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失恋から逃げ出した魔女はおまじないを売る
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秋の収穫を祝い、先祖の霊をもてなし、悪霊を追い払う――、考えてみればなかなかに忙しいハロウィン。
けれども、この街の多くの人にとっては、ハロウィンはお菓子と仮装を楽しむ1日となっていて、街で最も人が行き交うこのショッピングモールも例外でなく、そこかしこにジャックオランタンや蝙蝠が飾り付けられ、お菓子や仮装の小物を販売する特設売り場が設けられている。
その売り場の一番隅の目立たない場所に、ひっそりと「魔女エミリーのおまじない」は出店していた。
小さな陳列台には、銀で作られた腕輪やキーホルダーなどが置かれている。「おまじない」がかけてあるという胡散臭い触れ込みのある商品は、おまじないを抜きにしてみてもデザインは可愛らしく、手ごろな値段で、恋する乙女の心を掴むには十分なものだったようだ。
今も、1年以上告白できずにいると囁くように打ち明けた少女が、縋るような瞳で「エミリー」を見る。
艶やかな栗色の髪を魔女の仮装の定番である黒の帽子で縁取り、華奢な体を黒のマントで覆ったエミリーは、濃い緑の大きな瞳にふわりとした笑みを浮かべて、目の前の商品からイヤーカフを取り上げると、そっと差し出した。
「これを着けて、頑張ってみて」
少女は頬を染め、瞳を潤ませてイヤーカフを握り締めると、何度もお礼を言って立ち去って行った。
後ろ姿まで希望に溢れた少女を、微笑を浮かべて見送りながら、エミリーはそっと指を動かす。瞬間、ふわりと緑の光が少女を囲み、そして少女の身体に溶け込んだ。
――ふふ。これで、告白する勇気は絶対に出るはずよ。
イヤーカフにも「おまじない」はかけていたが、少女のあまりにも必死な眼差しに胸を打たれて、重ねがけを施したのだ。
そう、エミリーは本物の魔女で、「おまじない」も本物だ。
彼女の「おまじない」は、少女たちが欲しいと望む運とそもそも持っている能力を後押しする魔法で、エミリーの最も得意とする魔法なのである。
エミリーは生まれも育ちも魔界で、普段は魔界で暮らしているが、ハロウィンの日に魔界と人間界が重なるのに乗じて、人間界にやってきた。といっても別に人間に悪戯をすることはなく、このように地道に真面目に少女たちの恋の手助けをしている。
何しろ、エミリーは恋を失ったばかりだ。彼女たちの恋の切なさも辛さも、とてもよく分かる。
エミリーの恋は叶わなかったけれど、せめて彼女たちの恋は成就してほしいと、精一杯、得意の魔法で応援しているのだ。
――あの子の恋は叶うといいな。
ふっと胸の痛さが蘇り、エミリーは自分の頬を両手で軽く叩いて、気分を切り替えた。
――だめ。あの方のことは諦めて、忘れると決めたんだから。
それでも忘れていたいことは、気を抜くと頭に過ってしまい、エミリーはこうして何度も強引に頭から追い出している。もう、この売り場に着いてから軽く2桁は頬を叩いている。
そして、お客の途切れた今は、追い出したその場から頭に舞い戻ってきてしまう。
――もう、お相手は選ばれてしまった頃かな…。
鋭い痛みが走り、気が付けばマントの上からペンダントのトップを握り締めていた。
その時、陳列台に影が差した。
「私にもおまじないを売ってくれますか」
くぐもった声がエミリーの物思いを消し去ってくれた。
エミリーは感謝も込めて笑顔でお客を見上げ、――そして笑顔は固まった。
