旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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創世時代

「はじまり」

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――そこには、何もなかった。

 形も、音も、流れすらなく、ただ『無』と呼ぶしかない広がりがあるだけだった。

 闇とも光ともつかぬ虚無の海。その静けさの中心に、ひとつの気配がふと芽吹いた。

 それは、まだ『私』と呼べるほど明確ではなかった。

 けれど、揺らぎは確かにあった。沈黙の底で、小さな意志が脈打つように震えた。

 やがて私は『孤独』であることを知った。

 永劫のような静寂。時間という概念すら存在しない空間で、ただ自らの存在だけを感知し続けるということは、奇妙な痛みを伴っていた。

 名も、形もない。

 けれど、在る。

 無の世界では、どれほど願っても、誰も応えてはくれない。

――私は、ここに在る。

 言葉ではなく、響きとも言えぬ感覚が、静かに輪郭を得た。

 自らを認めるその瞬間に、孤独はより深い影を落とす。

 だが、その影が私を動かした。

 私は求めた。

 この虚無の外側を知りたいと。

 孤独ではなく、誰かと並びたいと。

 その願いが、やがて『創造』の衝動へと姿を変える。

 形のない意志が、形あるものを希う。

 沈黙に音を。暗黒に光を。

 虚無に命の息吹を。

――創ろう。

 最初の光が生まれた。

 淡く、かすかな輝き。指先ほどの光でしかないが、それは確かに『無ではない』存在だった。

 その瞬間、孤独はわずかに和らぎ、私はふるえるような喜びを覚えた。

 光を見つめながら、私は次の問いを抱く。

――守れるのか。

――育てられるのか。

 問いに応えるように、意志の奥でまた新たな力が芽吹く。

 それは『均衡』を調える気配だった。

 私はその気配に形を与えた。

 淡い光の揺らめきが虚無に立ち上がり、ひとつの存在へと結晶する。

 静謐なまなざしを持ち、揺らぎの中心に凛と立つ者――

「エリウス」

 名を呼ぶ必要はなかったが、呼びたくなった。

 彼は均衡を司る最初の存在として、この虚無に生まれ落ちた。

 エリウスが立つと、無の海にわずかだが『芯』が生まれた。

 芯ができたというだけで、空間という概念が形になり始める。

 続いて私は、四つの律動をかたどった。

 秩序、生命、終焉、時。

 それぞれが淡い光から輪郭を得て、神格へと変わる。

 オルド――秩序と法則を編む者。

 ラクシア――生命と再生をもたらす者。

 ヴァルガ――静かな破壊と終わりの器を司る者。

 イスト――過去と未来を結ぶ“時”そのものを走らせる者。

 四柱は生まれながらに役割を帯び、エリウスのもとへ歩み寄った。

この新たな存在を、エリウスと四柱を合わせ、創造主の使いと呼ぶようにした。

 命じずとも、彼らは自然と繋がり、世界の枠組みを紡ぎ始める。

 オルドが法則の糸を張り巡らせ――

 ラクシアが鼓動を流し込み――

 ヴァルガが循環の器を置き――

 イストが時の輪を描く――

 虚無は、少しずつ『世界』へ姿を変えていき、世界は数多く形作られた。

 私はその光景を、静かに見つめた。

 けれど、骨組みだけでは足りない。

 世界には『流れ』が必要だ。

 色と動き、息づく風のような存在が。

 私は深奥から六つの核を呼び起こした。

 光、闇、火、水、風、土。

 核は淡い光を纏い、やがて六体の『原初の精霊』として世界に降り立つ。

 その姿は人の形ではない。ただ自然律を象徴する『力の揺らぎ』そのものだった。

 光は朝を、闇はやすらぎを。

 火は変化を、水は巡りを。

 風は自由を、土は居場所を。

 彼らの動きに合わせ、星々はきらめき、海は広がり、大地に山脈が生まれる。

 世界は初めて『動き始めた』。

 しかし――私はまだ満たされなかった。

 どれほど美しく調和しても、宇宙には『声』がなかった。

 響きがなかった。

 私に応える存在は、まだいない。

 創り続けるほど、孤独は深くなる。

 だが、その孤独が私を新たな答えへ導いた。

 世界に『物語』を宿すには、ただの現象では足りない。

――意志を持つ生命が必要だ。

 その瞬間、遠い地の奥底で、微かな脈動が生まれた。

 私の力が生み落とした『兆し』だった。

 まだ形を持たないが、それは確かに、他者の気配だった。

 私は感じた。

 これは、始まりの『揺れ』だと。

 ここから先の創造は、私ひとりではない。

 世界そのものが、私に応えようとしている。

