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第四話 紙飛行機
しおりを挟むいくら文明が発達しても訓練しなければ人がすぐに思い出せる記憶というものには限界がある。最近では脳の記憶の自動バックアップ機というものが市場に出回るようになった。しかし脳の外科的介入を必要とし、それなりに値が張る為わたしたち庶民には容易に手出しできない。
といくら娘に説得してみたところで、彼女は膨れっ面を崩さなかった。仕方あるまい。我が家は決して富裕層ではなくよくて中間層の下くらいの立ち位置なのだから。
「パパは懐古主義だわ。技術は日々進化しているのに、肝心の人がそれを使いこなせなければ宝の持ち腐れよ。数年もすれば一斉に各企業が売り出すようになって価格も下がるわ。けれどその頃にはもう新しい発明品が注目されているの。そんな時に古い機械を使いこなそうと必死になっているような人になれって言っているのよ」
未来を担う若者に投資をしろと言う主張はわかる。しかし無い袖は振れないのだ。
わたしと娘のやりとりに苦笑交じりに口元を緩ませ聞いていた妻が割って入った。
「もうそこまでにしてね。パパもいい加減お仕事に戻ってちょうだい」
仕方なく頷き電話を切った。同時に二人の姿も目の前から消え、人気のない研究室の光景が広がる。
「懐古主義…か」
確かにわたしの研究分野は考古学だ。太古の人々が残した様々な記録から過去を辿る。故に懐古主義という言葉はわたしにとって、わたしの人生そのものを指す。恐らく悪態の一つで出た言葉だろうが決して不愉快ではなかった。
取り敢えずゼミの学生たちのレポートを読もうと決め、わたしはコーヒーを用意し音楽を流した。この二つはわたしの集中力を大いに高める効果がある。
スピーカーから流れてきたのは『ラ・カンパネラ』。ホログラフにはピアノを演奏する女性の姿が映し出された。古い型のラジオだがゼミの学生たちがわたしの誕生祝にわざわざ買ってくれたものだ。そこに機械に強い学生が手を加え、全宇宙からの放送を受信できるよう改良してくれた。確かに娘の言う通り新しい発明品を使いこなせないようでは宝の持ち腐れかもしれない。しかし古い物の価値を否定する必要もあるまい。
「…ほぅ…星間戦争をテーマにしたのか」
レポートのタイトルに目を惹かれ口に出して読み上げた。わたしは元々独り言が多い類なのだ。
「なるほど、過去に政府が推進してきた地球外惑星移住計画に対する反論という事か。豊富な資源と新天地を大々的に宣伝し、多くの人材を送り続けたが…ふむ」
コーヒーの苦味が口中に広がり、わたしは一旦黙った。星間戦争が終わったのは今から三十年ほどむかしと記憶にも新しい。その頃のわたしは結婚をし仕事にも精力的に打ち込んでいた頃だった。
「とは言え…あの衝撃的な映像だけは今も忘れられないがな」
今世紀最大の悲劇とまで称され、今も政府と遺族や関係者たちの間では賠償などの問題が解決できずに話し合われている。
来訪者を告げる通知音と共に扉が開きアシスタントのヴィヴィが入ってきた。
「あら、先生。お仕事中だったんですね」
「職場にいるのに仕事をしない訳にはいかないだろう」
言っている意味がわからず私は首を傾げた。すると彼女は肩を竦めて苦笑した。どういう訳だか妻を始め、わたしを取り囲む人々は度々こういった不可解な態度をとる事が多い。妻曰く「貴方だから仕方がないって納得する為の儀式」だそうだが。
「もしよければ…少しばかりそちらのラジオをお借りしてもよろしいですか?」
「ラジオを? それは構わないが、きみはより性能のいい特殊ラジオを持っていたと記憶しているが」
「それが故障してしまって、今修理に出しているんです。それと最近お気に入りのパーソナリティを見つけてチャンネル登録したいんですが…いつも配信時間がバラバラで余程電波の悪い星から発信しているのかチャンネルも毎度変わるものだから困っているんです」
「ふむ」
