家にいると話してくれた。羨ましいようなそうでもないような、よくわからない気持ちだったことを思い出した。
物心ついたときには父親はいなかった。トモの母親は朝から晩まで働いていて、自分にかまう時間などなかった。しかし不自由はさせまいとしてくれていたし、晩御飯代は用意してくれていた。それを毎日は使わずに、ある程度貯まったら食材を購入し、図書館で借りた調理本を見ながら料理をしたものだった。コンビニやスーパーの弁当も美味かったが、自分で作って食べるものはとても美味かった。休みの日に母親に食べさせると、とても喜んでくれ……ずに、こっぴどく叱られた。小学校低学年の自分が、勝手にガスを使っていたのを知ってかなり叱られた。喜んでくれると思っていたのに、母親に責められどうしようもなくなり、それからはしなくなった。
しかし──小学三年生の時に、生活が変わった。
母親が家にいることが多くなり、料理を作ってくれることが増えた。
(でも、俺のための料理じゃなかった……)
自分でもっと料理を作ってみたくなった。
(小さい頃に母親のカレーとかシチューとか……食べた記憶ないな……)
中学生になった頃には、また母親が働きに出始めて、自分が料理をすることが増えた。今度は叱られなくて済んだし、喜んでもらえた。だが、美味しいと言って喜んでくれているわけではない……トモはわかっていた。
それが心に残って、なんだかんだあっても料理人の道に進んでしまっているのだ。
かつては組長も、その息子の高虎も、会長の神崎も今の同居人達も、美味いと言って食べてくれた……聡子も美味しいと言って食べてくれる。店の客達は、金を払って食べる価値があると思ってくれているかどうだはわからないが。
「智幸さん、智幸さん」
「……ん……あ?」
「やっぱりお疲れだったんですね。眉間にしわが寄ってますよ?」
いつの間にか転た寝をしていたようだ。ごろんと転がっていたらしく、目を開けると聡子が覗き込んでいた。
「御飯、できましたけど、もう少し後にしましょうか?」
「いや、大丈夫だよ、ありがとう。結構寝てたのかな」
「どうですかね……。作り始めて三十分ちょっとですけど、長くてもそのくらいだと思いますよ」
起き上がろうとしたトモの身体を、聡子は支えてくれた。
(介護されてるみたいだ)
と自分の姿が可笑しくなってしまう。
「どうかしましたか?」
「じーさんになって起き上がれなくなったら、こんな感じなのかなって」
「いいですよ、わたしが起こしてあげますよ」
悪いな、とトモは笑った。
「運ぶのくらいは手伝うよ」
「じゃあお願いします」
献立は、ごはんにお味噌汁、聡子の作り置きの金平とサラダ、あとは野菜炒めだ。
トレーに乗せて、トモが運んだ。
「相変わらず、智幸さんみたいにおしゃれなもの作れなくて」
「いいや? うまそうだぞ? 定食みたいなごちそうだ」
「そうやっておだてるの上手なんでから」
「ほんとだって」
ごちそうだごちそうだ、とトモは子供のようにはしゃいだ。
「喜んでもらえるなら嬉しいですけど……」
「家庭料理とか、ごちそうだろ?」
「……そうなんですかね?」
「俺にとってはごちそうだぞ」
「…………」
お茶を入れて食べる準備をすると、二人は、
「いただきます」
「いただきます」
合掌して食事を開始した。
「美味いな」
「よかった」
「野菜炒めも、家庭によって違うんだろうな」
味噌汁の味噌や具、ハンバーグのソースやタネが異なるように、野菜炒めも味付け方が違うものなのだと気付いたのはいつ頃だっただろう。
「智幸さんのおうちは、醤油じゃなかったんですか?」
「うん、俺は……塩こしょうだったな」
聡子が作ってくれた野菜炒めは和風で、醤油ベースに鰹の風味がする。自分が小さい頃作っていたのは、ただ塩こしょうで味付けをしただけのものだった。
「そうなんですね。塩だと野菜の美味しさが引き立つのかな」
「んー、そうなのかな。まあ、当時はしゃれた調味料とか知らなかったし。今の俺なら洋風にもアレンジできそうだけど」
和風も美味いな、とトモはパクパクと箸を進めた。
「新しいメニュー、考えてみようかな」
「わっ、何か思いつきましたか?」
「聡子のおかげでヒントになったな。なんかイメージ沸きそうだ」
「いいもの、生まれるといいですね」
「ああ」
聡子といると前向きになれる自分がいる。
単純に、嬉しくて、楽しみで、高揚感がある。
「ありがとな」
「何もしてませんよ?」
彼女は困ったように笑った。
「聡子」
「はい」
「……一緒に暮らす部屋、探そう」
トモは唐突に言ったのだった。
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