10 / 22
10
しおりを挟む
「まったく、とんだ目にあいましたね。私の知る限りじゃここら辺では全く魔物を見かけないのに、よりにもよってあんな大型のやつに襲われるなんて」
「ああ、普段は魔物避けの香をたいて、その上魔法で結界も張っているからな。……最近お前の目が治って、私の本当の姿を見られたらどうしようかとか、毛皮に少し触れられてしまったが正体がバレていやしないだろうかとか、そんなことばかり考えていて仕事が疎かになり、少し綻びを生じさせてしまっていたみたいだ。それであんなのが侵入してきてしまったんだろう」
「ああ、あの時のことですか。そんなに心配なさらなくても、私はあなたに嫌われたのかと思って気が気じゃなくて、正体がどうとかこれっぽっちも気がついていなかったのに。ていうかご主人。そんな大事なことが疎かになるまで私のことを考えていてくださったんですね。これは脈アリと考えてもよろしいんでしょうか?」
「ば、馬鹿を言うな! これはただ、この醜い姿がお前に見られて、蔑まれでもしたら嫌だと思って」
「だから、ご主人は醜くなんてないですってば。ていうか、よっぽど私に嫌われたくないんですね、ご主人。やっぱり脈アリなんじゃないですか?」
「ばっ、違っ、……!」
ふふっ、からかいがいのある人だ。でも、ちょっと虐めすぎたかな? 膨れっ面で黙り込んでしまった。
でも、その様子がなんだが子供っぽくて、いつもの主人からは想像もできないその仕草に、ついつい可愛らしいと思ってしまう。駄目だ。益々好きになる。
だが今はひとまずそんな邪念は置いておいて、主人の治療に専念することにした。
最初こそ姿を晒すことに慣れずビクビクしていた主人だったが、観念したのか今ではすっかりこの通り。全身を優しく丁寧に見て治療していく俺に逃亡と反発を諦め、緊張を解いてくれた。心做しか2人の間に流れる空気感も、以前のものに戻った気がする。これはいい傾向だ。
「さあ、だいたいこれでいいでしょう。毛皮のおかげで魔物の爪が滑って、致命傷にならずに済んだみたいだ。跡には残るかもしれませんが、こればっかりは仕方がない。あなたの魅力は少し傷があるくらいでは損なわれませんから大丈夫。それに、男なら傷の1つや2つ、あった方が箔が付くってもんです。なに、ご主人は獣人で魔力が高いですから、治るのもすぐですよ。今は横になってしっかり養生するのが1番の薬ですね」
主人は自分から爪も牙も捨ててしまったから、獣人にしてはろくな反撃もできずにいいようにやられたんだろうけれど、獣人ならばこそ人間より治癒力は高い筈だ。主人ほど魔力が高く、その扱いになれている獣人ならなおのこと。化膿にさえ気をつけていれば、そう大した心配はいらないだろう。今日ほど軍である程度の手当の方法を仕込まれていてよかったと思った日はない。最後に右腕の傷に巻いた包帯を固定して、手を払いながら立ち上がる。
「どうも、ありがとう」
「礼にはおよびません。あなたが私の目を治してくださったことに比べれば、こんなこと。さあ、ご主人には今から休養にはいってもらいます。今度は私があなたのお世話をする番ですよ。存分に世話を焼かれてください」
そう言っておちゃらけた表情をしてみせると、それを見て目の前の主人は僅かに口の端を歪めて苦笑した。
「やれやれ、その顔はなにか企んでいるな? 私が臥せっている間に何をするつもりだね?」
「大したことは、なにも。ただ、この隙に存分につけ込む気でおりますので、覚悟しておいてください」
途端に主人は目をパチクリさせ、虚をつかれた様ななんとも言えない表情になる。これはアレだ。俺の読みが正しければ、黒い毛皮で分からないが、その下で顔が真っ赤になっているに違いない。ストレートな言葉に弱いのだろう。こうしてみると、なかなかどうして初心な人だ。
「そういえば。もうご主人の正体を隠す理由はなくなったのですから、私がこの屋敷を去る理由もなくなりましたね。ま、駄目と言われても居座ってあなたの看病をするつもりですけど」
「お前どんどん遠慮がなくなるな。もう、好きにしてくれ」
