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第二章 帝国編

第73話 工業区域③

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 事務所を出た三人は、まずその建物内の設備を案内された。
 最初に見たのは製品仮置室。最終検査に合格した製品がここに貯められ、一定量になったら機械で外の大倉庫へと運搬される。
 製品は箱に詰められていて、三人には中に何が入っているのか分からなかった。

「副工場長さん、ここに保管されているのはどのような製品ですの?」

「建築資材ですよ」

 自ら案内を買って出たわりに、副工場長の返答は淡白だった。リーズがムスッとするが、副工場長はそれを見ていない。
 キーラが奥へ進もうとしたところで、案内人が声を張りあげた。

「さ、次へ行きましょう。ここは箱が並んでいるだけなので、見ても面白くないでしょう」

 キーラは自分の意思をないがしろにされた気がして眉をひそめた。副工場長がすでに次の場所へと足を向けているので、ついていくしかない。

 次に三人と案内人が訪れた場所は、真っ白な壁で囲まれた部屋だった。
 等間隔に机が並べられ、机ごとに異なる製品が積み上げられている。
 全身真っ白な衣の作業員が製品を左から右へと流している。

「ここは最終検査室です。製品に傷がないか、異物が混入していないかを確認する場所です。包装作業もこの部屋でおこないます」

「へぇ、なるほど。白い服は製品の汚れとか見落とさないためなんですね?」

 そう言って部屋の中へ踏み込もうとしたキーラの肩を、強い力が容赦のない勢いでひっぱった。

「入っては駄目ですよ! ここは衛生管理を徹底しているので、特別な白衣を着て全身洗浄した作業員しか入れない決まりです。あなた方はリーズ家のご令嬢とそのご友人だから特別に入り口の扉を開けてお見せしているのですよ」

 キーラの副工場長を見上げる目は、「それにしたってそんなに強く引かなくてもいいのに」と言っていた。
 対する副工場長のキーラを見下ろす目には、いっさいの萎縮いしゅくも見られなかった。なんならナイフのように鋭い髪で突き刺してでも止めるくらいに強気な態度を示していた。

「すみません……」

 キーラの謝罪は完全に不貞腐ふてくされた子供の口調だった。
 しかし、やはり副工場長は彼女の態度を意に返さない。

「では、次に行きましょう」

 次に案内された場所は製品管理室だった。
 検査を終えた製品に滅菌処理などをほどこす部屋だ。分厚い扉が開かれると、三人は入り口で部屋の中を見渡した。
 壁がクリーム色の特殊な石で覆われている。黒い金属製の棚が並んでおり、すべての棚に壁と同じ石が敷かれている。
 ひと目見ただけでは用途が分からない細かい部品等が、棚に等間隔で敷き詰められている。製品は金属からプラスチック、ガラスまであり、形状は棒状、筒状などさまざまだ。

「おや、入らないのですか?」

「え、ここは入ってもいいんですか?」

 シャイルの疑問も当然だ。これまでさんざんけむたそうに扱われてきたのだから、余計なことはしないでおこうと考えるようになる。

「ええ、ここは構いませんよ。お気づきかとは思いますが、製造ラインを後ろから見ていっているのです。最終工程付近はいくら客でも近づけられません」

「こういうのは普通、製造工程順に回るものではありませんの?」

「いかんせん、事務所があそこにありましたからね。近くから見ていったほうが効率がいいのです。ラインを前から見ていくと、歩く距離が倍になってしまうので」

 どこかに落ちない部分もあるが、いちおう気を遣ってくれているのだと納得できる返答だ。
 三人は金魚鉢に移された金魚のように、ようやく手に入れた動きまわる権利を行使した。
 製品が見事なまでに等間隔で並べてある。製品管理室ということはここも製造ラインの終着点に近いところのはずだが、それでこの劣化が目立つ独特の石壁とは変わっているものだな、と製品以上に興味をそそる。
 これまで犬のしつけのようにさんざん我慢させられてきた分、三人は普段ならそれほど興味をかれないものでもじっくりと見物してまわった。


 ――ガッコン!


