104 / 124
信条に架ける風
28(終)
しおりを挟む
歴戦の剣は、弾き飛ばされた勢いによって四壁の一面に突き立っており、もはや手の届く距離にはなかった。得物を失い、身を守る手立てもなく、トロンは絶体絶命の窮地へと追いやられ、あえなく宿命を定め直される他なかった。意志を取り戻しはしたが、依然として天仔とは実力が飛び離れており、自らの非力さを改めて痛感する事となった。権威に抗うだけの力さえあれば、と心から切望したのも束の間、鈍器と化した贖い鐘が脳天に向かって降り下ろされた。
トロンは、一巻の終わりを覚悟した。ところが、その矢先、何者かに右肩を突き飛ばされ、図らずも制裁から逃れる事ができた。トロンを庇い、その身代わりとなって宿命を定め直されたのは、殊勝な妹、シフォンであった。彼女は、贖い鐘の一撃を両腕で受け止めはしたが、まもなく力尽きたように倒れ込んだ。
これほどまでに情けない兄をなぜ庇った。トロンは、ひどく喪心した。息を詰まらせながらもシフォンに寄ると、その上体を少しだけ起こしてやり、安否を確認しようと声をかけた。
「こんな俺のために……どうして…!?」
シフォンは、トロンの呼びかけに応じると、おもむろに薄目を開け、たどたどしい言葉を並べ始めた。「お兄様を…失うのが、一番つらいから…。だから……あなただけは絶対に取りこぼしたくないんです…。他の何を失っても……あなただけは…」
「……すまない、シフォン」トロンは、妹の想いに胸を刺されると、ひしと抱きしめてやった。
愛しき兄の腕の中、シフォンは微笑みを浮かべると、ふっと目を閉じ、永久の眠りについた。
そんな双子のやり取りを、ミハルは誹り笑った。「情なんぞのために、自ら犠牲になるとは、ほとほと呆れ果てる。だが、まもなく兄に後追いをさせてやろう。それでこそ、これまでの妹の徒労も報われるというものだ」
トロンは、シフォンを静かに寝かせ、揺らぎ立ったかと思うと、ミハルを睨み、激しい気迫を伴って憤った。「何が権威だ…!何が使命だ…!!そんなもののために俺たちは……生まれてきたんじゃない!!」
「トロン!」スコアは、急いでトロンの隣に駆けてきた。「やるならボクだってやる…!もうボクらには、それしか道がないみたいだから…!」
「その無謀に免じて、少々退屈しのぎをしてやろう」ミハルは、贖い鐘を構え直した。「だが、いくら羊が束になろうが、狼に勝る事はない。なぜなら、羊と狼では、生まれながらに差があるからだ。そう、歴然たる格の差がな」
その言葉通りだろうが、それでも退くわけにはいかなかった。こればかりは、後戻りしてはいけないのだ。たとえ勝てずとも、かすかな爪痕だけは残さねばならないのだ。そうでなければ、この怒りが収まる事はないのだ。いよいよ堪忍袋の緒が切れたトロンは、ミハルへの殺意に満ち満ちていた。もはや力量差など意に介せず、権威も使命も己が拳で打ちのめしてやろうと、ただそれによってのみ息巻いていた。ところが、唐突に鳴り渡った一言が、その意気に水を差した。
「それほどまでに戦いたいのなら、俺が相手になろう!」
トロンとスコアが振り向いてみると、ユライの立ち姿が目に飛び込んできた。そればかりか、ユライに付き従うシェイもが、ミハルを守ろうとこの場に参上したのだ。
「悪あがきは、みっともないだけだ」ユライは、シェイを引き連れ、トロンに歩み寄りつつ物を言った。「身の程をわきまえろ。今のお前ごときでは、ミハルはおろか、シェイにすら敵わない」
「それでも俺は逃げない!」トロンは、ユライをも睨みつけ、当たり散らした。
「ならば、あの剣を取りに行くがいい」ユライは、壁に突き立った歴戦の剣に目を移した。「だが、歴戦の剣は、お前を真の所有者とは認めていない。今すぐ手に取ったとて、剣に秘められし本領を発揮させられず、仕舞いには刀折れ矢尽きるだけだ」
