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それから俺は、主人に沢山の話をした。
この屋敷の主人はどうやら医学フリークらしく、最初に反応した薬草の話を始め、医学に関する話になら何にでも興味を持ったのだ。
男も女も子供も飲むと髭が生える薬、罹ると音は聞こえているのに頭が勝手に聞こえていないと思い込んでしまう病、土着の妖精の尾っぽの薬効、奥地の部族が熱冷ましに使う怪しげな呪術、ある一族が子供が生まれたら健康に育つよう願ってするオマジナイまで、他にも沢山、色々話した。
極度な興味関心とは人嫌いという性質をも勝るものらしい。
俺の話す話しは、中には眉唾物や確実に誇大表現が入ってるだろうなあというようなものもあったが、そのどれもを主人は、あの人を突き放すような態度も忘れて、本当にワクワクとした様子で聞いてくれた。
こちらも話し手冥利に尽きるというものだ。
最初はまだまだ尊大なところがあった主人の態度も軟化してきて、今では医学に関する以外の話もしたりするようになるくらいには、打ち解けることができた。
「ですからね、その自称美食家の上官が現地の人間が止めるのも聞かずに幻の珍味だっていうセイタカエモチを煮て食べてしまったんですけど、実はそれセイタカエモチなんかじゃなくて、葉っぱの形がよく似たセイタカヘクサっていう草でして」
「ふむ、消化管の運動が活発になる草だな。胃もたれなんかによく効く。ただ、摂取しすぎると吐き気などの副作用が現れる」
「ええ、そうなんです。その上官、欲張ってこんなに大きな籠3杯分も食べたもんですから、さあ大変! 上からも下からも出るものが出ちゃって……」
「クククッ、そいつはとんだ大馬鹿者だな」
こんな感じで俺がアカデミックな内容ではない無駄話を喋り、それに主人が笑ってくれることも多い。
ドワーフの炭鉱夫と仲良くなったこと、勲功をたてて招かれた屋敷で見たペガサスの美しさ、仲間とやった馬鹿話、沢山話しをした。
最初必要ないと断った手前、主人は表面上はそれらの話を興味なさげに聞いているように装っていたが、節々で返ってくる身動ぎの反応や漏れ聞こえてくる息の仕方で、本当は俺の話を楽しく思ってくれているのか俺にはモロバレだ。
長い嵐で家の中に閉じこもらざるを得ず、主人も暇なのだろう。話が終わる度に次は次はと別の話を急かされる。俺の方も、旅の相方のジョーが死んで以来どうもそんな気分になれなかったのと、機会がなかったのとで久しく話をしていなかったから、こういうのはいい気分転換になった。
「その『7色に光る夜空』ってのを見たくて、俺たち仲間10人は駐屯地をこっそり抜け出して町灯りから離れた遠くの丘を目指したんです」
「それは多分オーロラの事だな。超高層の大気中で起こる現象だ。詳しく知りたければ後で説明してやろう。それで、道中にも面白いものはなかったのか?」
「それがですねぇ、駐屯地を抜け出したらものの5分もたたないうちにとんでもない大吹雪に見舞われたんですよ! お陰でそれからあとは、もう大変。前も後ろも真っ白で、何も分かりゃしない!」
「ほう、それはまずいな。それで、それからどうなったんだ?」
また、俺がこの目で見て耳で聞いてきて知ったように、主人が本や絵で世界のことを知っているというのも本当で、時には俺の話に予想外の答えを返したり、付け足しを加えてくれることもあり、そこからまた話が弾んだ。
知的な主人との対話は面白く、ただ一方的に自分の知見を話しているだけでは得られない楽しさがあった。時に彼は俺が知らない話を逆に話してくれることもあり、それがまた俺の気分を上向けさせる。
