【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

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第1章 遅れてきた男

3話

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廊下の奥から響く、硬質な足音。 カツ、カツ、カツ。

 それは、ただ歩いているだけの音ではなかった。 この屯所という巨大な生き物の心臓の鼓動のように、一定の拍子で、有無を言わさぬ圧力を放ちながら近づいてくる。

 相馬は息をすることさえ忘れ、その音の主を凝視した。

 夕闇が濃くなり始めた廊下。 現れたのは、一人の男だった。

 洋装。 黒羅紗くろらしゃに身を包み、足元には泥一つついていない革の長靴。 腰には大小を差しているが、その佇まいは、この国の侍というよりは、異国の軍人のそれに近かった。

 まげを結ってはいる。だが、その容貌はあまりにも現代的で、そして冷徹な美しさに満ちていた。

 土方歳三。 新選組副長。 「鬼」と恐れられ、隊の規律を血で染め上げた男。

 相馬は直立不動のまま、頭を下げることしかできなかった。 先ほどの斎藤一が「鋭利な剃刀」だとすれば、この男は「氷の城壁」だ。近づく者すべてを拒絶し、同時に圧倒する、絶対的な質量の差を感じる。

 土方は、廊下の端に寄った相馬と野村を一瞥もしない。 ただ、進行方向にある障害物として認識し、通り過ぎようとする。

 その時だった。

「よぉ、トシさん」

 間の抜けた、だが妙に親しげな声が静寂を破った。 相馬はギョッとして顔を上げる。 声の主は、案内役の永倉新八だった。

 永倉は、鬼の副長を前にしても直立などしていなかった。柱にだらしなく肩を預け、手拭いで首筋を拭いながら、ニヤニヤと笑っている。

「精が出るねえ。こんな時間まで見回りかい?」

 周囲の隊士たちが凍りつく中、土方の足がピタリと止まった。 凍てつくような視線が、永倉に向けられる。

「……永倉か」

 土方の口から漏れた声は低かったが、そこには斎藤のときのような殺気はなかった。あるのは、古くからの戦友だけが共有する、呆れと諦めが入り混じった空気だ。

「道場が静かすぎて気味悪がってたところだ。斎藤の野郎、戻ってきた途端に大暴れしやがって」

しつけだ」

 土方は短く答えた。

「一番組が腑抜ければ、隊全体が腐る。斎藤には、緩んだネジを巻き直させているだけだ」

「ネジごとへし折らなきゃいいがな。……で?」

 永倉があごで相馬をしゃくった。

「こいつが新入りだ。相馬主計。笠間の脱藩者だとよ」

 土方の視線が、ゆっくりと相馬に移る。 美しい顔立ち。だが、その瞳には一切の感情が映っていなかった。人間を見ている目ではない。武器庫にある刀剣の、「切れ味」と「耐久性」だけを確認する目だ。

 相馬は喉の渇きを覚えながら、必死で声を絞り出した。

「そ、相馬主計です! 本日付けで……」

「使い潰すなよ、新八」

 土方が、相馬の挨拶を無慈悲に遮った。 視線はすでに相馬から外れ、虚空に向けられている。

「斎藤が戻った。伊東の一派とも、じきにケリがつく。……忙しくなるぞ」

「へいへい。人使いの荒いこった」

 永倉が肩をすくめる。 土方は鼻を鳴らし、再び歩き出した。

「駒は一つでも多いほうがいい。……死なせるな」

 それだけ言い捨てて、土方は去っていった。 フロックコートの裾を翻し、一度も振り返ることなく。 カツ、カツ、という足音が、夜の闇に吸い込まれていく。

 その背中は、あまりにも巨大だった。 数百人の命を預かり、組織の汚れ役を一手に引き受け、憎まれ、恐れられる。その重圧を、あの細い体一つで支えているのだ。

 足音が完全に聞こえなくなるまで、誰も動けなかった。

「……ふぅ」

 永倉が大きく息を吐き、緊張を解いた。

「相変わらず、愛想のねえ野郎だ」

「あの……永倉さん」

 相馬は、震える声で尋ねた。

「土方副長とは、あんなふうに話せるんですか?」

「ん? ああ」

 永倉は苦笑いして、頭をかいた。

「俺とトシ……土方さんは、江戸の試衛館時代からの付き合いだからな。近藤局長も含めて、古馴染みってやつだ。ま、今じゃ偉くなっちまって、おいそれと口も利けねえ空気が漂ってるが」

 永倉の目元に、一瞬だけ寂しげな色が走った。 かつては同じ釜の飯を食い、夢を語り合った仲間。だが、組織が大きくなるにつれ、立場が変わり、守るべきものが変わり、二人の間には見えない溝が生まれているのかもしれない。

「聞いたか、相馬」

 永倉が表情を切り替え、真顔になった。

「『駒』だとよ」

「……はい」

 屈辱的な言葉だった。命ある人間を、将棋の駒のように扱う。

「腹が立つか?」

「……正直、少し」

「それでいい」

 永倉はニカリと笑い、相馬の背中をバシッと叩いた。

「だがな、トシさんの言うことは半分正しい。ここでは、俺もお前も、時代という盤の上に乗せられた駒に過ぎねえ。歩兵には歩兵の、金将きんには金将の働きがある」

 永倉は、去っていった土方の背中の方角を見つめた。

「だが、どう動くか、どこで死ぬかは、お前次第だ。ただ使い捨てられるか、王将を守って華々しく散るか。……選ぶのは、お前だ」

「選ぶ……」

 相馬は、自分の掌を見つめた。 まだ、誰も斬ったことのない綺麗な手。 だが、明日には血に染まっているかもしれない。

「へばるなよ。夜には歓迎の酒が出る。……生きてりゃの話だがな」

 永倉が手を振り、暗がりへと消えていく。

 相馬と野村、二人がその場に残された。 完全に日が落ちた。 屯所のあちこちで灯りがともり始めるが、その光は心細いほど弱々しい。

 風が吹いた。 冬の訪れを告げる、氷のような風。 枯葉が舞い、乾いた音を立てて転がっていく。

「野村」

「ん?」

「俺は、ただの駒で終わるつもりはない」

 相馬の言葉に、野村が顔を向けた。 暗がりの中で、野村の目が微かに光って見えた。

「奇遇だな。俺もだ」

 野村が口端を歪めて笑う。初めて見せた、年相応の少年のような、悪戯っぽい笑みだった。

「どうせ遅れてきたんだ。最後の最後まで、見届けてやろうぜ」

 野村は、漆黒に染まった京の夜空を指差した。

「この新選組はなびが、どう燃え尽きて、どう散るのかを」

 相馬は頷いた。 胸の奥に、熱い塊が生まれていた。 恐怖はある。後悔するかもしれない。 だが、ここが自分の選んだ場所だ。

 二人は並んで歩き出す。 その足音はまだ小さく、歴史の表舞台には届かない。

 だが、運命の歯車はすでに回り始めていた。 数日後に迫った「油小路の変」。 伊東甲子太郎の暗殺と、御陵衛士との全面戦争。

 新選組最後の、そして最も凄惨な身内の殺し合いが、相馬主計の最初の任務となることを、彼はまだ知らない。
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