「はい、喜んで!」
ニッコリ笑う俺の横で、心做しかゲッソリとした様子の主人が深々とため息をつく。気にしない、気にしない。
こうして、俺の主人に対する看病の日々が始まったのだった。
それから俺は大忙しだ。
主人は重症ではないとはいえ矢張り何日かベッドに臥せっている必要があったため、彼の身の回りの世話はだいたい俺がやらねばならなかったし、主人の世話以外にも主人が今まで1人でやっていた屋敷の整備だったり、薬草畑の世話だったりを急遽俺がしなくてはならなかったからというのもあった。
主人は俺に世話を焼かれるのが恥ずかしいのか、最初は渋っていたが最後には口で負かして丸め込んだ。対人恐怖症気味で人との関わりを絶ってきた主人が、そこそこ世間の荒波に揉まれてきた俺に口先で勝てるはずもない。まあ、主人は俺に告白されているのだから、色々と意識するなと言うのも無理な話だが。
まあそんな感じでなんやかんやと大変な日々だが、存外そんな毎日は楽しい。
元々目が見えないことを理由に自分の身の回りのこと以外、食事から何から主人に頼りきりだったため、きっかけがあれではあるが仕事ができて恩も返せて少し罪悪感が薄れるというのもある。
まあ、1番のお楽しみは看病にかこつけて主人を口説くことなんだけどね。ただでさえ人馴れしていない主人は、俺の口説き文句にタジタジだ。それを見るのが特に楽しい。
「今日も見惚れる程美しい毛並みですね、ご主人」
「これくらい獣人なら当然の嗜みだ」
「ご主人の瞳はまるで宝石のようだ。見れば見るほど素晴らしい」
「そんなの、自分では滅多に見ないから知らん」
「あなたの声はウットリする程素敵だ。まるで天上のしらべのようです」
「それはちょっと……言い過ぎじゃないか?」
あは、やっぱりそう?
だがそれも仕方がない。俺に口説かれる度に必死になって感情を押さえ込み、耳をパタパタさせたり、尻尾をモジモジとさせる主人が可愛くてついつい言いすぎてしまうんだ。好きな子のことをからかいたくなる悪ガキの気持ちが今ならすごくよく分かる。こういう以前の素っ気ないのとはまた違うところを見せられると、ギャップで益々好きになってしまうじゃないか。そういうもんだろ?
主人の方はまだ俺に対して恋愛感情を抱いているとは言い難いが、ある程度好意的に思われていることは分かっている。ならば、口説くしかないだろう! 押して、押して、押しまくれ、俺!
成り行きとはいえ胸中を曝け出し、最早秘めておくべき気持ちなどなくなった俺に遠慮はない。後はどれだけ押しまくって、主人を懐柔するかだ。始終甘いセリフをかけつづける、包帯を変える時にさりげなく手を握る、ことある事に目を見つめ微笑みかける、などなど。俺の少ない人生経験で、思いつく限りのアピールをした。そりゃあもう、嫌になるくらいたっくさん。どれほど効果があるのかわからないが、今のところ主人も嫌とは言わないし、俺の欲目でなければ満更でもなさそうだから、止める理由もないしね。
俺は今までの人生で積極的に女性を口説きに行ったことはない。そりゃあ付き合いで酒場で女性に声をかけたり、商売女と寝たりしたことはあるが、それだけだ。だいたいどれも友人たちにそそのかされたり誘われたりするのがきっかけで、自分から行ったことは1度もない。
女に興味が無い訳ではないのだが、どうも俺は恋愛ごとに疎いのだ。貧しい生まれとそれに続く厳しい軍での生活に、毎日を生きるのに必死だったのもあってそっちに割く余力がなかったのもある。
そんな俺が今ではまるで主人に対する恋の奴隷だ。人とは変われば変わるものである。でも、それだけ俺は主人に夢中なのだ。女のケツを追いかけ回すなんて馬鹿馬鹿しいと、内心小馬鹿にしていた死んだ友人たちに今からでも謝りたい。恋がこんなにも素晴らしいものだったとは! おかげで毎日がキラキラと光り輝いている。まるで生まれ変わったみたいだ。主人と会ってから、本当に俺の人生は上向いてきている。生きることとはこんなにも素晴らしいものだったとは、知らなかった。