全宇宙から自由に情報を発信できるようになり、若者たちは距離を越えた交流を持つ機会を得るようになった。それは惑星を越えた文明の交わりを産み、新たな文化を育む有益な行いと考えている。
「是非とも使ってくれたまえ」
「ありがとうございます、先生。ではお借りしますね」
嬉々としてラジオのチャンネルを変え始めたので、わたしは彼女が何気なく置いたテーブルの上の資料を見た。資源の問題から近年ではパルプを用いた紙は大変貴重とされている。代用品として人工パルプ用紙という比較的安価な紙が売られているが、それでも書類もすべて電子上で確認する昨今に於いてほとんど日常で使われない。しかし彼女は人工用紙を数枚持ってきた。それもすべて正四角形に整えられ、裏側にカラフルな色まで印刷されている。随分とむかしこういった紙を見かけた記憶がある。確か東洋エリア発祥の紙工芸の文化に由来するものだった筈だが…
「この紙は…」
「見つけたわっ!」
わたしのかけた声は彼女の歓声によって完全に消し去られた。
ヴィヴィの背中越しにホログラフを見ると若い男性が映っているようだった。夢中になる彼女を見て小さく肩を竦めると再びレポートと向かい合った。
『―――記憶のメカニズムは、現象一つ一つが脳細胞に入りその脳細胞を埋め尽くすようなものではない。つまり人の記憶、脳の容量と言うものは理論上では無限大と言われている。とは言っても忘れたい事も多いよね。人は不快な記憶を忘れる事によって防衛するという名言があるくらいだから』
「…ほぅ、フロイトの言葉だ」
レポートに集中するつもりがよく通る声に釣られてわたしは呟いた。随分むかしの学者の理論を出してきたなと思いつつも、コーヒーを飲み再び仕事に戻る。
それからしばらくヴィヴィはラジオの配信を聞きながら何か必死に作っているようだったが、わたしもその間採点に集中しておりお互いに無関心なまま時間が流れていた。
三十年前に終結した星間戦争。始まりはHJ799kで発掘された新種の資源争いだった。国際協力調査チームが発見したその資源を巡り、周囲の惑星を巻き込む大戦争に発展したのはあっという間だった。ちょうどその頃だっただろう。わたしの元に熱心に通ってくれた一人の学生がいた。旧言語に興味を持ち考古学を研究するわたしについてまわっていたが、両親の急な転居を理由に連絡が途絶えてしまった。
「…珍しい事を思い出したな」
これまで記憶の波に埋もれていた思い出にわたしはふと、レポートを読む目を止めて呟いていた。
一度思い出せば記憶は芋づる式に蘇ってくる。授業の合間に交わした他愛のない会話―――失われた文化について語り合い、わたしはパルプ用紙を取り出し彼に人間の想像力と創造力について教えた。正四角形に整えられた紙を決められた順序に折る事で出来上がる芸術品。彼は目を輝かせてそれを眺めていた。そして…新たに開拓される予定の惑星で父が―――と言って―――周囲にも反対され…そうだ、彼には確かお互いに想い合う恋人もいた。
「人は不快な記憶を忘れる事によって防衛するという」
耳元で囁くのはあの時わたしが、自分自身に伝えた言葉。三十年前。連日放送された最新兵器によって惑星が破壊された瞬間を捉えた映像。その星の名前を聞いてわたしは耳を疑った。
『―――最後に折り目をしっかりと押さえつけて完成。さぁ、後はきみ次第だ』
何故か懐かしささえ感じてしまうその声に釣られてわたしは振り返った。
その瞬間、目の前を一機の紙飛行機が優雅に舞いあがった。
それは開け放たれた窓を飛び越えて青い―――空へと飛んで行った。
「ね、先生。上手にできたでしょう?」
窓枠に手をかけながらヴィヴィが笑顔でわたしを見た。キラキラと輝くその瞳にかつての教え子の姿が重なる。
「le ciel bleu」
青い空に消えていく紙飛行機を目で追いかけながら、私は懐かしいフランス語を呟いた。忘れてしまった最愛の教え子の名前を思い出しながら。
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