天使調律師

しろくじちゅう

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最強は薔薇のように

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 サイハは、少女ながらも調律師。研究に没頭する多忙な日々を送っている。大抵は部屋にこもりきりだが、時折外に出て気分転換を図ろうとする。今日がまさにそうだった。正午になって作業に一区切りついたので、気晴らしに外出しよう。ところがその矢先、来客があった。
 サイハは、訪れたレイヤを一目見て目を丸くした。
「あ。来た」
「久しぶりだな、サイハ!話はもう聞いてるだろ?」
「今はそれどころじゃないよ!ほら、ワタシは忙しいんだから、どいてどいて!」
「お、どこ行くんだよ?」
 サイハは街に用事があった。大通りを徘徊し、路地裏をしきりに覗き込み、公園では草藪を枝で突っついた。そうやって街中を闇雲にうろつき回って何かを探してばかりいる。とても忙しそうには見えない。いよいよレイヤは首を傾げた。
「なぁ。さっきから何してるんだ?」
「そんなの決まってるじゃん。天使を探してるんだよ」
「こんな街中にいるわけないだろ。あ、でもオレも猫型一匹見つけてたか」
「ネコちゃん?どうせならクマさんの方がいいよ」
「はぁ!?街にクマなんているかよ!」
「あいかわらず世間知らずだなぁ、レイヤは。ほら」
 そばにあった街路樹の幹には、爪で引っ掻いたような痕が残されていた。相当に大きな爪痕だ。それこそ熊型天使の仕業。レイヤは戦々恐々とした。
「まさか…本当に…!?」
「まだ新しい傷だね。まだ近くにいるかな~?」
 追跡するための手がかりをサイハは決して見逃さない。爪痕はもちろん、砂利道にだって足跡が残っていた。しかし、なにより大事なのは、音だ。天使からは独特の美しい駆動音がする。だから、耳をすませばその音を頼りに天使の足取りを追える。たとえどんなに小さかろうが、調律師ならば聞き逃すことはない。
 自然公園に差し掛かった頃、サイハは、ややいびつな駆動音をはっきりと耳にした。
「ここだね。クマさんの音がこの公園から聞こえてくるよ」
「あいかわらず耳いいなぁ、オマエ!」
 その聴覚にレイヤは脱帽させられた。負けじと耳をすましてみたが、レイヤの耳ではそれらしき音を掴めない。目当ての天使とは、まだ距離があるのだ。
 自然公園には草木が生い茂っていた。熊型天使のような巨体であろうと、十二分に身を隠せる。今もこの公園のどこかで息を殺してじっとしているのだろう。だが、調律師からは逃れられない。彼らは目でなく耳で追跡する。かすかな駆動音に引き寄せられてやってくる。
 公園を悠々と散策し始めてまもなく、草藪から熊のおしりが飛び出ているのをサイハが見つけた。
「あ、見つけた」
「ほんとにいたんだな…!この街どうなってんだ…?」
 熊型天使との思いがけない遭遇。レイヤは、ただただ呆然とした。そうやってぼうっとしてばかりいるものだから、サイハは先輩風を吹かした。
「ほら!まだ仕事は終わりじゃないよ!天使を見つけたらどうするの!?」
「えぇ~っと…なんだっけ。ああ、捕まえて調律して出荷するんだ。だろ?」
「わかってるじゃん。じゃあ、今すぐ捕まえてよ」
「え?オマエがやるんじゃないのか?」
「せっかくレイヤが来たんだし、どうせなら色々と教えてあげようと思って!ほらほら、天使出して!」
「いや、でもオレ、あんまり手荒なことはしたくないっていうか…」
「いいから!早く天使出して!例のアレ、おじいさんから貰ったんでしょ!?」
「でも、あんまり見せびらかすなって…」
「もう!!いいから早く!!見たいんだから、例の天使!!」
 獲物を前にしながら、いつまでもそうやってぐずぐずしてはならない。逃げる隙を与えるだけだ。気付けば熊型天使が草藪から消えている。
「あれ?どこ行った?」
 レイヤが慌てて見回すと、遠くに熊型天使の後ろ姿。のんびりとした足取りでこの場から逃げようとしている。ところが、災難は突如として降りかかった。上空から飛来したのは、翼を生やした豹。豹型天使だ。その鋭い牙で熊型天使の首元を捕らえると、そのまま持ち去ろうとした。これにはレイヤもますます慌てた。
「なにっ!?させるか!!」
 咄嗟に吹かした炎の風は、豹型天使を大いに怯ませた。おかげで熊型天使は難を逃れた。そう安堵したのも束の間、ひとりの調律師が立ち塞がった。
「……あぁ、かなりのハズレだね。ま、わかってはいたからへこまないけどね」
 その少年も調律師のようだ。育ちはよさそうだが、どうにもいけ好かない。レイヤの第一印象だ。
「おい、オマエ!その豹の天使、オマエのなのか!?」
「もちろんさ。ま、僕のコレクションの中では一番安っぽい天使かな」
「安っぽい!?天使が安いわけないだろ!」
「豹型天使がかい?こんなもの、二十八体も持っているよ。なんなら君に一体くれてやろうか?」
 こんな嫌味なヤツでも調律師なのか、とレイヤは思った。ただ、それよりも熊型天使の様子が気に掛かる。ぐったりして微動だにしない。駆動音の異常を聞き取っていたからなおさら心配だ。ほうってはおけない。すぐに調律して治してやろう。
