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流せ、綴れ、情愛
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それから森を進んで行くと、大地から露出した巨大な岩塊を見つけ、その上に佇む一頭の獅子をも発見した。一見すると何の変哲もない雌の獅子だったが、どうやらあれが探していた不死の獅子で間違いないらしい。こちらの存在に気付かれぬよう、息を潜め、遠巻きに眺めていると、獅子が横になったまま眠る姿が、じっくりと観察できた。
「あれを退治するのがシュラプルへ立ち入るための試練だ…」アスレチックは、小声でトロンらに言った。「いつもは、あの岩の上で静かに寝ているだけだが、いざ起こしてみると、途端に気性の荒い猛獣となる。しかも、不気味な事に、何をしようが絶対に死ぬ事はないのだ」
「では、どうすれば…?」シフォンは、小声でたずねた。
「それを試すのが試練なのだ。さぁ、貴公らの腕っぷしを見せてみよ」
あの獅子を退治するには、妹は華奢すぎる。そう思ったトロンは、単身試練に挑むべく、皆に先駆けて獅子の元へと足を進めた。すると、シフォンに「お兄様…!?一人では危険です…!!戻ってきてください…!!」と声量もひかえめに呼び止められたが、トロンは無視し、歴戦の剣を引き抜き、ラブ=ラドールとアスレチックに見守られつつ足を進めた。
獅子はトロンの存在に気付くと、眠りから目覚め、岩から飛び降り、敵に向かって牙を剥いて唸り始めたが、すぐに脅しは無駄だと理解し、なりふり構わず猛然と飛びかかっていった。ところが、トロンは、あくまで冷静沈着を貫き、何食わぬ顔で剣を振るうと、たちまち獅子を斬り伏せてみせた。一介の自然など恐れるに足らず。彼は狩人であるが故、自然を相手取る事は手慣れたものであり、たとえ敵が百獣の王だろうが然したる問題ではないのだ。あっけなく獅子を地面に伏せさせる事はできたものの、妙なほどに手応えを感じず、気を抜かずに剣を構えていると、やがて何事もなかったかのように獅子が起き上がってきた。その体は無傷であり、剣の一閃に耐えうるほどの頑丈な皮膚を備え、まさに不死たる所以をトロンは思い知らされたのだ。しかし、それ以上に驚かされたのが、あまりにも不自然な獅子の動きである。まるで糸で吊られた操り人形のようにぎこちなく、その全身からは、とても動物とは思えないほどの醜悪な感情すらも放っているように感じられた。これは断じて自然物ではない。そうトロンが結論付けた時、突然、歴戦の剣は微震を始めたかと思うと、使い手の体を操り、自らを納刀させた。なぜだ。自らの得物の意図を理解できず、トロンが狼狽した矢先、獅子から闘争本能が消失し、そっけなく背を向けると、そのまま敵前逃亡していった。さながら、退屈を持て余した野良猫のように自由奔放であった。
獅子が去っていくと、唖然とするトロンに向かってアスレチックが進み出て、感嘆したように声をかけた。
「中々に胆力があるではないか!一人で獅子に立ち向かっていった時は、正直肝を冷やしたぞ!」
トロンは、アスレチックに疑惑の眼差しを向けると、「あの獅子の正体は何だ?」とたずねた。
「その答えは、このアスレチックはおろかシュラプルの誰もが知らぬ。ただ、“大降伏”の際には、あのような奇妙な自然が大量に湧いて出てきたものだ。殺しても死なぬ不死の自然がな」
「さぞ、大降伏は大変だったろうに。よくは知らんが」
「かつてのシュラプルには、数年に一度だけ大厄災が起きていたのだ。それこそが大降伏。何の前触れもなく空から大量の自然が街中に降り注いでくるという、なぜかシュラプルにだけ起こる原因不明の珍事なのだが、“あれ”のおかげで被害は毎回最小限に抑えられていた。最も記憶に新しいのは、シュラプルが自然によって消え去ったあの日の事だ。ただでさえ廻仔の侵攻を受けていたのにもかかわらず、シュラプルは不幸にも大降伏に見舞われた。そのせいで我々は故郷を捨てる事を余儀なくされ、まもなくシュラプルは自然に帰ってしまったのだ」
