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ハラッパバッカのコのセカイ
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断じてウェザーに原初を独占させるわけにはいかない。その一心でトロンは全速力を発揮し、街中を駆けた。その最中、無防備に乗り捨てられたクルーザーバイクが目に留まったので、少しの間だけ拝借する事にし、迷わず座席にまたがると、アクセルを全開にして走らせた。すぐにガゼットを出ると、原っぱを走り、森を抜け、族王と出会った岩山まで戻ってきた。岩山のふもとには、(左肩に飼い猿を乗せた)ウェザーと掘ル岩族王が向かい合って立っていたが、先ほどまで群れを成していた何百もの同族の姿は見当たらなかった。きっと岩山にでも潜んでいるのだろう。追い込みをかけ、岩山のふもとへと一直線に走り寄っていくと、トロンの存在に気付いたウェザーが振り返った。
「来ましたね…」ウェザーは嬉々として独り言のように呟いた。
トロンはウェザーのそばでバイクを止めると、颯爽と降車し、すかさず詰め寄った。
「なぜアンタは、あそこまでして原初を求める!?」
「以前、言ったでしょう。私は人類を存続させたいだけだ、と」ウェザーはトロンに目を向けて言った。
「アンタは人間にとって自然以上の脅威だ!」
「それはそうでしょうに。なにせ我々は廻仔。自然の血を引く人間なのですから」
一触即発の雰囲気を断ち切るかのように掘ル岩族王が口を挟んだ。「人間、困っても、我ら掘ル岩族は、満足してる」それからトロンに向かって「よくやった、自然の仔よ。経過は何であれ、我が同族を救出し、自然への証明、果たした。自然、今回のお前の行いを認め、これからは真に自然な自然の仔への道を歩む事、期待する」
「…期待するだけか」トロンは平静を取り戻すと、物欲しそうな目で掘ル岩族王を見つめた。
「わかってるぞ。ブードゥーの在処、教えよう」掘ル岩族王は、右手で東の方角を指差すと、「この先、ずっと進んだ所に、大きな洞窟ある。その奥にブードゥー、安置してある。お前、試すにあたって、用心のため、あらかじめ置いてきた」
この岩山から東には、深い森が見え、恐らくその中に洞窟があるのだろう。それにしても、わざわざ洞窟の奥に原初を置いておくとは、こちらに相当の警戒心を抱きつつも面会に臨んだようだ。なんにせよ、冒した危険に対して報いてくれるのは、率直にありがたいが、洞窟へはウェザーも同行する気でいるのだろうか。仮に、この男は原初を手に入れたら、その力をどう使うつもりでいるのだろうか。本当に人類を存続させるために使うのだろうか。そもそも、原初を手にできるのは、今回の証明によって認められた者のみのはずであって、ウェザーが原初を手にする事はないはずだ。なのに、なぜ先ほどから、やけに嬉しそうなのだろうか。まさか横取りする気なのではないだろうか。研究所を焼き払ったこの男に原初を渡すわけにはいかない、等々、トロンのウェザーに対する疑念は尽きなかった。
「心配はいりませんよ、兄弟」ウェザーは、トロンの気持ちを汲み取ったかのような口ぶりであった。「原初は、あなたが掴みなさい。いくら私でも人の道理くらいは守りますから。でも、勝手にトンズラされても困るので、私も洞窟へ同行させていただきますが」
いくら非道の男とはいえ、ウェザーと出会わなければ、ここまでたどり着くのはおろか、原初の存在すらも知らなかったであろうし、彼に度々救われた事は曲げようもない事実であるが故、無暗に除け者にもできず、ここは道理を守ってくれる事を願うしかなかった。
「トロン・F・レイン、最後に言っておく」掘ル岩族王は、こう述べてから二人を送り出した。「真に自然な自然の仔こそが、原初、持つべき。人間と袂を分かち、宿命のままに進むのだ。それが自然の仔のあるべき自然の姿なのだから」
「どういう意味だ」トロンは別れ際にたずねた。
「行け。さすれば、わかる」
