旅する創造主――アノンの世界観

ぼん

文字の大きさ
40 / 70
伝承時代:海上交易路・大商隊の青年

【海上交易路・大商隊の青年】 第一話:「旅立ちの港」

しおりを挟む
 朝靄がまだ町の端にうっすらと残り、潮風が路地をすり抜けて胸の奥までひんやりと染み込んでくる。

 桟橋の木板を踏むたび、足裏から小さな振動が伝わり――まるで世界の波紋に触れているような気がした。

――なぜ人は、見えない彼方へ歩き出すのだろう。

 私の問いが、ライネルの胸の震えと重なっていく。

 港のざわめきは、遠くの波音とゆるやかに混じっていた。

 魚を満載した荷車が通り過ぎ、商人たちの掛け声が潮の香りと一緒に空へ溶けていく。

 異国の装束、聞き慣れない言葉――

 この港町は、さまざまな『旅の記憶』が出会ってはすれ違い、静かに層を重ねている場所だ。

 けれど今日は、その景色すら少し遠く感じられた。

 朝日のなか、帆船たちが大きく息を吸うように揺れている。

 その中の一隻――白い帆の旗を掲げた、大商隊の船。

 僕は胸元の守り袋をそっと握った。

 家族から受け継いだ、ちいさな祈りの形。

 どこへ行っても、心を繋いでくれる気がする。

「……ライネル、準備はできたか?」

 背後から響いた太い声に振り返る。

 商隊長ガンザス。

 屈強な体つき、濃い茶色の長い髭、重い腕輪――ドワーフだ。

 初めて会ったときから、その存在感は船より大きかった。

 その隣には、エルフのフィリカが静かに手帳を閉じて立っていた。

 細身の銀糸ローブ、涼やかな碧眼。

 いつも何かを遠くに見ているような、不思議な人だ。

「はい……たぶん、大丈夫です」

 声がわずかに上ずる。

 するとガンザスは豪快に笑って、僕の肩をばしんと叩いた。

「腹を決めちまえば、あとは出るだけだ! 初めての航路は誰だって緊張する。だがよ、仲間がいりゃ怖いもんはねぇ!」

 フィリカが目線だけこちらに向ける。

「積み荷の最終点検は完了しました。君の帳簿も、念のためもう一度見直しておいたわ」

 淡々としているのに、どこか優しい。

 僕は背筋を伸ばして頭を下げる。

「……ありがとうございます」

 その様子を見ていた獣人族のテルナが、船縁から勢いよく声を張った。

「ライネル、また顔が固いよ! 大丈夫、大丈夫! あたしがついてるってば!」

 大きな耳がぴくりと揺れ、ふさふさのしっぽが機嫌よく揺れる。

 その明るさに、胸のこわばりが少しだけ解けた。

 ふと視線を向けると、エルフ族の巫女イリルが静かに祈りをささげていた。

 長い銀髪が朝の光を受けて淡く揺れ、祭服の裾が潮風になびく。

 町の子どもたちが小さな木舟を水面に流している。

「ライネル兄ちゃん、無事に帰ってきてね!」

 澄んだ声に、思わず笑って手を振った。

 見送る者、見送られる者――

 その境界線で揺れる感情は、やがて静かな記憶に変わっていく。

 そして家族の姿が視界に入る。

 母は目元を赤くしながら、僕の手を包み込む。

「ライネル……必ず無事に帰ってくるのよ」

 父は言葉を飲み込み、ただ深くうなずいた。

 妹は名残惜しそうに僕の腕をつかみ、

「……いかないでよ……」

 幼い頃と同じ仕草で、胸の奥をきゅっと締めつけた。

「……大丈夫。すぐ帰るから」

――ほんとうにそうだろうか。

 ライネルとしての胸の震えと、私の問いが重なる。

 旅立ちとは、何を置き、何を受け取るものなのか。

 家と呼んだ場所を離れるとき、人はどんな光を胸に宿してきたのか。

 その問いの隙間を縫うように、港の鐘が鳴り響いた。

 出航の合図だ。

 ざわめきが桟橋に走り、見送りの人波が揺れる。

 ガンザスは仲間に指示を飛ばし、フィリカは帳簿を再確認し、テルナは荷の束を軽々と肩に運ぶ。

 僕も背負い袋を整え、そっと町を振り返った。

――きっと、この景色は長く心に残る。

 胸があたたかくなる。

 誰かが「またな!」と声をあげ、僕の中で何かが音を立てた。

 帆が風を受けてふくらむ。

 潮と油の混じる匂い、船材の軋む音、空を旋回する白い鳥たち。

 いま、ここから――

 他の誰でもない、『僕』の旅 が始まろうとしている。

