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「それは、聞けない相談ですね」
あくまでも穏やかに。けれど、自分には主人の意見には従えない絶対の意思があると伝わるよう、声を出す。なにも俺は真っ向から主人の苦しみを否定したい訳ではない。それでも、今ここで俺は彼の前を立ち去る訳にはいかない。そう強く思った。
「……何故だ? ここに留まり続けてもお前にはなんの得にもならないだろう」
確かに、今のままだと主人のその疑問も当然のものだろう。俺が主人をどう思っているのかなんて、彼は知りようもないのだから。俺がどれほど主人を慕っていて、大切に思っているかなんて。
……本当は絶対に言うつもりはなかったんだけれど、いつまでも隠し続けることはできないか。第一今、主人にこの部屋から出てくるように説得するには、何らかの決め手が必要だろう。なにより包み隠さず自分のことを話してくれた主人に、俺も誠意を持って応えなくては。疑わしげな主人の声に、俺は自分も心中を晒け出す覚悟を決めて語りかけることにした。
「私は目が見えなくなった分、随分と周囲の人の心が見えるようになりました。盲人となり社会的弱者となった分、以前より人と関わることが増えたからだと思います。なにより弱者に接する態度が、その人の本性だという言葉は本当だったのでしょうね。優しくしてくれる人ももちろん居ましたが、それ以上に目の見えない私を蔑む人、馬鹿にする人、沢山街で会いました。目が見えないお前はクズだ、ゴミだ、社会の底辺だ、死んでしまうのが周囲の負担を減らすためには1番いい。何度も何度も飽きる程言われました。石を投げられたり、足を引っ掛けられたりされたことも1度や2度ではありません。優しくしてくれる人もいましたが、その人にとって私はあくまでも庇護すべき『弱者』でしかない。無意識的にではあるでしょうが、私を自分と同列の人間として扱ってくれる人はいない。誰も私と対等な関係を築こうとしてくれないんです。唯一相互扶助の関係で対等な関係になれそうだと思っていた仲間のジョーも死んでしまって、私の世界には私を相手と対等に扱ってくれる人はいなくなってしまった。しかし、あなたは違う。あなたは私を自分の客人としてこの屋敷に招き入れ、腫れ物扱いするでもなく、普通の1人の人として扱ってくれた。あなたとの対話が救いだったのは私も同じです。お互いにお互いを尊重しあい、なんの負い目もなく誰かと話せたのはいったいいつぶりのことだったか! 等身大の人間として生きられるこの喜び、きっと分かってはもらえないでしょう。ただ、確かに私はあなたの存在に救われたんです。それに、そうして触れ合ううちに、心を傾けていったのはなにもあなたばかりじゃありません」
「……そんなの嘘だ。どうせ私がお前の目を治してやったから、それに報いたくてさっきの私の話に合わせたそんな嘘をついているんだろう。お前は私に何も返せないことを気にしていたものな。それに、言っただろう。お前の目を治したのはお前が直ぐにこの屋敷を出ていってまた孤独になるのが嫌だったからだ。最初から純粋な親切心なんかなくてあくまでも下心ありきで、オマケなんだよ。目を治したからって、その原動力がこんな邪な理由なんだから、私はお前にそんな風に言って貰えるような人物ではない」
ああ、もう! どこまでも後ろ向きだなこの人は! いつものあの自信満々不遜で尊大な主人はどこへ行ったんだ!
