【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

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第2章 油小路の雨、卑怯者の背中

1話

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 慶応三年、十一月十八日。 深夜。

 叩き起こされた。 夢を見ていたような気もするが、内容は弾け飛んだ。

 枕元に、巨大な岩のような影が立っている。

 相馬主計そうまかずえは、反射的に枕元の刀を引き寄せた。鯉口こいぐちを切る。 だが、影が太い腕でそれを制した。万力のような力だった。

「静かにしろ。出陣だ」

 腹に響く重低音。 相馬は目を凝らした。見覚えがある。 昼間、屯所内ですれ違った際、ひときわ異彩を放っていた巨漢だ。熊のような男が、監察方の羽織を着て立っている。

 隣で寝ていた野村利三郎が、すでに身支度を整えながら相馬の耳元で囁いた。

島田魁しまだかいさんだ。監察方の。……どうやら、事変らしいぞ」

「……ああ」

 相馬は短く応じ、跳ね起きた。 心臓が、早鐘を打っている。だが、意識は冷え切っていた。

 島田魁。 六尺を超える体躯は、狭い部屋をさらに狭く感じさせる。その島田が、部屋にいる全員を見渡し、低い声で告げた。

「急げ。鎖帷子くさりかたびらを着ろ。鉢金も忘れるな」

 ただの巡回ではない。 殺し合いに行くのだ。

 相馬は支給された鎖帷子を手に取った。ずしりと重い。 冷たい鉄の網が、体に食い込む。 これが、命の重さか。それとも、これから奪う命の重さか。

 前頭部に鉢金を巻く。額の汗が、鉄に吸われていく。 紐をきつく結ぶと、こめかみが脈打つ音が聞こえた。

「島田さん、何があったんです」

 準備を終えた野村が問う。 島田は、無表情のまま答えた。

「伊東甲子太郎をった」

 野村の手が止まる。相馬も、帯を締める手が凍りついた。 部屋の空気が、一瞬にして真空になった気がした。

「本気ですか」

 野村が、信じられないという顔で島田に訊き返した。

「御陵衛士の頂上てっぺんだぞ。ただの喧嘩じゃ済まねえ」

「だからだ」

 島田の声には、一片の揺らぎもなかった。

「これから、死体を引き取りに来る残りの連中を叩く。……お前たちの初陣だ」

 島田の目は、「行けるか」と問うてはいなかった。「行くしかない」と告げていた。 拒否権などない。ここは軍隊だ。

 相馬は吐気を覚えた。胃の腑がせり上がるのを、唾と一緒に飲み下す。

 身内の殺し合いだ。 侍になりたくて、国を憂いて入った組織が、最初に命じたのは、かつての同志殺しだった。 昨日まで酒を酌み交わしていたかもしれない人間を、闇討ちにする。