そうして今日も今日とて俺は主人の世話と家事と口説きにあけくれる。主人の怪我の包帯を取りかえたり、書斎の本棚にはたきをかけたり、薬草畑の雑草を抜いたり、毎日の仕事に追われるうちに、日々は目まぐるしく過ぎていく。
だから、雑事に忙殺され、初恋に浮かれて面白半分に口説き文句を繰り返す俺は、気が付かなかった。密かに俺を盗み見る主人の瞳に、だんだんと熱が篭もりはじめていっていたことに。
そうして幾日か時は過ぎ。日毎に主人の容態は順調によくなっていった。もう今では床に臥せる必要はなくなり、軽い運動ならできるようになっている。この分には来週には包帯もとれるだろう。幸い化膿などもしていないようだ。
それでも流石に全快とはいかないので、今も外での庭仕事や重労働、手当は俺がやっている。ある程度腕の怪我が良くなったからか、着替えの手伝いをさせてもらえなくなったことだけが残念だ。まあ、俺も主人の裸を見るとドキドキして色々と困っちゃうからいいけど。
ドキドキするといえば、最近の主人の反応! 以前のように俺が口説き文句を口にしても、明らかにドキドキして狼狽えるでもなく、なんだか難しい顔をすることが多くなってきた。俺が甘い言葉を言いすぎて慣れちゃったのかなー。あんだけ言い続けてたら慣れるのも仕方のない話だけどさ。でも、あの傍から見てていかにも動揺してますよーって反応、可愛かったのに。またいつか見れたらいいな。そうときたら主人が思わずクラッとくるようなもの凄いセリフを考案しなくてはね。
そんなことを考えながら薬草のしまってある棚を整理していると、ふと幾つかの種類の薬草がもう残り少なくなっていることに気がついた。結構主人の怪我の手当に使ったからな。丁度いい、洗ったシーツを干しに行くついでに薬草畑の方まで足を伸ばして補充をしておこう。外に出る前に一応主人に声をかけておく。
「ご主人、私は少し外に出て仕事をしてきますね。午前中には戻ると思いますが、簡単なものでいいのでお昼ご飯の用意をお願いしてもよろしいでしょうか?下準備の方はある程度済ませておいてありますので」
「うむ、分かった」
窓辺の椅子に腰掛けてなんだか難しそうな学術書を読んでいた主人は、俺の頼みに鷹揚に頷いた。お願いしますね、と笑いかけて部屋を出る。
外に出る支度をしながら、そういえば薬草畑に行く道すがらの名前も知らない青い花がそろそろ見頃を迎えるな、帰りに少し摘んでいって窓辺に飾ったら主人は喜ぶだろうかとか、そんなことを考えながら屋敷を出た。
籠いっぱいに洗ってあとは干すだけのシーツを抱え、庭先にある物干し用のロープにかけていく。しばらくその作業に熱中して黙々と続けた。そうして籠の中身がもう殆どなくなってきたかなという頃、俺は詰んできた薬草を入れる薬草籠を家に忘れてきてしまったことに気がついた。
いけない、これじゃあ薬草畑に行っても雑草抜きくらいしかできないじゃないか。大急ぎで残りのシーツをやっつけ、洗濯籠を持って家に取って返した。洗濯籠を洗濯室の棚に戻し、どうせ屋敷に戻ったのなら、ついでに主人の顔を見がてら薬草畑でとってきて欲しいものはないか聞いてこよう。
主人の顔を見る口実ができたと、ウキウキしながら主人の私室に足を向ける。
主人の私室の前に立ち、ノックをしようとした時。ふと、俺はおかしなことに気がついた。目が見えていなかった時の名残がまだ残っていて、俺の五感は今でも結構鋭い。ご多分に漏れず、聴覚だってそうだ。その鋭い耳が、主人の部屋の中からおかしな音を捉えたのだ。
こう、ギシギシと何かが軋む音や、人の荒い息使いとか、そんな感じの音。明らかに様子が変だ。すわ何らかの不測の事態が起こって、中でご主人が倒れてもがいているのかと思い、ゾッとして大慌てでドアノブに手をかける。が、そこで俺は扉を開けることは叶わずに、ビタリと体の動きを止めることになった。
ドアノブから手を離し、ソーッと扉に耳を当てる。相変わらず聞こえてくるのは、なにかがギシギシいう音、主人のものらしき荒い息遣い、そして……男としてはどうも聞き覚えのある水音。
これってもしかしなくても、もしかする?
