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一応目の見えない俺に配慮してか、ガサゴソと派手に薮を掻き分けてくれる音を頼りに歩いていくと、程なくして俺を拾った人物の屋敷に辿り着くことができた。
招かれた住居は屋敷と言うだけあって、奥深い山には似合わず立派なものらしい。というのも、最初に俺が扉をくぐった先が狭い家には到底備わっていないような玄関ホール(だと思う)だったし、さらに足を踏み入れた時その玄関ホールに響いた音がかなり遠くまで反響していたからだ。
ただ、広くはあっても誰も出迎えにくる様子はなく、俺達以外に人の気配はしない。俺を拾ってくれた人は、何故こんな場所に立派な屋敷を建て1人で暮らしているのだろう?
気にはなるが、詮索はしない。
ここで下手に機嫌を損ねて山中におっ放りだされたら、たまったものではないではないか。
「その汚いコートは脱げよ。家具を汚されちゃたまらない」
それだけ言って、屋敷の主は足音だけを残してどこかへ行ってしまった。
後には広い(らしい)玄関ホールにポツネンと立つ俺1人。
勝手に歩き回る訳にもいかないし、そもそもあたりが見えなくて迂闊に歩けないし、どうしろっていうんだ。
とりあえず汚いと言われたコートを脱いでみたけれど、洋服掛けの位置もわからなくて、脱いだそれを手に持ったまま途方に暮れてしまう。
どうしよう。
せめてもっと何か言い置いてくれればいいものを。
どれだけそうしていただろうか。暫く所在なく玄関扉の前に立ち続けていたら、屋敷の主が戻ってくる音がした。
「なんだ、お前。ずっとそこに立っていたのか」
「すみません、勝手に動き回ってなにか壊してしまったらいけないと思いまして」
「まあいい。飯の支度ができた。食堂までついてこい」
そう言ってまた歩き始める音がする。
俺は慌ててその音を頼りに彼のあとをついて行った。
杖で辺りを探ることで調度品に傷をつけないかとヒヤヒヤしながら、それでも勘で歩いて体ごとぶつかって物を倒すよりマシだと考えつつ、足音に遅れないようについて行く。
暫くすると足音が立ち止まり、扉が開く音がして、その先の反響の具合からこれまた広い部屋にたどり着いたのだと窺い知ることができた。
「皿はもう出してある。席に付け」
言葉の通りコンソメのいい匂いがここまで漂ってくる。そこで俺は、自分がとてもお腹がすいていることに気がついた。有難くさっさといただいてしまおう。
先に部屋の中に入った足音と椅子を引く音を注意深く聞き、机までの距離を測って料理の匂いを頼りに自分の席を割り出す。
ここまで一切屋敷の主は手を貸してくれなかったので、席に着くまでだけでかなり疲れてしまったが、それなりの達成感を得られた。
小さく食器が触れ合う音から、俺を待たずに主人が食事を始めているのが分かる。なんていうか、本当に歓迎されてないんだな、俺。屋敷に泊めてくれるのに他は一切補助もしてくれないなんて、なんかチグハグだ。
まあいいや。それよりも今は腹が減った。
家具を汚すなと言われていたので、手に持ったままだった畳んだコートは膝の上に置いて、席に着く。
「いただきます」
翳した手に当たる蒸気で発見したスープを、手探りで見つけ出したスプーンで掬い上げる。
あのつっけんどんな主人の作る料理はどんな味がするのだろうと恐る恐る口にしてみたそれは、思わず昔の癖で不自由な目を見開いてしまいそうになった程美味い。具は野菜しか入っていないようだが、コンソメの味がきいていて飢えた体の隅々までしみ渡る。少し冷め始めてしまってもこの美味さなのだから、格別だ。
スープと同じようにして見つけたパンも、こんな山奥で店なんて無いんだから、手作りなんだろうな。焼きたてではないはずなのに、口の中で無理やり噛み砕かなくてもいいほどに柔らかい。
料理はパンとスープと水だけという本当に質素なものだったが、文句なんて1つも思い浮かばないほど全部美味かった。