いざ冷静になってみると、ユライの言葉に偽りはない。現に、自分は掘ル岩族王に課せられた条件をいまだ満たしていない。トロンは、言い返せず、口惜しくなった。その竜頭蛇尾の勢いに萎えたのか、スコアから次第に気迫が失われると、一転して二人は、蛇に噛まれて朽ち縄に怖じると言わんばかりに戦慄した。
「結局は威勢だけか。だが、賢明ではある」ミハルは、トロンを憫笑すると、贖い鐘を下げた。それからユライとシェイに「ところで、あのウェザーは、どんな末路を辿った?」とたずねた。
ユライは、トロンの目の前で立ち止まって答えた。「幸運かつ、用意周到な男です。照ラス日族の力を借りた事もあり、まんまと逃げ果せました」
「しばらくは泳がせておくがいい。今だけはな」ミハルは、物思いに耽るように言った。「だが、ここにいる二人だけは容赦できん。できれば、まとめて処刑してしまいたい所だが、それでは救世主の意に反してしまう」
そこでユライは進言した。「でしたら、“彼ら”の獲物にしてやればよろしいかと。あの者らが我らの手となり、己が宿命に逆らう者を仕留めるでしょう」
「なるほどな。それは面白い見世物になりそうだ。しかし、この目で見物できないのが残念だ」ミハルは、意地悪く勧笑した。「あれは、あいにくヘイヴンとは無縁の存在だからな。さて、なんとかして居場所を突き止めねばな」
「請謁ですが、良き案がここに」シェイは、かしこまって言った。「私は、かの者の居場所を図らずも知っております。ですので、この二人については、私に一任を。ただちにヘイヴンより放逐し、これまでの報いを受けさせましょう」
「いいだろう、シェイ。お前の忠誠を信じてやろう」
「もったいなき御言葉」
宿命を定め直されようが、何者かに仕留められようが、言うまでもなく当人にとっては好ましくない。トロンとスコアは、万策尽き、自らの命運すらも尽きたように思えた。
「俺たちをどうするつもりだ…!?」トロンは、弱気な心を精一杯に奮い立たせ、ミハルにたずねた。
「然るべき報いを受けてもらうのだ。ただし、我々が手を下すのではなく、かの狩人によってだが」ミハルは、底意地が悪い口ぶりで言った。
「シフォンは…?シフォンは、どうなるの!?」スコアは、質問を重ねた。
「シフォンは、もはや目覚めない。そう宿命付けたのだからな」ミハルは、死んだように眠るシフォンに目を向け、それからユライに「どこでも構わん。適当な場所にでも放り出しておけ」
ユライは、小さく頷いたのち、シフォンを抱きかかえると、宮から連れ去ろうとしたが、それがトロンの怒りを買った。妹が拉致されるのを黙って見過ごせるはずもなく、トロンがユライに飛びかかろうとした刹那、全身を荊に覆われると、たちどころに脱力し、その場にて膝を折った。まるで気力を吸い取られたかのように力が入らず、立ち上がる事すらままならない。スコアも同様に荊の餌食となり、シフォンを取り戻せる者は皆無になった。
「もはや歩く事すら許可しない。断じてな」ミハルは、その権威によって二人を拘束していた。
ユライは、一旦立ち止まると、トロンに哀れみ深い眼差しを注いだ。「お前は弱い。か弱く、それでいて無知な子どもに過ぎないのだ」
トロンは、ユライに抱きかかえられたシフォンだけをじっと見据えていた。眠りから覚ますどころか、取り返すための力すらなく、その瞳には悔し涙が滲んでいた。
「果たすべき宿命を自ずから放棄した罰だ。せいぜい後悔と苦痛に苛まれるといい」ミハルは、そう告げたのち、「さぁ、ただちに飛んでいけ。己が使命を果たすのだ」とシェイを送り出した。
「仰せのままに」シェイは、トロンとスコアの首根っこを掴むと、純白の翼を生やし、通路の先の出口に向かって迅速に翔け抜けた。
ここで終わってなるものか。自分の命は元より、妹を見捨てる事などしたくはない。このままでは、何もかもを取りこぼしてしまう。そう自分を叱咤してみたが、トロンの体は寸分たりとも動こうとしなかった。この肉体のみならず、自らに背負わされた宿命をも呪った。そんな悪感とは裏腹に、青空は何食わぬ顔で澄み渡り、あたかも神経を逆撫でしているように思えてならなかった。みるみるうちに雲上の宮が遠ざかっていき、やがてはヘイヴンを離れると、何処かに向かって天上を直進し続けた。その行方は、シェイのみぞ知る。