――また…、これは随分と気合の入った…。
エミリーは、目の前に立っている男性と思しき存在に目を奪われた。思しき、となるのは、そのお客の顔も体つきも全く分からない為だ。
頭にはジャックオランタンをすっぽりと被り、足元まである黒のマントで身体を覆っている。身長の高さから考えると、恐らく男性なのだろう。
ちなみに彼が被っているジャックオランタンは、仮面でなく、南瓜だ。どこで手に入れたのか、めったに見ることができない見事な大きさの南瓜を被っている。
加えて、南瓜は手の込んだ造りで、中の顔は見えないようになっていて、かなり怖さを、――正直に言えば怪しさを、醸し出している。実際、急に売り場の周りから人気が無くなってしまった。
――気合が入りすぎて、受けないところまで行ってしまったのね。
そう結論付けて、エミリーは彼の仮装の衝撃から立ち直り、愛想よく声をかける。
「どのようなおまじないをお求めですか?」
「私の可愛い想い人と濃密な夜を過ごせるおまじないを」
「………。」
今までの可愛く微笑ましい恋のおまじないとは一線を画す要望に、エミリーは少し応援する熱意が冷めてしまう自分を感じて、慌てて気を引き締めた。
どんなお客様でも、お客様なのだ。
動揺から何とか抜け出したエミリーに、ジャックオランタンの彼は話し続ける。
「具体的には、私の可愛い想い人を、溺れさせて啼いて懇願させられるぐらい、かな」
そこまで詳細を語ってもらわなくとも、むしろ語って欲しくなかったエミリーは軽く頷き、適したおまじないの検討を始めた。
濃密な夜という希望には、安直ではあっても催淫のおまじないがいいだろうと陳列していたキーホルダーを手に取りかけて、エミリーはふと手が止まった。
目の前の彼は、相手を「恋人」ではなく「想い人」と表現していたことに気が付いたのだ。
――単に、表現の問題よね…?
エミリーは冷や汗を笑顔で振り切り、あくまで軽く尋ねた。
「あの、濃密な夜を過ごすということは、その「想い人」の方とは思いが通じ合っていらっしゃるのですか?」
ジャックオランタンの彼は気を悪くした様子もなく、あっさりと返事を返す。
「恐らく。今日、それを確かめる予定だったのですが、逃げられてしまって」
「まぁ、残念ですね…」
エミリーは卒なく相槌を打ちながら、内心で頭を抱えた。
「恐らく」では彼女としては安心しておまじないは渡せない。逃げられてしまったのなら、「恐らく」かなりの確率で思いが通じていないだろう。
お客様のご要望とはいっても、犯罪の手助けはできない。
エミリーは最上級の作り笑いを浮かべた。
「お客様。今日はまず告白する勇気の出る――」
エミリーの健全な提案は遮られた。
「彼女を捕まえれば、おまじないがなくとも告白はできるし、絶対に受け入れさせてみせるので、大丈夫です」
確かにこの自信の持ちようなら、告白は難しいことではないだろう。
しかし、『受け入れさせる』とは穏やかではない。
そもそも、相手に逃げられたのにその自信はどこから来るのかと、怪しいジャックオランタンを見つめ、エミリーは内心毒づいた。
彼には絶対に催淫のおまじないは渡せないと決断して、エミリーは極上の愛想笑いで別のおまじないを勧める。
「では、彼女を見つけやすくするおまじないではどうでしょう?」
エミリーの建設的な提案はあっさりと断られた。
「今日、人間界にいる魔女は少ないようだから、おまじないに頼らずとも大丈夫です」
「あら、魔界の方でしたか」
エミリーは純粋に驚いた。目の前のジャックオランタンの彼からは、魔力の気配を全く感じなかったのだ。ここまで気配を消すには相当な努力が必要だ。