あれだよね? 男なら誰しも定期的にやっちゃうやつで、本能的に逃れようのないやつだよね?
どうか違っていてくれと、さらに情報を求めて耳を済ませれば、残念なのかなんなのか。疑惑は確信へと変わる。もう間違いない。
これはご主人……抜いてますね……。
「ああ、普段は魔物避けの香をたいて、その上魔法で結界も張っているからな。……最近お前の目が治って、私の本当の姿を見られたらどうしようかとか、毛皮に少し触れられてしまったが正体がバレていやしないだろうかとか、そんなことばかり考えていて仕事が疎かになり、少し綻びを生じさせてしまっていたみたいだ。それであんなのが侵入してきてしまったんだろう」
「ああ、あの時のことですか。そんなに心配なさらなくても、私はあなたに嫌われたのかと思って気が気じゃなくて、正体がどうとかこれっぽっちも気がついていなかったのに。ていうかご主人。そんな大事なことが疎かになるまで私のことを考えていてくださったんですね。これは脈アリと考えてもよろしいんでしょうか?」
「ば、馬鹿を言うな! これはただ、この醜い姿がお前に見られて、蔑まれでもしたら嫌だと思って」
「だから、ご主人は醜くなんてないですってば。ていうか、よっぽど私に嫌われたくないんですね、ご主人。やっぱり脈アリなんじゃないですか?」
「ばっ、違っ、……!」
ふふっ、からかいがいのある人だ。でも、ちょっと虐めすぎたかな? 膨れっ面で黙り込んでしまった。
でも、その様子がなんだが子供っぽくて、いつもの主人からは想像もできないその仕草に、ついつい可愛らしいと思ってしまう。駄目だ。益々好きになる。
だが今はひとまずそんな邪念は置いておいて、主人の治療に専念することにした。
最初こそ姿を晒すことに慣れずビクビクしていた主人だったが、観念したのか今ではすっかりこの通り。全身を優しく丁寧に見て治療していく俺に逃亡と反発を諦め、緊張を解いてくれた。心做しか2人の間に流れる空気感も、以前のものに戻った気がする。これはいい傾向だ。
「さあ、だいたいこれでいいでしょう。毛皮のおかげで魔物の爪が滑って、致命傷にならずに済んだみたいだ。跡には残るかもしれませんが、こればっかりは仕方がない。あなたの魅力は少し傷があるくらいでは損なわれませんから大丈夫。それに、男なら傷の1つや2つ、あった方が箔が付くってもんです。なに、ご主人は獣人で魔力が高いですから、治るのもすぐですよ。今は横になってしっかり養生するのが1番の薬ですね」
主人は自分から爪も牙も捨ててしまったから、獣人にしてはろくな反撃もできずにいいようにやられたんだろうけれど、獣人ならばこそ人間より治癒力は高い筈だ。主人ほど魔力が高く、その扱いになれている獣人ならなおのこと。化膿にさえ気をつけていれば、そう大した心配はいらないだろう。今日ほど軍である程度の手当の方法を仕込まれていてよかったと思った日はない。最後に右腕の傷に巻いた包帯を固定して、手を払いながら立ち上がる。
「どうも、ありがとう」
「礼にはおよびません。あなたが私の目を治してくださったことに比べれば、こんなこと。さあ、ご主人には今から休養にはいってもらいます。今度は私があなたのお世話をする番ですよ。存分に世話を焼かれてください」