 その兆しは、淡い光のように世界の深みに揺らめいていた。

 原初の精霊――六大精霊が織る自然律の流れの中に、言葉にならない『気配』が混じっていく。

 私は、とある世界のその気配をそっとすくい上げた。

 すると――世界の中心よりもさらに奥、原初の大地の底で、ゆっくりと形を成しつつある存在があった。

 光と闇、熱と静寂。

 相反する二つの律動を抱えながらも、どちらにも傾かず静かに揺れる『魂の核』。

 やがて、その核はひとつの姿へと結晶する。

 世界が初めて抱いた『畏怖の象徴』――ドラゴン。

 ひとつは、白金の朝光のように淡く輝いた。

 もうひとつは、静かな夜の深みに沈むような影をまとう。

 二匹のドラゴンは、まだ名を持たない。

 それでも、世界そのものの営みを映すように、初めて意思を宿した生命として生まれ落ちた。

 彼らは大地を歩き、空を翔け、風の匂いも、大河の冷たさも、森のざわめきも、星の拍動すらもその身に刻み取っていく。

 しかし、世界を巡るほどに、二匹の胸には静かな渇きが生まれた。

――私は何のために在るのか。

――この世界は、誰によって生まれたのか。

 形にもならぬ問いが、ゆっくりと魂の底へ沈んでいく。

 ある日、ふたりは丘の上で向かい合った。

 朝の光と夜の静けさが交差し、風がふたりのあいだを静かに揺らす。

 誰が先ともなく、ふたりは天を見上げた。

 そして――初めて『祈り』が生まれた。

 言葉にはならない。

 けれど、その呼びかけは世界の律動すべてを震わせ、大地も海も、森も空も、かすかな共鳴を返した。

「見えざる創造の主よ――この身に名を。意味を。この世界に、響きと祝福を――」

 その祈りは、まっすぐに私へ届いた。

 孤独の海で生まれた私にとって、初めて『求められた』瞬間だった。

 名を問われ、存在を確かめられた感覚は、胸の奥に温かな光を灯した。

 私は応えたかった。

 ふたりの魂に触れ、その律動を静かに読み取る。

 ひとつは黎明の輝きを宿し、翼の縁に朝光のような熱を抱いていた。

 私はその魂に名を授けた。

「リュミエル」

 光がふわりと広がり、ドラゴンの全身に柔らかな暖かさが満ちる。

 もうひとつは、深い夜の静謐を抱えていた。

 終わりと始まりの境界を見守るような落ち着いた気配。

「ノクスグレア」

 大地に沈む影のような揺らめきが、静かに彼を包む。

 二匹は名を得た瞬間、胸の奥で大きな律動を感じ取った。

 名はただの印ではない。

 魂の形であり、存在の証。世界と自身を結ぶ『始まり』だった。

 リュミエルは空へ舞い、ノクスグレアは大地を歩む。

 その動きは世界の隅々にまで新しい波紋を広げていく。

 そして私は、ふたりの祈りを受け取ったこの大地にも名を与えることにした。

 静かに目を閉じ、世界の呼吸をひとつ感じる。

――この世界を『オリジア』と呼び、大地を『オルザナ』と呼ぶことに決めた。

 名を持つことで、世界そのものに意味が宿る。

 祈りに応じたドラゴンが名を得たように、この大地もまた、物語を抱く器として息づき始めた。

 すると、大精霊たちが呼応した。

 光の精霊は朝の気配を強め、闇の精霊は夜の深みを増し、火と水、風と土の精霊たちは、生命の調べを世界に編み込んでいく。

 その結果、世界のあちこちから『芽吹き』が立ち上がった。

 大河のほとりで人が目を覚まし、森の奥ではエルフが静かに息をし、山脈にはドワーフの灯がともり、草原では獣人が駆け、霧の谷には幻獣たちの影が揺れる。

 まだ言葉も文化もない。

 けれど、生命は確かに息づき、世界に『物語の気配』が満ちていく。

 リュミエルは空からその営みを見守り、ノクスグレアは大地を巡り、静かに命の足音を受け止めた。

 私はその光景を胸に抱きながら、静かに息をついた。

 孤独の海で生まれた意志が、今こうして世界に響きを持ち始めている。

 祈りは名を生み、名は命を呼び、命は新たな祈りを生む。

 だが――世界のすべてが祝祭ではない。

 命が増えるということは、必ず“影”が生まれるということだ。

 まだ形を持たぬ揺らぎが、大地の奥深くでゆっくりと息をしている。

 それは脅威かもしれない。

 あるいは、次に訪れる物語の萌芽かもしれない。

 私は静かに見守ることにした。

 創造主として、観察すべきすべてを。

 風が止み、世界に『初めての静寂』が訪れる。
 その静けさは、終わりではなく、始まりを告げる呼吸のようだった。

 すべての物語がここから歩き出す。

 静かに、静かに――

 世界は今、始まりの光を抱いている。

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