仮装の一環として魔力も消したのかと、その徹底ぶりにエミリーが感心していると、彼は小さく不満を零した。
「今日という日に、最高の告白をしようと、もう何年も前から決めていたのに、余計な伝統の為に…」
「まぁ…!」
感極まって、エミリーは立ち上がり、ジャックオランタンの彼の手を握り締めていた。
「あなたも今日の儀式に辛い思いをされているんですね…!」
今日、魔界では、魔界で最も権勢を誇る吸血鬼族の王太子ジェラルドの伴侶を選ぶ儀式が行われている。
吸血族の王城の一番大きな広間で、王太子は伴侶に選んだ女性に魔力で作った腕輪を贈り、贈られた女性も腕輪を贈り返すのだ。
数日前から、王城には、我こそはと思う自信に満ち溢れた女性や、顔だけで相手を魅了できると称される端麗な王太子の容姿を一目見たいと願う女性たちが、魔界中から押しかけひしめき合っているという。
つまり、今日は魔界中の女性がこの儀式に浮き立ち、華やぎ、賑やかだ。
ジャックオランタンの彼が、今日、告白するにはあまりにも時期が悪い。
エミリーはすっかり絆されてしまった。彼は儀式のために辛い思いを抱える同志だ。彼の力になりたいと、心を込めた笑顔で商品を勧める。
「素敵な一夜が過ごせるように、こちらをお渡ししますね」
エミリーは、男性でも抵抗なく身に着けられるキーホルダーを差し出した。けれども、彼は受け取ってくれない。じっと別の商品を凝視していた。
「そちらの腕輪におまじないをかけてもらえませんか」
「なるほど。腕輪の方がお好みですか?お待ちくださいね」
人間界と異なり、魔界では男性も一般的に腕輪を身に着ける。魔石を埋め込み、装飾だけでなく護身用としても使われているのだ。今、彼が求めた腕輪も、エミリーの魔力から作った緑の魔石が埋め込んである。お相手が魔界の住人なら、違和感はないだろう。
エミリーは納得し、キーホルダーを置くと、腕輪に手をかざした。
相手が魔界の住人だと分かっているので、エミリーは隠さず堂々とその場で魔法をかける。腕輪は緑の光に覆われ、一瞬、強く煌めいた。
「ふふ。こちらには始めは『幸運』をつけていたので、それは残しておきますね」
「ありがとう」
エミリーが笑顔で腕輪を差し出すと、今度は受け取ってもらえた。彼はその場で手首に嵌め、大事そうに何度も腕輪を手で撫でる。
腕輪を気に入ってくれただけでなく、ジャックオランタンで顔は見えないけれども、彼のうれしそうな気配を感じ、エミリーの顔は笑顔で輝いた。
誰かが自分のおまじないで喜んでくれることは、エミリーに温かい幸せを運んでくれる。
顔を綻ばせて彼を眺めていたエミリーは、踵を返して立ち去ろうとする彼に、すっかり伝え忘れていたことを、――あくまでも、たまたま今まで伝え忘れていたことを――、言い添えた。
「お客様。このおまじないは、性質上、お相手の承諾を得てから、発動するようにしてあります」
瞬間、ジャックオランタンの陰で、彼が固まった気配を感じた。
くるりと振り返り、ひたとエミリーを見続ける。責めるような気配を漂わせて、ひたとエミリーを見続ける。
エミリーは笑顔で、彼からの無言の圧力を跳ねのけた。いくら彼が同志であっても、いくら彼から恨めしい気配が漂っていても、犯罪の手助けはできない。断固として、そこは譲らない。半月前に成人を迎えたばかりの若輩の魔女ではあるが、彼女の意思は固かった。エミリーは笑顔で彼に圧力をかけた。
無言の攻防がしばらく続いた後、折れたのは彼だった。小さく息を吐いた後、訊ねてきた。
「承諾、というのは?」
「夜のことを直接言葉にしなくても大丈夫です。共に時間を過ごすことを承諾してもらえれば、発動しますよ」