 鈍い金属音が聞こえて、三人がいっせいに入り口の方へと振り返った。
 扉が閉まっている。
 何事かとたずねようと副工場長を探すが、その副工場長の姿はどこにも見あたらない。
 最初に青ざめたのはキーラだった。入り口のドアに駆け寄りレバーをにぎるが、上にも下にもビクともしない。

「ねえ、ちょっと!」

 姿のない副工場長から返事が返ってきた。古いスピーカーらしきものから、割れて聞き取りづらい声が聞こえてくる。

『おやおや、ヌアさんは感が鋭いですな。いや、リーズお嬢様が鈍いだけでしょうか。私は五護臣ではありませんが、五護臣の側近でしてね。それも強い権力志向のね。いずれ帝国がマジックイーターに乗っ取られるなら、彼らに協力してよりよいポストに身を置こうとするのは当然でしょう』

「どういうことですの? 何をおっしゃっているの?」

 三人はスピーカーの前に並んだ。
 不安の方向に眉を傾けたリーズの隣で、キーラが歯噛はがみしている。シャイルは組み合わせた両手を胸に抱き、嫌な予感が的中しないことを祈っていた。

『はっはっは。お三方には事故死していただくのですよ!』

 荒げた声に続いてブザー音が鳴った。副工場長が何かのボタンを押したらしい。
 何のボタンを押したのかは機械音声が教えてくれた。副工場長は三人の恐怖心を煽るために、わざとスピーカーを切らずにシステムの案内を聞かせているのだろう。あるいは、三人の悲鳴を聞いて愉悦にひたるつもりなのか。

『製品管理室、点検モードを開始します。これより、滅菌フェーズに移行します』

 天井パネルの一部が引っ込み、網のかかった窓がせり下りてきた。
 中は暗くて見えないが、ブォオオオンという音がする。機械の作動音と風の流入音が和音となって、三人の危機感を煽る。
 実際、三人は危機に直面していた。

「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッ。これっ……これって……毒ガス……」

 シャイルがよろめいてキーラに寄りかかる。
 キーラはそれを受けとめ、そでうずめた手でシャイルの口をふさいだ。キーラ本人はほおをパンパンに膨らませ、ちゃっかりと口の中に酸素を確保している。

 キーラはリーズの方を見てうなった。口を開かずに何かを言おうとしているが、何かを言おうとしていることしか伝わらない。
 しかし、リーズにはキーラの意図が分かった。言われるまでもなく、そうしようと考えていた。

 リーズが天井の網窓に手を掲げた。そこから流入してくる風を操作し、そのまま排気口へと流し込む。元々風があれば精霊のウィンドを呼ばずとも魔法は使える。
 シャイルが苦しそうなのでキーラはシャイルの口栓を開放した。

『ほほう。リーズお嬢様は風の操作型魔導師でしたか。ご幸運でいらっしゃる。ですが、風の出番はもうありませんよ』

 装置の音がやんだ。天井の網窓が引っ込み、元の天井タイルがそこに収まった。

『滅菌フェーズ終了。これより、冷凍フェーズに移行します』

 今度は高い位置の壁が引っ込んで細長い穴を作った。そして金属の格子窓がせり出した。
 白い煙が噴射される。その煙は重たいらしく、部屋の中央まで押し出されたらほぼ垂直に降下する。床に接触した瞬間、薄いガラスが割れるみたいにブワッと水平方向へ広がった。

「つべたっ!」

 足元から襲いくる冷気が、スカートの三人を容赦なく襲った。
 水攻めのように冷気はどんどん溜まり、全身を覆いつくして凍死してしまうだろう。

 再びリーズが手を掲げるが、煙はリーズの操作を受けつけなかった。

「駄目ですわ。あれは氷の微粒子で、風ではありませんわ」

「空気の流れはあるでしょ。風を強くすれば飛ばせるんじゃないの?」

 キーラがジトッとした視線を送る。
 リーズはその自分勝手な視線にムスッとした。

「風を強くするには加速させるためのスペースが必要ですわ。この狭くて物が多い部屋の中では難しいんですのよ」

「私に任せて!」

 シャイルがスカートのポケットから軍手を取り出した。軍手には火打石が付いている。彼女が火を起こすときに使っているものだ。
 キーラはハッとして自分もポケットに手を突っ込んだ。

「シャイル、これ、エストから預かってた」

 それは短いペンのようなものだった。細長い円柱状の端にボタンがついていて、その円柱の両端から細い紐のようなものが飛び出してアーチ状につながっている。紐の素材はよく分からない。