「ごめんなさい…」シフォンは、アスレチックに歩み寄ると、気落ちした様子で謝った。
「このアスレチックの事は、もうよい!それよりも、あの三兄弟に会ってやってくれ!」アスレチックはシフォンを笑って許した。「しかし、あれらは、このアスレチックとは違い、いちいち口うるさいぞ!貴公の誠意を疑い、あれこれと質問をぶつけてくるだろうが、堂々と胸を張っておればよい!」
「はい…!」その言葉にシフォンは微笑みをもって応えた。「…という事は、シュラプルに入れてもらえるのですか?」
「貴公の兄は、面白い男だ!なにせ猛獣を前にしていながら剣を納めたのだからな!その豪胆に恐れをなしたのか獅子も逃げていきおった!それほどの男ならば、何も問題はあるまい!それに、貴公とタフもな!シュラプルは、既に貴公らの本心を知っておるからな!」アスレチックは喜び勇んで言った。
あれ、とは何なのだろうか。トロンは、大降伏に関する話をはぐらかされてしまったような気がしたが、一旦興味を抑え、「それで。俺たちは、どの領域に行けばいい?」とアスレチックにたずねると、
「貴公らは、壁の領域へ行く事とする!そこは三兄弟の長兄が支配する領域だ!あれなら、ゆっくり話を聞いてもらえるはずだ!」
トロンは試練を乗り越え、シュラプルへ立ち入る事を許された。しかし、長旅の疲れを癒す事は到底出来そうにもない。むしろシュラプルの紛争に巻き込まれるのではないか、と一抹の不安が心をよぎったばかりか、先ほどの獅子の存在も無性に気になっていた。何か悪い事が起こる気がしてならない。あのシュラプルに充満する殺伐とした空気は、彼に胸騒ぎを起こさせ、身の危険をも予感させた。それはそうと、さきほどからラブ=ラドールが見当たらない事を不審に思い、周囲を見回してみると、懸命に匂いを嗅ぎ取ろうと地面に這いつくばる彼の姿があった。何をしているのか、と近寄ってたずねてみると、ラブ=ラドールはこう答えた。
「……甘い…リンゴ…の残り香…!」
その言葉に反し、この森のどこにもリンゴの生る木は見当たらなかった。何か思い違いをしているのだろうか、と疑念は膨れあがる一方であった。
「あれを退治するのがシュラプルへ立ち入るための試練だ…」アスレチックは、小声でトロンらに言った。「いつもは、あの岩の上で静かに寝ているだけだが、いざ起こしてみると、途端に気性の荒い猛獣となる。しかも、不気味な事に、何をしようが絶対に死ぬ事はないのだ」
「では、どうすれば…?」シフォンは、小声でたずねた。
「それを試すのが試練なのだ。さぁ、貴公らの腕っぷしを見せてみよ」
あの獅子を退治するには、妹は華奢すぎる。そう思ったトロンは、単身試練に挑むべく、皆に先駆けて獅子の元へと足を進めた。すると、シフォンに「お兄様…!?一人では危険です…!!戻ってきてください…!!」と声量もひかえめに呼び止められたが、トロンは無視し、歴戦の剣を引き抜き、ラブ=ラドールとアスレチックに見守られつつ足を進めた。
獅子はトロンの存在に気付くと、眠りから目覚め、岩から飛び降り、敵に向かって牙を剥いて唸り始めたが、すぐに脅しは無駄だと理解し、なりふり構わず猛然と飛びかかっていった。ところが、トロンは、あくまで冷静沈着を貫き、何食わぬ顔で剣を振るうと、たちまち獅子を斬り伏せてみせた。一介の自然など恐れるに足らず。彼は狩人であるが故、自然を相手取る事は手慣れたものであり、たとえ敵が百獣の王だろうが然したる問題ではないのだ。あっけなく獅子を地面に伏せさせる事はできたものの、妙なほどに手応えを感じず、気を抜かずに剣を構えていると、やがて何事もなかったかのように獅子が起き上がってきた。その体は無傷であり、剣の一閃に耐えうるほどの頑丈な皮膚を備え、まさに不死たる所以をトロンは思い知らされたのだ。しかし、それ以上に驚かされたのが、あまりにも不自然な獅子の動きである。まるで糸で吊られた操り人形のようにぎこちなく、その全身からは、とても動物とは思えないほどの醜悪な感情すらも放っているように感じられた。これは断じて自然物ではない。そうトロンが結論付けた時、突然、歴戦の剣は微震を始めたかと思うと、使い手の体を操り、自らを納刀させた。なぜだ。自らの得物の意図を理解できず、トロンが狼狽した矢先、獅子から闘争本能が消失し、そっけなく背を向けると、そのまま敵前逃亡していった。さながら、退屈を持て余した野良猫のように自由奔放であった。