おまじないの発動の為に、恋人たちの甘く艶やかな空気を壊してしまっては、本末転倒だ。エミリーのぎりぎりの妥協点である。――もっとも彼にはたまたま伝え忘れているが、お相手が心から喜んで承諾しなければ発動しない。少し厳しい妥協点かもしれない。
ジャックオランタンの彼は黙考の後、ゆっくりと頷くともう一度お礼を言って立ち去って行った。
大きな南瓜の重さをものともせず、美しい姿勢で立ち去る彼を見送りながら、エミリーはふと疑問が生じた。
――あら、でもお相手の方は、王城ではなく人間界に来たのね?儀式に興味はなかったのかしら。
それが彼の勝機となるのか、はたまたもう見込みはないのか、エミリーの疑問は、売り場に次のお客が訪れたことによって、きれいに霧散していた。
◇◇
モールの全てのお店が閉められ、あと数時間でハロウィンが終わりを迎えるころ、エミリーは溜息を吐いて空を見上げていた。今日は晴れていても、月をみることはできない。新月が近いのだろう。
エミリーはもう一度溜息を零した。
お店が終わってしまえば、忘れていたいことが頭の中で居座ってしまっている。
――もう魔界に帰らずに、このまま人間界で暮らそうかな。
ハロウィンを過ぎれば、魔界と人間界の重なりはなくなり、戻るには多大な魔力を必要とする。エミリーの魔力は、さほど強くない。あと数時間、人間界にいれば、魔界に帰らなくていい口実ができる。
エミリーはマントの下からペンダントを取り出した。繊細な銀の鎖に取り付けられた魔石が放つ美しい銀の光は、夜の闇の中で一層際立ち、眩しい程だ。
――やっぱり殿下を忘れるためには、このペンダントもどこかに封印しないとだめね…。
この魔石はジェラルド殿下がエミリーの守護のために作り出してくれたものだ。見る度に、触れる度に、どうしてもジェラルドを思い出してしまう。そしてジェラルドへの想いも。
胸の痛みだけでなく、とうとう目に熱いものまで込み上げてきたエミリーは固く目を瞑り、熱が収まるのを待とうと思ったその時――、
「魔界に帰らないのですか?」
くぐもった声がかけられ、エミリーは目を見開いた。
けれども、この街の多くの人にとっては、ハロウィンはお菓子と仮装を楽しむ1日となっていて、街で最も人が行き交うこのショッピングモールも例外でなく、そこかしこにジャックオランタンや蝙蝠が飾り付けられ、お菓子や仮装の小物を販売する特設売り場が設けられている。
その売り場の一番隅の目立たない場所に、ひっそりと「魔女エミリーのおまじない」は出店していた。
小さな陳列台には、銀で作られた腕輪やキーホルダーなどが置かれている。「おまじない」がかけてあるという胡散臭い触れ込みのある商品は、おまじないを抜きにしてみてもデザインは可愛らしく、手ごろな値段で、恋する乙女の心を掴むには十分なものだったようだ。
今も、1年以上告白できずにいると囁くように打ち明けた少女が、縋るような瞳で「エミリー」を見る。
艶やかな栗色の髪を魔女の仮装の定番である黒の帽子で縁取り、華奢な体を黒のマントで覆ったエミリーは、濃い緑の大きな瞳にふわりとした笑みを浮かべて、目の前の商品からイヤーカフを取り上げると、そっと差し出した。
「これを着けて、頑張ってみて」
少女は頬を染め、瞳を潤ませてイヤーカフを握り締めると、何度もお礼を言って立ち去って行った。
後ろ姿まで希望に溢れた少女を、微笑を浮かべて見送りながら、エミリーはそっと指を動かす。瞬間、ふわりと緑の光が少女を囲み、そして少女の身体に溶け込んだ。
――ふふ。これで、告白する勇気は絶対に出るはずよ。
イヤーカフにも「おまじない」はかけていたが、少女のあまりにも必死な眼差しに胸を打たれて、重ねがけを施したのだ。
そう、エミリーは本物の魔女で、「おまじない」も本物だ。
彼女の「おまじない」は、少女たちが欲しいと望む運とそもそも持っている能力を後押しする魔法で、エミリーの最も得意とする魔法なのである。
エミリーは生まれも育ちも魔界で、普段は魔界で暮らしているが、ハロウィンの日に魔界と人間界が重なるのに乗じて、人間界にやってきた。といっても別に人間に悪戯をすることはなく、このように地道に真面目に少女たちの恋の手助けをしている。
何しろ、エミリーは恋を失ったばかりだ。彼女たちの恋の切なさも辛さも、とてもよく分かる。
エミリーの恋は叶わなかったけれど、せめて彼女たちの恋は成就してほしいと、精一杯、得意の魔法で応援しているのだ。
――あの子の恋は叶うといいな。
ふっと胸の痛さが蘇り、エミリーは自分の頬を両手で軽く叩いて、気分を切り替えた。
――だめ。あの方のことは諦めて、忘れると決めたんだから。
それでも忘れていたいことは、気を抜くと頭に過ってしまい、エミリーはこうして何度も強引に頭から追い出している。もう、この売り場に着いてから軽く2桁は頬を叩いている。
そして、お客の途切れた今は、追い出したその場から頭に舞い戻ってきてしまう。
――もう、お相手は選ばれてしまった頃かな…。
鋭い痛みが走り、気が付けばマントの上からペンダントのトップを握り締めていた。
その時、陳列台に影が差した。
「私にもおまじないを売ってくれますか」
くぐもった声がエミリーの物思いを消し去ってくれた。
エミリーは感謝も込めて笑顔でお客を見上げ、――そして笑顔は固まった。
――また…、これは随分と気合の入った…。
エミリーは、目の前に立っている男性と思しき存在に目を奪われた。思しき、となるのは、そのお客の顔も体つきも全く分からない為だ。
頭にはジャックオランタンをすっぽりと被り、足元まである黒のマントで身体を覆っている。身長の高さから考えると、恐らく男性なのだろう。
ちなみに彼が被っているジャックオランタンは、仮面でなく、南瓜だ。どこで手に入れたのか、めったに見ることができない見事な大きさの南瓜を被っている。
加えて、南瓜は手の込んだ造りで、中の顔は見えないようになっていて、かなり怖さを、――正直に言えば怪しさを、醸し出している。実際、急に売り場の周りから人気が無くなってしまった。
――気合が入りすぎて、受けないところまで行ってしまったのね。
そう結論付けて、エミリーは彼の仮装の衝撃から立ち直り、愛想よく声をかける。
「どのようなおまじないをお求めですか?」
「私の可愛い想い人と濃密な夜を過ごせるおまじないを」
「………。」
今までの可愛く微笑ましい恋のおまじないとは一線を画す要望に、エミリーは少し応援する熱意が冷めてしまう自分を感じて、慌てて気を引き締めた。
どんなお客様でも、お客様なのだ。
動揺から何とか抜け出したエミリーに、ジャックオランタンの彼は話し続ける。
「具体的には、私の可愛い想い人を、溺れさせて啼いて懇願させられるぐらい、かな」
そこまで詳細を語ってもらわなくとも、むしろ語って欲しくなかったエミリーは軽く頷き、適したおまじないの検討を始めた。
濃密な夜という希望には、安直ではあっても催淫のおまじないがいいだろうと陳列していたキーホルダーを手に取りかけて、エミリーはふと手が止まった。
目の前の彼は、相手を「恋人」ではなく「想い人」と表現していたことに気が付いたのだ。
――単に、表現の問題よね…?