 だが、ここで引けば、粛清されるのは自分だ。 新選組ここは、そういう場所だ。

「……承知」

 相馬は刀を腰に差した。 鞘走る音が、部屋の静寂を切り裂いた。

 外に出ると、氷雨が降っていた。 十一月の京の雨は、液体というよりは、無数の針に近い。 頬を刺し、体温を奪い、感覚を麻痺させていく。

 不動堂村の屯所から、七条通へ。 四十名近い男たちが、音もなく移動する。 誰も口を利かない。聞こえるのは、雨音と、草履が泥を噛む音だけだ。

「寒いな」

 隣を歩く野村が、白い息を吐いた。

「震えているのか」

「武者震いだと言わせろよ」

 野村は強がったが、その唇は青ざめていた。 相馬は自分の手を握りしめた。感覚がない。指先が凍えているのか、それとも恐怖で血が通っていないのか。

 隊列が止まった。 七条、油小路。 本光寺ほんこうじの門前だ。

「配置につけ」

 指揮官の声が飛ぶ。 相馬は、永倉新八が率いる二番組の一員として、板塀の影に身を潜めた。 雨は強まっていた。

 辻の真ん中に、「物」が転がっている。

 新選組の本隊は、その周囲の闇に溶け込むように潜伏していた。相馬もまた、雨に打たれながらそれを見ていた。

 男の死体だ。

 顔は見えないが、仕立ての良い着物を着ている。 あれが、伊東甲子太郎か。 美男で知られ、弁舌に優れ、一時は新選組の参謀として近藤勇と肩を並べた男。

 今は泥にまみれ、雨に打たれ、物言わぬ肉塊となってさらされている。

「……近藤さんの妾宅しょうたくで酒を呼ばれて、その帰りだそうだ」

 隣に潜む永倉新八が、濡れた手拭いで顔を拭いながら呟いた。 その目は、死体ではなく、虚空を見つめていた。

「酔ったところを、大石たちがやった。槍で一突きだ」

「……それを、ここに?」

「ああ。死体を餌にして、仲間をおびき寄せる」

 相馬は耳を疑った。 酒宴に招いて、安心させた帰りに殺したというのか。 そして、その遺体をおとりにして、仲間を狩る。

 武士の風上にも置けぬ、卑劣な戦術だ。 これが、天下に轟く新選組のやり方なのか。

「汚ねえと、思うか」

 永倉が相馬を見ずに言った。 雨音に消えそうな、だが、錆びた鉄のような重い響きを含んだ声だった。

 相馬は奥歯を噛み締めた。寒さからではない。 やりきれない憤りと、失望が、腹の底で渦巻いていた。

「……思いません」

 嘘だった。

「嘘をつけ。俺だってそう思う」

 永倉は自嘲した。口端がわずかに歪む。

「だまし討ちだ。誇れるこっちゃねえ。……だがな、相馬。これが戦争だ。綺麗事で腹は膨れねえし、自分の命も守れねえ」

 永倉の手が、刀のつかにかかる。 その指先が、微かに震えているのを相馬は見た。

 寒さのせいではないだろう。 これから来る敵の中に、永倉にとって斬りたくない相手がいるのだ。

 藤堂平助。 試衛館時代からの仲間であり、共に死線をくぐり抜けてきた弟分。 それが、敵としてやってくる。その話は聞いていた。

「来るぞ」

 永倉の気配が変わった。 迷いを断ち切るように、全身から鋭い殺気が噴き出す。 獣のそれだ。

 通りの向こう。 闇の奥から、提灯ちょうちんの明かりが見えた。 一つではない。四つ、五つ。 雨の中で、頼りなく揺れている。

 数人の男が、駆けてくる。 息遣いが聞こえる。泥を蹴る音が近づく。

 先頭を行くのは、小柄だが敏捷そうな男だ。 その後ろに数名。皆、殺気立っているが、同時に混乱しているようにも見えた。

 彼らは、路上に転がる「物」を見つけた。 提灯の光が、泥に濡れた伊東甲子太郎の遺体を照らし出す。

「――ッ!」

 悲鳴のような声が上がった。

「先生!」 「参謀!」

 男たちが遺体に駆け寄り、泥の中に膝をつく。 泣いている者もいた。肉親か、あるいは心酔していた門弟か。 彼らは刀を抜くことさえ忘れ、ただ遺体に縋り付いている。

 その背中が、あまりに無防備に見えた。 哀れだった。 そして、それが致命的な隙だった。

「……今だ」

 永倉が呟く。

 次の瞬間、静寂が破られた。

「掛かれェッ!」

 誰かの号令が、冷たい闇を裂いた。 潜んでいた四十名を超える新選組隊士が、一斉に抜刀し、雨の中へ飛び出す。

 怒号。悲鳴。 鉄と鉄が火花を散らす。 雨の音がかき消されるほどの喧騒が、油小路を一瞬にして地獄に変えた。

「うおおおッ!」

 野村が叫びながら飛び出していく。 相馬の足が一瞬、地面に張り付いたように重くなった。

 目の前にあるのは、道場の稽古ではない。 一方的な虐殺だ。

 だが、行かねばならない。 相馬は自分自身を叱咤し、泥濘ぬかるみを蹴った。
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