ヘイヴンを発って随分した頃、シェイは、小さな湖畔に降り立った。それから、トロンとスコアを地に放り出すと、近くに自生していた木苺を二粒だけ手に取った。腹ごしらえでもするのだろうか、そう思った矢先、シェイは木苺をトロンとスコアに差し出したのである。
「これを食べれば、少しは元気になる」
背に腹は代えられない。二人は、いぶかりながらも木苺を摘み取ると、口に放り入れ、食した。その途端、若干ながら力が湧いてきたので、自力によって荊を引きちぎると、晴れて自由の身となった。
「いくらか気分がよくなっただろう。気力がない時には、何か口にしてみるといいものさ」シェイは、談笑しているかのように微笑んだ。
「何のつもりかは知らないが、礼は言わない」トロンは、つっけんどんに接した。
「いや、むしろ謝らせてくれ」シェイは、先ほどとは打って変わり、真摯に謝罪の意を述べた。「結局は、君たち双子を救う事ができなかったのだから」
「救うだと?」
「そうだ」そこでシェイは、スコアに目をやった。「仕事の件は、彼女から聞いてるだろう?実は、トロンとシフォンをヘイヴンから逃がすよう依頼したのは、僕なんだ。やはり力及ばずとも、それなりの働きは見せてくれた」
「ごめんね」スコアは、照れたように謝った。「でも、双子の片割れは助けたし、ボクだって頑張ったんだよ」
それを聞いてトロンは、驚き、シェイを問いただした。「なぜ俺たち双子をヘイヴンから逃がそうとした…!?アンタは天仔のはずだ!」
「表向きはそうさ。でも、本当の僕は、君と同じだ。己が宿命に逆らい、人間を自然の手から救おうとしている。君だってそうだろう?自然に抗い、その結果、ガゼットは滅びから免れた。その事を聞かされた時、僕は確信したんだ。君は、人類の運命を背負って立つ逸材かもしれない、と。ならば、みすみすヘイヴンに毒されてしまうのは、人類の未来にとってもよくない」
「アンタは何者だ?」
「人間を自然から守り抜く。その志に集った人々が、この世界中に存在している事を忘れるな」
トロンは、シェイの瞳に若々しく滾る情熱の炎を見たような心持ちがした。この男は、天仔としての使命に従事するにあたり、反逆への情熱をひた隠しにしているのだ。より権威のある者からの命を、臥薪嘗胆の思いでやり遂げているのだ。
「さぁ、もう行こう。道草を食っていられるほどの猶予はないのでね」シェイは、あくせくと先を急いだ。
「どこへ連れて行く気だ」トロンは、行く先をたずねた。
「俗に“文明の最果て”と呼ばれる砂浜だ。自然に帰った街や集落の残骸が流れ着く、いわば世界のゴミ箱さ。だが、ごく最近、そこに恐ろしい廻仔が現れ、自らの狩場としてしまったようだ。だから、君たちには、文明の最果てに留まる僕の同志を助けてあげてほしいんだ」
「文明の最果てには、人が住んでいるのか?」
「一時的だがね。彼女らは、各地を点々としながら暮らしているから。しかし、不幸にも、廻仔の匂いを嗅ぎつけた無頼漢に付け狙われてしまったらしい。そして、ミハルは君たちをも、その者の毒牙にかけようとしている。つまりは、自らの手を汚す事なく始末させようとしているのだ」
「無頼漢って誰?強いの?」スコアは、きょとんとしてたずねた。
「無頼漢っていうのは、ならず者の事さ」シェイは、ふと夕空を見上げた途端、ひどく焦心した。「悪いが、もう時間がない!詳しい事情は、現地で聞いてくれ!」
「いや、今すぐヘイヴンまで連れ戻せ!」トロンは、強い語勢で頼み込んだ。「アンタにその気がないのなら、わざわざゴミ箱なんぞに行く必要はない!一刻も早くヘイヴンに戻り、シフォンを取り返さなければ…!」
「今の君では、到底無理な話だ」シェイは、逸る心を一旦落ち着けると、毅然と言い切った。「戻った所で何ができる?何もできやしない。今の君では、ミハルやユライには絶対に敵わない。そんな事くらい、とうに理解できているはずだ。本当にシフォンを救いたいと願うなら、まず力を得なければ。自然の権威にも勝る、人の力を」