この感動を屋敷の主人に伝えたい。だが、俺は彼に語りかけるための彼の名前すら知らない。まあいい適当にそのまま『ご主人』でいいか。
「ご主人! このスープ、とっても美味しいです! パンも香ばしいのに柔らかで素晴らしい!」
興奮気味に伝えた俺の言葉を、主人はすげなく一蹴する。
「五月蝿い、黙って食え」
本当につれない。主人の心臓は石か鉄でできているのか? 料理は美味いが褒められても嬉しくなさそうなので、それからは言われた通り黙って食い進める。
食事を食い終わってからは、すぐさま客間らしきところに案内され、扉の前まで連れてこられると、もう用は済んだとばかりにまた1人置いていかれてしまった。
仕方がないのでサッサと寝支度をしてしまえばもうやることはない。
主人には余程俺が汚く見えていたのだろう。いつの間にか置かれていた湯の張られた盥を使って体を清めさせてもらったので、全身さっぱり清潔。
ただ、それでもどこか汚しやしないか、壊しやしないかビクビクしてしまって、そんな気持ちのままいつまでも起きているのもなんなので、その日はさっさと寝てしまう事にした。
こんな状況でも寝られる程、俺は結構図太いのだ。
これほどまでに腹が満たされ、清潔な体で、フカフカの寝心地のいいベッドで寝られるのはいつぶりか。
今日はいい夢を見られそうだ。
その日、満ち足りた気分で、俺は目を閉じた。
そして翌日。
「なんてこったい……」
俺は上半身だけを起こしたベッドの上で、文字通り頭を抱えていた。
原因はベッドの横にある窓の外。
目は見えなくても空気を伝わってくる音と、窓枠を揺らす振動で分かる。
天気、めっっっちゃ荒れてるんですけど。
窓ガラスは突風でビリビリ震えているし、空気中の湿気も酷く、雨が屋敷全体に叩きつけてくる音もする。
これ、外は確実に嵐だ。
どうしてこんなことに! 山の天気は変わりやすいとはいえ、昨日まであんなに穏やかな天候だったじゃないか!
どうしよう。俺、1晩しか滞在許可もらってないんだけど。こんな嵐の中を、山の中の道無き道を見えない目で麓まで下っていくというのか。
やっぱり、運命の女神様に嫌われてねえ、俺?
暫くそうしてどうしようどうしようと考えていたが、そのうちこの事態は自分にはどうしようもないことに気がついて考えるのを止めた。もうこうなったらやけくそだ。1度は死を覚悟した身の上だし、それなら本当に死ぬ気で麓まで行ってやろう。
そうと決めた俺はちゃっちゃと身支度をしていつでも屋敷を放り出される用意をしてから、部屋を出る。
とりあえず昨日の記憶と杖を頼りに昨日食事をとった食堂らしきところに行けば、もう既に主人が来ていて、食事を摂っている音を聞くことができた。
「ご主人、おはようございます」
「……とっとと席につけ。飯が冷める」
相変わらず愛想がない。まあ、遭難しているところを救ってもらった上に屋敷に招いて食事の世話までしてくれたのだから、それだけで十分だ。これ以上の歓待を望むなんて、ちょっと図々しい。
昨日と同じ要領で食事の用意された席につき、今日のお恵みに感謝していただきます、と小さく祈ってから手をつける。
うん、相変わらず美味しい。矢張りここの主人は相当な料理上手だ。
今朝は悪天候のせいで冷えるからかコクの有るポタージュスープで、腹に溜まってこれから山下りをする身としては大変有難い。パンも今朝は焼きたてなのかただでさえ柔らかかった昨日よりさらに輪をかけてフワフワと柔らかく、練り込まれたレーズンのようなドライフルーツがいいアクセントになっている。飲水もなんとほんのり温い白湯にグレードアップしていた。
なんと有難い。ここの主人は言葉こそ冷たいが、そのもてなしは気遣いに溢れていて、矛盾した不思議な人だ。
ろくなお礼ができないのが本当に心苦しい。
やがて、用意された食事はすっかり食べ終わった。
さて、もう行かなくては。
今日も糧をお与えくださったことを神様と主人にキチンと感謝してから席を立ち、まだゆっくりと食事を続けているらしい主人の方へと深々と礼をした。