そう言っておちゃらけた表情をしてみせると、それを見て目の前の主人は僅かに口の端を歪めて苦笑した。
「やれやれ、その顔はなにか企んでいるな? 私が臥せっている間に何をするつもりだね?」
「大したことは、なにも。ただ、この隙に存分につけ込む気でおりますので、覚悟しておいてください」
途端に主人は目をパチクリさせ、虚をつかれた様ななんとも言えない表情になる。これはアレだ。俺の読みが正しければ、黒い毛皮で分からないが、その下で顔が真っ赤になっているに違いない。ストレートな言葉に弱いのだろう。こうしてみると、なかなかどうして初心な人だ。
「そういえば。もうご主人の正体を隠す理由はなくなったのですから、私がこの屋敷を去る理由もなくなりましたね。ま、駄目と言われても居座ってあなたの看病をするつもりですけど」
「お前どんどん遠慮がなくなるな。もう、好きにしてくれ」
「はい、喜んで!」
ニッコリ笑う俺の横で、心做しかゲッソリとした様子の主人が深々とため息をつく。気にしない、気にしない。
こうして、俺の主人に対する看病の日々が始まったのだった。
それから俺は大忙しだ。
主人は重症ではないとはいえ矢張り何日かベッドに臥せっている必要があったため、彼の身の回りの世話はだいたい俺がやらねばならなかったし、主人の世話以外にも主人が今まで1人でやっていた屋敷の整備だったり、薬草畑の世話だったりを急遽俺がしなくてはならなかったからというのもあった。
主人は俺に世話を焼かれるのが恥ずかしいのか、最初は渋っていたが最後には口で負かして丸め込んだ。対人恐怖症気味で人との関わりを絶ってきた主人が、そこそこ世間の荒波に揉まれてきた俺に口先で勝てるはずもない。まあ、主人は俺に告白されているのだから、色々と意識するなと言うのも無理な話だが。
まあそんな感じでなんやかんやと大変な日々だが、存外そんな毎日は楽しい。
元々目が見えないことを理由に自分の身の回りのこと以外、食事から何から主人に頼りきりだったため、きっかけがあれではあるが仕事ができて恩も返せて少し罪悪感が薄れるというのもある。
まあ、1番のお楽しみは看病にかこつけて主人を口説くことなんだけどね。ただでさえ人馴れしていない主人は、俺の口説き文句にタジタジだ。それを見るのが特に楽しい。
「今日も見惚れる程美しい毛並みですね、ご主人」
「これくらい獣人なら当然の嗜みだ」
「ご主人の瞳はまるで宝石のようだ。見れば見るほど素晴らしい」
「そんなの、自分では滅多に見ないから知らん」
「あなたの声はウットリする程素敵だ。まるで天上のしらべのようです」
「それはちょっと……言い過ぎじゃないか?」
あは、やっぱりそう?
だがそれも仕方がない。俺に口説かれる度に必死になって感情を押さえ込み、耳をパタパタさせたり、尻尾をモジモジとさせる主人が可愛くてついつい言いすぎてしまうんだ。好きな子のことをからかいたくなる悪ガキの気持ちが今ならすごくよく分かる。こういう以前の素っ気ないのとはまた違うところを見せられると、ギャップで益々好きになってしまうじゃないか。そういうもんだろ?
主人の方はまだ俺に対して恋愛感情を抱いているとは言い難いが、ある程度好意的に思われていることは分かっている。ならば、口説くしかないだろう! 押して、押して、押しまくれ、俺!