だが、そんなことを今ここで言っても何も始まらない。落ち着け、俺。平常心、平常心。説得を続けるんだ。
まあ、仕方ないか。この人にとってはそれだけ他人と触れ合うことに対するトラウマは根深く、万が一にでも傷つけてしまう可能性というのは恐ろしいものなのだ。ならば俺はここで下手なことを言うわけにはいかない。主人の心の重荷を軽くする為にも、俺の責任は重大だ。
1度大きく息を吸い、吐く。目の前に聳え立つ主人と俺とを隔てる扉に手を添え、宥めるような響きを込めて優しく主人に語りかける。緊張で声が震えそうになるのを、必死になって抑えた。
「ご主人、遠い異国の劇作家はこう綴ったそうです。『愛とは目で見るものではない。心で見るものだ』と。正しく目の潰れた私は心であなたを見たのです。そこに下心があったとしても、私の目を治すよりも、もっと簡単でもっともらしい方法なんていくらでもあったはずじゃありませんか。それなのにあなたは、わざわざ私の目に光を取り戻そうとしてくれた。それだけで理由は十分です。例えあなたがご自分のことをどんなに卑しく恐ろしい怪物だと思っていても、ささやかに秘めた願いを心の中で密かに思う以外、見返りも求めずに私の目を治してくれたあなたは、私にとって他人を思いやる美しい心を持った1人の人にすぎません。あなたが私を傷つけるのが恐ろしいのなら、私はあなたがそんな恐れを抱くこともないくらい強くなりましょう。あなたのその繊細な心を守れるくらい、強く、強く。さあ、ここを開けてくださいませんか? あなたの傷の手当をさせてください。私は『愛しい人』の傷が心配で胸が張り裂けそうです」
とうとう言った、言ってしまった。俺が主人を『愛している』と。関係が壊れるのが恐ろしくて、自分でも認めないよう、自覚しないよう、必死に考えまいとしていたことを口に出してしまった。
もう後戻りはできないし、取り消しもきかない。この胸中を晒け出してしまった。
いや、後悔なんてしないぞ。むしろ俺は喜ぶべきだ。こんな状況にさえなりさえしなければ、俺は一生この気持ちを表に出すことはなかったはずで、そうだとすると主人とはよくて友人、悪くて目を治してもらった後は接点がなくなった過去の恩人になっていたかもしれないのだから。
例えどんな結果になろうとも、自分の気持ちに素直になる機会を与えてくださった運命の女神様に感謝しようじゃないか。いや、この扉を開けてもらう結果にならなけりゃ、秘密の告白は意味がなく、怪我の手当をできなくて困るんだけどさ。
だが、依然として扉が開く気配はない。ご主人も先程口を開いたきり、黙りだ。今いる位置は屋敷の奥まった場所にあるからか、今に限って小鳥のさえずりも、木々の葉擦れの音も聞こえない。沈黙だけが、辺りを支配した。
「ご主人?」
不安になって、もう一度声をかける。やはり返事はない。こうしている合間にも、主人の傷からは血が流れだし、痛みを訴えているだろうというのに、俺は何もできずにいる。それが歯痒くてたまらない。
……矢張り、言うべきではなかったのだろうか。オレの突然の告白は、主人を動揺させてますます頑なにさせてしまっただけで、扉を開けてもらうには逆効果だったのかも。背中を嫌な汗が伝う。ヤバイヤバイと考えているうちに、だんだんと冷静になってきた。頭が冷えてくるとやらかした、という気持ちがなおのこと強くなってくる。
落ち着いて考えればそりゃそうだよ。誰だって自分が深刻な話をしている時に突然愛の告白をされたら、茶化されていると思って困惑する。いや、主人の性格からすると、馬鹿にするなと怒る可能性が高いな。うん、絶対そうだ。
これは怒りの一撃を食らわされるかも。獣人の拳なんて貰ったら、いくら主人が普段活動的な人でないからって、昔多少鍛えていてたが今は治療でやせ細ってしまったただの人間に過ぎない俺は、きっと骨が砕けるだろう。いや、それでも主人がこの扉を開けてくれるんなら、それでもいいんだけどさ。
そうやってグルグルと取り留めもないことを考えていると、ふと、扉の向こうで小さく物音がした。主人だ! 俺は慌てて扉に耳をそばだてさせる。扉の向こうからは、消えそうなほどか細い声が、それでもハッキリと分かるほど驚きの色を乗せて聞こえてきた。
「い、『愛しい』、だって? お前にとって、この私がか?」
よかった、どうやら俺の告白に困惑しすぎて怒る暇もなかったようだ。どうせならこの隙に畳み掛けてイニシアチブを取ってしまえ!