嵐が過ぎ去る頃には、完全にまでとはいかないが、主人の態度のトゲトゲしさはなりを潜め、俺たちの間柄は偶然街中で合えば仲良くカフェに入って話をする程度には仲のいい知り合いくらいの雰囲気になっていた(と、思いたい)。
久しぶりにそうして思いっきり話ができて、俺は晴れ晴れとした気分だったが、同時に重苦しい気分でもあった。
主人との話が弾めば弾むほど、嵐が過ぎ去ってこの居心地のいい空間をあとにしなければならない現実に心が沈む。
だが、それは俺のワガママに過ぎない。
俺は普段目が見えないせいで、周囲の人間から腫れ物扱いをされることがままある。まあ、それは仕方がないことだ。多かれ少なかれどこか体の不自由な人間と対峙したら、気を使ってしまうのは仕方がないことだろう。何も間違っちゃいない。だから、俺とただ話をするにしても相手にはいつもどこか遠慮や気遣いが見られる。
だが、ここの主人は目のことなど頓着することなく、俺の事を対等な自分の客人として扱ってくれた。
もちろん、目の見えない俺を補助してくれないことに対して、主人は意地悪なやつだという考え方もあるかもしれないが、盲人として遠巻きに、壊れ物を扱うように接されることに矜恃を傷つけられ、いささかウンザリともし始めていた俺にとって、下手に気遣いされるよりそれはむしろ嬉しいことだった。
また、主人は『お前も少しは手伝え』と言って、2人で話をしながら俺に洗った後の濡れた皿を拭かせたり、主人がストックしている薬草を匂いと指先の感覚でより分けさせたりとこき使ってくれて、それも無理に泊めてもらっている後ろめたさを軽くしてくれる。それが俺が主人に対して負い目ではなく、親しみを感じられるようになった主な要因だとも思う。
誰かと対等に話をして、仕事を手伝って、扱いだけ見れば、まるで目の見えていた頃に戻ったようである。
この屋敷に来て久しぶりに煩わしい目のことを気にせず過ごせて、俺はとても満たされた気分になっていた。
だが、そんな日々も永遠に続く訳ではない。俺は単に道に迷い、嵐に見舞われてこの屋敷に避難してきた客人。ただでさえ山の天気は変わりやすいのだ。事実、3日としないうちに嵐は過ぎ去り、とうとうある朝俺が目を覚ますと窓の外から耳に気持ちのいい小鳥の囀りが聞こえ、頬に暖かい陽光が当たるのを感じた。
ああ、楽しい生活も今日で終わりか。これで俺がこの屋敷に滞在し続ける理由は無くなってしまった。
主人ともだいぶ打ち解けられてきたが、初対面の俺にも人嫌いだと公言してはばからない彼が、理由もなく俺をこの屋敷に置いてくれることはないだろう。客人は、外からたまに来るから客人なのだ。主人の望む静かな生活に、同居人は必要とされていないことは分かり切っている。
どうやら俺は、自分で思っていたより大分ここでの生活を気に入ってしまったようだ。まだ数日しか滞在していないのに、この屋敷を離れるのがとても名残惜しい。ここに居続けられないのを、心の底から残念に思う。
だが、いつまでもこうグダグダと無駄な考えを続けていても仕方がない。
せっかく今日が最後の日になるのなら、主人の用意してくれるあの美味しい食事を、少しでも暖かいうちに食べてしまおう。
そうと決めた俺は服装を整え、少ない持ち物を片付け杖を持ち、すっかり旅支度を整えてから食堂へ赴いた。
食堂では主人がいつも通り俺よりも早く席につき、俺を待たずに食事を始めている。
さて、今日の朝食はなんだろう。この匂いからすると、なにかスパイスのようなものを入れたスープだろうか?