成り行きとはいえ胸中を曝け出し、最早秘めておくべき気持ちなどなくなった俺に遠慮はない。後はどれだけ押しまくって、主人を懐柔するかだ。始終甘いセリフをかけつづける、包帯を変える時にさりげなく手を握る、ことある事に目を見つめ微笑みかける、などなど。俺の少ない人生経験で、思いつく限りのアピールをした。そりゃあもう、嫌になるくらいたっくさん。どれほど効果があるのかわからないが、今のところ主人も嫌とは言わないし、俺の欲目でなければ満更でもなさそうだから、止める理由もないしね。
俺は今までの人生で積極的に女性を口説きに行ったことはない。そりゃあ付き合いで酒場で女性に声をかけたり、商売女と寝たりしたことはあるが、それだけだ。だいたいどれも友人たちにそそのかされたり誘われたりするのがきっかけで、自分から行ったことは1度もない。
女に興味が無い訳ではないのだが、どうも俺は恋愛ごとに疎いのだ。貧しい生まれとそれに続く厳しい軍での生活に、毎日を生きるのに必死だったのもあってそっちに割く余力がなかったのもある。
そんな俺が今ではまるで主人に対する恋の奴隷だ。人とは変われば変わるものである。でも、それだけ俺は主人に夢中なのだ。女のケツを追いかけ回すなんて馬鹿馬鹿しいと、内心小馬鹿にしていた死んだ友人たちに今からでも謝りたい。恋がこんなにも素晴らしいものだったとは! おかげで毎日がキラキラと光り輝いている。まるで生まれ変わったみたいだ。主人と会ってから、本当に俺の人生は上向いてきている。生きることとはこんなにも素晴らしいものだったとは、知らなかった。
そうして今日も今日とて俺は主人の世話と家事と口説きにあけくれる。主人の怪我の包帯を取りかえたり、書斎の本棚にはたきをかけたり、薬草畑の雑草を抜いたり、毎日の仕事に追われるうちに、日々は目まぐるしく過ぎていく。
だから、雑事に忙殺され、初恋に浮かれて面白半分に口説き文句を繰り返す俺は、気が付かなかった。密かに俺を盗み見る主人の瞳に、だんだんと熱が篭もりはじめていっていたことに。
そうして幾日か時は過ぎ。日毎に主人の容態は順調によくなっていった。もう今では床に臥せる必要はなくなり、軽い運動ならできるようになっている。この分には来週には包帯もとれるだろう。幸い化膿などもしていないようだ。
それでも流石に全快とはいかないので、今も外での庭仕事や重労働、手当は俺がやっている。ある程度腕の怪我が良くなったからか、着替えの手伝いをさせてもらえなくなったことだけが残念だ。まあ、俺も主人の裸を見るとドキドキして色々と困っちゃうからいいけど。
ドキドキするといえば、最近の主人の反応! 以前のように俺が口説き文句を口にしても、明らかにドキドキして狼狽えるでもなく、なんだか難しい顔をすることが多くなってきた。俺が甘い言葉を言いすぎて慣れちゃったのかなー。あんだけ言い続けてたら慣れるのも仕方のない話だけどさ。でも、あの傍から見てていかにも動揺してますよーって反応、可愛かったのに。またいつか見れたらいいな。そうときたら主人が思わずクラッとくるようなもの凄いセリフを考案しなくてはね。
そんなことを考えながら薬草のしまってある棚を整理していると、ふと幾つかの種類の薬草がもう残り少なくなっていることに気がついた。結構主人の怪我の手当に使ったからな。丁度いい、洗ったシーツを干しに行くついでに薬草畑の方まで足を伸ばして補充をしておこう。外に出る前に一応主人に声をかけておく。
「ご主人、私は少し外に出て仕事をしてきますね。午前中には戻ると思いますが、簡単なものでいいのでお昼ご飯の用意をお願いしてもよろしいでしょうか?下準備の方はある程度済ませておいてありますので」
「うむ、分かった」
窓辺の椅子に腰掛けてなんだか難しそうな学術書を読んでいた主人は、俺の頼みに鷹揚に頷いた。お願いしますね、と笑いかけて部屋を出る。
外に出る支度をしながら、そういえば薬草畑に行く道すがらの名前も知らない青い花がそろそろ見頃を迎えるな、帰りに少し摘んでいって窓辺に飾ったら主人は喜ぶだろうかとか、そんなことを考えながら屋敷を出た。