「おもてなし有難う御座いました、大変感謝しています。この御恩は決して忘れはしません。なにかお礼がしたいのですが、生憎今の私には持ち合わせがなく、これといってお渡しできるものがございません。どうか何もできない非礼をお許しください。さて、お願いばかりで申し訳ないのですが、最後に麓までの道をお教えいただけないでしょうか? なるだけ早く、次の村に辿り着きたいのです」
本当、こんなことならジョーの葬式代と墓代に有り金全部置いてくるべきじゃなかったかもしれないな。いや、死者の弔いをケチるべきじゃないか。なら、せめてこういった非常時用になにかお礼に手渡せるだけの身の回り品を持っておくべきだった。
装飾品には興味がないし、そこまで考えが回らなくて旅に出る時めぼしい持ち物は邪魔になるし路銀にしようとあらかた売ってしまったから、今更後悔してももう遅いが。
とにかく、主人は人嫌いのようだし、もうこれ以上彼の静かな生活を邪魔しないようにお暇しよう。
だが、そんなことを考えていた俺の耳に届いたのは、予想外の言葉だった。
「それはできない」
「はい? できない……とは?」
会話の流れが上手く読めなくて聞き返してしまう。
そんな俺の様子に主人は苛立つ様子もなく淡々と言葉を続けた。
「お前ももう分かってると思うが、外はこの嵐だ。とてもじゃないが盲人が1人で出歩けるような天気じゃない」
「ですが、昨日は明日には出ていくようにと」
「状況が変わっただろう。そんなことも分からないのか。ここでお前を追い出せば、確実にこの屋敷からいくらも行かないうちに泥に足を取られて滑って転ぶか風に飛ばされて木に体を打ち付けるかして動けなくなり、そのまま野垂れ死にだ。そしたらお前の死体の処理は誰がする? まさか麓の村から墓掘り人が来てくれるなんて言わないよな? どうせ同じ手間なら墓穴掘りの重労働より、私はこのままお前に部屋を貸して食事を出す方を選ぶね」
これは……引き続き嵐が治まるまでは暫く屋敷に泊めてくれるということか?
それはとてもありがたい申し出ではあるのだが……。
「ご親切はとても嬉しいのですが、ご主人。生憎と私はあなたに何もお礼できそうになくて」
「フンッ、そのことなら気にしなくていい。物乞い同然のお前になにか恵んでもらわなくても、私は一向に構わないからな。お前はせいぜいここにいる間、私の邪魔をしないようにすることだけ気にしていろ」
言葉はキツイが、親切な申し出だ。
突然の嵐に困っていたのは本当だし、長旅で疲れた体にはここでロハで屋根付き食事付きの休息をとれるのは魅力的すぎる。
実際、自分でも嵐の山を杖をつきつつ歩くのはあまりいい考えとも思えないし、またまた甘えさせてもらうことにしよう。
「それでは、もう一晩だけ。もう一晩泊まらせていただいたら、出ていきますので」
「別に、嵐が収まるまで居ればいい。お前くらい少食なら、食料の心配もしなくて済む」
なんと、まさか嵐が過ぎるまで置いていてくれるとは! 何も返せないのが実に申し訳ない。本当に何か持ってなかったか、俺? 道中拾った珍しい鉱石とか、今は発売中止になって価値が格段に跳ね上がってる装身具とか、何か。
頭を捻ってみはしたけれど、これといってなにかそれらしい事は思いつかない。それこそ体で払う位しか……。いや、目が潰れているからろくな労働なんてできやしないんだけど。
「あのー、私は本当になにかしなくていいのでしょうか? このままではあまりにも申し訳なくて」
「お前は仮にも客人だ。変に気を使わなくていい。だいたい、目の見えないお前に何ができるというのだ。家事でも手伝ってくれるのか?」
主人はどうせ無理だろう、と思っているのを隠しもしない口調で言って、鼻で笑う。
全くその通りだ。
皿洗いくらいならできるかもしれないが、掃き掃除も食事の支度も危なっかしくてできないだろう。
でも、だからってこのまま何もしないのもなー……。
あ、そうだ!
