【完結】碧血の墓標 ――新選組最後の局長、明治の闇を斬る

高杉 優丸

文字の大きさ
38 / 41
第13章 碧血の夜明け

1話

しおりを挟む
 広間を支配していたのは、鉛のような沈黙だった。

 相馬主計そうまかずえが突きつけた密書。
 そして、永倉新八ながくらしんぱち島田魁しまだかいによって塞がれた退路。
 上野精養軒うえのせいようけんの二階は、華やかな宴の場から、逃げ場のない断罪の法廷へと変わっていた。

「……やはり、生きていたか」

 永井尚志ながいなおゆきは、静かにそう言った。
 その声には、驚きよりも、懐かしさに似た深い疲労がにじんでいた。
 かつて箱館の弁天台場で、相馬が命がけで守り抜いた主君。その老人は、相馬の顔をしっかりと見据えていた。

「相馬。……九年ぶりだな」

「……いかにも」

 相馬は和泉守兼定いずみのかみかねさだの切っ先を下げなかった。
 油断はできない。この老人は、かつて箱館奉行として数千の兵を動かし、幕府の最期を看取った怪物だ。

「永井様……! こいつは!」

 大鳥圭介おおとりけいすけが立ち上がろうとする。
 大鳥もまた、相馬の顔を覚えていた。土方の後継者として、最後まで抵抗した男の顔を。

「お座りなさい、大鳥君。……銃を下ろさせろ」

 永井は手で制し、再び椅子に腰を下ろした。
 そして、目の前に立つ相馬に問いかけた。

「私を殺すか。……あの台場で、最後まで私を守ってくれたお前が」

 永井の言葉が、相馬の胸を刺す。
 そうだ。相馬はあの日、土方の命令に従い、この男を守るために泥をすすったのだ。その男が、実は土方を売った張本人だった。
 これ以上の裏切りがあるか。

「殺すだけでは足りない」

 相馬は、島田から受け取った裏帳簿を円卓えんたくに叩きつけた。
 バシッ、という乾いた音が響く。

「あんたが横領した軍資金の記録だ。……友を売り、国を売り、私腹を肥やしてのうのうと生き延びた。その罪、万死に値する」

「私腹、か……」

 永井は、帳簿に視線を落とし、自嘲気味に笑った。
 そして、ゆっくりと顔を上げた。
 その瞳の奥に、底知れぬ暗い光が宿っていた。

「相馬。……あの地獄を見たお前が、まだそんな青いことを言うのか」

 空気が変わった。
 永井から放たれる圧力が、相馬の肌を刺す。

「私がこの金を何に使ったか、調べたのか?」

「……何?」

「静岡を見ろ。路頭に迷った旧幕臣たちが、誰の支援で食いつないでいると思う? 職を失い、刀を奪われた彼らが、商売を始める元手がどこから出ていると思う?」

 永井は帳簿を指で弾いた。

「この金だ。私が泥を被り、汚名を着て隠匿したこの金が、敗者たちの『明日』を買い支えているのだ」

 永井の声が熱を帯びる。

土方歳三ひじかたとしぞうを殺したのもそうだ。……あの日、彼が生きていれば、箱館戦争は終わらなかった。全滅するまで戦い続けただろう。そうなれば、新政府軍は報復として、降伏した兵士三千人を根絶やしにしたはずだ」

 永井は立ち上がった。
 その姿は、老いを感じさせないほど巨大に見えた。

「私は、三千人の命と徳川の血脈を守るために、たった一人の英雄えいゆうを殺した。……それが政治だ。それが、上に立つ者のごうだ」

 永井は相馬に歩み寄る。
 切っ先が喉元にあっても、止まらない。

「相馬。お前たちが今こうして生きていられるのも、私が汚れ役を引き受け、新政府と取引をしたからだ。私の罪の上に、お前たちの命がある。……その矛盾を抱えたまま、私を裁けるか?」

 圧倒的な「生存の論理」。
 現実(リアリズム)の極致。
 かつての上官としての威圧感が、相馬を押しつぶそうとする。

 だが、相馬は動かなかった。
 一歩も引かなかった。
 腹の底で、熱い塊がうずいた。土方歳三が最期に残した「誠」の欠片だった。

「……あんたは賢い」

 相馬は静かに口を開いた。

「合理的だ。数千を生かすために一人を殺し、金を盗んだ。立派な政治家だ」

 相馬は兼定を握り直した。

「だがな、永井さん。……あんたは、俺たちから一番大事なものを奪った」

「何だと?」

「胸を張って生きる力だ」

 相馬の声が、広間に響き渡る。

「あんたは俺たちを『生かした』と言うが、それは違う。あんたは俺たちを、餌を待つだけの『飼い犬』にしたんだ。……泥水をすするのは構わない。だが、泥を啜る時こそ、心にはにしきを持たなきゃならねえんだ。土方副長は、それを俺たちに教えようとしていた」