「ええ、そうですよ。心を傾けるって言ったって、友愛、親愛、情愛たくさん種類がありますが、私は優しいあなたに惚れたんです。そういう意味で、あなたに心を傾けたんです! 治療の名目であなたに触れられる度に惚れ惚れとしていたし、毎夜毎夜言葉を交わす時間にはあなたの声にウットリとしていました。友人としてまたこの屋敷を尋ねたいと言ったのだって、あわよくばあなたともっと親交を深めて2人の関係を友情のその先に進めたいと思っていたからですよ。ご主人は私にあなたを慕う気持ちは勘違いだとおっしゃいましたね。ですが、ご主人の方こそ、私のことを目を治してもらったことに対する感謝の気持ちを、あなたに対する崇拝の念と履き違えた大馬鹿者だと思っていらっしゃいませんか? とんでもない! 言ったでしょう? 私は元とはいえ、軍人だった人間ですよ? どんな状況下でも任務が遂行できる様に訓練されていますから、特殊な環境下における自分の感情のコントロールなら、そこいらの人間よりずば抜けてできています! その場しのぎに後に引くような嘘をつくような馬鹿なこともしません! 確かにきっかけは目を治していただいたことだったかもしれませんが、例えあなたが今の私にとって救いの神に等しい存在であろうが、だからって無条件に惚れるわけじゃありませんよ! 私の愛を見くびらないでください!」
「な、なら、きっかけが目を治してやった事だったとして、今までの生活のどこに私に惚れる要素があったんだ!」
「そんなの、それこそめちゃくちゃ些細なことですよ! あなたの作ってくれたご飯が美味しかったり、一緒に話して過ごす時間がとても楽しかったり、厳しい言動の裏に垣間見えるあなたの優しさにグラッときたり、そんなところです! 普通の恋愛だってそうでしょう? 最初に出会って、時間を共有して、その最中に好ましいところを見つけていって、そしたら気がついた時にはもう好きになってるもんじゃないですか! ご主人にだってそういう経験ぐらいあるでしょう!?」
「あ、あるわけないだろう! 私は物心付いてすぐ友人を傷つけてしまった事件が起きて、それ以来ずっとそのトラウマを払拭しようとすることに必死になっていて、恋愛のれの字も無かったわ!」
ゼエハアと肩で息をする。いつの間にかヒートアップして大きく声を荒らげてしまっていた。それと、売り言葉に買い言葉。なんだか今主人の少し恥ずかしい告白を聞かされた気がするんだが……。
「す、すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ……」
「はい、そうですね……」
矢張り、今のは失言だったのか。なんというか、うん。そういうこともあるよね。先程までとはまた別の意味で気まずい沈黙があたりを満たす。だが、おかげで地の底までも沈みこんでしまいそうな、重苦しい空気を払拭することには成功した。グッジョブ、失言。
「えーっと、まあなんにせよあなたは私のことを孤独を癒す話し相手程度にしか思っていらっしゃらないようですが、私は違います。正直話し相手くらいじゃ全然収まりません。ご主人ともっと深い仲になりたいと思っています。そういう意味では、私だって下心アリアリだったんですよ。お互い様です」
「しかし……」
「しかしもでももだっても今ここでは全部聞きません。全てはご主人の怪我の手当を済ませてからです。それからなら、懺悔だろうがなんだろうが、いくらでも聞いて差し上げます。でなけりゃあなたがここに篭城し続ける限り私だって扉の前で寝ずの番をしますからね。あー、研究室の中には水道が引いてあるし、食べられる薬草もあるだろうけど、私がいるのはただの廊下だからなー。必然的に飲まず食わずになるなー。病み上がりで魔物と戦ったばかりの私の体力、いつまで持つかなー? さっき魔物と戦った時擦りむいた傷だって……」
「なに!? お前、怪我をしたのか!?」
言葉の途中でバタンと勢いよく開いた扉を、慌てて避ける。危ねぇ。今の当たってたら確実に鼻骨を折ってたぞ。
だが、文句を言っている暇はない。大慌てで研究室から出てきた主人が、必死の形相で俺の体を調べ始めたからだ。
全身をベタベタとまさぐられ、シャツを捲り上げられそうになるのを必死に押しとどめる。