 レイヤは、調律に必要な道具を持ち合わせていた。すべてハッカから借り受けたものだ。熊型天使は幸運だ。この場で美しい駆動音を取り戻せるのだから。ところが、レイヤの出る幕はなかった。サイハに先を越されたのだ。
「よしよ~し、クマちゃん!ワタシが綺麗にしてあげるからね!」
 サイハは熊型天使のかたわら、既に調律の準備を済ませていた。レイヤは、うんと頷いた。やはり調律師はこうでなくては。
 けれど、いまだ豹型天使が牙を鳴らしている。標的であるレイヤに向かって。その所有者である少年の目的はただひとつ。
「レイヤ、だっけか。君のことは噂で聞いてるよ。とてもじゃないが認められないな。君ごときが大天使型を所有するなど」
「おい、どういう意味だよ!?」
「君じゃ大天使型と釣り合わないってことさ。天使の創造者たるゼンノウ。その最高傑作こそ、七体の大天使。そのうちの一体を、あろうことかマヌケ面が持っている…」
「このぉ、人をマヌケ面よばわりしやがって!何様だよオマエ!」
「コネクタ様!いずれすべての天使を手中に収める男だ!そのために、狩らせてもらうぞ!大天使型を!」
 コネクタは豹型天使をレイヤにけしかけた。けれど、レイヤに戦う意志はなかった。そのせいで危うく豹型天使に食らいつかれそうになった。そうならなかったのは、思いがけず飛来した鷹型天使のおかげだ。レイヤを守る盾となって代わりに戦い始めたのだ。
 大天使型を狙っているのは、なにもコネクタだけではない。その魔力は絶えず調律師を呼び寄せる。アラシがここへ来たのは、胸に秘めたる野心のためだ。
「余計な手出しするんじゃねぇ、コネクタ!」
「アラシ。意外だね。まさか君が人助けとは」
「テメェがオレの獲物を横取りしようとしやがるからだ!大天使はオレの獲物だ!テメェには絶対渡さねぇ!」
「身なり、言動、立ち振る舞い。そのすべてが醜いんだよ、君は。大天使にふさわしいのは、相応の気品と才能を持つ、このコネクタだけだ!」
 調律師同士が争うなど、これまでのレイヤの常識からすれば考えられないことだ。この街の調律師は、本来の役目を忘れ、日々戦いに明け暮れている。天使を獲物、あるいは戦いのための道具としか見做みなしていない。どうりで身内が危機感を抱くわけだ。レイヤは、この時になってようやく思い知った。この街の有様を。
「やめろ!!なんで戦うんだ!?」
 もはや誰も答えてくれない。誰も耳を貸してくれない。ひとりごとだ。そう思ったが、サイハだけは違った。熊型天使を調律しながらも口を利いた。
「レイヤ。もう戦うしかないよ」
「でも…!!」
「ほらほら、耳をすましなよ」
 天使が泣いている。豹型も鷹型も泣いてるんだ。互いに傷つけ合い、たちまち駆動音が汚れていく。
「止めなきゃ…!オレが…オレが止めなきゃ!!」
 そして、レイヤは戦う決意をした。あくまで争いを止めるために。その決意に呼応し、どこからか炎の風が吹きすさんだ。燃え立つ突風に乗って降臨したのは、火の女神。その威光を受け、争いがはたと止まった。
「遂に出やがったな…!大天使!!」
 もう小競り合いなどどうでもいい。アラシは、すかさず大天使型に狙いを定めた。鷹型天使を猛然と突撃させたが、やはり単機では勝ち目はない。あっという間に燃え上がり、地に墜ちてしまった。
 一方、コネクタは大天使型の姿に目を奪われていた。
「……これが………美しい…!!」
 争いは終わった。まもなく大天使型は炎と共に掻き消えた。レイヤは二人にこう言った。
「いいかよ!オレがこの街に来たからには、もう天使を傷つけさせない!そう、いつだってオレには天使がついてる!そしてこの街にも、天使の加護があらんことを!」
「その言葉…!確か…」
 コネクタには心当たりがあった。もしやと思ったが、きっと思い違いだろう。すぐに気を取り直した。
「大天使型の力、しかとこの目に焼き付けた!あの薔薇のような可憐さ、まさにマ…いや、このコネクタにふさわしい!必ず、必ずこの手に掴んでやるぞ!」
 コネクタは潔く退いた。圧倒的な力の差を見せつけられては、そうするより他ない。アラシも同様だった。早くも大天使型に三度目の敗北を喫した。今日の所は出直すしかない。アラシは大層不機嫌であったが、レイヤは臆せず声を掛けた。
「おい、アラシ!忘れもんだぜ!」
「あ?」
 振り向くと、鷹型天使の大群が目に飛び込んできた。五十羽はいる。レイヤのまわりを楽しげに飛び交っている。
「この間はゴメン!でも、ちゃんと治しといたからさ!オマエの天使!」
 先日アラシは鷹型天使の大群でもってレイヤに戦いを挑んだが、大天使型を前に一網打尽にされてしまった。その時に焦げてしまった天使たちをレイヤはひとつひとつ時間をかけて治してやったのだ。
「結構苦労したけどさ、みんな喜んでるの分かるだろ?」
 その言葉通り、彼らからは清い駆動音が響いている。調律は万全だ。けれど、アラシは浮かない顔をしている。
「所詮は借りもん。返すんなら、あのに返すこったな」
 そう吐き捨ててアラシは行ってしまった。レイヤは、ほとほと困り入った。
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