めぐりしコのエコ

しろくじちゅう

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不死鳥の背の上で

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 水平線の彼方に鯨の孤影が消えかかった頃、トロンは、背後に気配を感じ、ふと振り返ってみると、やはり宿命稼ぎが足早に迫ってきていたので、真鍮の魔笛を握りしめつつも再び相対あいたいした。ますます高く波立つ海を背にしていたので、もはや逃げ果せず、真っ向から戦う事を強いられたが、あくまでもサニーを探し出す事が先決である。煙に巻くのは不得手なため、ここでも芳香に巻いてやろうと画策し、そっと唇を歌口に触れさせた。すると、宿命稼ぎが、素早く施条銃を構え、弾道を悟らせぬままに包帯で上半身を縛り上げてきた。幾度となく経験した松脂の臭いが鼻を刺し、たちまち両腕が不自由になっても、尚以なおもって不動を貫き、拘束を省みず、芳香をまき散らそうと吹き込んだ。ところが、いくら強く息吹こうとも、妙に芳香の出が悪いままであった。水色の光彩が、ぎこちなく放出されるのを見て、魔笛の内部に溜められた精油が切れかかっている事を察し、愕然とした。このような土壇場にて不備を起こすとは不運である。サニー曰く、精油が切れた際には何等かの自然物によって補充をしなければならないが、それを実行するだけの余裕もなく、一転して窮地に転がり落ちた。
「いよいよ種切れかい?だったら、俺の勝ちだぜ」宿命稼ぎは、トロンに向かって伸びる包帯を銃口から引っこ抜いたかと思うと、その末に括りつけられた杭を足元に突き刺し、つま先を乗せて固定した。そして、ボビンにも似た弾薬を手早く装填し、銃口を向け直した。
 吹笛なくして宿命稼ぎには到底敵わず、トロンは、込み上げる激情を歯ぎしりによって忍耐するばかりであった。ところが、張り詰めた包帯の中程から突然に発火したのも束の間、火を噴いて爆裂すると、図らずも不利は一転した。松脂の染み込んだ包帯を瞬く間に燃やし尽くし、火傷もなしにトロンを解き放ってみせたのは、むせ返るほどにこうばしく、雑多なオレンジの芳香であった。その朱色に鮮やぐ光彩の帯を目で辿った末、傍らの渚にて軽銀けいぎんの魔笛を横に構えるサニーの立ち姿を認めた。トロンの危機を二度までも振り払ってみせた彼女からは、これまで鳴りを潜めるばかりだった弱気の殻を破ったかのように、やけに堂々とした風格を感じ取れた。
 「女だろうが、しつこいのは嫌われるぜ」宿命稼ぎは、少しばかり苛立ったような口調で言った。「よっぽど手品が好きなんだろうが、種も仕掛けもバレた以上、まったくもって面白みの欠片もないぜ」
それを聞いたサニーは、小声ながらも、癇癪かんしゃくを起こしたような激しい口調で受け答えした。「じゃあ、種も仕掛けもないって事を、わからせてあげるわ…!」
 気色けしきばむサニーは、軽銀の魔笛を盛んに手でさすったのち、焚き火の音色を吹奏してみせた。すると、魔笛の足部管に空いた空洞から朱色の雲煙うんえんを放出したかと思いきや、その精彩を帯びた不可思議な魔人を引き出した。目を見張りつつ一見すると、絵に描いたように簡素な幽霊であり、人の上半身に対して下半身は尻尾のように細長く、末尾が魔笛から飛び出ていた。朱色に輝いている事からも、芳香の光彩によって形作られていると推測される。自意識を持っているのか、サニーの脇で腕を組み、あたかも悪だくみをしているかのような怪しい笑みを宿命稼ぎに向けている。そのお茶目な素振りに、トロンは腰を抜かして呆然とするばかりであった。
「上出来だよ、嬢ちゃん。まったく恐れ入ったぜ」宿命稼ぎは、魔法じみた芸当に脱帽し、拍手を送った。「だが、所詮は匂いの塊さ。なんなら、試してみるかい?」
「これは力よ!絶対的な力!」サニーは、いきり立って言い張った。それから、朱色の魔人に向けて「宿命稼ぎを滅ぼして!」と願った。
 主の願いを聞き届けた魔人は、胸が膨れ上がるほどに大きく息を吸い込んだかと思うと、宿命稼ぎに向けて、顔を真っ赤にするほど力強く吹き散らした。オレンジの香りを放つその気息きそくは、決して鼻をつまみたくなるような悪臭ではなかったが、この世のものとは思えぬほどに激臭だったため、かえって人に不快感をもよおさせたばかりか、触れたものを無差別に爆裂させた。塵芥だけでなく、砂浜や海といった風景までもを消し飛ばしながら宿命稼ぎへ漂っていき、遅々として吹き抜けた後には、荒れ果てた焦痕だけが続いていた。
「おいおい、もう手加減できねぇぜ…!」宿命稼ぎは、咄嗟にダイナマイトを取り出し、導火線に点火すると、ためらいもなくサニーに向けて放り投げた。
 ところが、ダイナマイトは、気息に触れた途端に爆裂し、その爆風すらも芳香に呑まれると、あえなく消沈した。いくら爆弾といえども魔法の前では何ら意味を成さない事をまざまざと見せつけられ、色めき立った宿命稼ぎは、立て続けにダイナマイトを投擲とうてきしたが、いずれも甲斐なかった。それでも強情になると、十字架を模した形状の弾薬を懐から取り出し、施条銃に込めようとした矢先、魔人が、指先から矢のように鋭い芳香を放ってきた。電光石火のとどめ矢によって瞬目しゅんもくの内に腹を射抜かれ、爆裂させられると、その衝撃に宙を舞い、仕舞いには地面に全身を打ちつける始末であった。深手を負ったのか、横たわったまま微動だにしない。