「足か? 腕か? 体か? 首か? それとも胴体か? 頭か? 腰か? 一体どこを怪我したんだ!」
「ちょ、落ち着いてください! 怪我と言っても本当にただの擦り傷ですよ! 地面に着地した時に擦りむいたんです! 赤くなっただけで、血も出ていません!」
「だが、魔物の毒が入っているかも」
「あの種類の魔物は毒を持っていません! というか、今すぐ治療が必要なのは、私より重傷で全身血まみれのあなたの方でしょう!」
そこで俺は、相手に逃げる隙を与えず、ちょうど俺の胴体のあたりを触っていた両腕をガシッと掴んだ。主人はそこでようやくしまった! という顔をしたが、もう遅い。よしよし、過程はどうであれ、これでようやく捕まえることができた。
「観念してください。治療、させていただけますね?」
ニッコリと、しかし、確かに逃がすもんかという圧を感じさせるように笑いかける。
そんな絶望的な顔をしないでくれ。
悪いようにはしないから。多分、ね。
あくまでも穏やかに。けれど、自分には主人の意見には従えない絶対の意思があると伝わるよう、声を出す。なにも俺は真っ向から主人の苦しみを否定したい訳ではない。それでも、今ここで俺は彼の前を立ち去る訳にはいかない。そう強く思った。
「……何故だ? ここに留まり続けてもお前にはなんの得にもならないだろう」
確かに、今のままだと主人のその疑問も当然のものだろう。俺が主人をどう思っているのかなんて、彼は知りようもないのだから。俺がどれほど主人を慕っていて、大切に思っているかなんて。
……本当は絶対に言うつもりはなかったんだけれど、いつまでも隠し続けることはできないか。第一今、主人にこの部屋から出てくるように説得するには、何らかの決め手が必要だろう。なにより包み隠さず自分のことを話してくれた主人に、俺も誠意を持って応えなくては。疑わしげな主人の声に、俺は自分も心中を晒け出す覚悟を決めて語りかけることにした。
「私は目が見えなくなった分、随分と周囲の人の心が見えるようになりました。盲人となり社会的弱者となった分、以前より人と関わることが増えたからだと思います。なにより弱者に接する態度が、その人の本性だという言葉は本当だったのでしょうね。優しくしてくれる人ももちろん居ましたが、それ以上に目の見えない私を蔑む人、馬鹿にする人、沢山街で会いました。目が見えないお前はクズだ、ゴミだ、社会の底辺だ、死んでしまうのが周囲の負担を減らすためには1番いい。何度も何度も飽きる程言われました。石を投げられたり、足を引っ掛けられたりされたことも1度や2度ではありません。優しくしてくれる人もいましたが、その人にとって私はあくまでも庇護すべき『弱者』でしかない。無意識的にではあるでしょうが、私を自分と同列の人間として扱ってくれる人はいない。誰も私と対等な関係を築こうとしてくれないんです。唯一相互扶助の関係で対等な関係になれそうだと思っていた仲間のジョーも死んでしまって、私の世界には私を相手と対等に扱ってくれる人はいなくなってしまった。しかし、あなたは違う。あなたは私を自分の客人としてこの屋敷に招き入れ、腫れ物扱いするでもなく、普通の1人の人として扱ってくれた。あなたとの対話が救いだったのは私も同じです。お互いにお互いを尊重しあい、なんの負い目もなく誰かと話せたのはいったいいつぶりのことだったか! 等身大の人間として生きられるこの喜び、きっと分かってはもらえないでしょう。ただ、確かに私はあなたの存在に救われたんです。それに、そうして触れ合ううちに、心を傾けていったのはなにもあなたばかりじゃありません」
「……そんなの嘘だ。どうせ私がお前の目を治してやったから、それに報いたくてさっきの私の話に合わせたそんな嘘をついているんだろう。お前は私に何も返せないことを気にしていたものな。それに、言っただろう。お前の目を治したのはお前が直ぐにこの屋敷を出ていってまた孤独になるのが嫌だったからだ。最初から純粋な親切心なんかなくてあくまでも下心ありきで、オマケなんだよ。目を治したからって、その原動力がこんな邪な理由なんだから、私はお前にそんな風に言って貰えるような人物ではない」
ああ、もう! どこまでも後ろ向きだなこの人は! いつものあの自信満々不遜で尊大な主人はどこへ行ったんだ!