「これは?」

「発火装置だって。数回使うと劣化して使えなくなるから、不細工な軍手は捨てずに取っておけってさ」

 シャイルは試しにボタンを押してみた。すると、アーチ状の紐からポッと火が出た。

「あ、それ長押しするなって言ってた。それから、精霊を呼び出したら装置の火はすぐに消せって。それが装置を長持ちさせるコツなんだって」

 シャイルは慌ててボタンから指を離して火を吹き消した。
 火を消してから精霊を呼ぶのを忘れていたことに気づく。

「これを……私のために……」

 シャイルはそれを両手で握り締め、胸に押し当てた。エストがシャイルに訓練をつけているときにひと悶着もんちゃくあって、キーラはそれがどんなことで揉めたのか気になっていたが、二人の関係の悪化についてこれ以上不安に思うことは杞憂きゆうのようだ。

「シャイル、感傷に浸っているところ悪いけど」

「うん。分かってる。おいで、リム!」

 シャイルは頭上に力強く発火装置を掲げてボタンを押した。アーチに灯った火は冷風に吹き消されたが、リムの顕現けんげんはなされた。
 シャイルの心の状態が影響しているのか、炎の仔犬リムはいさましくうなっている。

「リム、あれを燃やして!」

 シャイルが指を差したのは、壁際の棚の下段にあるダンボールだった。キーラがとっさにシャイルの腕を掴んだ。

「待って! 中に何が入っているか確認してからのほうがいいわ。燃やして爆発したりしたら大変だもの」

「……それもそうね」

 シャイルがリムを消してからダンボールのふたを開けると、中には茶色の包装紙で包まれた直方体の物体が敷き詰められていた。その一つを取り出してみると、直方体は重力に耐えかねてグニッと折れ曲がった。シャイルはそれを床に置いて、包みをがした。

「シャイルさん、中身は何でしたの?」

「分からないわ。でも、これ……」

 包みの中身は白い粉末だった。粉は小さくて軽く、包みを開いただけでブワッと辺りに飛散した。

「それって燃やせるの?」

 キーラが手うちわで白いモヤを払いながら訊く。
 シャイルは包みを閉じてダンボール箱に戻しながら、ポニーテールを横に振った。

「駄目。エスト君から聞いたけど、粉が空気中に舞っている状態で火を使うと爆発しちゃうわ」

「え? じゃあ、もう火自体が使えないってこと?」

「宙を漂う粉が床に落ちてしまうまで待てば使えると思う」

「でしたら、それを待つ間に燃やせるものがないか探さなければなりませんわね」

 リーズの魔法で粉塵を排気口に押しやる案も出たが、部屋中に風を吹かせると三人の身体が冷気に耐えられないと判断した。
 三人は燃料探しを始めた。
 しかし、燃やせそうなものはなかなか見つからなかった。
 時間が経つにつれてどんどん室温が低下していき、ついには鼻水が凍るまでに冷えた。
 キーラは最初のダンボールを破り、床に敷いて座った。膝を抱えて打ち震えている。リーズはクロスさせた両手で両腕をさすり、体を上下に揺らしている。
 製品を漁るスピードは半分に落ちた。
 シャイルは震える指で箱を開け、かじかむ指で包みを開けていく。

 うずくまるキーラの周りにシャイルとリーズが戻ってきたとき、結果は言葉にせずとも表情から読み取れた。


 ――燃やせるものがない。


 もはや手も足も感覚がない。
 火種は出せるのに燃料がないという絶望が、天窓から降りてくる冷気と結託して彼女たちを襲う。

「ねぇ……」

 しかし絶望している場合ではなかった。シャイルの中に青い焦燥しょうそうが吹き荒れる。
 シャイルの表情が悲観を超えた何かに変化したのを見て、リーズは自己発熱運動をやめた。

「どうしましたの?」

「キーラ、寝てないよね? まさか、寝てないよね!? ねぇ! こんな寒さで寝たら死ぬよ!」

 シャイルがキーラの体を揺する。
 キーラは膝に顔を埋めたまま返事をしない。

 そのとき、スピーカーから割れた声が聞こえてきた。

『はっはっは。ついに脱落者が出ましたかぁ? 呼びかけても無駄ですよ。寒さで寝たら死ぬのではなく、寒さで機能障害を起こして意識を失うのですからねぇ!』

 シャイルが唇を噛み締める。この寒さではそれだけで唇が切れそうだ。
 だがそのとき、シャイルの腕をキーラの手が掴んだ。

「大丈夫。起きてる。でも、眠い……」

『チッ、意識を失ってはいませんでしたか。しかし、人は寝ると体温が低下するので、いずれにしろ寒い中で寝るのは致命的ですよ』

「うるさい! お黙りなさい!」

 リーズが扉の方をにらみつける。
 スピーカーは短い笑いを残して静かになった。

「少し寝かせて……。眠いのよ。昨日、なかなかエストに寝かせてもらえなかったから」

「えっ!? な、なんですって? それはどういうことですの!?」

 リーズがキーラの両肩を持って揺する。激しく揺する。キーラが肩を上下させてそれを払おうとするが、リーズもなかなか引き下がらない。

「いけませんわ! 風紀が乱れていますわ! ああ、なんてことですの? よもやそんなことが魔導学院の生徒にあるなんて! 事故で接吻せっぷんしてしまうならまだしも、夜の……営み……だなんて……、ああ、ああ……」