「ご主人、あなたはずっとここにお1人で?」
「……そうだが、なにか文句でも?」
「いえいえ、滅相もない!」
俺の突然の問いかけに、主人の声にさらなる不快感が乗った。
俺は慌てて問いかけの真意を明かす。
「いえ、実は私、こんな体になる前は、軍に在籍していたので、戦争がある度国内外あちこちを飛び回っていろんなところに出向いていましてね。その時の見聞を活かして、体験した珍しい経験や、聞いてきた異国の言い伝えなんかをお話できるんじゃないかと思いまして。どうですか、暇つぶしくらいにはなるんじゃないでしょうかね? これでも私の語り口は、仲間の中でもうまいと評判だったんですよ」
ここまでの道すがらも、ちょっと宿代が予算よりも高い時なんかは、酒場の隅を借りて酔っ払い相手に話をして、夜越しの銭を稼いだものだ。俺が差し出せる中で、金を払う代わりになるだけの価値があるものといえば、今はこれくらいしか思いつかない。
それに、こんな山奥に1人きりでずっと居るのなら、外の情報が欲しくなることもあるだろうと思うのだ。
だが、主人の答えはそっけない。
「要らん。それよりも、私は誰にも邪魔されない静かな生活が欲しい。お前は私のことをこの屋敷の中のことしか知らない世間知らずだと思っているようだが、ここには世界中から集めた本も絵画も沢山ある。外の世界のことを知るのに、何も困らない。今1番の願いは早く嵐が過ぎ去って、お前がとっととこの屋敷を出ていくことだ。お前がどんなに心苦しく思おうが知ったこっちゃない。与えた部屋で、大人しくしていろ」
耳を打つ主人の声が、いよいよ不機嫌なものになってきた。
仕方がない、ここまで嫌がられたらお手上げだ。
「そうですか、お役に立てず残念です。ドラゴンの雛の鱗の色や、西の地に伝わる英雄譚。マーメイドの歌う歌の歌詞の意味。魔法使いだけの国に住む人々のこと。あと、ある土地にだけ生える珍しい薬草の面白い薬効とか、耳に楽しい話は死ぬほどあったのですが……」
「待て、今薬草といったな!」
ガチャン! と食器が激しくぶつかり合う音と、ガタン! と椅子から立ち上がる音がした。
俺がその音にびっくりしている間に、カツカツと靴の音も高らかにこちらに歩いてくる音がそこに加わり、目の前に主人が立つ気配がする。
「珍しいとは、どんな薬草だ? 名前は? 色は? 形は、味は、薬効は? 早く答えろ!」
先程までのこちらへの無関心が嘘のように、主人は言葉を捲し立てた。
その剣幕に面食らって、俺はしどろもどろに答える。
「そ、そんな慌てて聞くほど大したものではないですよ。例えば、そうですね。ある薬草なんかは飲んだ人間は一時的に体が少し、大きくなるんです」
「なにい! 体が大きくなるだと! そんな薬草、聞いたこともない! それはどこに生えてるんだ! さっさと吐け!」
今や主人の声は俺の眼前まで迫り、目が見えずとも、彼が身を乗り出して俺の言葉を一語一句聞き逃すまいとしているのが感じ取れた。
ここまで興奮するとは、薬草が主人の琴線に触れる話題だったのかな? なんにせよ、これで恩が返せそうだ。
「まあまあ、落ち着いてください。焦らずとも全てお話しますよ。生える場所はもちろん、その薬草の名前から、そこにまつわる話まで」
してやったり、と内心ほくそ笑みながら、俺は話を始めた。
招かれた住居は屋敷と言うだけあって、奥深い山には似合わず立派なものらしい。というのも、最初に俺が扉をくぐった先が狭い家には到底備わっていないような玄関ホール(だと思う)だったし、さらに足を踏み入れた時その玄関ホールに響いた音がかなり遠くまで反響していたからだ。
ただ、広くはあっても誰も出迎えにくる様子はなく、俺達以外に人の気配はしない。俺を拾ってくれた人は、何故こんな場所に立派な屋敷を建て1人で暮らしているのだろう?