「しかし、人の力だけでは…!あの権威には勝てない…!」
「僕らには、文字がある」シェイは、スコアの左手を手に取ると、自然除けの文字に目を落とした。「君たちは、この“廻文字”の真の使い方を知らない。だから、文明の最果てへ行き、バスポテトという女性の廻仔に教えを乞うんだ。そうすれば、天仔はおろか、救世主に拮抗できるほどの力を得られるかもしれない。ヘイヴンと権威の創造主、“空の神権化”にすら太刀打ちできるほどの力をね」
「空の神権化…!?あの火の竜権化と同じ、四の権化か!」トロンは、耳を疑った。「だが、帳の裏には影も形もなかったはずだ…!」
「空の神権化は、ヘイヴンを吹き渡る風そのもの。だから、この目で捉える事は決してできず、目に見えるものに傷つけられもしない。ただ、廻文字の力を用いれば、きっと倒せる。たとえ一時しのぎだろうと、ヘイヴンの住人を信条による支配から解き放つだけの隙を作る事ができるはずなんだ。当然、君の妹もね」
「その廻文字とやらを用いれば、本当にシフォンを取り戻せるのか?」
「保証はない。だからって、諦める君じゃないだろう?」
トロンは、黙して頷いた。彼は、歴戦の剣のみならず、妹までもを失い、そのために己の軽率な言動を悔いていた。しかし、希望は、まだ潰えてはいない。すべてを諦めるには、時期尚早であるのだ。犠牲になってしまった者のために自分が出来る事は何だろうか、その答えが彼の胸中に往来すると、より強固な意志が形成された。それは、雨が降ろうが槍が降ろうが自らの意志を貫き通し続ける、希代の決意である。
トロンは、一巻の終わりを覚悟した。ところが、その矢先、何者かに右肩を突き飛ばされ、図らずも制裁から逃れる事ができた。トロンを庇い、その身代わりとなって宿命を定め直されたのは、殊勝な妹、シフォンであった。彼女は、贖い鐘の一撃を両腕で受け止めはしたが、まもなく力尽きたように倒れ込んだ。
これほどまでに情けない兄をなぜ庇った。トロンは、ひどく喪心した。息を詰まらせながらもシフォンに寄ると、その上体を少しだけ起こしてやり、安否を確認しようと声をかけた。
「こんな俺のために……どうして…!?」
シフォンは、トロンの呼びかけに応じると、おもむろに薄目を開け、たどたどしい言葉を並べ始めた。「お兄様を…失うのが、一番つらいから…。だから……あなただけは絶対に取りこぼしたくないんです…。他の何を失っても……あなただけは…」
「……すまない、シフォン」トロンは、妹の想いに胸を刺されると、ひしと抱きしめてやった。
愛しき兄の腕の中、シフォンは微笑みを浮かべると、ふっと目を閉じ、永久の眠りについた。
そんな双子のやり取りを、ミハルは誹り笑った。「情なんぞのために、自ら犠牲になるとは、ほとほと呆れ果てる。だが、まもなく兄に後追いをさせてやろう。それでこそ、これまでの妹の徒労も報われるというものだ」
トロンは、シフォンを静かに寝かせ、揺らぎ立ったかと思うと、ミハルを睨み、激しい気迫を伴って憤った。「何が権威だ…!何が使命だ…!!そんなもののために俺たちは……生まれてきたんじゃない!!」
「トロン!」スコアは、急いでトロンの隣に駆けてきた。「やるならボクだってやる…!もうボクらには、それしか道がないみたいだから…!」
「その無謀に免じて、少々退屈しのぎをしてやろう」ミハルは、贖い鐘を構え直した。「だが、いくら羊が束になろうが、狼に勝る事はない。なぜなら、羊と狼では、生まれながらに差があるからだ。そう、歴然たる格の差がな」
その言葉通りだろうが、それでも退くわけにはいかなかった。こればかりは、後戻りしてはいけないのだ。たとえ勝てずとも、かすかな爪痕だけは残さねばならないのだ。そうでなければ、この怒りが収まる事はないのだ。いよいよ堪忍袋の緒が切れたトロンは、ミハルへの殺意に満ち満ちていた。もはや力量差など意に介せず、権威も使命も己が拳で打ちのめしてやろうと、ただそれによってのみ息巻いていた。ところが、唐突に鳴り渡った一言が、その意気に水を差した。
「それほどまでに戦いたいのなら、俺が相手になろう!」
トロンとスコアが振り向いてみると、ユライの立ち姿が目に飛び込んできた。そればかりか、ユライに付き従うシェイもが、ミハルを守ろうとこの場に参上したのだ。
「悪あがきは、みっともないだけだ」ユライは、シェイを引き連れ、トロンに歩み寄りつつ物を言った。「身の程をわきまえろ。今のお前ごときでは、ミハルはおろか、シェイにすら敵わない」
「それでも俺は逃げない!」トロンは、ユライをも睨みつけ、当たり散らした。
「ならば、あの剣を取りに行くがいい」ユライは、壁に突き立った歴戦の剣に目を移した。「だが、歴戦の剣は、お前を真の所有者とは認めていない。今すぐ手に取ったとて、剣に秘められし本領を発揮させられず、仕舞いには刀折れ矢尽きるだけだ」
いざ冷静になってみると、ユライの言葉に偽りはない。現に、自分は掘ル岩族王に課せられた条件をいまだ満たしていない。トロンは、言い返せず、口惜しくなった。その竜頭蛇尾の勢いに萎えたのか、スコアから次第に気迫が失われると、一転して二人は、蛇に噛まれて朽ち縄に怖じると言わんばかりに戦慄した。
「結局は威勢だけか。だが、賢明ではある」ミハルは、トロンを憫笑すると、贖い鐘を下げた。それからユライとシェイに「ところで、あのウェザーは、どんな末路を辿った?」とたずねた。
ユライは、トロンの目の前で立ち止まって答えた。「幸運かつ、用意周到な男です。照ラス日族の力を借りた事もあり、まんまと逃げ果せました」
「しばらくは泳がせておくがいい。今だけはな」ミハルは、物思いに耽るように言った。「だが、ここにいる二人だけは容赦できん。できれば、まとめて処刑してしまいたい所だが、それでは救世主の意に反してしまう」
そこでユライは進言した。「でしたら、“彼ら”の獲物にしてやればよろしいかと。あの者らが我らの手となり、己が宿命に逆らう者を仕留めるでしょう」
「なるほどな。それは面白い見世物になりそうだ。しかし、この目で見物できないのが残念だ」ミハルは、意地悪く勧笑した。「あれは、あいにくヘイヴンとは無縁の存在だからな。さて、なんとかして居場所を突き止めねばな」
「請謁ですが、良き案がここに」シェイは、かしこまって言った。「私は、かの者の居場所を図らずも知っております。ですので、この二人については、私に一任を。ただちにヘイヴンより放逐し、これまでの報いを受けさせましょう」
「いいだろう、シェイ。お前の忠誠を信じてやろう」
「もったいなき御言葉」
宿命を定め直されようが、何者かに仕留められようが、言うまでもなく当人にとっては好ましくない。トロンとスコアは、万策尽き、自らの命運すらも尽きたように思えた。
「俺たちをどうするつもりだ…!?」トロンは、弱気な心を精一杯に奮い立たせ、ミハルにたずねた。
「然るべき報いを受けてもらうのだ。ただし、我々が手を下すのではなく、かの狩人によってだが」ミハルは、底意地が悪い口ぶりで言った。
「シフォンは…?シフォンは、どうなるの!?」スコアは、質問を重ねた。
「シフォンは、もはや目覚めない。そう宿命付けたのだからな」ミハルは、死んだように眠るシフォンに目を向け、それからユライに「どこでも構わん。適当な場所にでも放り出しておけ」
ユライは、小さく頷いたのち、シフォンを抱きかかえると、宮から連れ去ろうとしたが、それがトロンの怒りを買った。妹が拉致されるのを黙って見過ごせるはずもなく、トロンがユライに飛びかかろうとした刹那、全身を荊に覆われると、たちどころに脱力し、その場にて膝を折った。まるで気力を吸い取られたかのように力が入らず、立ち上がる事すらままならない。スコアも同様に荊の餌食となり、シフォンを取り戻せる者は皆無になった。
「もはや歩く事すら許可しない。断じてな」ミハルは、その権威によって二人を拘束していた。
ユライは、一旦立ち止まると、トロンに哀れみ深い眼差しを注いだ。「お前は弱い。か弱く、それでいて無知な子どもに過ぎないのだ」
トロンは、ユライに抱きかかえられたシフォンだけをじっと見据えていた。眠りから覚ますどころか、取り返すための力すらなく、その瞳には悔し涙が滲んでいた。
「果たすべき宿命を自ずから放棄した罰だ。せいぜい後悔と苦痛に苛まれるといい」ミハルは、そう告げたのち、「さぁ、ただちに飛んでいけ。己が使命を果たすのだ」とシェイを送り出した。
「仰せのままに」シェイは、トロンとスコアの首根っこを掴むと、純白の翼を生やし、通路の先の出口に向かって迅速に翔け抜けた。
ここで終わってなるものか。自分の命は元より、妹を見捨てる事などしたくはない。このままでは、何もかもを取りこぼしてしまう。そう自分を叱咤してみたが、トロンの体は寸分たりとも動こうとしなかった。この肉体のみならず、自らに背負わされた宿命をも呪った。そんな悪感とは裏腹に、青空は何食わぬ顔で澄み渡り、あたかも神経を逆撫でしているように思えてならなかった。みるみるうちに雲上の宮が遠ざかっていき、やがてはヘイヴンを離れると、何処かに向かって天上を直進し続けた。その行方は、シェイのみぞ知る。
ヘイヴンを発って随分した頃、シェイは、小さな湖畔に降り立った。それから、トロンとスコアを地に放り出すと、近くに自生していた木苺を二粒だけ手に取った。腹ごしらえでもするのだろうか、そう思った矢先、シェイは木苺をトロンとスコアに差し出したのである。
「これを食べれば、少しは元気になる」
背に腹は代えられない。二人は、いぶかりながらも木苺を摘み取ると、口に放り入れ、食した。その途端、若干ながら力が湧いてきたので、自力によって荊を引きちぎると、晴れて自由の身となった。
「いくらか気分がよくなっただろう。気力がない時には、何か口にしてみるといいものさ」シェイは、談笑しているかのように微笑んだ。
「何のつもりかは知らないが、礼は言わない」トロンは、つっけんどんに接した。
「いや、むしろ謝らせてくれ」シェイは、先ほどとは打って変わり、真摯に謝罪の意を述べた。「結局は、君たち双子を救う事ができなかったのだから」
「救うだと?」
「そうだ」そこでシェイは、スコアに目をやった。「仕事の件は、彼女から聞いてるだろう?実は、トロンとシフォンをヘイヴンから逃がすよう依頼したのは、僕なんだ。やはり力及ばずとも、それなりの働きは見せてくれた」
「ごめんね」スコアは、照れたように謝った。「でも、双子の片割れは助けたし、ボクだって頑張ったんだよ」
それを聞いてトロンは、驚き、シェイを問いただした。「なぜ俺たち双子をヘイヴンから逃がそうとした…!?アンタは天仔のはずだ!」
「表向きはそうさ。でも、本当の僕は、君と同じだ。己が宿命に逆らい、人間を自然の手から救おうとしている。君だってそうだろう?自然に抗い、その結果、ガゼットは滅びから免れた。その事を聞かされた時、僕は確信したんだ。君は、人類の運命を背負って立つ逸材かもしれない、と。ならば、みすみすヘイヴンに毒されてしまうのは、人類の未来にとってもよくない」
「アンタは何者だ?」
「人間を自然から守り抜く。その志に集った人々が、この世界中に存在している事を忘れるな」
トロンは、シェイの瞳に若々しく滾る情熱の炎を見たような心持ちがした。この男は、天仔としての使命に従事するにあたり、反逆への情熱をひた隠しにしているのだ。より権威のある者からの命を、臥薪嘗胆の思いでやり遂げているのだ。
「さぁ、もう行こう。道草を食っていられるほどの猶予はないのでね」シェイは、あくせくと先を急いだ。
「どこへ連れて行く気だ」トロンは、行く先をたずねた。
「俗に“文明の最果て”と呼ばれる砂浜だ。自然に帰った街や集落の残骸が流れ着く、いわば世界のゴミ箱さ。だが、ごく最近、そこに恐ろしい廻仔が現れ、自らの狩場としてしまったようだ。だから、君たちには、文明の最果てに留まる僕の同志を助けてあげてほしいんだ」
「文明の最果てには、人が住んでいるのか?」
「一時的だがね。彼女らは、各地を点々としながら暮らしているから。しかし、不幸にも、廻仔の匂いを嗅ぎつけた無頼漢に付け狙われてしまったらしい。そして、ミハルは君たちをも、その者の毒牙にかけようとしている。つまりは、自らの手を汚す事なく始末させようとしているのだ」
「無頼漢って誰?強いの?」スコアは、きょとんとしてたずねた。
「無頼漢っていうのは、ならず者の事さ」シェイは、ふと夕空を見上げた途端、ひどく焦心した。「悪いが、もう時間がない!詳しい事情は、現地で聞いてくれ!」
「いや、今すぐヘイヴンまで連れ戻せ!」トロンは、強い語勢で頼み込んだ。「アンタにその気がないのなら、わざわざゴミ箱なんぞに行く必要はない!一刻も早くヘイヴンに戻り、シフォンを取り返さなければ…!」
「今の君では、到底無理な話だ」シェイは、逸る心を一旦落ち着けると、毅然と言い切った。「戻った所で何ができる?何もできやしない。今の君では、ミハルやユライには絶対に敵わない。そんな事くらい、とうに理解できているはずだ。本当にシフォンを救いたいと願うなら、まず力を得なければ。自然の権威にも勝る、人の力を」
「しかし、人の力だけでは…!あの権威には勝てない…!」
「僕らには、文字がある」シェイは、スコアの左手を手に取ると、自然除けの文字に目を落とした。「君たちは、この“廻文字”の真の使い方を知らない。だから、文明の最果てへ行き、バスポテトという女性の廻仔に教えを乞うんだ。そうすれば、天仔はおろか、救世主に拮抗できるほどの力を得られるかもしれない。ヘイヴンと権威の創造主、“空の神権化”にすら太刀打ちできるほどの力をね」
「空の神権化…!?あの火の竜権化と同じ、四の権化か!」トロンは、耳を疑った。「だが、帳の裏には影も形もなかったはずだ…!」
「空の神権化は、ヘイヴンを吹き渡る風そのもの。だから、この目で捉える事は決してできず、目に見えるものに傷つけられもしない。ただ、廻文字の力を用いれば、きっと倒せる。たとえ一時しのぎだろうと、ヘイヴンの住人を信条による支配から解き放つだけの隙を作る事ができるはずなんだ。当然、君の妹もね」
「その廻文字とやらを用いれば、本当にシフォンを取り戻せるのか?」
「保証はない。だからって、諦める君じゃないだろう?」
トロンは、黙して頷いた。彼は、歴戦の剣のみならず、妹までもを失い、そのために己の軽率な言動を悔いていた。しかし、希望は、まだ潰えてはいない。すべてを諦めるには、時期尚早であるのだ。犠牲になってしまった者のために自分が出来る事は何だろうか、その答えが彼の胸中に往来すると、より強固な意志が形成された。それは、雨が降ろうが槍が降ろうが自らの意志を貫き通し続ける、希代の決意である。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
『伯爵令嬢 爆死する』
三木谷夜宵
ファンタジー
王立学園の中庭で、ひとりの伯爵令嬢が死んだ。彼女は婚約者である侯爵令息から婚約解消を求められた。しかし、令嬢はそれに反発した。そんな彼女を、令息は魔術で爆死させてしまったのである。
その後、大陸一のゴシップ誌が伯爵令嬢が日頃から受けていた仕打ちを暴露するのであった。
カクヨムでも公開しています。
王子様への置き手紙
あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
小説家になろうにも掲載しています。
道化たちの末路
希臘楽園
ファンタジー
母亡き後、継承権もない父と愛人母娘が公爵家を狙い始めた。でも私には王太子という切り札がいる。半年間、道化たちが踊るのを、私たちは静かに楽しんで見ていた。AIに書かせてみた第3弾。今回も3000文字程度のお気楽な作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる