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第2章 秘めし小火と黒の教師編

35.暴走と魔法陣

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「今日からここがお前の家だ」


黒いコートを着た男に促され、一人の少女がとある家のドアを潜ると、そこは木でできている大きめの長テーブルと、そのテーブルとセットになっている4つの椅子が中央に置いてあるシンプルなダイニングであった。
また、壁の方には“魔石ませき“を使用して火を起こすタイプの魔道コンロ付きのキッチンが備え付けてあるのだが、見たところ料理をした形跡がないほどに綺麗な状態であった。

他の部屋も、ベッドやクローゼットなどの必需品と言える家具しか置かれておらず、まるで引っ越したての新居のようであった。


「ほとんど何もない家だから、お前のベッドとかはこれから買い揃えような」

「……………うん……………」

「本当に俺の所でいいのか?あの“じいさん“と一緒の方が、何不自由ない暮らしができるんだぞ?」


少女は首を数回横に振ると、その小さな手で隣に立つ男の大きな手を絶対に離さないと言わんばかりに必死に握ってくるのであった。


「……………ここが、いい……………」

「…………そっか。じゃあ、これからよろしくな、クラン」

「……………うん!……………」


少女は、とても嬉しかったのか蔓延まんえんの笑みを浮かべる。
それは、男が大好きだった女性と同じくらい素敵な笑顔であった。


「……………こちらこそ、お世話になります……………レイヴン!」







少女の体を包む山吹色のオーラは、徐々に大きさを増していった。既に、少女の背丈の3倍ほどの大きさになっており、時折見せるそのオーラの揺らぎの中に、得体の知れない生物が不気味にうごめいているかのように見えてしまうのであった。


「…………なんて凄まじいオーラだ」

「あれはオーラじゃありません。オーラは武器に魔法を付与したりしないと普通の人には見えないはずです」

「え?じゃあ、あのクランの体から出てるのは一体…………?」

「…………あれは、恐らく"魔力"です」

「えっ!?」

「で、でもでも、"魔力"も普通の人には見えないはずなんじゃ?」



ファイとウィンが驚くのも無理はなかった。なぜなら、本来剣などの武器に付与しなければ見えないオーラと同様に、"魔力"もまた普通の人間には見えないのである。


「あまりにも高濃度過ぎるのでしょう。…………あり得ないことですが、それぐらいしか、この現象を説明できません」


同学年の中でも物知りで有名なフリッドでさえも、こんな状況を正確に理解できていないためか、多少の苛立いらだちを隠せずにはいられないようであった。


「…………アリエナイ、アリエナイ、アリエナイ…………こんな事があってたまるものか!!」


クランから高濃度の凄まじい"魔力"が一気に放出された衝撃により、尻餅をついてしまっていたブルートも、この現象に対して理解が追いつかないのか錯乱気味で、何度も同じ言葉を呟いている。

そんな様子のブルートを、クランはゆっくりと視線を向ける。
しかし、そのうつろな目には光は全く感じられず、もう自分の意思では行動できていないように思えてならないのだ。

そして、まるで体中の力が抜けたかのに両手をぶらんと垂らし、背中を丸めて立ち尽くしていたクランは、ブルートの方へと歩み始める。

一歩、また一歩と歩む度に、力なく垂れ下がるその両手が左右に揺れる様は、墓場を彷徨さまよう"生ける屍アンデット"のようで、とても恐ろしいものであった。


「ひぃぃいいいっ!!?く、くるなっ!くるなぁあああ!!!」


ブルートは、近づいてくるクランから逃げるように後退りし始める。しかし、錯乱しているためか、尻餅をついた体勢のままでは大して後退できていない事をわかっていないようであった。

じりじりとブルート目掛けて進んでいたクランは、ある程度の距離になると歩みを止め、天に右腕を掲げた。
すると、クランの足元に山吹色の魔法陣が現れる。
だが、それはごく一般の魔道士が普段から使う魔法陣とは全くの別物であったのだ。
なぜなら、そこに描かれている術式はとても複雑で、この場の誰一人として理解できない程であり、さらに一般的な魔法陣よりも3倍ほど大きいのだ。