トロンは不本意ながらもウェザーとバイクを二人乗りし、東の森にひっそりと佇む岩の洞窟の入り口までやって来た。その巨大な入り口を木々の間から見つけ出す事は、さほど困難ではなかった。それほどまでに大きく、楕円状かつ深淵のような黒い穴を有する非常に目立つ洞窟であった。その手前にて二人はバイクから降車し、入口から奥を見通そうと目を凝らしたが、一抹の明かりすらも届かないほどの黒さに慄くばかりであった。やがてウェザーがトロンに先駆け、洞窟の中へ歩みを進めたが、トロンも負けじと追い越していった。しかし、あまりに暗さに進路を失い、少し進んだだけで立ち止まってしまった。正面は黒一色の闇、一方、背後へ振り返ってみると、ぽっかりと闇に楕円が開き、そこから森の景色を顧みる事ができた。なにか明かりはないか。トロンがそう思っていると、暗闇の中で念仏のような呪文を聞いた。視界が不自由な分、聴覚が研ぎ澄まされているのか、ほんのかすかではあるがウェザーの唱える意味不明な文言を聞き取る事ができた。火神がどうだの、将がなんだと呟いていた。それから五秒ほど空けて、洞窟の岩壁に点々と炎が宿り、たいまつのような照明となって洞内を明るく照らした。
「この火は、人を襲いませんから安心しなさい。いえ、そもそも自然が廻仔を襲うなど本来はあり得ない事なのですが」洞窟が明るく照らされた事により、ウェザーのうさんくさい微笑みが、ありありと見えた。
「五行、と言ったな。そんな危険な力、どこで学んだ」トロンがたずねると、
「遥か東に風変わりな集落がありましてね。しかし、そこの廻仔に比べれば、私の五行などまだ付け焼刃に過ぎません」とウェザーは答えた。
炎の導きに従い、一本道の洞窟を進むと、やがて崖に出た。崖の下では、炎の届かない真っ黒い穴が大口を開けて待ち構えており、そこから先に進む事はできなくなっていた。ところが、その断崖絶壁の上には岩を削って作られた祭壇らしきものがあり、そこには鈍く輝く丸い岩が安置されていた。オレンジかリンゴほどの大きさを持った岩の球体であり、所々がクレーターのように窪み、まさしく月を彷彿とさせる外見であった。トロンは、その岩こそが原初であると即座に確信した。見た目こそ石ころであったが、大いなる力を漏れ出させているような、廻仔だからこそ感じ取れる神秘的かつ神々しい雰囲気に当てられたからである。
「おお…!!」ウェザーが原初を見るなり驚嘆を上げた。「あの岩こそ原初!!正真正銘の原初なのですよ!!」
トロンは、原初の放つ見えない力に圧倒されると同時に、呆気にも取られていた。自然を操るほどの自然物なのだから大層な外見をしているかと思いきや、実際は、ちっぽけな岩でしかなかった。それでも、原初の真偽を疑う余地はない。その見えない力を全身に受けておきながら、なお侮るほどに自分は鈍感ではない。あの岩を手にできれば、自然を操り、ガゼットを覆う脅威を退ける事ができる。それでこそ、人間に背いた甲斐があるというものだ。
「さぁ、どうぞ。あれは、あなたが手に取るべきです」ウェザーは一歩退き、トロンに原初を譲る姿勢を見せた。
トロンは、やけに素直なウェザーを不審に思ったが、自分が原初を手にできるのならそれでいい、と黙して祭壇に進み出た。そして、祭壇から原初を慎重に掴み上げた。大きさに反して、ずっしりと極めて重く、まるで廻仔の腕力をもってしても持ち上げられないほどの巨岩を手にしたかのようだった。原初の乗った手のひらを介し、全身を突き抜ける衝撃が全身を駆け巡ると、ますます心が打ち震え、小刻みに手が震えた。
ところが、原初を手に入れた喜びも束の間、突如として原初が光り輝くと、激しい戸惑いに目を剥いた。妖しい光にたじろいでいると、目では捉えられぬ正体不明の波動が原初から波紋のように拡散され、まるで持ち主を拒絶するかのような衝撃に、たまらずトロンは崖下へと吹き飛ばされてしまった。そして、原初はトロンの手を離れ、崖の上に置き去りとなった。
自分は原初を手にできる器ではなかった。転落の刹那、思考をする間もないほどのほんのわずかな時間ではあったが、そう直感的に結論を得ると、深淵の闇に向かって真っ逆さまに吸い込まれていった。
崖下へ衝突したとて、廻仔は木々を焦がすほどの高熱にも耐えられるのだ、大した事はあるまい。トロンは、何事もなく立ち上がると、遥か彼方の崖上を見上げた。炎に照らされ、その様子がはっきりと見て取れる。原初を手にしたウェザーがこちらを見下ろしている様を、まざまざと見せつけられたのだ。
「やはりこうなりましたか。兄弟とはいえ、残念です」そのウェザーの表情は、わずかばかりの剣幕を宿していたが、どこか落胆したような表情にも見て取れた。「すべては自然のままに。この事態もが必然なのでしょうね」
「アンタは…俺をはめたのか!?」トロンは崖上に向かって叫んだ。
「悪く思わないでください。これもガゼットの人間を自然に帰すためなのです」ウェザーは暗闇に視線を落とし、底から轟いてくる叫びに答えた。
「アンタは人類を存続させたいと言っていたはずだ!」
「人間を自然に帰す事…その意味をあなたはご存じですか?自然は自我を持ち、人間を何処かへ連れ去っていきます。が、それは人類の破滅を意味するものではないのです。彼らは、文字通り自然に帰る、ただそれだけの事なのです」
「何が言いたい!?人間の居場所を奪うために原初を求めたとでも言いたいのか!?」
「いえ。はっきり言って、私にとっては人間がどんな末路を辿ろうがどうでもいいのです。大事なのはガゼットの人間を一人残らず自然に帰す事だけ。ただし、その役目を果たすのは、私ではなく…………“真に自然な自然の仔”、つまりは己が宿命を全うし、それ故に父の寵愛を受けし廻仔……その称号を授かりし“彼”の義務なのです」
「まだガゼットに廻仔がいるのか!?」
「真に自然な自然の仔に、文明など必要ありません。それが本来あるべき廻仔の生き様なのです。今の彼は、ガゼットに住む人間を自然に帰す事を望んでいます。その目的を確実に達成するためには、もう一つ、原初が必要なのですよ」ウェザーは右手の原初に視線を移すと、「これは十二ある原初のうちの一つ、“原初の岩”です。その名の通り、岩や鉱物を自在に操る事ができますが、その力を行使できるのは、真に自然な自然の仔のみ。宿命に背く廻仔が扱う事は困難を極め、ましてや廻仔でない者には、何の変哲もない自然物、宝の持ち腐れでしかありません。原初も自然物である以上、当然のことながら自我を持っています。あなたは原初に背かれたのですよ。所持者にふさわしくないと判断された者には、原初を掴む資格すらないという事を、身をもって思い知ったでしょう?」
「なら、なぜ族王は俺に原初を渡そうとしたんだ!?まさかヤツも始めからこうなる事をわかっていたのか!?」
「まさか族王が、あなたについて何も知らなかったとでも?真に自然な自然の仔こそが原初を持つべきだ、と族王も言っていたでしょう。確かにあなたは自然への証明を成し遂げた。しかし、それだけでは、これまでの罪を贖う事はできなかったのですよ。あなたが狩人として自然を狩り続けた事、樹海で赤子を助けた事が自然への慈悲によるものではなかった事、恐らくはそれらの事実を族王は存じており、始めからあなたが原初に適わないという事は理解していたんですよ。彼、あるいは彼女は、あなたに罪滅ぼしの機会を与えたに過ぎず、原初自体は始めから“彼”に渡すつもりだったに違いありません。この私を通じてね。なぜなら“彼”こそが真に自然な自然の仔なのですから。それをあなたは自分が原初を受け取れると勘違いしていただけなのです」
俺は自惚れていただけなのか。トロンは絶句し、愕然と崖上を見上げた。結局は族王、さらにはウェザーの手のひらの上で踊っていたに過ぎなかったのだ。ウェザーが自分を廻仔として覚醒させた事、巨樹からの帰り道に水魚に流された事、樹海で赤子を見つけた事、そして自然への証明を成し遂げる事、そのすべては偶然などではなく、父たる自然によって仕組まれた罠だったのだ。知らず知らずのうちに導かれ、その果てに深淵の底辺に行き着いてしまった。己が宿命に抗っている分際で証明などと、まったくもって戯けており、最初から身の程をわきまえ、黙して退くべきだったのだ。やはり薄情な父は、この息子に恵みを与えなかった。自分を育む事もなく、あまつさえ顔すら見せぬ父など、もはや父とは呼べない。そんな相手にわずかでも期待をかけた自分が愚かだったのだ。その報いは、甘んじて受け入れる以外に選択肢はない。自分で蒔いた種は、自分の手で刈らねばならない。なんであれ、自分の決断の賜物は、良くも悪くも否応無しに反映され、その人生を大きく狂わせる。
「原初が欲しいだけなら、その“彼”とやらが族王に直接貰いに行けばよかったはずだ!わざわざ回りくどい事をなぜ!?」トロンは、いきり立ってたずねた。
「運命の巡り合わせというやつです。今から三か月ほど前、私は“彼”から原初を見つけてくるよう指示を受けました。探す当てもなく、探索はことごとく徒労に終わっていましたが、そんな時、あなたと出会い、そして運よく族王と遭遇できたのです。こう見えても感謝しているんですよ、あなたに。こうして原初を探し当てられたのは、紛れもなくあなたのおかげなのですから。しかし、残念ながら、あなたは我々の同志となりはしないでしょう。ですので、しばらくの間は何もせず、ただじっとしていなさい。そうするには、うってつけの場所でしょう、そこは。…では」
ウェザーが崖上から立ち去る姿を、トロンは、ただ指をくわえて仰ぎ見ている事しかできなかった。まもなく、洞内を照らしていた火が消え、あたりは完全な暗闇に包まれた。視覚は失われ、聴覚もまた意味をなさない。自分の両手を見る事すらままならず、出口を探そうなどという気すら起こらず、その場で立ち尽くす事しかできずにいた。誰か救ってはくれないか、と他力本願にすがってみたものの、父はおろか兄弟にすら見捨てられる者を誰が進んで助けてくれるというのだろうか。そんな自暴自棄な考えばかりが己を支配し、いつしか心が折れかけると、その場に座り込んだ。やさぐれたように片膝をつき、うなだれたように頭を垂れ、そのまま時の流れに身をゆだねた。随分と面倒な事態に陥ってしまった。今の自分にできる事など何一つとしてない。この状況を自力で打開できるほど強くはない。このままでは、いずれ餓死し、人知れず屍となってしまうだろう。たとえ、そうなったとしても、この暗闇の中だ、惨めな屍を人目に晒す事もあるまい。ウェザーはガゼットの住人を自然に帰したのち、きっとトロンを助けに来るだろうが、そんな事などつゆ知らず、黙々と憂鬱に明け暮れるのみであった。
「来ましたね…」ウェザーは嬉々として独り言のように呟いた。
トロンはウェザーのそばでバイクを止めると、颯爽と降車し、すかさず詰め寄った。
「なぜアンタは、あそこまでして原初を求める!?」
「以前、言ったでしょう。私は人類を存続させたいだけだ、と」ウェザーはトロンに目を向けて言った。
「アンタは人間にとって自然以上の脅威だ!」
「それはそうでしょうに。なにせ我々は廻仔。自然の血を引く人間なのですから」
一触即発の雰囲気を断ち切るかのように掘ル岩族王が口を挟んだ。「人間、困っても、我ら掘ル岩族は、満足してる」それからトロンに向かって「よくやった、自然の仔よ。経過は何であれ、我が同族を救出し、自然への証明、果たした。自然、今回のお前の行いを認め、これからは真に自然な自然の仔への道を歩む事、期待する」
「…期待するだけか」トロンは平静を取り戻すと、物欲しそうな目で掘ル岩族王を見つめた。
「わかってるぞ。ブードゥーの在処、教えよう」掘ル岩族王は、右手で東の方角を指差すと、「この先、ずっと進んだ所に、大きな洞窟ある。その奥にブードゥー、安置してある。お前、試すにあたって、用心のため、あらかじめ置いてきた」
この岩山から東には、深い森が見え、恐らくその中に洞窟があるのだろう。それにしても、わざわざ洞窟の奥に原初を置いておくとは、こちらに相当の警戒心を抱きつつも面会に臨んだようだ。なんにせよ、冒した危険に対して報いてくれるのは、率直にありがたいが、洞窟へはウェザーも同行する気でいるのだろうか。仮に、この男は原初を手に入れたら、その力をどう使うつもりでいるのだろうか。本当に人類を存続させるために使うのだろうか。そもそも、原初を手にできるのは、今回の証明によって認められた者のみのはずであって、ウェザーが原初を手にする事はないはずだ。なのに、なぜ先ほどから、やけに嬉しそうなのだろうか。まさか横取りする気なのではないだろうか。研究所を焼き払ったこの男に原初を渡すわけにはいかない、等々、トロンのウェザーに対する疑念は尽きなかった。
「心配はいりませんよ、兄弟」ウェザーは、トロンの気持ちを汲み取ったかのような口ぶりであった。「原初は、あなたが掴みなさい。いくら私でも人の道理くらいは守りますから。でも、勝手にトンズラされても困るので、私も洞窟へ同行させていただきますが」
いくら非道の男とはいえ、ウェザーと出会わなければ、ここまでたどり着くのはおろか、原初の存在すらも知らなかったであろうし、彼に度々救われた事は曲げようもない事実であるが故、無暗に除け者にもできず、ここは道理を守ってくれる事を願うしかなかった。
「トロン・F・レイン、最後に言っておく」掘ル岩族王は、こう述べてから二人を送り出した。「真に自然な自然の仔こそが、原初、持つべき。人間と袂を分かち、宿命のままに進むのだ。それが自然の仔のあるべき自然の姿なのだから」
「どういう意味だ」トロンは別れ際にたずねた。
「行け。さすれば、わかる」
トロンは不本意ながらもウェザーとバイクを二人乗りし、東の森にひっそりと佇む岩の洞窟の入り口までやって来た。その巨大な入り口を木々の間から見つけ出す事は、さほど困難ではなかった。それほどまでに大きく、楕円状かつ深淵のような黒い穴を有する非常に目立つ洞窟であった。その手前にて二人はバイクから降車し、入口から奥を見通そうと目を凝らしたが、一抹の明かりすらも届かないほどの黒さに慄くばかりであった。やがてウェザーがトロンに先駆け、洞窟の中へ歩みを進めたが、トロンも負けじと追い越していった。しかし、あまりに暗さに進路を失い、少し進んだだけで立ち止まってしまった。正面は黒一色の闇、一方、背後へ振り返ってみると、ぽっかりと闇に楕円が開き、そこから森の景色を顧みる事ができた。なにか明かりはないか。トロンがそう思っていると、暗闇の中で念仏のような呪文を聞いた。視界が不自由な分、聴覚が研ぎ澄まされているのか、ほんのかすかではあるがウェザーの唱える意味不明な文言を聞き取る事ができた。火神がどうだの、将がなんだと呟いていた。それから五秒ほど空けて、洞窟の岩壁に点々と炎が宿り、たいまつのような照明となって洞内を明るく照らした。
「この火は、人を襲いませんから安心しなさい。いえ、そもそも自然が廻仔を襲うなど本来はあり得ない事なのですが」洞窟が明るく照らされた事により、ウェザーのうさんくさい微笑みが、ありありと見えた。
「五行、と言ったな。そんな危険な力、どこで学んだ」トロンがたずねると、
「遥か東に風変わりな集落がありましてね。しかし、そこの廻仔に比べれば、私の五行などまだ付け焼刃に過ぎません」とウェザーは答えた。
炎の導きに従い、一本道の洞窟を進むと、やがて崖に出た。崖の下では、炎の届かない真っ黒い穴が大口を開けて待ち構えており、そこから先に進む事はできなくなっていた。ところが、その断崖絶壁の上には岩を削って作られた祭壇らしきものがあり、そこには鈍く輝く丸い岩が安置されていた。オレンジかリンゴほどの大きさを持った岩の球体であり、所々がクレーターのように窪み、まさしく月を彷彿とさせる外見であった。トロンは、その岩こそが原初であると即座に確信した。見た目こそ石ころであったが、大いなる力を漏れ出させているような、廻仔だからこそ感じ取れる神秘的かつ神々しい雰囲気に当てられたからである。
「おお…!!」ウェザーが原初を見るなり驚嘆を上げた。「あの岩こそ原初!!正真正銘の原初なのですよ!!」
トロンは、原初の放つ見えない力に圧倒されると同時に、呆気にも取られていた。自然を操るほどの自然物なのだから大層な外見をしているかと思いきや、実際は、ちっぽけな岩でしかなかった。それでも、原初の真偽を疑う余地はない。その見えない力を全身に受けておきながら、なお侮るほどに自分は鈍感ではない。あの岩を手にできれば、自然を操り、ガゼットを覆う脅威を退ける事ができる。それでこそ、人間に背いた甲斐があるというものだ。
「さぁ、どうぞ。あれは、あなたが手に取るべきです」ウェザーは一歩退き、トロンに原初を譲る姿勢を見せた。
トロンは、やけに素直なウェザーを不審に思ったが、自分が原初を手にできるのならそれでいい、と黙して祭壇に進み出た。そして、祭壇から原初を慎重に掴み上げた。大きさに反して、ずっしりと極めて重く、まるで廻仔の腕力をもってしても持ち上げられないほどの巨岩を手にしたかのようだった。原初の乗った手のひらを介し、全身を突き抜ける衝撃が全身を駆け巡ると、ますます心が打ち震え、小刻みに手が震えた。
ところが、原初を手に入れた喜びも束の間、突如として原初が光り輝くと、激しい戸惑いに目を剥いた。妖しい光にたじろいでいると、目では捉えられぬ正体不明の波動が原初から波紋のように拡散され、まるで持ち主を拒絶するかのような衝撃に、たまらずトロンは崖下へと吹き飛ばされてしまった。そして、原初はトロンの手を離れ、崖の上に置き去りとなった。
自分は原初を手にできる器ではなかった。転落の刹那、思考をする間もないほどのほんのわずかな時間ではあったが、そう直感的に結論を得ると、深淵の闇に向かって真っ逆さまに吸い込まれていった。
崖下へ衝突したとて、廻仔は木々を焦がすほどの高熱にも耐えられるのだ、大した事はあるまい。トロンは、何事もなく立ち上がると、遥か彼方の崖上を見上げた。炎に照らされ、その様子がはっきりと見て取れる。原初を手にしたウェザーがこちらを見下ろしている様を、まざまざと見せつけられたのだ。
「やはりこうなりましたか。兄弟とはいえ、残念です」そのウェザーの表情は、わずかばかりの剣幕を宿していたが、どこか落胆したような表情にも見て取れた。「すべては自然のままに。この事態もが必然なのでしょうね」
「アンタは…俺をはめたのか!?」トロンは崖上に向かって叫んだ。
「悪く思わないでください。これもガゼットの人間を自然に帰すためなのです」ウェザーは暗闇に視線を落とし、底から轟いてくる叫びに答えた。
「アンタは人類を存続させたいと言っていたはずだ!」
「人間を自然に帰す事…その意味をあなたはご存じですか?自然は自我を持ち、人間を何処かへ連れ去っていきます。が、それは人類の破滅を意味するものではないのです。彼らは、文字通り自然に帰る、ただそれだけの事なのです」
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「いえ。はっきり言って、私にとっては人間がどんな末路を辿ろうがどうでもいいのです。大事なのはガゼットの人間を一人残らず自然に帰す事だけ。ただし、その役目を果たすのは、私ではなく…………“真に自然な自然の仔”、つまりは己が宿命を全うし、それ故に父の寵愛を受けし廻仔……その称号を授かりし“彼”の義務なのです」
「まだガゼットに廻仔がいるのか!?」
「真に自然な自然の仔に、文明など必要ありません。それが本来あるべき廻仔の生き様なのです。今の彼は、ガゼットに住む人間を自然に帰す事を望んでいます。その目的を確実に達成するためには、もう一つ、原初が必要なのですよ」ウェザーは右手の原初に視線を移すと、「これは十二ある原初のうちの一つ、“原初の岩”です。その名の通り、岩や鉱物を自在に操る事ができますが、その力を行使できるのは、真に自然な自然の仔のみ。宿命に背く廻仔が扱う事は困難を極め、ましてや廻仔でない者には、何の変哲もない自然物、宝の持ち腐れでしかありません。原初も自然物である以上、当然のことながら自我を持っています。あなたは原初に背かれたのですよ。所持者にふさわしくないと判断された者には、原初を掴む資格すらないという事を、身をもって思い知ったでしょう?」
「なら、なぜ族王は俺に原初を渡そうとしたんだ!?まさかヤツも始めからこうなる事をわかっていたのか!?」