だが、そんなことを今ここで言っても何も始まらない。落ち着け、俺。平常心、平常心。説得を続けるんだ。
まあ、仕方ないか。この人にとってはそれだけ他人と触れ合うことに対するトラウマは根深く、万が一にでも傷つけてしまう可能性というのは恐ろしいものなのだ。ならば俺はここで下手なことを言うわけにはいかない。主人の心の重荷を軽くする為にも、俺の責任は重大だ。
1度大きく息を吸い、吐く。目の前に聳え立つ主人と俺とを隔てる扉に手を添え、宥めるような響きを込めて優しく主人に語りかける。緊張で声が震えそうになるのを、必死になって抑えた。
「ご主人、遠い異国の劇作家はこう綴ったそうです。『愛とは目で見るものではない。心で見るものだ』と。正しく目の潰れた私は心であなたを見たのです。そこに下心があったとしても、私の目を治すよりも、もっと簡単でもっともらしい方法なんていくらでもあったはずじゃありませんか。それなのにあなたは、わざわざ私の目に光を取り戻そうとしてくれた。それだけで理由は十分です。例えあなたがご自分のことをどんなに卑しく恐ろしい怪物だと思っていても、ささやかに秘めた願いを心の中で密かに思う以外、見返りも求めずに私の目を治してくれたあなたは、私にとって他人を思いやる美しい心を持った1人の人にすぎません。あなたが私を傷つけるのが恐ろしいのなら、私はあなたがそんな恐れを抱くこともないくらい強くなりましょう。あなたのその繊細な心を守れるくらい、強く、強く。さあ、ここを開けてくださいませんか? あなたの傷の手当をさせてください。私は『愛しい人』の傷が心配で胸が張り裂けそうです」
とうとう言った、言ってしまった。俺が主人を『愛している』と。関係が壊れるのが恐ろしくて、自分でも認めないよう、自覚しないよう、必死に考えまいとしていたことを口に出してしまった。
もう後戻りはできないし、取り消しもきかない。この胸中を晒け出してしまった。
いや、後悔なんてしないぞ。むしろ俺は喜ぶべきだ。こんな状況にさえなりさえしなければ、俺は一生この気持ちを表に出すことはなかったはずで、そうだとすると主人とはよくて友人、悪くて目を治してもらった後は接点がなくなった過去の恩人になっていたかもしれないのだから。
例えどんな結果になろうとも、自分の気持ちに素直になる機会を与えてくださった運命の女神様に感謝しようじゃないか。いや、この扉を開けてもらう結果にならなけりゃ、秘密の告白は意味がなく、怪我の手当をできなくて困るんだけどさ。
だが、依然として扉が開く気配はない。ご主人も先程口を開いたきり、黙りだ。今いる位置は屋敷の奥まった場所にあるからか、今に限って小鳥のさえずりも、木々の葉擦れの音も聞こえない。沈黙だけが、辺りを支配した。
「ご主人?」
不安になって、もう一度声をかける。やはり返事はない。こうしている合間にも、主人の傷からは血が流れだし、痛みを訴えているだろうというのに、俺は何もできずにいる。それが歯痒くてたまらない。
……矢張り、言うべきではなかったのだろうか。オレの突然の告白は、主人を動揺させてますます頑なにさせてしまっただけで、扉を開けてもらうには逆効果だったのかも。背中を嫌な汗が伝う。ヤバイヤバイと考えているうちに、だんだんと冷静になってきた。頭が冷えてくるとやらかした、という気持ちがなおのこと強くなってくる。
落ち着いて考えればそりゃそうだよ。誰だって自分が深刻な話をしている時に突然愛の告白をされたら、茶化されていると思って困惑する。いや、主人の性格からすると、馬鹿にするなと怒る可能性が高いな。うん、絶対そうだ。
これは怒りの一撃を食らわされるかも。獣人の拳なんて貰ったら、いくら主人が普段活動的な人でないからって、昔多少鍛えていてたが今は治療でやせ細ってしまったただの人間に過ぎない俺は、きっと骨が砕けるだろう。いや、それでも主人がこの扉を開けてくれるんなら、それでもいいんだけどさ。
そうやってグルグルと取り留めもないことを考えていると、ふと、扉の向こうで小さく物音がした。主人だ! 俺は慌てて扉に耳をそばだてさせる。扉の向こうからは、消えそうなほどか細い声が、それでもハッキリと分かるほど驚きの色を乗せて聞こえてきた。
「い、『愛しい』、だって? お前にとって、この私がか?」
よかった、どうやら俺の告白に困惑しすぎて怒る暇もなかったようだ。どうせならこの隙に畳み掛けてイニシアチブを取ってしまえ!