 相馬の脳裏に、一本木関門へ向かう土方の背中が浮かんだ。
 あの背中は、死にに行ったのではない。
 「たとえ負けても、魂までは屈しない」という生き様を、後世に残すために走ったのだ。

「あんたが作った『飼い慣らされた平和』の中で、誇りを捨てて生きるくらいなら……俺たちは、飢えて死ぬ自由を選ぶべきだった」

 相馬の言葉が、永井の論理を正面から叩き割る。

「あんたの施しは、旧幕臣たちから『立ち上がる力』を奪っている。……それは救済じゃない。魂の殺害だ」

 永井の顔色が、初めて変わった。
 蒼白になり、唇が震える。
 彼が信じてきた「正義」が、根底から否定されたのだ。

「私は……間違っていたと、言うのか……」

 永井がよろめき、テーブルに手をついた。
 怪物が、老人に戻った瞬間だった。

「……そうか。土方君は、そこまで見通して……」

 永井は、ふところから懐剣かいけんを取り出した。

「ならば、死んで詫びよう」

 永井は迷いなく、切っ先を自分の喉元へ向けた。
 責任を取る。それもまた、彼なりの武士としてのけじめだった。

「やめろッ!」

 大鳥が叫ぶ。
 だが、それより速く、相馬の兼定が閃いた。

 ガチンッ!

 峰打みねうち。永井の手から懐剣が弾き飛ばされた。

「……なぜ止める」

「死ぬことは許さん」

 相馬は兼定をさやに納めた。

「『永井尚志』という政治家は、今ここで死んだ」

 相馬は宣告した。

「明日からは、ただの『罪人』として生きろ。……その薄汚い金と権力の全てを使って、困窮する旧幕臣たちを救い続けろ。ただし、あんたの名は出すな。恩も売るな。ただひたすらに、影として支えろ」

「……」

「それが、あんたに与える『新しい命』だ。……死ぬまで、新選組おれたちの番犬として、徳川の罪を背負い続けろ」

 永井は、しばらく呆然としていたが、やがて震える膝を折り、その場に崩れ落ちた。

「……承知した。この命、使い潰すがいい」

 永井が、相馬に向かって深々と頭を下げた。
 かつての上官が、かつての部下に示した、最初で最後の服従だった。

「……待て」

 静寂を破ったのは、大鳥圭介だった。
 彼は立ち上がり、相馬を睨み据えた。

「永井様は認めたかもしれん。……だが、実行犯は私だ」

 大鳥は、軍人としての矜持をかなぐり捨てたような、必死な形相をしていた。
 彼もまた、相馬とは共に箱館を戦った指揮官の一人だ。

「なぜ私を斬らん。私は、土方君を邪魔者として排除した。……当時の戦況では、それが最も合理的な判断だったからだ!」

 大鳥は叫んだ。自分の正しさを証明するように。

「合理、だと」

 相馬は、哀れむような目で大鳥を見た。

「あんたは正しい。数字の上ではな。……だが、大鳥さん。あんたは一番大事な計算を間違えた」

「間違えた、だと?」

「副長が生きていれば、この負け戦でも『いしずえ』になれた。あんたはそれを、ただの『惨めな敗戦』に変えたんだ」

「……ッ!」

「斬りはしない。……あんたは優秀だ。この新しい国には、あんたの頭脳が必要だ」

 相馬は冷たく告げた。

「生きろ。そして、あんたの得意な『実利』とやらで、この国を豊かにしてみせろ。……だが、忘れるな」

 相馬が、大鳥の眼前に顔を寄せた。

「もし少しでも道を誤れば……私利私欲に走り、民を蔑ろにすれば、土方歳三の亡霊が笑うぞ。『それ見たことか』とな」

「……亡霊、か」

 大鳥はガクリと項垂れた。
 彼は一生、自分が殺した男の影に怯え、そしてその男を超える国を作るために、死ぬまで働き続けることになる。
 それは、合理主義者にとって最も重い、終わりのない呪いだった。

 永井も、大鳥も、敗北を受け入れた。
 会場の誰もが、相馬たちに畏敬の念を抱き、沈黙している。

 だが、一人だけ。
 この結末を許せない男がいた。

「ふ、ふざけるな……」

 鈴木三樹三郎だ。
 顔を真っ赤にし、泡を飛ばして叫んだ。

「俺はどうなる! 俺の地位は! 金は! 永井様、大鳥様、何とか言ってくださいよ!」

 鈴木が二人にすがりつく。
 だが、二人は目も合わせない。
 冷たく切り捨てられたのだ。

「……おのれ、おのれぇぇッ!」

 鈴木が狂乱する。
 懐から、隠し持っていた回転式短筒かいてんしきたんづつを引き抜いた。

「どいつもこいつも! 全員死ねばいいんだ!」

 銃口が、相馬に向けられる。
 距離は三間。
 相馬は抜刀しようとしたが、鈴木の指の方が速い。

「死ねェッ!」

 鈴木の引鉄ひきがねにかかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

処理中です...