 甲板に足を踏み入れた瞬間、木材がぎしりと鳴り、心臓が静かに高鳴った。

 大商隊の船には、多様な種族が混ざり合っている。

 ガンザスは重い荷を一人で担ぎ、困っている者にはすぐ手を貸す。

 フィリカは無駄のない動きで積み荷に目を配り、テルナはしっぽで仲間に合図を送る。

 人間もドワーフもエルフも獣人も――

 言葉も文化も違うのに、同じ船の上ではひとつの『旅の仲間』になる。

「荷留めよし! 帆上げ!」

 ガンザスの声に、皆が一斉に動いた。

 僕はロープの結び目を確かめながら、震える指先をそっと握りしめる。

「ライネルー、最初は誰でも失敗するもんだよ!」

 テルナが跳ねるように寄ってきて、しっぽが僕の腕にふわりと触れる。

「緊張したら、深呼吸! あたしなんて初航海のとき、荷物の上で石みたいに固まってたから!」

「……それはそれで心配になりますよ」

 思わず笑ってしまい、少し楽になる。

 帆が風を受け、船体が波を切る。

 船室からは仲間の声が響き、甲板の端では巫女イリルがこちらへ手を振っていた。

 銀髪が朝日にきらめき、精霊の気配を思わせる静かな佇まい。

 その姿を見ると、どこかで『見守られている』という感覚が生まれる。

 港町は、海へ出るにつれ小さくなる。

 家族も、町の人々も、やがて点のように遠ざかる。

――必ず帰る。

 その祈りだけが、僕の胸を真っ直ぐに支えていた。

 帆船の最前部では、ガンザスが古い労働歌を歌い出した。

 力強いドワーフ族の節回しが、潮風に混じって響き渡る。

「おい、ライネル! お前も歌え!」

 驚いた僕に、ガンザスは笑いながら肩を叩く。

 つられるように声を重ねると、周囲の仲間たちもそれぞれの故郷の歌を織り合わせていった。

 人間、エルフ、ドワーフ、獣人族――

 文化も声の響きも違うのに、不思議とひとつにまとまる。

 この瞬間だけは、みんなが同じ『旅路』の始まりを共有している気がした。

 甲板に降り注ぐ陽射しが白い帆を透かし、きらきらと揺れている。

 それに合わせて、僕の中の不安も少しずつ薄れていった。

◇◇◇

 波間の向こうに広がる水平線。

 その光景には、言葉にできない予感があった。

――この海の先には、まだ誰も知らない世界がある。

 そう思うだけで、胸が熱くなる。

 大商隊の仲間たちは、それぞれの持ち場で働き始めていた。

 テルナはしっぽを高く掲げながら帆を見上げ、フィリカは取引の帳簿を確認している。

ガンザスは仲間の仕事を確認しながら、満足そうに目を細めている。

 僕もロープの結び目を確かめつつ、海風を吸い込んだ。

 潮の香り、木材の匂い、油の微かな刺激――

 どれもが『旅の始まり』を伝えてくる。

 船が大きく弧を描き、大海原へと乗り出す。

 その瞬間、心の奥でふっと何かがほどけた。

 どこへ導かれるのかなんて、分からない。

 分からないままでいい。

 ただ今は、この瞬間をちゃんと生きたいと思った。

◇◇◇

 仲間たちが持ち場へ散り、甲板には穏やかな風が吹き抜けていく。

 テルナが帆の影で大きく伸びをしながら笑った。

「よーし! 今日から海の上で三食昼寝つき! ……ってわけにはいかないけど、楽しもうね!」

「おい、昼寝は仕事が終わってからにしろよ」

 ガンザスが笑いながら小突き、テルナが「いってぇ!」としっぽをふくらませる。

 そのやりとりに、また少しだけ緊張が抜けた。

 フィリカはそんな二人を横目に、淡々と帳簿にメモを付けながら言う。

「……賑やかなのはいいことね。旅の始まりは、こうでなくちゃ」

 その横顔には、ほんのわずかに笑みが宿っていた。

 船はゆっくりと波を切り、青と白の世界へ進んでいく。

 潮風の向こうで、私の問いは静かに続いていた。

――この命も、この祈りも。

――やがてまた、新しい物語の一部になる。

 旅は始まったばかりだ。

 大海原のどこかで、まだ見ぬ答えが待っている。

 その想いを胸に、僕はまっすぐ前を見つめた。

 水平線の光は、まるで未来へ伸びる細い道のように、静かに揺れていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラス転移したら種族が変化してたけどとりあえず生きる