気にはなるが、詮索はしない。
ここで下手に機嫌を損ねて山中におっ放りだされたら、たまったものではないではないか。
「その汚いコートは脱げよ。家具を汚されちゃたまらない」
それだけ言って、屋敷の主は足音だけを残してどこかへ行ってしまった。
後には広い(らしい)玄関ホールにポツネンと立つ俺1人。
勝手に歩き回る訳にもいかないし、そもそもあたりが見えなくて迂闊に歩けないし、どうしろっていうんだ。
とりあえず汚いと言われたコートを脱いでみたけれど、洋服掛けの位置もわからなくて、脱いだそれを手に持ったまま途方に暮れてしまう。
どうしよう。
せめてもっと何か言い置いてくれればいいものを。
どれだけそうしていただろうか。暫く所在なく玄関扉の前に立ち続けていたら、屋敷の主が戻ってくる音がした。
「なんだ、お前。ずっとそこに立っていたのか」
「すみません、勝手に動き回ってなにか壊してしまったらいけないと思いまして」
「まあいい。飯の支度ができた。食堂までついてこい」
そう言ってまた歩き始める音がする。
俺は慌ててその音を頼りに彼のあとをついて行った。
杖で辺りを探ることで調度品に傷をつけないかとヒヤヒヤしながら、それでも勘で歩いて体ごとぶつかって物を倒すよりマシだと考えつつ、足音に遅れないようについて行く。
暫くすると足音が立ち止まり、扉が開く音がして、その先の反響の具合からこれまた広い部屋にたどり着いたのだと窺い知ることができた。
「皿はもう出してある。席に付け」
言葉の通りコンソメのいい匂いがここまで漂ってくる。そこで俺は、自分がとてもお腹がすいていることに気がついた。有難くさっさといただいてしまおう。
先に部屋の中に入った足音と椅子を引く音を注意深く聞き、机までの距離を測って料理の匂いを頼りに自分の席を割り出す。
ここまで一切屋敷の主は手を貸してくれなかったので、席に着くまでだけでかなり疲れてしまったが、それなりの達成感を得られた。
小さく食器が触れ合う音から、俺を待たずに主人が食事を始めているのが分かる。なんていうか、本当に歓迎されてないんだな、俺。屋敷に泊めてくれるのに他は一切補助もしてくれないなんて、なんかチグハグだ。
まあいいや。それよりも今は腹が減った。
家具を汚すなと言われていたので、手に持ったままだった畳んだコートは膝の上に置いて、席に着く。
「いただきます」
翳した手に当たる蒸気で発見したスープを、手探りで見つけ出したスプーンで掬い上げる。
あのつっけんどんな主人の作る料理はどんな味がするのだろうと恐る恐る口にしてみたそれは、思わず昔の癖で不自由な目を見開いてしまいそうになった程美味い。具は野菜しか入っていないようだが、コンソメの味がきいていて飢えた体の隅々までしみ渡る。少し冷め始めてしまってもこの美味さなのだから、格別だ。
スープと同じようにして見つけたパンも、こんな山奥で店なんて無いんだから、手作りなんだろうな。焼きたてではないはずなのに、口の中で無理やり噛み砕かなくてもいいほどに柔らかい。
料理はパンとスープと水だけという本当に質素なものだったが、文句なんて1つも思い浮かばないほど全部美味かった。
この感動を屋敷の主人に伝えたい。だが、俺は彼に語りかけるための彼の名前すら知らない。まあいい適当にそのまま『ご主人』でいいか。
「ご主人! このスープ、とっても美味しいです! パンも香ばしいのに柔らかで素晴らしい!」
興奮気味に伝えた俺の言葉を、主人はすげなく一蹴する。
「五月蝿い、黙って食え」
本当につれない。主人の心臓は石か鉄でできているのか? 料理は美味いが褒められても嬉しくなさそうなので、それからは言われた通り黙って食い進める。
食事を食い終わってからは、すぐさま客間らしきところに案内され、扉の前まで連れてこられると、もう用は済んだとばかりにまた1人置いていかれてしまった。
仕方がないのでサッサと寝支度をしてしまえばもうやることはない。
主人には余程俺が汚く見えていたのだろう。いつの間にか置かれていた湯の張られた盥を使って体を清めさせてもらったので、全身さっぱり清潔。
ただ、それでもどこか汚しやしないか、壊しやしないかビクビクしてしまって、そんな気持ちのままいつまでも起きているのもなんなので、その日はさっさと寝てしまう事にした。
こんな状況でも寝られる程、俺は結構図太いのだ。
これほどまでに腹が満たされ、清潔な体で、フカフカの寝心地のいいベッドで寝られるのはいつぶりか。
今日はいい夢を見られそうだ。
その日、満ち足りた気分で、俺は目を閉じた。
そして翌日。
「なんてこったい……」
俺は上半身だけを起こしたベッドの上で、文字通り頭を抱えていた。
原因はベッドの横にある窓の外。
目は見えなくても空気を伝わってくる音と、窓枠を揺らす振動で分かる。
天気、めっっっちゃ荒れてるんですけど。
窓ガラスは突風でビリビリ震えているし、空気中の湿気も酷く、雨が屋敷全体に叩きつけてくる音もする。
これ、外は確実に嵐だ。
どうしてこんなことに! 山の天気は変わりやすいとはいえ、昨日まであんなに穏やかな天候だったじゃないか!
