旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

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神話時代:精霊の森・精霊との誓い

【精霊の森・精霊との誓い】 第一話:「孤児の祈り」

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 森の静けさは、遠い昔に置き去りにされた祈りの残響のようだった。

 私はその静けさのなか、新たな命の内側で静かに目を覚ます。

 この身体は、孤児の少年――ルオ。

 彼の魂に重なることで、私はこの世界の『今』を、この小さな視点から体験する。

 細い腕、冷えた土、かすれた息遣い。

 家族を失い、それでも祈りだけは手放さず生きてきた少年の記憶が、ゆっくりと私の中へ染み込んでいく。

 森は干上がった泉のように、ただ静かだった。

 地を覆う苔は乾き、木々の根本にはひび割れた土。

 かつて祭壇があった場所も崩れ、精霊の気配はどこにもない。

 泉は細い水筋を残すばかりで、澄んだ面影は失われていた。

 ぼくは、その泉のほとりで膝をつき、手を合わせていた。

 誰にも聞こえない祈り。

 声にならない願いが、小さな波紋となって水面へ落ちていく。

 森が枯れ始めたのは、ぼくが生まれるずっと前からだったらしい。

 大人たちは時々『大陸が裂け、世界が変わった』と遠い昔の話を口にするけれど、ぼくにとってはただ、森の色が薄れていく現実がすべてだった。

 家族がいた頃の記憶をたどれば、泉ももう少しだけ光っていたような気がする。

 祭壇跡の石も苔むしていたけれど、それでもお父さんとお母さんは祈りを捧げ、灯りを守り続けていた。

 村の人々は、もう祈らなかった。

 日々の不安とともに広がるのは、こんな囁きばかりだ。

――精霊に嫌われた。

――森の神罰だ。

――泉が涸れたのは、あの子のせいだ。

あの子。

 つまり、ぼくのことだった。

 言葉として口にされない日も、視線だけは冷たく突き刺さる。

 家族を失ってからは、朝を迎えるたびに周囲の距離が少しずつ広がっていくのを、ぼくははっきり感じていた。

――人は、不安や痛みの行き場を探し、弱い方へ向けてしまうことがある。

 それでもこの少年は、村を憎むことができなかった。

 幼いころ、家族と手をつないで泉の前に立った温もりは、今も少年の心の奥に微かに残っている。

 森や泉に宿っていたはずの光の記憶も――ほんのわずかに。

 薄く濁った水を見つめながら、ぼくは胸の奥に小さな問いを抱いた。

――どうして、すべては失われてしまったんだろう。

 その問いは、少年のものでもあり、私のものでもあった。

 観察者として世界を見つめてきた私の記憶と、少年の心が静かに重なり合う。

 祈りの言葉はもううまく出てこない。

 けれど、願いたいという衝動だけは消えなかった。

 村の長老エンリだけが、ぼくに優しい視線を向けてくれる。

「森はすべてを見ているのじゃよ」

 誰もいない祈りの場で、静かにそう呟く声が、ぼくを支えていた。

 だが村の空気は、日ごとに冷たく重くなっていく。

 子供たちも、誰に言われるともなく距離を置き、遊びの輪にぼくだけが入れなくなった。

 それでも――

 ぼくは泉に手を触れ、ひんやりとした感触を確かめる。

 ここが、唯一世界と繋がれる場所のような気がしていた。

 家族の記憶、森の気配、祈りの余韻。

 どれも薄れつつあるけれど、それでも完全には消えていない。

 ぼくは立ち上がり、森の奥へ歩む。

 風も光も弱まり、霧が地表を這う静かな道。

 足音は小さく、世界の端にいるような心地がした。

 祈りの意味も希望も失われかけているのに――

 ぼくはどうしても、足を止められなかった。

 私は、その小さな歩幅に宿る希いを、確かに感じていた。

 森の奥へ進むほど、空気はひんやりとしていった。

 頭上を覆う枝葉は陽を遮り、薄い霧が足元を包み込む。

 ぼくは倒れた木の根元にそっと触れた。

 乾いた土の匂いが指先に残る。

 ここには、もう誰も来ない。

 村人たちの気配も、子供たちの笑い声も、遠い昔のものだ。

 けれど――ぼくは来てしまう。

 何度でも、同じ場所に。

 私は、少年の小さな執着を静かに見つめていた。

 彼を支えているのは憎しみでも義務でもない。

 ただ、消えかけた光への、幼い日の記憶だった。

 ぼくは、苔むした石の前で膝をつき、そっと目を閉じる。

 家族と並んで祈った日のことを思い出す。

 あのとき、母の手は冷たい風よりもやわらかくて、父の声は森のざわめきと一緒に響いていた。

 あの日々は戻らない。

 だけど――胸の奥には、まだ温かいものが残っていた。

――森よ、どうか消えないで。

 声にはならなかった。

 それでも、祈りは心のなかで静かに滲み出していく。

 私は、少年の胸に灯るその微かな光を感じていた。

 終わりを迎えつつある森でさえ、今、この瞬間だけは息づいている気がした。

 ぼくはゆっくりと空を見上げる。

 枝の隙間からこぼれる薄い光が、ほんの少しだけ、泉のような揺らぎを見せた。

 けれど、それはすぐに風に消える。

 村では、ぼくが祈り続ける意味なんて誰もわかってくれない。

 家に戻れば、冷たい空気がひっそりと居場所のなさを告げる。

 村から聞こえる家族の笑い声に、胸がぎゅっと縮まる。

 ぼくは足を止めず、静かに森へ通い続けた。

 ある日のこと。

 泉のほとりに座り込んでいると、枯れかけた水面に星のような光がふっと揺れた。

「……あれ?」

 思わず身を乗り出す。

 けれど、水面はすぐにただの濁った色に戻り、風だけが泡立つように通り過ぎた。

 幻だったのかもしれない。

 そう思っても、心の奥に小さな震えが残る。

私は確かに見ていた。

 あれは、少年の願いが触れた一瞬の光――

 森の奥底に眠っていた『残響』だった。

 ぼくは静かに胸に手を当てる。

 祈りは届かない。

 森も泉も、もう戻らない。

 そんな声が胸の奥で何度も囁く。

 それでも――

 ぼくは祈りを手放せなかった。

 家族と立ったあの場所が、過去の思い出のままで終わってしまうのが、どうしても嫌だった。

 私は気づく。

 この少年は、単なる『残された子』ではない。

 たったひとつ残った祈りの灯火そのものだ。

 世界が終わろうとしても、森が沈黙していても、彼の祈りだけは消えていなかった。

 その夜、ぼくは泉の前に膝を折り、小さな声でつぶやいた。

「……森が、また笑ってくれたらいいな」

 涙が頬をつたう。

 拭っても拭っても止まらない。

 私は静かに見守る。

 少年の胸に溶けるようなその涙は、私にとっても初めて触れる『祈りの温度』だった。

 森はまだ、完全には死んでいない。

 泉の奥底には、かすかな命が眠っている。

 ぼくはそっと立ち上がる。

 帰り道、風が一度だけ枝葉を揺らした。

 それは、まるで森が返事をしたかのように感じられた。

――祈りは、まだ終わっていない。

 この小さな命が見つめ続ける限り、森の物語は途切れない。

 ぼくは今日も歩き出す。

 光を失った森の中で、ただ一つの祈りを胸に抱きながら。

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