「コノ身二眠ル、大地ヲベシ破壊者ヨ………」


魔法陣の中心に立つクランが、何やら不気味な呪文を唱え始める。おそらく、片言のように聞こえるのその呪文も、クランの意思とは関係なく唱えられているのであろう。


なんじ、絶対ナルちからノ一部ヲ我ガ呼ビカケニヨリ顕現けんげんセヨ………」


すると、呪文を唱え続けるクランが立っている背後の地面が突如割れ始め、その中から巨人族のように太く、そして巨大な黒い腕がのっそりと現れたのだった。
さらに、その黒い腕の表面は、岩肌のように硬そうでありながらも所々に鈍り輝きを放っており、まるで黒曜石で造られてているようであった。


「ソノ拳ハ、全テヲ砕ク"神"ノ鉄槌てっついナリッ!!」


巨大な黒い腕は、クランの呪文に答えるかのように拳を握るとブルートの方へと向き直った。その巨大な拳は、先ほどから怯えながら唸っているだけの“合成獣キマイラ“のおよそ2倍もの大きさがあり、まともに食らえば、まず間違いなく無事では済まないだろう。

そして、今まさに“神“の鉄槌が落とされるのであった。


「“グランディール・クラッシャー・フィストォオオオッーーーー!!!“」


クランの叫び声と共に、巨大な拳がブールト目掛けて飛んでいく。そのスピードは、とても速いとは言えないのだが、迫りくる拳から満足に逃げることも出来ないブルートに到達するのは時間の問題であった。


……………ドォオオオーーーーンッ!!!


隕石が落ちたかのような凄まじい爆発音が、森全体に響き渡ったのは一秒もかからなかっただろう。
それと同時に発生した衝撃波が木々を激しく揺らし、木の枝や葉が遠くの彼方に吹き飛んでしまうほどの威力であった。


「…….….ぁ………あぁ…………」


迫りくる拳の恐怖により、思わず目を瞑っていたブルートが、なぜかまだ生きている事を不思議に思いながらも目を恐る恐る開ける。そして、目の前の光景を見た瞬間、言葉を失ってしまうのであった。

なぜなら、クランにより呼び出された巨大な黒い腕により繰り出された拳は、標的であったはずのブルートから僅かではあるが逸れてしまい、咄嗟に目一杯広げた足の間の地面に深々とめり込んでいたのだ。
ブルートの近くにいた"合成獣"は、先ほどの衝撃波により吹き飛ばされ、地面から剥き出しになっている岩に激しくぶつかり、気絶してしまっていた。

一方、ファイたちはと言うと、フリッドが造り出した"アイシクル・ウォール"によって衝撃波を防いだため、全員無事であった。


「間一髪だったね~、フリッドが氷の壁を造ってくれなかったら、危なかったよぅ~」

「ホント、助かったよ。ありがとう、フリッド!」

「…………助かったって言うのは、どうやらまだ気が早そうですけどね」


巨大な黒い腕は、仕留め損ねたのがわかったのか、地面にめり込んだ拳をゆっくりと引き抜くと、再度力を溜め始めるのであった。


「………….…次は…………外さない……………」

「………ひっ!!?………た、たすけ………」


先ほどの一撃で、完全に怯えきったブルートが、今にもトドメを刺そうしてくるクランに必死に助けを乞う。
しかし、無情にも暴走した今のクランには、そんな命乞いなど届きはしなかったのだ。


「“グランディール・クラッシャー・フィストォオオオッーーーー!!!“」

「………や、やめ………てくれぇえ………」


今度こそ息の根を止めるべく、クランが魔法陣から呼び出した巨大な黒い腕による、渾身の一撃が振り下ろされる。
一度目は奇跡的に助かったブルートも、流石に二度目は助からないと死を覚悟したその時であった。


暴走してから光が全く感じられなかったクランの目の近くを、一片の羽根が横切った。
その羽根は、上から下まで真っ黒で、それはまるで"烏の羽根"のようであったが、なぜか輪郭が白く発光していて、とても不思議な羽根であった。

例え暴走して自我が無かったとしても、どこからともなく現れた、その"烏の羽根"をクランが見逃すはずがなかった。
だって、それは"あの人"と同じ、真っ黒な色なのだから。



……………ガッギィイイーーーンッ!!!





硬い金属同士が激しくぶつかりあったかのような、甲高い音が響き渡る。




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