八月の流星群

さとう涼

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第一章 悲しみのエンパシー

002

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「めぐる、あとはお願いね」
「はーい」

 母親が仕事に行くために玄関から声をかける。めぐるはトーストと目玉焼き、コーンのカップスープの朝ごはんを食べながら返事をする。父親はすでに仕事に出かけていた。
 食卓はめぐるひとり。今朝もいつもの風景だった。
 食事を終えると食器を洗い、身支度を整え、戸締まりをするのもルーティーン。家を出ると、自宅前の坂をくだり、学校へ向かった。

 入学して三ヶ月。めぐるの通う高校は中心市街地から五キロほどのところに位置し、自宅からは徒歩十五分のところにある。
 私立西城ヶ丘さいじょうがおか学園。生徒数は九百名ほど。ひと学年に普通科が七クラスある。

 市内から成績の優秀な人間が集まるこの学園の入学試験にはいわゆる推薦枠というものは設けておらず、調査書もあまり重要視されない。学力検査の結果優先で募集を行っている。
 あわせて自由な校風もウリのひとつ。制服はなく服装は自由。髪を染めても怒られないし、化粧やアクセサリーも禁止ではない。
 県内でもこの学園の自由さは珍しく、注目度も高い。生徒や保護者にも大変人気の学園である。

 だけど不満がないわけではない。めぐるにとって、この学園の日常は退屈そのもの。平凡な毎日のありがたさを薄々は感じていても物足りなさはぬぐえなかった。
 このときまでは……。

 ──こんな世界なくなっちゃえばいいのに。

「えっ?」

 めぐるは校門を通り過ぎたところで違和感を覚え、辺りを見まわした。すぐ近くで誰かの声が聞こえたような気がしたのだ。
 もう一度、今度は校舎も含めて見渡してみた。だが、とくに変わったところはなく、まわりの生徒たちは何事もなかったかのように昇降口に向かっている。
 立ち止まっているのはめぐるだけ。七月だというのに、めぐるは軽い寒気を覚えた。
 今のはいったいなんだったのだろう。
 自分ではない他人の声だった。くぐもっていたけれど、たしかにその声には感情がこもっており、それがめぐるの心を突き刺そうとしてきたのだ。

 ふいに同じクラスの男子が立ち止まって振り返った。感情のない冷めた目でめぐるを見ている。
 小柄で痩せっぽっちの彼は、黒のパンツにカーキ色をした長袖のTシャツを着ていた。Tシャツはサイズが合っておらず、ダボダボで、手の先が見えないほど袖が長い。今日の予想最高気温は三十一度だというのに、随分と暑苦しいファッションだ。

 けれど色素の薄い瞳、アッシュブラウンのミディアムヘア、そしてなんといっても色白の肌が暑苦しさを相殺し、むしろ涼しげにも見える。純日本人とは思えないような彼のエキゾチックな美しい容姿は、この場所で誰よりも目立っていた。

「あの!」

 めぐるは勇気を出して自分から彼に話しかけた。というのは席が隣同士にもかかわらず、これまで彼とろくに口をきいたことがなかったのだ。最初の頃こそ、あいさつぐらいはしていたのだが、それ以外で言葉を交わしたことはなかった。

 彼の名前は雫石しずくいし伊央いお。寡黙でちょっと風変わりな少年である。
 めぐるだけでなく、おそらく担任教諭もクラスメイトも、伊央がどんな声なのかを思い出せないだろう。それくらいなにもしゃべらないのだ。
 ほかの男子とも打ち解ける様子は一切なく、休み時間はトイレ以外、自分の席で読書をしていることが多い。たまにふらっとどこかに消えるのだが、行き先を知っている者はいない。次の授業がはじまっても戻ってこないことも多く、クラスでも異質な存在だった。

「……えっと、おはよう、雫石くん」
「おはよう」

 そうだった、こんな声だった。
 久しぶりに聞いた彼の声は透き通り、耳に心地いいものだった。おっとりした口調の上に、ニキビひとつないあどけなさの残る顔のせいでかわいらしくもある。
 終始無表情であまりも言葉を発しないため、近寄りがたい雰囲気があったのだが、こうして声を聞くと親近感がわく。
 しかし伊央は突然思いもよらないことを言い出し、めぐるをきょとんとさせた。

「もしかして、僕のことを思い出してくれたの?」

 じゃっかん前のめりになり、必死感が漂ってくる。

「なんの話?」
「子どもの頃のことだよ」

 思い出すもなにも、伊央とはこの学園の入学式で初めて出会ったはずだ。
 うわさによると、伊央はこの街の出身だが、七歳のときに渡米し、今年の三月まで向こうに住んでいたと聞く。彼は父子家庭で、父親は県内にある国立の医療関係の研究機関で働いている。それまではアメリカの大きな研究機関に勤務していたのだが、帰国するにあたり、現在の研究機関に籍を移したそうだ。
 渡米した同級生となれば覚えているはずだが、そんな男子に心あたりがなかった。

「前に会ったことあったっけ? 同じ保育園だったかな」
「僕は保育園には通ってないよ」
「じゃあ、いつ会ってたの?」
「覚えていないならいいんだ」

 伊央はショックを受けたように口を閉じると、再び無表情になった。それは拒絶の意思。おまけに肌を覆い隠す長袖の服。今日に限らず、彼は七月に入ってからもずっと長袖を着ている。それがまるで身を守るためのバリアのようだった。

「ごめんなさい。どこかで会っているなら教えてもらえるかな? もしかしたら思い出せるかもしれないから」

 めぐるはできるだけ伊央を刺激しないよう、ゆっくりとやさしく問いかける。
 以前にも会っているのなら、いつどこで接点があったのかぜひ知りたい。この街は決して狭くない。同じ学校でないのなら、知り合う確率はかなり低い。めぐるはそこに運命めいたものを感じた。

「ペルセウス座流星群」
「ペルセウス……?」

 伊央のあまりにも唐突な言葉にめぐるは首を傾げた。
 だけど聞いたことのある名前だ。毎年テレビやネットのニュースで話題にあがるほど有名な流星群である。
 とはいっても、めぐるには天体観測の趣味はないし、夜空を見あげたところで星座なんてほとんどわからない。見分けがつくのは北斗七星とカシオペヤ座、あとはオリオン座くらいだ。

「ごめん、やっぱりわかんない。ペルセウス座流星群を見た記憶がないの」
「謝んなくていいよ。覚えてなくても不思議じゃないから」

 そう言いつつも伊央はひどく気落ちしていた。肩を落とし、めぐるに背中を向けて歩き出す。

「あの……」

 華奢で頼りない小さな背中に語りかける。だが、それ以上かける言葉が見つからず、めぐるはその場で立ち尽くした。流れ星が夜空に散っていくように、伊央の姿が校舎のなかに儚く消えていくのを、ただ黙って見ていることしかできなかった。
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