籠いっぱいに洗ってあとは干すだけのシーツを抱え、庭先にある物干し用のロープにかけていく。しばらくその作業に熱中して黙々と続けた。そうして籠の中身がもう殆どなくなってきたかなという頃、俺は詰んできた薬草を入れる薬草籠を家に忘れてきてしまったことに気がついた。
いけない、これじゃあ薬草畑に行っても雑草抜きくらいしかできないじゃないか。大急ぎで残りのシーツをやっつけ、洗濯籠を持って家に取って返した。洗濯籠を洗濯室の棚に戻し、どうせ屋敷に戻ったのなら、ついでに主人の顔を見がてら薬草畑でとってきて欲しいものはないか聞いてこよう。
主人の顔を見る口実ができたと、ウキウキしながら主人の私室に足を向ける。
主人の私室の前に立ち、ノックをしようとした時。ふと、俺はおかしなことに気がついた。目が見えていなかった時の名残がまだ残っていて、俺の五感は今でも結構鋭い。ご多分に漏れず、聴覚だってそうだ。その鋭い耳が、主人の部屋の中からおかしな音を捉えたのだ。
こう、ギシギシと何かが軋む音や、人の荒い息使いとか、そんな感じの音。明らかに様子が変だ。すわ何らかの不測の事態が起こって、中でご主人が倒れてもがいているのかと思い、ゾッとして大慌てでドアノブに手をかける。が、そこで俺は扉を開けることは叶わずに、ビタリと体の動きを止めることになった。
ドアノブから手を離し、ソーッと扉に耳を当てる。相変わらず聞こえてくるのは、なにかがギシギシいう音、主人のものらしき荒い息遣い、そして……男としてはどうも聞き覚えのある水音。
これってもしかしなくても、もしかする?
あれだよね? 男なら誰しも定期的にやっちゃうやつで、本能的に逃れようのないやつだよね?
どうか違っていてくれと、さらに情報を求めて耳を済ませれば、残念なのかなんなのか。疑惑は確信へと変わる。もう間違いない。
これはご主人……抜いてますね……。
29
あなたにおすすめの小説
愛を知らない少年たちの番物語。
あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。
*触れ合いシーンは★マークをつけます。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
隊長さんとボク
ばたかっぷ
BL
ボクの名前はエナ。
エドリアーリアナ国の守護神獣だけど、斑色の毛並みのボクはいつもひとりぼっち。
そんなボクの前に現れたのは優しい隊長さんだった――。
王候騎士団隊長さんが大好きな小動物が頑張る、なんちゃってファンタジーです。
きゅ~きゅ~鳴くもふもふな小動物とそのもふもふを愛でる隊長さんで構成されています。
えろ皆無らぶ成分も極小ですσ(^◇^;)本格ファンタジーをお求めの方は回れ右でお願いします~m(_ _)m
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
鬼神と恐れられる呪われた銀狼当主の元へ生贄として送られた僕、前世知識と癒やしの力で旦那様と郷を救ったら、めちゃくちゃ過保護に溺愛されています
水凪しおん
BL
東の山々に抱かれた獣人たちの国、彩峰の郷。最強と謳われる銀狼一族の若き当主・涯狼(ガイロウ)は、古き呪いにより発情の度に理性を失う宿命を背負い、「鬼神」と恐れられ孤独の中に生きていた。
一方、都で没落した家の息子・陽向(ヒナタ)は、借金の形として涯狼の元へ「花嫁」として差し出される。死を覚悟して郷を訪れた陽向を待っていたのは、噂とはかけ離れた、不器用で優しい一匹の狼だった。
前世の知識と、植物の力を引き出す不思議な才能を持つ陽向。彼が作る温かな料理と癒やしの香りは、涯狼の頑なな心を少しずつ溶かしていく。しかし、二人の穏やかな日々は、古き慣習に囚われた者たちの思惑によって引き裂かれようとしていた。
これは、孤独な狼と心優しき花嫁が、運命を乗り越え、愛の力で奇跡を起こす、温かくも切ない和風ファンタジー・ラブストーリー。
悠と榎本
暁エネル
BL
中学校の入学式で 衝撃を受けた このドキドキは何なのか
そいつの事を 無意識に探してしまう
見ているだけで 良かったものの
2年生になり まさかの同じクラスに 俺は どうしたら・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる