草履とヒール

九条 いち

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「私なんかよりめぐさんとの方が……」 
「ほんっとにむかつくわねあんた」
 めぐさんに思いっきり睨まれる。彼女の大きな目に睨まれると、動けなくなる。何かまずいことを言ってしまっただろうか。
「そこはあんたが私の立場だったとしても、彼と相思相愛になってるって言ってよ。諦めがつかなくなるでしょ」
「ごめんなさい……」
 めぐさんは大きなため息をついた。
 私のせいでまためぐさんを傷つけてしまった。私に自信がないせいで……。でも、私がめぐさんの立場だったら、通政さんと結ばれている、とは到底思えなかった。私は変わらず通政さんに惹かれるだろうけど、通政さんはきっとそうはならない。
「まぁ実際そうだと思うわ」
「そうだと思う、って?」
「あんたが私の立場だったらとっくに通政様と結婚しているでしょうね」
「どうしてそんなこと」
 めぐさんと通政さんの方がよっぽどお似合いなのに。私がそんな存在だとは微塵も思えない。
「彼とあなたが抱き合っているところを見て思ったの。『あぁ、お互いが求め合っている二人だ』って。もう! なんでこんなこと言わなきゃいけないの」「うっ……ごめんなさい……」
「あー! もういいわよ。教えてあげる。私の両親がね、馬鹿みたいに仲がいいの。見てるこっちが恥ずかしいぐらい。でも、うらやましいとも思ってた。いつか二人みたいな夫婦になりたいって」
「その相手は、通政さん……ですよね」
「その筈だったんだけどね。通政様とあなたが抱き合っている姿が私の両親と重なったのよ。本能で惹かれ合っている二人だって。わかったから……わかったからこそ辛かったのよ。 それが嫌で逃げてきたって言うのに、あなたが追いかけてくるから……」
「ごめんなさい……」
「 あーもう謝ってばかりで鬱陶しいな!」
「あっ、ごめ……」
 また謝っていしまっている自分に気づいて言葉を止めるが、代わりの言葉が思いつかない。
「通政様みたいな良物件があの年になるまで残っていたのは私のおかげよ! 感謝しなさい!」
 返す言葉は謝る言葉じゃないし、通政さんのことはめぐさんの言う通りだと思って言葉に力が入る。
「はいっ! ありがとうございます!」
「ぷっ、何よ、変なのっふふっ」
 めぐさんが吹き出して笑いだした。彼女の楽しそうな顔を見て、私も笑みがこぼれた。
 目尻に涙をためながら、笑っている彼女を見ると、今の空のような、雨上がりに輝く露のように美しく輝いて見えた。本当に素敵な人。私なんて足元にも及ばない。
 私は彼女の両手を自身の両手で握った。不思議そうに眉を顰めるめぐさんの目をまっすぐ見て言う。
「私とお友達になってください」
「はぁー?」
 めぐさんは綺麗な顔を思いっきり歪めて嫌そうな顔をする。
「なんであんたなんかと。 好きな人を奪った女と友達になると思う?」
「ですよね……」
 ダメ元で言ってみたが、断られるとグサッとくるな……。
 私は彼女の手を離して、近づいていた距離を離すように後ろに下がった。めぐさんは横目で私を見ていたが、気まずそうにしている私を一瞥すると深く息を吐いた。
「……しょうがないからなってやるわよ。私は過去を引きずらない質{たち}なの。私の器量に感謝しなさい」
「はいっ! ありがとうございます!」
「なんでそうさっきからさっきから感謝する時だけ声がでかいのよ。鼓膜が破れるわ」
「ごめんなさい……」
「友達なんでしょ? 敬語は無しよ」
「ありがとう! めぐっち」
 再び彼女の手を取り、戸惑う彼女の瞳を覗き込む。
「それやめなさいよ。恥ずかしい」
「えっ? だって沙理も言ってたし」
「あの子は直らないから諦めてるの! あんた……椿はめぐって呼んで……」
 いつもの彼女らしくない、尻込みする語調。こう言う時は大体……。
「めぐ、耳真っ赤だよ」
「っ! 生意気よ!」
「友達なんだから生意気でもいいでしょ?」
「よくなっ! ……まぁ、いいわよ」
 再び顔を背けた彼女の耳は更に赤くなっていた。可愛い、可愛すぎる。
 私は思わず彼女の華奢な身体を抱きしめた。
「何よっ!」
「めぐが可愛すぎて」
「当たり前でしょっ」
 めぐにはすぐに振り払われるかと思ったが、予想外に大人しく受け入れてくれた。彼女と友達になれた私は幸せ者だと、心からそう思った。


 思う存分に彼女を抱きしめていたら、空はすっかり青く晴れ渡っていた。
「戻らないの?」
「うん。もう少しここでいる。桜にも心配しないように伝えといて」
 彼女と仲直りできてよかった。まだ彼女の様子は気になるけど、独りになりたい時もあるだろう。これ以上私が居座っていても迷惑かもしれない。
「わかった」
 めぐさんと別れて階段を降りていく。
 最後の一段を降りたところで見覚えのある男性が立っていた。
「椿さんですね?」
「はい。あなたは確か……」
「通政の兄です。通政がお世話になりました」
「いえいえ。こちらこそお世話になっております」
 顔の造形は通政さんと似ているが、雰囲気は正反対だった。 常に穏やかな笑みを浮かべていて、物腰も柔らかく見える。
「めぐはこの上に?」
「はい。でも今は少し……」
「ええ、知っています。ご忠告どうも。それでは」
 瞳の奥の揺るがない意思は通政さんと同じだった。すぐに歩き出した彼とすれ違った後、彼の背中を見送る。
 歩いてこそいたが、先を急いでいるようにも見えた。
「椿」
 声がして前を見ると、通政さんが立っていた。彼は紺色の羽織の袖に手を入れて腕を組んでいた。肩に付くかつかないかぐらいの黒髪がそよ風に揺れる。
「帰るぞ」
「はいっ」
 私は嬉しくなり、通政さんの元に駆け寄って彼の腕に手を回した。
「あっ、これって町中ではできないですよね……」
 人のほとんどいない葉の覆い茂る緑道を歩いていたが、町中に近い。手を外そうとすると、通政さんに腕で手を挟まれ、拒まれた。
「祝言を挙げたばかりの夫婦はすることが多い」
「祝言……」
 結婚ってことだよね……。腕を解こうとしたら止められて、このまま進めば町中に入ってしまう。通政さんがそれを望んだってことはつまり……。だめだめ、勘違いして期待するのはよくない。普通に流そう。
「へえーそうなんですね」
 通政さんがふと立ち止まる。
「どうしました?」
「 俺の嫁になってくれないか?」
「えっ、それって……」
 通政さんと結婚してほしいってことだよね⁉︎ さっきの解釈は間違ってなかったってこと⁉︎ それは通政さんが一生一緒にいてほしいって思った相手って事で……。そんなの答えはもちろん
「もちろんです!」
「よかった」
 彼は表情を和らげて私の額に口づけを落とした。

「おっかえりー! そして行ってきまーす!」
 通政さんの家の門を通って家に入ろうとした時、沙理が飛び出してきた。大きな袋を持って家を出ようとする彼女の腕を掴む。
「どこに⁉︎」
「忠っちの家ー。蔵に私が埋もれるくらいの書物があるんだって。行かない訳には行かないでしょ!」
 鼻息を荒くしている沙理の後ろから忠さんが出てきた。
「申し訳ありません。うちに貯蔵している書物の話をした所、ひどく彼女の興味を引いたようで」
「いや、俺は一向に構わないが」
「じゃあ決定ー! しばらく帰らないからー」
「あっ」
 緩くなった私の手をすり抜けて沙理は出て行ってしまった。
「ここから西に五件程行ったところが私の家ですので、何かあればいつでもいらしてください」
 忠さんは私の目を見て言ってくれた。そんなに遠くない場所だし、何より忠さんの家なら何も心配はいらないだろう。
「はい、ありがとうございます」
「それでは」
 忠さんは深く頭を下げて一礼し、門から出て行った。
「嵐のようだったな」
「いつもの沙理ですね」
 ここの所、沙理にあんなはしゃいでいる様子はなかったので忘れていた。ずっと私に合わせていてくれたのだろう。戦が終わって、通政さんが帰ってきて、沙理も安心してやりたいことができるようになったのかもしれない。彼女には助けられてばっかりだ。今度、沙理の好物の肉うどんを作ってご馳走しよう。

「本当に二人だけでいいのか?」
「はい」
 よく晴れた日。庭へと続く襖から涼しい風が通り抜けていく。自宅の一室で、私たちは朱色の屠蘇器(とそき)を挟んで向かい合って正座していた。
 祝言をあげる時には親や兄妹、親戚を招いて、みんなの前で三三九度を行うと聞いた。違う時代にいる親抜きで、この時代の人達だけを呼んで祝言をあげるのは違う気がして、二人だけで祝言をあげたいと言った。通政さんは快く了承してくれて、そのための準備もしてくれた。服装も大袈裟なものはあまり好きではないので、少し高価な普段着にした。私は白の肌着の上に紺碧一色の振袖を纏い、浅葱色の帯を締めている。通政さんは消炭色の着物に白の菱紋様の入った着物と同色の帯を緩く絞め、着流しにしていた。その上から深緑の羽織も羽織っている。
 銚子に入ったお酒を3種類の盃の内、一番小さい盃に注ぐ。
「どうぞ」
「ああ」
 朱に染まった盃の縁には金色の漆が塗られていて、それが無色透明なお酒に反射する。お酒の中に金箔が浮かべられているようにも見えた。
 通政さんが盃を口元に持っていき、口をつける。彼から渡された盃に同じように私も口づける。そしてそれをまた彼に渡すと、彼が一気に飲み干す。次は中ぐらいの盃を私が持ち、通政さんがお酒を注ぎ、私が口づける。通政さんもその盃に口づけて最後に私が飲み干す。最後の一番大きい盃も同様に行った。
「これで終わりだ。どうだった?」
「お酒飲み干すの意外と大変ですね」
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