どうしよう。俺、1晩しか滞在許可もらってないんだけど。こんな嵐の中を、山の中の道無き道を見えない目で麓まで下っていくというのか。
やっぱり、運命の女神様に嫌われてねえ、俺?
暫くそうしてどうしようどうしようと考えていたが、そのうちこの事態は自分にはどうしようもないことに気がついて考えるのを止めた。もうこうなったらやけくそだ。1度は死を覚悟した身の上だし、それなら本当に死ぬ気で麓まで行ってやろう。
そうと決めた俺はちゃっちゃと身支度をしていつでも屋敷を放り出される用意をしてから、部屋を出る。
とりあえず昨日の記憶と杖を頼りに昨日食事をとった食堂らしきところに行けば、もう既に主人が来ていて、食事を摂っている音を聞くことができた。
「ご主人、おはようございます」
「……とっとと席につけ。飯が冷める」
相変わらず愛想がない。まあ、遭難しているところを救ってもらった上に屋敷に招いて食事の世話までしてくれたのだから、それだけで十分だ。これ以上の歓待を望むなんて、ちょっと図々しい。
昨日と同じ要領で食事の用意された席につき、今日のお恵みに感謝していただきます、と小さく祈ってから手をつける。
うん、相変わらず美味しい。矢張りここの主人は相当な料理上手だ。
今朝は悪天候のせいで冷えるからかコクの有るポタージュスープで、腹に溜まってこれから山下りをする身としては大変有難い。パンも今朝は焼きたてなのかただでさえ柔らかかった昨日よりさらに輪をかけてフワフワと柔らかく、練り込まれたレーズンのようなドライフルーツがいいアクセントになっている。飲水もなんとほんのり温い白湯にグレードアップしていた。
なんと有難い。ここの主人は言葉こそ冷たいが、そのもてなしは気遣いに溢れていて、矛盾した不思議な人だ。
ろくなお礼ができないのが本当に心苦しい。
やがて、用意された食事はすっかり食べ終わった。
さて、もう行かなくては。
今日も糧をお与えくださったことを神様と主人にキチンと感謝してから席を立ち、まだゆっくりと食事を続けているらしい主人の方へと深々と礼をした。
「おもてなし有難う御座いました、大変感謝しています。この御恩は決して忘れはしません。なにかお礼がしたいのですが、生憎今の私には持ち合わせがなく、これといってお渡しできるものがございません。どうか何もできない非礼をお許しください。さて、お願いばかりで申し訳ないのですが、最後に麓までの道をお教えいただけないでしょうか? なるだけ早く、次の村に辿り着きたいのです」
本当、こんなことならジョーの葬式代と墓代に有り金全部置いてくるべきじゃなかったかもしれないな。いや、死者の弔いをケチるべきじゃないか。なら、せめてこういった非常時用になにかお礼に手渡せるだけの身の回り品を持っておくべきだった。
装飾品には興味がないし、そこまで考えが回らなくて旅に出る時めぼしい持ち物は邪魔になるし路銀にしようとあらかた売ってしまったから、今更後悔してももう遅いが。