アルカス
ファンタジー
16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全36話⭐︎ 倒れた当主を看病する役目を振られた使用人リィナは、彼の部屋へ通うことになる。 栄養、灯り、静かな時間、話し相手――“眠れる夜”を整えていく。そして、回復していく当主アレクシス。けれど彼は、ある夜そっと手を握り返し、低い声で囁く。 「責任、取って?」 噂が燃える屋敷で、ふたりが守るのは“枠(ルール)”。 手だけ、時間だけ、理由にしない――鍵はリィナが握ったまま。 けれど、守ろうとするほど情は育ち、合図の灯りはいつしか「帰る」ではなく「眠る」へ変わっていく。 看病から始まった優しい夜は、静かな執着に捕まっていく。 それでも、捕獲の鍵は彼ではなく――彼女の手にある。

没落港の整備士男爵 ~「構造解析」スキルで古代設備を修理(レストア)したら、大陸一の物流拠点になり、王家も公爵家も頭が上がらなくなった件~

namisan
ファンタジー
大陸の南西端に位置するベルナ子爵領。 かつては貿易で栄えたこの港町も、今は見る影もない。 海底には土砂が堆積して大型船は入港できず、倉庫街は老朽化し、特産品もない。借金まみれの父と、諦めきった家臣たち。そこにあるのは、緩やかな「死」だけだった。 そんな没落寸前の領地の嫡男、アレン(16歳)に転生した主人公には、前世の記憶があった。 それは、日本で港湾管理者兼エンジニアとして働き、現場で散った「整備士」としての知識。 そして、彼にはもう一つ、この世界で目覚めた特異な能力があった。 対象の構造や欠陥、魔力の流れが設計図のように視えるスキル――【構造解析】。 「壊れているなら、直せばいい。詰まっているなら、通せばいい」 アレンは錆びついた古代の「浚渫(しゅんせつ)ゴーレム」を修理して港を深く掘り直し、魔導冷却庫を「熱交換の最適化」で復活させて、腐るだけだった魚を「最高級の輸出品」へと変えていく。 ドケチな家令ガルシアと予算を巡って戦い、荒くれ者の港湾長ゲンと共に泥にまみれ、没落商会の女主人メリッサと手を組んで販路を開拓する。 やがてその港には、陸・海・空の物流革命が巻き起こる。 揺れない「サスペンション馬車」が貴族の移動を変え、「鮮度抜群の魚介グルメ」が王族の胃袋を掴み、気性の荒いワイバーンを手懐けた「空輸便」が世界を結ぶ。

【しっかり書き換え版】『異世界でたった1人の日本人』~ 異世界で日本の神の加護を持つたった1人の男~

石のやっさん
ファンタジー
12/17 13時20分 HOT男性部門1位 ファンタジー日間 1位 でした。 ありがとうございます 主人公の神代理人(かみしろ りひと)はクラスの異世界転移に巻き込まれた。 転移前に白い空間にて女神イシュタスがジョブやスキルを与えていたのだが、理人の番が来た時にイシュタスの顔色が変わる。「貴方神臭いわね」そう言うと理人にだけジョブやスキルも与えずに異世界に転移をさせた。 ジョブやスキルの無い事から早々と城から追い出される事が決まった、理人の前に天照の分体、眷属のアマ=テラス事『テラスちゃん』が現れた。 『異世界の女神は誘拐犯なんだ』とリヒトに話し、神社の宮司の孫の理人に異世界でも生きられるように日本人ならではの力を授けてくれた。 ここから『異世界でたった1人の日本人、理人の物語』がスタートする 「『異世界でたった1人の日本人』 私達を蔑ろにしチート貰ったのだから返して貰いますね」が好評だったのですが...昔に書いて小説らしくないのでしっかり書き始めました。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

MP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一
ファンタジー
"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』" ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。 社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー…… ……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!? ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。 「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」 「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族! 「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」 かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、 竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。 「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」 人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、 やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。 ——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、 「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。 世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、 最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕! ※小説家になろう様にも掲載しています。

半竜皇女〜父は竜人族の皇帝でした!?〜

侑子
恋愛
 小さな村のはずれにあるボロ小屋で、母と二人、貧しく暮らすキアラ。  父がいなくても以前はそこそこ幸せに暮らしていたのだが、横暴な領主から愛人になれと迫られた美しい母がそれを拒否したため、仕事をクビになり、家も追い出されてしまったのだ。  まだ九歳だけれど、人一倍力持ちで頑丈なキアラは、体の弱い母を支えるために森で狩りや採集に励む中、不思議で可愛い魔獣に出会う。  クロと名付けてともに暮らしを良くするために奮闘するが、まるで言葉がわかるかのような行動を見せるクロには、なんだか秘密があるようだ。  その上キアラ自身にも、なにやら出生に秘密があったようで……? ※二章からは、十四歳になった皇女キアラのお話です。

処理中です...