匂いで香辛料が使われているらしいことは判明したけれど、無学なのでその名前までは分からなかった。
ただ、嗅いだことのある匂いなので、以前どこかで食べたことがあるのかもしれない。目で見れたらもう少し色々と分かるんだが。
「今日も美味しそうな匂いですね、ご主人。有難くいただきます」
そう言って席に着いたが、不思議と今日はいつもの嫌味が来ない。おかしいな、『嵐があけた。これでようやくお前を追い出して以前の静かな生活が取り戻せる。私は今、たいへん嬉しい』位は言われると思ったんだが。
ただ、スプーンでスープを掬う音が止んだので、こちらに主人の意識が向いているのは間違いなさそうだ。肌がピリピリとするのは、主人の鋭い視線がこちらに向けられているのを感じ取っているからか。
ちょっと主人の様子がおかしいが、ここで下手をこいて薮蛇になって、せっかくの最後の朝を台無しにしたくない。
俺はこのまま何も言わずにいることに決め込んで、朝食を摂り始めた。
だが、不思議なことに主人はいつまでたっても食事を再開する気配がない。視線らしきものを感じるのもそのまま。
どうやら俺が食べているのをずっと観察しているらしい。
流石にちょっと、これは気まずいんだが。
折角の美味い飯の味もろくに分からなくなる。
普段なら相手からは嫌味オンリーとはいえ、多少の会話もあるのだが、今日はそれすらない。
主人はただ、食事も摂らずに黙って俺を(多分)見てるだけ。
ぶ、不気味すぎる。
とうとうこの空気感に負けて先に口を開いたのは、俺の方だった。
「あのー、ご主人。どうか致しましたか? 先程から少し、食事の手が止まっているようですが。それと、こちらを見ていらっしゃるようですが、私の服装になにかおかしな所でもありましたか? もしあるようでしたらぜひ仰ってください。ご存じの通り私は自分では自分の見た目になにかおかしな所があるかなんて、分かりませんので」
俺のこの言葉は、主人にとって予想外だったようだ。
テーブルの向こうで、動揺してガタッと椅子を鳴らす音と、スプーンを取り落とすガシャンという音がする。
「べ、べ、べ、別に、見てなんかない! ていうか! お前は目が見えないんだから私がお前を見ているかなんて分からないはずだろう!」
「いえ、視覚がないぶん、他の感覚が鋭くて、色々分かるんです。見られているのもなんとなくですが、感じるんですよ」
「だからと言って、確証はないだろう! 勝手に決めつけるな!」
「は、はあ。すみません」
なんかめっちゃ反発されたし、しかもそれきり主人は押し黙ってしまった。
先ほどと同じか、それ以上の気まずい沈黙が流れる。
もしかしなくてもこれ、薮蛇だったか? だって、黙って見つめられたら気になるじゃんかよ! 見られてたのは多分だけど!
どうしようかと絶望的な気分のまま俺が内心頭を抱えていると、今度は主人の方から声をかけてきた。
「おい、お前!」
「は、はい。何でしょう」
ビックリしてちょっと吃ってしまったのはご愛嬌。
だが、そんな事には構わず主人は言葉を続ける。
「お前! 目が見えなくて困っているだろう!」
「そ、そうですね。困っています。」
「目が見えるようになりたいと思っているだろう!」
「はい、できれば以前程までとはいかないまでも、少しでもまた見えるようになったら嬉しいです」
「見えるようになるためなら、どんなことでもするよな!」
「ええ。流石に人を殺すとか、そういうことならご勘弁願いますが、自分にできることならいくらでも努力いたします」
何だこの会話。なんの意味があるんだ。
主人の真意を測りかねて困惑する俺だったが、あちらの方は1人で勝手になにか納得がいったらしく、そうかそうかと満足そうに呟いている。
マジで何なの?
すると、おいてけぼりの状況にただひたすら困惑する俺に、主人は明るく語りかけてくる。
「そんなお前にいい知らせがある。もうだいたい察しはついていると思うが、私は医学に従事する者だ。医学に関することを全般的に研究している。古今東西、様々な医学を学んできた。日々新しい研究テーマを探しているんだが、今度のテーマはお前の目のことにしようと思うのだ!」
「……と、いいますと?」
「ああもう、察しが悪いな! だから、私がお前の目を診て、治してやろうと言っているんだ! あ、言っておくが、お前のためじゃないからな。あくまでも研究のため、医学の発展に貢献するため、だ。そこのところ勘違いするなよ」
俺は思わず口をあんぐりと開けた。
治す? この目を? 主人が?