とにかく、主人は人嫌いのようだし、もうこれ以上彼の静かな生活を邪魔しないようにお暇しよう。
だが、そんなことを考えていた俺の耳に届いたのは、予想外の言葉だった。
「それはできない」
「はい? できない……とは?」
会話の流れが上手く読めなくて聞き返してしまう。
そんな俺の様子に主人は苛立つ様子もなく淡々と言葉を続けた。
「お前ももう分かってると思うが、外はこの嵐だ。とてもじゃないが盲人が1人で出歩けるような天気じゃない」
「ですが、昨日は明日には出ていくようにと」
「状況が変わっただろう。そんなことも分からないのか。ここでお前を追い出せば、確実にこの屋敷からいくらも行かないうちに泥に足を取られて滑って転ぶか風に飛ばされて木に体を打ち付けるかして動けなくなり、そのまま野垂れ死にだ。そしたらお前の死体の処理は誰がする? まさか麓の村から墓掘り人が来てくれるなんて言わないよな? どうせ同じ手間なら墓穴掘りの重労働より、私はこのままお前に部屋を貸して食事を出す方を選ぶね」
これは……引き続き嵐が治まるまでは暫く屋敷に泊めてくれるということか?
それはとてもありがたい申し出ではあるのだが……。
「ご親切はとても嬉しいのですが、ご主人。生憎と私はあなたに何もお礼できそうになくて」
「フンッ、そのことなら気にしなくていい。物乞い同然のお前になにか恵んでもらわなくても、私は一向に構わないからな。お前はせいぜいここにいる間、私の邪魔をしないようにすることだけ気にしていろ」
言葉はキツイが、親切な申し出だ。
突然の嵐に困っていたのは本当だし、長旅で疲れた体にはここでロハで屋根付き食事付きの休息をとれるのは魅力的すぎる。
実際、自分でも嵐の山を杖をつきつつ歩くのはあまりいい考えとも思えないし、またまた甘えさせてもらうことにしよう。
「それでは、もう一晩だけ。もう一晩泊まらせていただいたら、出ていきますので」
「別に、嵐が収まるまで居ればいい。お前くらい少食なら、食料の心配もしなくて済む」
なんと、まさか嵐が過ぎるまで置いていてくれるとは! 何も返せないのが実に申し訳ない。本当に何か持ってなかったか、俺? 道中拾った珍しい鉱石とか、今は発売中止になって価値が格段に跳ね上がってる装身具とか、何か。
頭を捻ってみはしたけれど、これといってなにかそれらしい事は思いつかない。それこそ体で払う位しか……。いや、目が潰れているからろくな労働なんてできやしないんだけど。
「あのー、私は本当になにかしなくていいのでしょうか? このままではあまりにも申し訳なくて」
「お前は仮にも客人だ。変に気を使わなくていい。だいたい、目の見えないお前に何ができるというのだ。家事でも手伝ってくれるのか?」
主人はどうせ無理だろう、と思っているのを隠しもしない口調で言って、鼻で笑う。
全くその通りだ。
皿洗いくらいならできるかもしれないが、掃き掃除も食事の支度も危なっかしくてできないだろう。
でも、だからってこのまま何もしないのもなー……。
あ、そうだ!
