そしてB型の世界は始まる

ぞっぴー

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そしてB型は惹かれ会う

43.鬼怒川鉄将という男(2)

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「信じられないんだけど……本当に何もないわね。傷どころか、たんこぶすら……本当に頭にボールが当たったの?」

 保健室に漂う柔らかな陽の匂いの中で若い女教諭が半ば呆れたように呟いた。
 彼女はおでこに手を添えて、美月の肌をそっと撫でる。
 柔らかくも慎重な指先は何度確かめても異常を見つけられないようだった。

 鉄将は少し距離を置いて、そのやり取りを黙って見守っていた。
 美月の額は本当に何事もなかったように滑らかで綺麗だった。

「私のおでこは……特別製なの!」

 美月はどこか誇らしげに、胸を張って言った。

「……えぇ……化け物かよ」

 ぼそりと鉄将が呟く。それは決して侮辱ではなく、どこか尊敬すら滲む呆れ混じりの声だった。

「何かあったら、ちゃんと病院に行きなさいね」

 教諭はそう念押すと、キャラクターものの絆創膏ーー小さな熊のイラストがプリントされたものを美月の額に丁寧に貼りつけた。

「これで、よしっと」
「……何が?」

 鉄将のツッコミもそこそこに、教諭は書類棚の整理へと戻っていった。
 保健室にはひとときの静寂が訪れる。
 残された二人の間に曖昧な空気が流れた。

 美月は胸の奥に残る熱をもてあますように、何かを言いかけては言葉に詰まる。

「あ、あの……えーと……」
「鬼怒川鉄将だ」

 その言葉は彼女の困惑を断ち切るように真っ直ぐに放たれた。
 ぶっきらぼうで、でもどこか照れ隠しが混ざった声。

「鬼怒川君……さっきはありがとう」
「……良いってことよ」

 鉄将はいつものように不器用に言葉を返した。
 けれどその胸の内では、自らの行動を何度も何度も反芻していた。腕に感じた柔らかさ、あの時の美月の顔。
 脳内ではフラッシュバックが止まらない。逃げ出したい気持ちを押し殺しながらも彼はまっすぐに彼女と向き合っていた。

 その時だった。

「あまったる~い!」

 扉の向こうから場違いな声が飛び込んできた。
 音の主は桜。扉のわずかな隙間から顔だけをねじ込むようにして、保健室の中を覗いている。

 その上では強がローズの縦ロールに視界を塞がれて悪戦苦闘していた。

「邪魔だよ、千切れよ」
「わたくしの誇りですわよ!?」

 応酬はお決まりの調子で、扉の隙間に収まっていた一同はムックが開けたことで一気に保健室へとなだれ込んできた。

 倒れ込んだままの格好で強は鉄将を見上げる。

「お前はやっぱり優しいな……顔に見合わず」
「最後の一言が余計だ」
「けど鉄将、お前っていつも一人なのか?」

 誰もが言い淀むようなことをあっさり口にできるのが強だ。
 鉄将は言葉を返さず、視線を保健室のカーテンへと向けた。

「きっとクラスで浮いてるんですわ。顔が怖いから」
「オブラートに包め、オブラートに!」
「鉄将君の優しさを知る前にそもそも人が寄ってこないんだろうね。顔が怖いから」
「だからその顔が怖い連呼やめろ」
「お前もツッコミ属性なんだな! いや~助かる」
「何なんだお前ら!!」

 鉄将が叫ぶと一同はキャーキャー言いながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「きゃー、こわーい!」
「うちの桜が怖がってるだろ!」
「もう……勘弁してくれ……」

 鉄将の肩がほんの少しだけ落ちた。巨大に見えていたその厚い背中がわずかに小さく見えた気がする。

「じゃあ、まずは鉄将のクラスからだな!」
「あぁ? 何が?」
「お前の優しさを知らせようの会だ!」

 強の突如思い付いたかのような発言に鉄将は言葉を失う。
 仲間達は慣れたものだがそれでもやはり、彼の思考回路は読み切れないと感じていた。

「やめろって……何でそんなに俺に構うんだ……」

 鉄将は俯き加減に問う。
 その言葉の端々には自分には理解できない感情を抱えているような、戸惑いが滲んでいた。

「お前のことが気に入ったからだよ。だからむかつく」

 強の声はどこか静かで真剣だった。

「自分はこんな人間なんだって知られないまま過ごすのはしんどくないか?」
「僕達は今、こうして話せてるけど……鉄将君ってあんまり自分から心開くタイプじゃないよね」
「違うとは言わねえけど……」

 鉄将は観念したように視線を落とした。

「もったいない、美月への思いやりを見て余計にそう思ったんだよ」
「……あれくらい普通だろ。目の前でボールが直撃してたんだぞ」
「それでも、誰よりも早く動いたのはお前だった。そんなお前がーー」
「……余計なお世話だよ!」

 その一喝に保健室の窓がびりりと震えた。
 怒気というよりも、照れくささと、自分を見透かされたことへの苛立ちが混じった叫び。

 皆人、桐人、ムックは息を呑んで立ち尽くした。
 だが強や桜、ローズや美月はまっすぐに彼の目を見つめていた。

 それは言葉ではない——けれど確かに届く眼差し。
「お前をちゃんと見ている」という意思。

 鉄将は少しだけ視線を逸らすと、唐突に口を開いた。

「……おい、お前。何ともなくてよかったな」

 ぶっきらぼうな声が美月の胸に柔らかく落ちた。

「……妬根。私は妬根美月」
「妬根、異常があったら……病院に行けよ」

 その言葉だけを残して鉄将は踵を返した。
 誰もその背中を追えなかった。
 強ですら、その大きな後ろ姿にただ視線を投げかけることしかできなかった。

「僕達、ちょっと調子に乗りすぎたかな……」

 桐人の言葉に強が目を伏せる。

「いや、俺は間違ってねぇと思うぞ」

 誰よりも自己中心的でその判断に自信が満ちている。強は真っ直ぐ言い放った。

 鉄将は他人と距離をとることで何かを守っているようだった。
 その何かがどれだけ痛みを伴うのか。皆人は軽々しく問いただすべきじゃないと、どこかで分かっていた。

 視線を美月に戻すと、彼女は絆創膏を指で軽く押さえながら扉の外をぼんやりと見つめていた。

「美月さん、大丈夫でしたの!?」
「うん……心配かけて、ごめんね」

 その笑顔はどこか心ここにあらずだった。
 彼女の目はまだ、去っていった鉄将を追い続けていた。

「で、これからどうすんの?」

 桜が言葉を切って、視線を強に向ける。
 その重みを強は真正面から受け止めた。

「……俺に任せてくれないか。ちょっと口説いてみるわ」
「求平君……」

 何も言えずに、美月はただ一言、願いを託した。

「お願い」

 その声は小さかったけれど、どこまでもひたむきで強い願いだった。

「任せろ!」

 根拠なんてない。けれど誰よりも強く、真っ直ぐに。
 強は胸を叩き、背筋を伸ばした。

「青春ねぇ……」

 その様子を遠巻きに見ていた保健室の教諭は微かにため息を吐いて目を細めた。
 胸の奥にほんの少しだけジェラシーが芽生えるのを感じながら。
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