いきなり何を言い出すんだ?
「で、ですがご主人。この目は最新の魔法兵器でやられてしまって、沢山の患者を診てきた腕利きの医者にも、もう光が戻ることはないと言われたんですよ」
「なんだお前。日々研鑽を続けている私の医術の知識が、そこらの医者に劣るというのか」
「いや、別にそういう訳ではありませんが」
「なら文句はないな。お前、研究が終わるまで、暫くこの屋敷に滞在しろ。今まで通りの食事付き。お前の滞在費は私の研究の協力費とでトントンだ。それでいいな?」
なんだこれ。どういうことだ?
確かにもっとこの屋敷に滞在したいとは思ったが、こんなことはちっとも予想していなかった。
だが、反論を述べようにも主人の方はもうその気になっていて、これから忙しくなるぞとスープを音を立てて急ぎ掻っ込んでいるし、先程までの一方的な様子だと俺の意見を真っ当に聞いてくれる様子もない。
そりゃあこの目が治ってくれたら嬉しいし、屋敷に引き続き滞在できて、主人と交流できるのなら、それが嬉しくないといえば嘘になる。
仲間のジョーが死んで少なからずショックを受けている今、近くに人がいてくれるというのも心情的に嬉しい。
無一文になった今、ここにいればしばらく食事と寝床の心配をしなくていいというゲスい理由も……。
あれ、それで、俺は、うん、どうしたいんだっけ?
深く考えれば考えるほど、俺が主人の提案に対して否やという理由は無くなっていく。
「はい、分かりました……」
最後にそう答えてしまったのは、混乱からか。殆ど無意識だった。
この屋敷の主人はどうやら医学フリークらしく、最初に反応した薬草の話を始め、医学に関する話になら何にでも興味を持ったのだ。
男も女も子供も飲むと髭が生える薬、罹ると音は聞こえているのに頭が勝手に聞こえていないと思い込んでしまう病、土着の妖精の尾っぽの薬効、奥地の部族が熱冷ましに使う怪しげな呪術、ある一族が子供が生まれたら健康に育つよう願ってするオマジナイまで、他にも沢山、色々話した。
極度な興味関心とは人嫌いという性質をも勝るものらしい。
俺の話す話しは、中には眉唾物や確実に誇大表現が入ってるだろうなあというようなものもあったが、そのどれもを主人は、あの人を突き放すような態度も忘れて、本当にワクワクとした様子で聞いてくれた。
こちらも話し手冥利に尽きるというものだ。
最初はまだまだ尊大なところがあった主人の態度も軟化してきて、今では医学に関する以外の話もしたりするようになるくらいには、打ち解けることができた。
「ですからね、その自称美食家の上官が現地の人間が止めるのも聞かずに幻の珍味だっていうセイタカエモチを煮て食べてしまったんですけど、実はそれセイタカエモチなんかじゃなくて、葉っぱの形がよく似たセイタカヘクサっていう草でして」
「ふむ、消化管の運動が活発になる草だな。胃もたれなんかによく効く。ただ、摂取しすぎると吐き気などの副作用が現れる」
「ええ、そうなんです。その上官、欲張ってこんなに大きな籠3杯分も食べたもんですから、さあ大変! 上からも下からも出るものが出ちゃって……」
「クククッ、そいつはとんだ大馬鹿者だな」
こんな感じで俺がアカデミックな内容ではない無駄話を喋り、それに主人が笑ってくれることも多い。
ドワーフの炭鉱夫と仲良くなったこと、勲功をたてて招かれた屋敷で見たペガサスの美しさ、仲間とやった馬鹿話、沢山話しをした。
最初必要ないと断った手前、主人は表面上はそれらの話を興味なさげに聞いているように装っていたが、節々で返ってくる身動ぎの反応や漏れ聞こえてくる息の仕方で、本当は俺の話を楽しく思ってくれているのか俺にはモロバレだ。