獅子が去っていくと、唖然とするトロンに向かってアスレチックが進み出て、感嘆したように声をかけた。
「中々に胆力があるではないか!一人で獅子に立ち向かっていった時は、正直肝を冷やしたぞ!」
トロンは、アスレチックに疑惑の眼差しを向けると、「あの獅子の正体は何だ?」とたずねた。
「その答えは、このアスレチックはおろかシュラプルの誰もが知らぬ。ただ、“大降伏”の際には、あのような奇妙な自然が大量に湧いて出てきたものだ。殺しても死なぬ不死の自然がな」
「さぞ、大降伏は大変だったろうに。よくは知らんが」
「かつてのシュラプルには、数年に一度だけ大厄災が起きていたのだ。それこそが大降伏。何の前触れもなく空から大量の自然が街中に降り注いでくるという、なぜかシュラプルにだけ起こる原因不明の珍事なのだが、“あれ”のおかげで被害は毎回最小限に抑えられていた。最も記憶に新しいのは、シュラプルが自然によって消え去ったあの日の事だ。ただでさえ廻仔の侵攻を受けていたのにもかかわらず、シュラプルは不幸にも大降伏に見舞われた。そのせいで我々は故郷を捨てる事を余儀なくされ、まもなくシュラプルは自然に帰ってしまったのだ」
「ごめんなさい…」シフォンは、アスレチックに歩み寄ると、気落ちした様子で謝った。
「このアスレチックの事は、もうよい!それよりも、あの三兄弟に会ってやってくれ!」アスレチックはシフォンを笑って許した。「しかし、あれらは、このアスレチックとは違い、いちいち口うるさいぞ!貴公の誠意を疑い、あれこれと質問をぶつけてくるだろうが、堂々と胸を張っておればよい!」
「はい…!」その言葉にシフォンは微笑みをもって応えた。「…という事は、シュラプルに入れてもらえるのですか?」
「貴公の兄は、面白い男だ!なにせ猛獣を前にしていながら剣を納めたのだからな!その豪胆に恐れをなしたのか獅子も逃げていきおった!それほどの男ならば、何も問題はあるまい!それに、貴公とタフもな!シュラプルは、既に貴公らの本心を知っておるからな!」アスレチックは喜び勇んで言った。
あれ、とは何なのだろうか。トロンは、大降伏に関する話をはぐらかされてしまったような気がしたが、一旦興味を抑え、「それで。俺たちは、どの領域に行けばいい?」とアスレチックにたずねると、
「貴公らは、壁の領域へ行く事とする!そこは三兄弟の長兄が支配する領域だ!あれなら、ゆっくり話を聞いてもらえるはずだ!」
トロンは試練を乗り越え、シュラプルへ立ち入る事を許された。しかし、長旅の疲れを癒す事は到底出来そうにもない。むしろシュラプルの紛争に巻き込まれるのではないか、と一抹の不安が心をよぎったばかりか、先ほどの獅子の存在も無性に気になっていた。何か悪い事が起こる気がしてならない。あのシュラプルに充満する殺伐とした空気は、彼に胸騒ぎを起こさせ、身の危険をも予感させた。それはそうと、さきほどからラブ=ラドールが見当たらない事を不審に思い、周囲を見回してみると、懸命に匂いを嗅ぎ取ろうと地面に這いつくばる彼の姿があった。何をしているのか、と近寄ってたずねてみると、ラブ=ラドールはこう答えた。
「……甘い…リンゴ…の残り香…!」
その言葉に反し、この森のどこにもリンゴの生る木は見当たらなかった。何か思い違いをしているのだろうか、と疑念は膨れあがる一方であった。
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