「ご主人、あなたはずっとここにお1人で?」
「……そうだが、なにか文句でも?」
「いえいえ、滅相もない!」
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「いえ、実は私、こんな体になる前は、軍に在籍していたので、戦争がある度国内外あちこちを飛び回っていろんなところに出向いていましてね。その時の見聞を活かして、体験した珍しい経験や、聞いてきた異国の言い伝えなんかをお話できるんじゃないかと思いまして。どうですか、暇つぶしくらいにはなるんじゃないでしょうかね? これでも私の語り口は、仲間の中でもうまいと評判だったんですよ」
ここまでの道すがらも、ちょっと宿代が予算よりも高い時なんかは、酒場の隅を借りて酔っ払い相手に話をして、夜越しの銭を稼いだものだ。俺が差し出せる中で、金を払う代わりになるだけの価値があるものといえば、今はこれくらいしか思いつかない。
それに、こんな山奥に1人きりでずっと居るのなら、外の情報が欲しくなることもあるだろうと思うのだ。
だが、主人の答えはそっけない。
「要らん。それよりも、私は誰にも邪魔されない静かな生活が欲しい。お前は私のことをこの屋敷の中のことしか知らない世間知らずだと思っているようだが、ここには世界中から集めた本も絵画も沢山ある。外の世界のことを知るのに、何も困らない。今1番の願いは早く嵐が過ぎ去って、お前がとっととこの屋敷を出ていくことだ。お前がどんなに心苦しく思おうが知ったこっちゃない。与えた部屋で、大人しくしていろ」
耳を打つ主人の声が、いよいよ不機嫌なものになってきた。
仕方がない、ここまで嫌がられたらお手上げだ。
「そうですか、お役に立てず残念です。ドラゴンの雛の鱗の色や、西の地に伝わる英雄譚。マーメイドの歌う歌の歌詞の意味。魔法使いだけの国に住む人々のこと。あと、ある土地にだけ生える珍しい薬草の面白い薬効とか、耳に楽しい話は死ぬほどあったのですが……」
「待て、今薬草といったな!」
ガチャン! と食器が激しくぶつかり合う音と、ガタン! と椅子から立ち上がる音がした。
俺がその音にびっくりしている間に、カツカツと靴の音も高らかにこちらに歩いてくる音がそこに加わり、目の前に主人が立つ気配がする。
「珍しいとは、どんな薬草だ? 名前は? 色は? 形は、味は、薬効は? 早く答えろ!」
先程までのこちらへの無関心が嘘のように、主人は言葉を捲し立てた。
その剣幕に面食らって、俺はしどろもどろに答える。
「そ、そんな慌てて聞くほど大したものではないですよ。例えば、そうですね。ある薬草なんかは飲んだ人間は一時的に体が少し、大きくなるんです」
「なにい! 体が大きくなるだと! そんな薬草、聞いたこともない! それはどこに生えてるんだ! さっさと吐け!」
今や主人の声は俺の眼前まで迫り、目が見えずとも、彼が身を乗り出して俺の言葉を一語一句聞き逃すまいとしているのが感じ取れた。
ここまで興奮するとは、薬草が主人の琴線に触れる話題だったのかな? なんにせよ、これで恩が返せそうだ。
「まあまあ、落ち着いてください。焦らずとも全てお話しますよ。生える場所はもちろん、その薬草の名前から、そこにまつわる話まで」
してやったり、と内心ほくそ笑みながら、俺は話を始めた。
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憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
鬼神と恐れられる呪われた銀狼当主の元へ生贄として送られた僕、前世知識と癒やしの力で旦那様と郷を救ったら、めちゃくちゃ過保護に溺愛されています
水凪しおん
BL
東の山々に抱かれた獣人たちの国、彩峰の郷。最強と謳われる銀狼一族の若き当主・涯狼(ガイロウ)は、古き呪いにより発情の度に理性を失う宿命を背負い、「鬼神」と恐れられ孤独の中に生きていた。
一方、都で没落した家の息子・陽向(ヒナタ)は、借金の形として涯狼の元へ「花嫁」として差し出される。死を覚悟して郷を訪れた陽向を待っていたのは、噂とはかけ離れた、不器用で優しい一匹の狼だった。
前世の知識と、植物の力を引き出す不思議な才能を持つ陽向。彼が作る温かな料理と癒やしの香りは、涯狼の頑なな心を少しずつ溶かしていく。しかし、二人の穏やかな日々は、古き慣習に囚われた者たちの思惑によって引き裂かれようとしていた。
これは、孤独な狼と心優しき花嫁が、運命を乗り越え、愛の力で奇跡を起こす、温かくも切ない和風ファンタジー・ラブストーリー。
悠と榎本
暁エネル
BL
中学校の入学式で 衝撃を受けた このドキドキは何なのか
そいつの事を 無意識に探してしまう
見ているだけで 良かったものの
2年生になり まさかの同じクラスに 俺は どうしたら・・・
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