 サニーは、魔人の力によって、赤子の手を捻るが如く宿命稼ぎを打ち倒した。かつてのいじらしい少女は、己が手を汚さずとも脅威を退けるだけの力を有しており、その事実にトロンは強い衝撃を受けていた。そして、サニーと魔笛の正体について耐え難いほどの興味を抱いた。なぜ自らの窮地に颯爽と現れたのかといった疑問については、二の次に甘んじた。
「アンタは何者だ…!?その笛は一体…!?」
 サニーは癇癪を収めると、いつもながらの弱気な口調で一息に答えた。「それよりも、あなたに怪我がなくてよかった…!さ、早くここから離れて…!あの男は、まだ息があると思うから…」
「それはわかったが、質問の答えになっていない!」トロンは、強い語勢で迫った。
サニーは、魔人に「もう戻っていいよ」と願い、湧き出る芳香を軽銀の魔笛の中にひっこめた。それからトロンに「精油を切らしたんだよね…。精油を作る際はね、一つじゃなくて色々な種類の自然物を使うと、より強力なものになるから…。私のは、オレンジと北風と、あとすすを……」
「そんな事はどうでもいい!」トロンは、調子外れな説明を遮った。「なぜアンタは、俺に肩入れする!?目的を言え!」
 遂にサニーは、口重に秘め事を語り出した。「目的は……私にもわからない…。でも、私たちのママは、持って生まれた絆を守ろうとしているだけなの…。そのために魔笛を生み出し、皆が幸せに暮らせるだけの故郷をも築こうとしている…。かつての陰鬱な故郷を生まれ変わらせ、未来永劫の理想郷を作る事。それが、ママ、ひいては私の夢だった…。そう、今まさに叶いつつある夢なの…」
 トロンは、ますます疑惑を深め、質問を重ねようとしたが、宿命稼ぎが立ち直る様相を見せると、途端に口を閉じて身構えた。爆裂してもなお立ち上がり、焦げ付いた腹を手で押さえ、おぼつかない佇まいながらも再起してみせると、一発の弾薬を施条銃に込め始めた。それは十字架を模した奇妙な形状の弾薬であり、芳香の矢の一撃によって込めそびれたものである。装弾の最中、宿命稼ぎは、たどたどしく独り言を呟いた。
「さっきは強烈な一発を…貰ったからよ…。ちゃんと…お返しはしないとな…」
その言葉に力はなく、意識を朦朧もうろうとさせている事をうかがったトロンは、無益な争いに終止符を打とうと声をかけた。「その傷で無理はしない方がいい。アンタは狩りをしくじった。もう諦めろ」
「あいにくだが、切り札を使わないうちに諦める事はしない…」宿命稼ぎは、装弾を終えると、おもむろに施条銃を構えつつも「この銃に込めたのは、一発限りの奥の手さ…。狙い定めた標的を必ず射殺いころす、宿命の弾丸よ…。逃れようとしても、絶対に……逃れられないぜ…。俺たち廻仔が、己が宿命から逃れられないのと同じでな…!」
 かすかに笑みを浮かべ、いまだに余裕を見せる態度からも、その弾丸に対する絶対的な自信を感じさせる。既に銃口はトロンを捉えており、背を見せる猶予すら与えぬ間に必殺の弾丸を発射した。ただでさえ避けるのは難しいというのに、なぜかしら足の自由が利かず、もはやその場から一歩たりとも動けなかった。あの弾丸もまた、あがない鐘と同様に宿命を定め直す力を宿しており、今やトロンの宿命は、突然の死によって断絶されようとしていた。
 ふいにサニーが、トロンの眼前におどり出ると、その身を挺して弾丸から庇い立てた。死の宿命により、代わりに少女の命が持ち去られはしたが、それはトロンにとっては、目を覆いたくなるような光景であり、かつての喪失を想起させるばかりであった。妹のみならず、素性すらよく知りもしない少女によって己が宿命を守り通され、トロンは、悔し紛れに喚き散らしたい心持ちになった。凶弾に横たわるサニーが、ふと妹の末期の姿と重なって見え、なりふり構わず抱きかかえると、一心に呼びかけた。
「まるで理解できない…!!なぜ俺なんかのために命を投げ捨てた!?」
 ところが、サニーは、平然と目を開けており、それどころか能面のような顔をトロンに向けていた。「気に病まないで…。私は、ただの人形…。本当の私を映しただけの鏡だから…。最初から命なんて持ち合わせてないんだよ…」
「どういう意味だ…!?」トロンは、思いがけない言葉をかけられ、錯乱した。
 時を移さず、サニーの全身から朱色の芳香が発せられたかと思うと、徐々に真っ白いマネキンへと姿を変えていった。確かに人間として活動していた生命は、今や物言わぬ無機物へと変わり果て、トロンの腕に寄りかかるばかりであった。のっぺらぼうの顔、ひび割れただけで一滴の流血すら残さない胸、軽銀の魔笛を握る事すらままならない手、そのすべてが突きつけられた現実であった。きっと魔法によって夢を見ていたのだろう。これまで共にいたサニーは、ただの幻であり、本来の彼女は今も何処かにて無事でいる。そうやって自分を納得させる事でしか、著しい錯乱を鎮められそうになかった。
「つくづくペテン師だな、あの嬢ちゃんも…」宿命稼ぎも、呆気に取られていた。「まさか存在ごと偽るとは、将来有望だぜ…」
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