旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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創世時代

「未来へ」

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 大地を渡る風は、どこまでも柔らかかった。

 大河は朝日にきらめき、森はざわめきと共に四季の歌を響かせる。草原には獣たちの影が走り、山脈の奥からはドワーフたちの鍛冶の音が微かに届いていた。

 オリジア世界はまだ幼い。

 だが、その幼さは『混沌』ではなく『調和』そのものだった。

 私は、その光景を空から静かに見下ろしていた。

 六大精霊が作り上げた自然律は、すでに世界を滑らかに満たしている。

樹々の葉陰で揺れる小さな精霊たち、せせらぎの中で跳ねる水の気配、火の粉のように弾む小さな光の粒――彼らは言葉を持たないが、確かに世界と呼吸を合わせていた。

 命は育ち、広がり、混じり合っていく。

 私は、創造主として手を加える必要がないほどに、すべてが自然に動き出していることを感じていた。

 その世界を見守るように、二匹のドラゴンが高空を巡る。

 翼を広げるたび、空気の層が揺れ、光が長い帯を引いた。

 リュミエル。

 ノクスグレア。

 光と闇の対を成す二匹は、いまやこの世界の象徴のような存在になりつつあった。空を駆け、地を歩き、命の営みを確かめるように世界中を巡っている。

 私は、その姿をどこか誇らしげな気持ちで眺めていた。

 人の子らは土を耕し、森のエルフは歌で風を操る。

 ドワーフは岩を刻み、獣人たちは群れと共に駆ける。

 谷の奥では幻獣たちが静かな光を纏いながら息づいていた。

 それぞれの種族が居場所を見つけ、世界はひとつの大きな『祝祭』のように回り始めている。

 かつての私は、孤独の果てに世界を創った。

 だがいまは、この世界の方が私を支えてくれている気がする。

 そんな折、空の向こうからふたつの影がゆっくりと降りてきた。

 リュミエルとノクスグレアだ。

 世界のどこを巡ってきたのか、ふたりの鱗には風の匂いと草木の気配が宿っていた。

「創造の主よ」

 リュミエルが柔らかな声で言う。光の尾がきらりと揺れた。

「あなたに聞きたいことがあります」

 ノクスグレアも、深い夜のような落ち着いた声で続けた。

「あなたは私たちに名を授けてくれました。けれど……あなた自身には、まだ名がありません」

 私は、一瞬だけ言葉を失った。

 名。

 それはこの世界で『意味』を持ち、存在を結ぶ大切なもの。

 だが私は、名を持たないまま創造主として世界を動かしてきた。

 リュミエルとノクスグレアは、私を真っ直ぐに見つめる。

 私が創り出した存在であるはずの二匹が、今はまるで私の成長を願うかのようだった。

「私たちは……あなたを名で呼びたい」

「世界の誰よりも、あなたにふさわしい響きを」

 私はそっと目を閉じる。

 創造主としての『孤独』が一瞬だけ胸を刺すが、次の瞬間、それが温かさへ変わっていくのを感じた。

「ならば……考えてみるがいい」

 二匹はしばし沈黙した。

 世界の音に耳を澄ませ、大地の鼓動を受け止めるように静かに目を閉じる。

 風が吹き抜け、草原が波打ち、遠くの森から鳥の鳴き声が届く。

 やがて――。

「あなたは『始まり』だ」

 リュミエルが言った。

「そして『問い続ける者』でもある」

 ノクスグレアの声が寄り添う。

 ふたりは、ひとつの響きを紡いだ。

「――アノン」

 世界がその名を受け止めたように、風がわずかに渦を描いた。

 胸の奥に、小さな温かさが灯る。

 名が与えられるというのは、こんなにも優しいものなのか。

「……アノン、か」

 口にすると、不思議と馴染んだ。

 それは『創造主』ではなく『物語を見つめる者』としての私に、確かにふさわしい名だった。

 その瞬間、遠くの大地がきらりと揺らめいた。

 種族たちが笑い合い、精霊たちが歌い、大地は今日も生命を孕んでいる。

 世界は、もう私が創った枠の中でだけ生きているのではなく、自分自身の意志で歩き始めようとしている。

 創造主として世界を「作る」役目から、世界を『見つめる』役目へ。

 世界が自律する気配は、もうすでに始まっている。

 名を得たあとも、世界の営みは止まることなく続いていた。

 森では風が歌い、川では魚が跳ね、草原では獣人たちが走り抜ける。

 人の子は火を囲み、エルフの歌声は枝葉を揺らし、ドワーフの集落からは鉄を打つ音が響いた。

 そのどれもが、かつて私が想像しただけの『静かな舞台』とは違っていた。

 世界は法則に従いつつも、すでに自分の意思で歩き出している。

 リュミエルとノクスグレアは、そんな世界を巡りながら時折私のもとに来て、大地で見た景色や、命の鼓動を淡く伝えてくれる。

「草原の群れに、新しい命が生まれていました」

「山の麓では、ドワーフたちが新しい道具を作っていました」

 彼らはただ見たものを静かに語るだけで、私に何かを求めることはなかった。

 私は、その言葉のひとつひとつを受け取りながら、胸の奥のざわめきを確かめていった。

――この世界は、私の手を離れつつある。

 そう感じるたび、どこか寂しさのような、安堵のような、不思議な重なりが胸に落ちた。

 私は創造主としてすべてを整えた。

 だがいま、この世界は自律し、命はそれぞれの選択を始めている。

 大地には季節が巡り、祈りは自然に生まれ、祝福は日々の営みに溶け込んでいく。

 この動きは、もう私が手を添えるものではない。

 私は、ゆっくりと空を仰いだ。

 精霊たちの気配は柔らかく、大精霊たちの存在は遠い地平で静かに揺らめいている。

 世界は歩いている。

 それはもう、私が導く『創造の歩み』ではない。

――ならば、私はどこに立つべきなのか。

 問いは、無意識に生まれたものだった。

 創造はすでに成った。

 名を授けられ、祈りを受け、命は動き始めた。

 その先に、私の役割は残っているのだろうか。

 そんなとき、リュミエルとノクスグレアがそっと近づいた。

「アノン様」

 リュミエルが小さく光を揺らした。

「あなたが名を授けてくれた大地は、今日も朝を迎えています」

 ノクスグレアも静かに言葉を落とす。

「夜の森では、精霊たちが息づいていました」

 二匹はただ、世界で起きたことを伝えるだけだった。

 けれど、その穏やかな声を聞きながら私は気づく。

――私は、この世界の歩みを知りたいと願っている。

 創造主としてではなく、世界そのものを見つめる存在として。

 命の営み、祈りの響き、季節の流れ。

 そのひとつひとつを、私はただ静かに『見ていたい』と感じていた。

 胸の奥で、名を与えられたときの温かな感覚がよみがえる。

 名は、選ぶための『始まり』だった。

 リュミエルたちが贈った響きは、私にひとつの道を示していたわけではない。

 ただ、私が何者かであることを受け止めるための『証』だった。

 私は、創造した世界に手を加える必要はない。

 その必要がなくなるほどに、世界は自律している。

 ならば私は――

 世界を見守り、問い、記録する者になればいい。

 『観察者』という言葉が、自分の中で静かに形を成した。

 創造としての衝動は薄れ、代わりに世界の小さな変化へ耳を澄ませたいと思う気持ちが強くなっていく。

 朝霧の中で芽吹く一輪の花。

 夕暮れの焚き火を囲む人々の影。

 夜に沈む湖面を揺らす精霊のさざめき。

 それらのすべてを、私は『物語の種』として感じていた。

 世界が自律し、私の想像を超えて歩きだしているからこそ――

 私はその歩みを見守りたい。

 そう思ったとき、胸の奥のざわめきは静かな灯に変わった。

 これが、私の次の役割なのだと。

 創造主アノンではなく、世界を旅する観察者アノン。

 私は、新たな決意を胸に静かに息を吸い込んだ。

 草原では命が生まれ、森では祈りが紡がれ、山では炎が揺らめく。

 世界はどこまでも、歩き続けていく。

 そして私は、その歩みを観察録として残していく。

 かつて無の孤独に立っていた私が、

 いまは世界の息づかいを聞きながら、静かな旅を始める。

 光が揺れ、風が大地を渡る。

 未来へ――。

 私は、静かに祈りを送った。

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