エミリーは冷や汗を笑顔で振り切り、あくまで軽く尋ねた。
「あの、濃密な夜を過ごすということは、その「想い人」の方とは思いが通じ合っていらっしゃるのですか?」
ジャックオランタンの彼は気を悪くした様子もなく、あっさりと返事を返す。
「恐らく。今日、それを確かめる予定だったのですが、逃げられてしまって」
「まぁ、残念ですね…」
エミリーは卒なく相槌を打ちながら、内心で頭を抱えた。
「恐らく」では彼女としては安心しておまじないは渡せない。逃げられてしまったのなら、「恐らく」かなりの確率で思いが通じていないだろう。
お客様のご要望とはいっても、犯罪の手助けはできない。
エミリーは最上級の作り笑いを浮かべた。
「お客様。今日はまず告白する勇気の出る――」
エミリーの健全な提案は遮られた。
「彼女を捕まえれば、おまじないがなくとも告白はできるし、絶対に受け入れさせてみせるので、大丈夫です」
確かにこの自信の持ちようなら、告白は難しいことではないだろう。
しかし、『受け入れさせる』とは穏やかではない。
そもそも、相手に逃げられたのにその自信はどこから来るのかと、怪しいジャックオランタンを見つめ、エミリーは内心毒づいた。
彼には絶対に催淫のおまじないは渡せないと決断して、エミリーは極上の愛想笑いで別のおまじないを勧める。
「では、彼女を見つけやすくするおまじないではどうでしょう?」
エミリーの建設的な提案はあっさりと断られた。
「今日、人間界にいる魔女は少ないようだから、おまじないに頼らずとも大丈夫です」
「あら、魔界の方でしたか」
エミリーは純粋に驚いた。目の前のジャックオランタンの彼からは、魔力の気配を全く感じなかったのだ。ここまで気配を消すには相当な努力が必要だ。
仮装の一環として魔力も消したのかと、その徹底ぶりにエミリーが感心していると、彼は小さく不満を零した。
「今日という日に、最高の告白をしようと、もう何年も前から決めていたのに、余計な伝統の為に…」
「まぁ…!」
感極まって、エミリーは立ち上がり、ジャックオランタンの彼の手を握り締めていた。
「あなたも今日の儀式に辛い思いをされているんですね…!」
今日、魔界では、魔界で最も権勢を誇る吸血鬼族の王太子ジェラルドの伴侶を選ぶ儀式が行われている。
吸血族の王城の一番大きな広間で、王太子は伴侶に選んだ女性に魔力で作った腕輪を贈り、贈られた女性も腕輪を贈り返すのだ。
数日前から、王城には、我こそはと思う自信に満ち溢れた女性や、顔だけで相手を魅了できると称される端麗な王太子の容姿を一目見たいと願う女性たちが、魔界中から押しかけひしめき合っているという。
つまり、今日は魔界中の女性がこの儀式に浮き立ち、華やぎ、賑やかだ。
ジャックオランタンの彼が、今日、告白するにはあまりにも時期が悪い。
エミリーはすっかり絆されてしまった。彼は儀式のために辛い思いを抱える同志だ。彼の力になりたいと、心を込めた笑顔で商品を勧める。
「素敵な一夜が過ごせるように、こちらをお渡ししますね」
エミリーは、男性でも抵抗なく身に着けられるキーホルダーを差し出した。けれども、彼は受け取ってくれない。じっと別の商品を凝視していた。
「そちらの腕輪におまじないをかけてもらえませんか」
「なるほど。腕輪の方がお好みですか?お待ちくださいね」
人間界と異なり、魔界では男性も一般的に腕輪を身に着ける。魔石を埋め込み、装飾だけでなく護身用としても使われているのだ。今、彼が求めた腕輪も、エミリーの魔力から作った緑の魔石が埋め込んである。お相手が魔界の住人なら、違和感はないだろう。
エミリーは納得し、キーホルダーを置くと、腕輪に手をかざした。
相手が魔界の住人だと分かっているので、エミリーは隠さず堂々とその場で魔法をかける。腕輪は緑の光に覆われ、一瞬、強く煌めいた。