「ええ、そうですよ。心を傾けるって言ったって、友愛、親愛、情愛たくさん種類がありますが、私は優しいあなたに惚れたんです。そういう意味で、あなたに心を傾けたんです! 治療の名目であなたに触れられる度に惚れ惚れとしていたし、毎夜毎夜言葉を交わす時間にはあなたの声にウットリとしていました。友人としてまたこの屋敷を尋ねたいと言ったのだって、あわよくばあなたともっと親交を深めて2人の関係を友情のその先に進めたいと思っていたからですよ。ご主人は私にあなたを慕う気持ちは勘違いだとおっしゃいましたね。ですが、ご主人の方こそ、私のことを目を治してもらったことに対する感謝の気持ちを、あなたに対する崇拝の念と履き違えた大馬鹿者だと思っていらっしゃいませんか? とんでもない! 言ったでしょう? 私は元とはいえ、軍人だった人間ですよ? どんな状況下でも任務が遂行できる様に訓練されていますから、特殊な環境下における自分の感情のコントロールなら、そこいらの人間よりずば抜けてできています! その場しのぎに後に引くような嘘をつくような馬鹿なこともしません! 確かにきっかけは目を治していただいたことだったかもしれませんが、例えあなたが今の私にとって救いの神に等しい存在であろうが、だからって無条件に惚れるわけじゃありませんよ! 私の愛を見くびらないでください!」
「な、なら、きっかけが目を治してやった事だったとして、今までの生活のどこに私に惚れる要素があったんだ!」
「そんなの、それこそめちゃくちゃ些細なことですよ! あなたの作ってくれたご飯が美味しかったり、一緒に話して過ごす時間がとても楽しかったり、厳しい言動の裏に垣間見えるあなたの優しさにグラッときたり、そんなところです! 普通の恋愛だってそうでしょう? 最初に出会って、時間を共有して、その最中に好ましいところを見つけていって、そしたら気がついた時にはもう好きになってるもんじゃないですか! ご主人にだってそういう経験ぐらいあるでしょう!?」
「あ、あるわけないだろう! 私は物心付いてすぐ友人を傷つけてしまった事件が起きて、それ以来ずっとそのトラウマを払拭しようとすることに必死になっていて、恋愛のれの字も無かったわ!」
ゼエハアと肩で息をする。いつの間にかヒートアップして大きく声を荒らげてしまっていた。それと、売り言葉に買い言葉。なんだか今主人の少し恥ずかしい告白を聞かされた気がするんだが……。
「す、すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ……」
「はい、そうですね……」
矢張り、今のは失言だったのか。なんというか、うん。そういうこともあるよね。先程までとはまた別の意味で気まずい沈黙があたりを満たす。だが、おかげで地の底までも沈みこんでしまいそうな、重苦しい空気を払拭することには成功した。グッジョブ、失言。
「えーっと、まあなんにせよあなたは私のことを孤独を癒す話し相手程度にしか思っていらっしゃらないようですが、私は違います。正直話し相手くらいじゃ全然収まりません。ご主人ともっと深い仲になりたいと思っています。そういう意味では、私だって下心アリアリだったんですよ。お互い様です」
「しかし……」
「しかしもでももだっても今ここでは全部聞きません。全てはご主人の怪我の手当を済ませてからです。それからなら、懺悔だろうがなんだろうが、いくらでも聞いて差し上げます。でなけりゃあなたがここに篭城し続ける限り私だって扉の前で寝ずの番をしますからね。あー、研究室の中には水道が引いてあるし、食べられる薬草もあるだろうけど、私がいるのはただの廊下だからなー。必然的に飲まず食わずになるなー。病み上がりで魔物と戦ったばかりの私の体力、いつまで持つかなー? さっき魔物と戦った時擦りむいた傷だって……」
「なに!? お前、怪我をしたのか!?」
言葉の途中でバタンと勢いよく開いた扉を、慌てて避ける。危ねぇ。今の当たってたら確実に鼻骨を折ってたぞ。
だが、文句を言っている暇はない。大慌てで研究室から出てきた主人が、必死の形相で俺の体を調べ始めたからだ。
全身をベタベタとまさぐられ、シャツを捲り上げられそうになるのを必死に押しとどめる。
「足か? 腕か? 体か? 首か? それとも胴体か? 頭か? 腰か? 一体どこを怪我したんだ!」
「ちょ、落ち着いてください! 怪我と言っても本当にただの擦り傷ですよ! 地面に着地した時に擦りむいたんです! 赤くなっただけで、血も出ていません!」
「だが、魔物の毒が入っているかも」
「あの種類の魔物は毒を持っていません! というか、今すぐ治療が必要なのは、私より重傷で全身血まみれのあなたの方でしょう!」
そこで俺は、相手に逃げる隙を与えず、ちょうど俺の胴体のあたりを触っていた両腕をガシッと掴んだ。主人はそこでようやくしまった! という顔をしたが、もう遅い。よしよし、過程はどうであれ、これでようやく捕まえることができた。
「観念してください。治療、させていただけますね?」
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悪いようにはしないから。多分、ね。
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