長い嵐で家の中に閉じこもらざるを得ず、主人も暇なのだろう。話が終わる度に次は次はと別の話を急かされる。俺の方も、旅の相方のジョーが死んで以来どうもそんな気分になれなかったのと、機会がなかったのとで久しく話をしていなかったから、こういうのはいい気分転換になった。
「その『7色に光る夜空』ってのを見たくて、俺たち仲間10人は駐屯地をこっそり抜け出して町灯りから離れた遠くの丘を目指したんです」
「それは多分オーロラの事だな。超高層の大気中で起こる現象だ。詳しく知りたければ後で説明してやろう。それで、道中にも面白いものはなかったのか?」
「それがですねぇ、駐屯地を抜け出したらものの5分もたたないうちにとんでもない大吹雪に見舞われたんですよ! お陰でそれからあとは、もう大変。前も後ろも真っ白で、何も分かりゃしない!」
「ほう、それはまずいな。それで、それからどうなったんだ?」
また、俺がこの目で見て耳で聞いてきて知ったように、主人が本や絵で世界のことを知っているというのも本当で、時には俺の話に予想外の答えを返したり、付け足しを加えてくれることもあり、そこからまた話が弾んだ。
知的な主人との対話は面白く、ただ一方的に自分の知見を話しているだけでは得られない楽しさがあった。時に彼は俺が知らない話を逆に話してくれることもあり、それがまた俺の気分を上向けさせる。
嵐が過ぎ去る頃には、完全にまでとはいかないが、主人の態度のトゲトゲしさはなりを潜め、俺たちの間柄は偶然街中で合えば仲良くカフェに入って話をする程度には仲のいい知り合いくらいの雰囲気になっていた(と、思いたい)。
久しぶりにそうして思いっきり話ができて、俺は晴れ晴れとした気分だったが、同時に重苦しい気分でもあった。
主人との話が弾めば弾むほど、嵐が過ぎ去ってこの居心地のいい空間をあとにしなければならない現実に心が沈む。
だが、それは俺のワガママに過ぎない。
俺は普段目が見えないせいで、周囲の人間から腫れ物扱いをされることがままある。まあ、それは仕方がないことだ。多かれ少なかれどこか体の不自由な人間と対峙したら、気を使ってしまうのは仕方がないことだろう。何も間違っちゃいない。だから、俺とただ話をするにしても相手にはいつもどこか遠慮や気遣いが見られる。
だが、ここの主人は目のことなど頓着することなく、俺の事を対等な自分の客人として扱ってくれた。
もちろん、目の見えない俺を補助してくれないことに対して、主人は意地悪なやつだという考え方もあるかもしれないが、盲人として遠巻きに、壊れ物を扱うように接されることに矜恃を傷つけられ、いささかウンザリともし始めていた俺にとって、下手に気遣いされるよりそれはむしろ嬉しいことだった。
また、主人は『お前も少しは手伝え』と言って、2人で話をしながら俺に洗った後の濡れた皿を拭かせたり、主人がストックしている薬草を匂いと指先の感覚でより分けさせたりとこき使ってくれて、それも無理に泊めてもらっている後ろめたさを軽くしてくれる。それが俺が主人に対して負い目ではなく、親しみを感じられるようになった主な要因だとも思う。
誰かと対等に話をして、仕事を手伝って、扱いだけ見れば、まるで目の見えていた頃に戻ったようである。
この屋敷に来て久しぶりに煩わしい目のことを気にせず過ごせて、俺はとても満たされた気分になっていた。
だが、そんな日々も永遠に続く訳ではない。俺は単に道に迷い、嵐に見舞われてこの屋敷に避難してきた客人。ただでさえ山の天気は変わりやすいのだ。事実、3日としないうちに嵐は過ぎ去り、とうとうある朝俺が目を覚ますと窓の外から耳に気持ちのいい小鳥の囀りが聞こえ、頬に暖かい陽光が当たるのを感じた。
ああ、楽しい生活も今日で終わりか。これで俺がこの屋敷に滞在し続ける理由は無くなってしまった。
主人ともだいぶ打ち解けられてきたが、初対面の俺にも人嫌いだと公言してはばからない彼が、理由もなく俺をこの屋敷に置いてくれることはないだろう。客人は、外からたまに来るから客人なのだ。主人の望む静かな生活に、同居人は必要とされていないことは分かり切っている。
どうやら俺は、自分で思っていたより大分ここでの生活を気に入ってしまったようだ。まだ数日しか滞在していないのに、この屋敷を離れるのがとても名残惜しい。ここに居続けられないのを、心の底から残念に思う。
だが、いつまでもこうグダグダと無駄な考えを続けていても仕方がない。
せっかく今日が最後の日になるのなら、主人の用意してくれるあの美味しい食事を、少しでも暖かいうちに食べてしまおう。
そうと決めた俺は服装を整え、少ない持ち物を片付け杖を持ち、すっかり旅支度を整えてから食堂へ赴いた。
食堂では主人がいつも通り俺よりも早く席につき、俺を待たずに食事を始めている。
さて、今日の朝食はなんだろう。この匂いからすると、なにかスパイスのようなものを入れたスープだろうか?
匂いで香辛料が使われているらしいことは判明したけれど、無学なのでその名前までは分からなかった。
ただ、嗅いだことのある匂いなので、以前どこかで食べたことがあるのかもしれない。目で見れたらもう少し色々と分かるんだが。
「今日も美味しそうな匂いですね、ご主人。有難くいただきます」
そう言って席に着いたが、不思議と今日はいつもの嫌味が来ない。おかしいな、『嵐があけた。これでようやくお前を追い出して以前の静かな生活が取り戻せる。私は今、たいへん嬉しい』位は言われると思ったんだが。
ただ、スプーンでスープを掬う音が止んだので、こちらに主人の意識が向いているのは間違いなさそうだ。肌がピリピリとするのは、主人の鋭い視線がこちらに向けられているのを感じ取っているからか。
ちょっと主人の様子がおかしいが、ここで下手をこいて薮蛇になって、せっかくの最後の朝を台無しにしたくない。
俺はこのまま何も言わずにいることに決め込んで、朝食を摂り始めた。
だが、不思議なことに主人はいつまでたっても食事を再開する気配がない。視線らしきものを感じるのもそのまま。
どうやら俺が食べているのをずっと観察しているらしい。
流石にちょっと、これは気まずいんだが。
折角の美味い飯の味もろくに分からなくなる。
普段なら相手からは嫌味オンリーとはいえ、多少の会話もあるのだが、今日はそれすらない。
主人はただ、食事も摂らずに黙って俺を(多分)見てるだけ。
ぶ、不気味すぎる。
とうとうこの空気感に負けて先に口を開いたのは、俺の方だった。
「あのー、ご主人。どうか致しましたか? 先程から少し、食事の手が止まっているようですが。それと、こちらを見ていらっしゃるようですが、私の服装になにかおかしな所でもありましたか? もしあるようでしたらぜひ仰ってください。ご存じの通り私は自分では自分の見た目になにかおかしな所があるかなんて、分かりませんので」
俺のこの言葉は、主人にとって予想外だったようだ。
テーブルの向こうで、動揺してガタッと椅子を鳴らす音と、スプーンを取り落とすガシャンという音がする。
「べ、べ、べ、別に、見てなんかない! ていうか! お前は目が見えないんだから私がお前を見ているかなんて分からないはずだろう!」
「いえ、視覚がないぶん、他の感覚が鋭くて、色々分かるんです。見られているのもなんとなくですが、感じるんですよ」
「だからと言って、確証はないだろう! 勝手に決めつけるな!」
「は、はあ。すみません」
なんかめっちゃ反発されたし、しかもそれきり主人は押し黙ってしまった。
先ほどと同じか、それ以上の気まずい沈黙が流れる。
もしかしなくてもこれ、薮蛇だったか? だって、黙って見つめられたら気になるじゃんかよ! 見られてたのは多分だけど!