「ふふ。こちらには始めは『幸運』をつけていたので、それは残しておきますね」
「ありがとう」
エミリーが笑顔で腕輪を差し出すと、今度は受け取ってもらえた。彼はその場で手首に嵌め、大事そうに何度も腕輪を手で撫でる。
腕輪を気に入ってくれただけでなく、ジャックオランタンで顔は見えないけれども、彼のうれしそうな気配を感じ、エミリーの顔は笑顔で輝いた。
誰かが自分のおまじないで喜んでくれることは、エミリーに温かい幸せを運んでくれる。
顔を綻ばせて彼を眺めていたエミリーは、踵を返して立ち去ろうとする彼に、すっかり伝え忘れていたことを、――あくまでも、たまたま今まで伝え忘れていたことを――、言い添えた。
「お客様。このおまじないは、性質上、お相手の承諾を得てから、発動するようにしてあります」
瞬間、ジャックオランタンの陰で、彼が固まった気配を感じた。
くるりと振り返り、ひたとエミリーを見続ける。責めるような気配を漂わせて、ひたとエミリーを見続ける。
エミリーは笑顔で、彼からの無言の圧力を跳ねのけた。いくら彼が同志であっても、いくら彼から恨めしい気配が漂っていても、犯罪の手助けはできない。断固として、そこは譲らない。半月前に成人を迎えたばかりの若輩の魔女ではあるが、彼女の意思は固かった。エミリーは笑顔で彼に圧力をかけた。
無言の攻防がしばらく続いた後、折れたのは彼だった。小さく息を吐いた後、訊ねてきた。
「承諾、というのは?」
「夜のことを直接言葉にしなくても大丈夫です。共に時間を過ごすことを承諾してもらえれば、発動しますよ」
おまじないの発動の為に、恋人たちの甘く艶やかな空気を壊してしまっては、本末転倒だ。エミリーのぎりぎりの妥協点である。――もっとも彼にはたまたま伝え忘れているが、お相手が心から喜んで承諾しなければ発動しない。少し厳しい妥協点かもしれない。
ジャックオランタンの彼は黙考の後、ゆっくりと頷くともう一度お礼を言って立ち去って行った。
大きな南瓜の重さをものともせず、美しい姿勢で立ち去る彼を見送りながら、エミリーはふと疑問が生じた。
――あら、でもお相手の方は、王城ではなく人間界に来たのね?儀式に興味はなかったのかしら。
それが彼の勝機となるのか、はたまたもう見込みはないのか、エミリーの疑問は、売り場に次のお客が訪れたことによって、きれいに霧散していた。
◇◇
モールの全てのお店が閉められ、あと数時間でハロウィンが終わりを迎えるころ、エミリーは溜息を吐いて空を見上げていた。今日は晴れていても、月をみることはできない。新月が近いのだろう。
エミリーはもう一度溜息を零した。
お店が終わってしまえば、忘れていたいことが頭の中で居座ってしまっている。
――もう魔界に帰らずに、このまま人間界で暮らそうかな。
ハロウィンを過ぎれば、魔界と人間界の重なりはなくなり、戻るには多大な魔力を必要とする。エミリーの魔力は、さほど強くない。あと数時間、人間界にいれば、魔界に帰らなくていい口実ができる。
エミリーはマントの下からペンダントを取り出した。繊細な銀の鎖に取り付けられた魔石が放つ美しい銀の光は、夜の闇の中で一層際立ち、眩しい程だ。
――やっぱり殿下を忘れるためには、このペンダントもどこかに封印しないとだめね…。
この魔石はジェラルド殿下がエミリーの守護のために作り出してくれたものだ。見る度に、触れる度に、どうしてもジェラルドを思い出してしまう。そしてジェラルドへの想いも。
胸の痛みだけでなく、とうとう目に熱いものまで込み上げてきたエミリーは固く目を瞑り、熱が収まるのを待とうと思ったその時――、
「魔界に帰らないのですか?」
くぐもった声がかけられ、エミリーは目を見開いた。
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