 狂乱したかのようにリーズがキーラを揺する。
 キーラもたまりかねて反撃に移る。

「うるさい! なんなのよ、もう……あがっ!」

 勢いよく頭を上げたせいで、後ろの棚に頭をぶつけた。

「大丈夫!?」

 シャイルが心配して声をかけるが、キーラは頭を抱えてうずくまった。
 しかし、次に彼女が顔を上げたとき、そこにはキラキラと輝く瞳があった。

ひらめいた! あるじゃない、燃やすもの!」

「な、なんですの!? まさか、わたくしを燃やすなんておっしゃらないでしょうね!」

「あ、それもいい!」

 キーラの瞳はさらに輝いた。

「なっ! 冗談でも笑えませんわ!」

 リーズの目は吊りあがっていた。いまにもスピーカーから笑い声が聞こえてきそうで、そんな妄想をしてさらに腹が煮えくりかえる。

「冗談でなく、燃やすのよ、服を! それと、あたしが思いついたのはこのダンボール。中身が燃やせないなら外だけ燃やせばいいのよ。中身を取り出してダンボールだけを集めるの!」

 シャイルとリーズが顔を見合わせた。
 結局、燃料探しをいちばんなまけていたキーラが打開策を見つけてしまった。

 三人は急いでダンボールをかき集めた。中の製品は部屋の隅っこに放り投げ、部屋の中央にダンボールを重ねる。
 ダンボールの量は多くはない。三人の上着もそこに被せる。

「キーラ、なんだか楽しそうね」

 寒さに打ち震えるのはキーラも同じだが、彼女の瞳はひときわ輝いていた。打開策が見つかった嬉しさだけではない何かがあるように見えた。

「まあね。なんていうか、知恵さえあればどんな状況でも乗り越えられるものだって思えるようになってきて、いままさにそれを実感したからね」

「キーラ、変わったね」

 シャイルはニッコリ微笑んだ。どこかさびしそうでもあった。

「誰かさんの影響かもね。ま、ゲス野郎から学んだことなんて、胸を張れるか分かんないけど」

 三人は先ほど部屋に舞った粉塵がすでに床に堆積たいせきしているのを確認した。
 キーラとリーズに見守られながら、シャイルはリムを再召喚してダンボールと自分たちのブレザーに火を点けた。
 モクモクと立ち昇る煙を、リーズが風の操作で排気口へ導く。

 ひとまず危機を乗り切った。
 ただ、ダンボールとブレザーはいずれ焼け尽くして火は消える。この冷凍フェーズがいつまで続くのかが最大の不安要素だ。
 だが、それは杞憂となった。ただし、状況は悪化する。

『しぶといガキどもめ。いいかげん、くたばれや』

 スピーカーの割れた声は、明らかな苛立いらだちを含んでいた。
 このまま冷凍フェーズを続ければ、火は燃料を失って鎮火ちんかし、リーズたちは凍死してしまうかもしれない。しかし、副工場長にそれを待つ気はなかったようだ。
 工業区域の人間全員がマジックイーターの手先というわけではないし、彼はこの区域のトップでもない。早く決着をつけたいのだ。

『冷凍フェーズをスキップします。これより、焼却フェーズに移行します』

 その不穏ふおんなアナウンスに、三人は動揺した。

「嘘でしょ!? ヤバくない? なんでそんなフェーズがあるのよ!」

「焼却って、ここは製品管理室ではありませんの!?」

『こういう部屋があれば在庫処分が楽なのですよ。リッヒ家の出来損ないであらせられるリーズお嬢様にはうってつけではありませんか。リッヒ家の方々は頑張りすぎなのですよ。堅苦しくて暑苦しい御令嬢など、三人もいらないでしょう? というか、多すぎ! わたくしめが殺処分して差し上げますよ』

 さっきまで白い煙を吐き出していた窓はいつの間にか引っ込んでいた。代わりに電熱線のたばが左右の壁からせり出してきて、じんわりと赤い主張を始めたのだった。
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