どうしようかと絶望的な気分のまま俺が内心頭を抱えていると、今度は主人の方から声をかけてきた。
「おい、お前!」
「は、はい。何でしょう」
ビックリしてちょっと吃ってしまったのはご愛嬌。
だが、そんな事には構わず主人は言葉を続ける。
「お前! 目が見えなくて困っているだろう!」
「そ、そうですね。困っています。」
「目が見えるようになりたいと思っているだろう!」
「はい、できれば以前程までとはいかないまでも、少しでもまた見えるようになったら嬉しいです」
「見えるようになるためなら、どんなことでもするよな!」
「ええ。流石に人を殺すとか、そういうことならご勘弁願いますが、自分にできることならいくらでも努力いたします」
何だこの会話。なんの意味があるんだ。
主人の真意を測りかねて困惑する俺だったが、あちらの方は1人で勝手になにか納得がいったらしく、そうかそうかと満足そうに呟いている。
マジで何なの?
すると、おいてけぼりの状況にただひたすら困惑する俺に、主人は明るく語りかけてくる。
「そんなお前にいい知らせがある。もうだいたい察しはついていると思うが、私は医学に従事する者だ。医学に関することを全般的に研究している。古今東西、様々な医学を学んできた。日々新しい研究テーマを探しているんだが、今度のテーマはお前の目のことにしようと思うのだ!」
「……と、いいますと?」
「ああもう、察しが悪いな! だから、私がお前の目を診て、治してやろうと言っているんだ! あ、言っておくが、お前のためじゃないからな。あくまでも研究のため、医学の発展に貢献するため、だ。そこのところ勘違いするなよ」
俺は思わず口をあんぐりと開けた。
治す? この目を? 主人が?
いきなり何を言い出すんだ?
「で、ですがご主人。この目は最新の魔法兵器でやられてしまって、沢山の患者を診てきた腕利きの医者にも、もう光が戻ることはないと言われたんですよ」
「なんだお前。日々研鑽を続けている私の医術の知識が、そこらの医者に劣るというのか」
「いや、別にそういう訳ではありませんが」
「なら文句はないな。お前、研究が終わるまで、暫くこの屋敷に滞在しろ。今まで通りの食事付き。お前の滞在費は私の研究の協力費とでトントンだ。それでいいな?」
なんだこれ。どういうことだ?
確かにもっとこの屋敷に滞在したいとは思ったが、こんなことはちっとも予想していなかった。
だが、反論を述べようにも主人の方はもうその気になっていて、これから忙しくなるぞとスープを音を立てて急ぎ掻っ込んでいるし、先程までの一方的な様子だと俺の意見を真っ当に聞いてくれる様子もない。
そりゃあこの目が治ってくれたら嬉しいし、屋敷に引き続き滞在できて、主人と交流できるのなら、それが嬉しくないといえば嘘になる。
仲間のジョーが死んで少なからずショックを受けている今、近くに人がいてくれるというのも心情的に嬉しい。
無一文になった今、ここにいればしばらく食事と寝床の心配をしなくていいというゲスい理由も……。
あれ、それで、俺は、うん、どうしたいんだっけ?
深く考えれば考えるほど、俺が主人の提案に対して否やという理由は無くなっていく。
「はい、分かりました……」
最後にそう答えてしまったのは、混乱からか。殆ど無意識だった。
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