「まさか族王が、あなたについて何も知らなかったとでも?真に自然な自然の仔こそが原初を持つべきだ、と族王も言っていたでしょう。確かにあなたは自然への証明を成し遂げた。しかし、それだけでは、これまでの罪を贖う事はできなかったのですよ。あなたが狩人として自然を狩り続けた事、樹海で赤子を助けた事が自然への慈悲によるものではなかった事、恐らくはそれらの事実を族王は存じており、始めからあなたが原初に適わないという事は理解していたんですよ。彼、あるいは彼女は、あなたに罪滅ぼしの機会を与えたに過ぎず、原初自体は始めから“彼”に渡すつもりだったに違いありません。この私を通じてね。なぜなら“彼”こそが真に自然な自然の仔なのですから。それをあなたは自分が原初を受け取れると勘違いしていただけなのです」
俺は自惚れていただけなのか。トロンは絶句し、愕然と崖上を見上げた。結局は族王、さらにはウェザーの手のひらの上で踊っていたに過ぎなかったのだ。ウェザーが自分を廻仔として覚醒させた事、巨樹からの帰り道に水魚に流された事、樹海で赤子を見つけた事、そして自然への証明を成し遂げる事、そのすべては偶然などではなく、父たる自然によって仕組まれた罠だったのだ。知らず知らずのうちに導かれ、その果てに深淵の底辺に行き着いてしまった。己が宿命に抗っている分際で証明などと、まったくもって戯けており、最初から身の程をわきまえ、黙して退くべきだったのだ。やはり薄情な父は、この息子に恵みを与えなかった。自分を育む事もなく、あまつさえ顔すら見せぬ父など、もはや父とは呼べない。そんな相手にわずかでも期待をかけた自分が愚かだったのだ。その報いは、甘んじて受け入れる以外に選択肢はない。自分で蒔いた種は、自分の手で刈らねばならない。なんであれ、自分の決断の賜物は、良くも悪くも否応無しに反映され、その人生を大きく狂わせる。
「原初が欲しいだけなら、その“彼”とやらが族王に直接貰いに行けばよかったはずだ!わざわざ回りくどい事をなぜ!?」トロンは、いきり立ってたずねた。
「運命の巡り合わせというやつです。今から三か月ほど前、私は“彼”から原初を見つけてくるよう指示を受けました。探す当てもなく、探索はことごとく徒労に終わっていましたが、そんな時、あなたと出会い、そして運よく族王と遭遇できたのです。こう見えても感謝しているんですよ、あなたに。こうして原初を探し当てられたのは、紛れもなくあなたのおかげなのですから。しかし、残念ながら、あなたは我々の同志となりはしないでしょう。ですので、しばらくの間は何もせず、ただじっとしていなさい。そうするには、うってつけの場所でしょう、そこは。…では」
ウェザーが崖上から立ち去る姿を、トロンは、ただ指をくわえて仰ぎ見ている事しかできなかった。まもなく、洞内を照らしていた火が消え、あたりは完全な暗闇に包まれた。視覚は失われ、聴覚もまた意味をなさない。自分の両手を見る事すらままならず、出口を探そうなどという気すら起こらず、その場で立ち尽くす事しかできずにいた。誰か救ってはくれないか、と他力本願にすがってみたものの、父はおろか兄弟にすら見捨てられる者を誰が進んで助けてくれるというのだろうか。そんな自暴自棄な考えばかりが己を支配し、いつしか心が折れかけると、その場に座り込んだ。やさぐれたように片膝をつき、うなだれたように頭を垂れ、そのまま時の流れに身をゆだねた。随分と面倒な事態に陥ってしまった。今の自分にできる事など何一つとしてない。この状況を自力で打開できるほど強くはない。このままでは、いずれ餓死し、人知れず屍となってしまうだろう。たとえ、そうなったとしても、この暗闇の中だ、惨めな屍を人目に晒す事もあるまい。ウェザーはガゼットの住人を自然に帰したのち、きっとトロンを助けに来るだろうが、そんな事などつゆ知らず、黙々と憂鬱に明け暮れるのみであった。
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