八月の流星群

さとう涼

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第一章 悲しみのエンパシー

004

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「雫石くんってちょっと怖いね。そんなに怒ることかな?」

 莉々亜にとって、伊央のように考えの読めない無愛想な人間は苦手なタイプだった。莉々亜に限らず、その手の人間は避けられる傾向にあるが。

「怒っていたわけじゃないよ。ただ人と話すのが苦手なだけなんだよ」
「そうなんだ……。怒ってないならいいんだけど。でもなんでわかるの? めぐるって、雫石くんと仲よかったっけ?」
「そういうわけじゃないよ。なんとなくそうなのかなって思っただけ」

 自分と似ているところがあるような気がした。誰とも口をきこうとしないのも、過去になにか嫌な思いをしたに違いない。

「なんか悪いことしちゃったな。やっぱ追いかけたほうがいいかな?」

 遠峯が申し訳なさそうに言った。

「ううん、わたしが行く」

 めぐるは席を立つと出入口に向かう。

「ちょっとめぐる? ねえ? もう……先生が来るまで戻ってきなよ!」

 莉々亜にそう声をかけられるも、めぐるには聞こえていなかった。もうすぐショートホームルームがはじまることなんてどうでもよかった。めぐるは吸い寄せられるように、伊央のあとを追っていた。

 すでにショートホームルームがはじまり、少し前までにぎわっていた校内はすっかり静まり返っていた。廊下には誰もいない。そんななか、めぐるはあてもなく伊央をさがした。
 校門で伊央の言っていたセリフも妙に気になった。「もしかして、僕のことを思い出してくれたの?」あれはどういうことなのだろうか。

 だが、あちこち歩きまわったにもかかわらず、学園の広い敷地のどこにいるのか皆目見当がつかない。教室のある南棟、職員室や保健室、食堂がある中央棟を見てまわったが伊央の姿はなかった。
 最後に特別教室のある北棟まで来てみたが、これらの教室は通常は鍵がかかっており、さがしようがない。仕方なく校舎の外に出ると、そこで途方に暮れて立ち尽くした。

 周囲にはイチョウの木々が生い茂っている。青々とした葉が適度な木陰を作り、ここだけ涼しげな風を運んでいた。
 めぐるは白と黒のボーダーのカットソーのえりぐりをパタパタとさせながら、汗ばんだ身体を冷やした。

 これからどうしよう。もうすっかりお手あげ状態だ。しかし、そんなふうに考えあぐねているところに風に乗ってどこからともなく音が舞ってくるのを感じ、めぐるは意識を集中させた。同時に胸がしめつけられるような感覚が襲う。
 音? いや違う、これは声だ。けれど擦れ合う葉の音のせいで詳細な言葉は聞き取ることができない。
 それとも幻聴や思い込みなのだろうか。周囲には誰もいないのだから声が聞こえるわけがない。そう思い、樹齢五十年とも六十年ともいわれているイチョウの瑞々しい葉の隙間から空を見あげた、そのときだった。

「あれって……」

 四階の非常階段で、踊り場の鉄柵に寄りかかっている人影が見えた。その服の色は伊央が着ていたTシャツと同じカーキ色。
 本当に伊央なのだろうか。めぐるは目を凝らして確認しようとしたが、その人物は地べたに腰をおろし、さらに背中を向けているのでどうしても判断がつかない。
 だけどあの階段をのぼればそれがわかる。
 めぐるは息を呑んだ。

 なぜ伊央なのだろう。なぜ、こんなにも伊央に引き寄せられているのだろう。昨日までは風変わりな同級生としか思っていなかったのに、彼のあの声を間近で聞いてしまったら無視できなくなった。
 伊央の声が聞こえる。理由はわからないが、聞こえないはずの左耳から彼の泣き叫ぶ声が今も響いてくるのだ。
 苦しみ、もがいている彼の心が手に取るようにわかる。それを知ってしまったからにはもう無関係でいられない。

「なんでここがわかったの?」

 階段をのぼってくる足音に気がつき、めぐるの姿をとらえた伊央が背筋をピンと伸ばした。

「自分でもよくわからないんだけど、雫石くんのことがどうしても気になって。校門でのことはなんていうか……ごめんなさい。ずっと考えていたんだけど、やっぱりなにも思い出せないの」
「そのことならもういいんだ。別に僕だけが覚えていればいいことだから」
「よくないよ! 知りたいの! ペルセウス座流星群ってどういうこと? わたし、天体のことはぜんぜん詳しくなくて、だから余計に訳わかんないの」

 めぐるはさっきみたいに伊央に逃げられないよう必死に言い募る。
 そんなめぐるを、伊央は不思議そうにじっと見つめていた。

「あ、あの、ごめんなさい。わたしったらなにをこんなに興奮してるんだろう」

 伊央の純粋な眼差しにプレッシャーを感じ、めぐるは我に返った。伊央は気を許したように柔和な顔になる。

「めぐるは変わらないね」
「え……?」
「昔も今もやさしい。めぐるは僕にとって唯一の味方。めぐるだけだよ、僕を心から心配してくれる人は」

 伊央の言葉はまたもやめぐるの心をかき乱す。自分の記憶にない少年が自分のことを知っているというのが、不思議でならない。おまけに、いきなり「めぐる」と下の名前で呼ばれ、距離感にとまどった。

「わたしのこと、からかってないよね?」
「本気だよ。めぐると出会った日は、僕にとってすごく大切な日なんだ」

 地べたに座ったままめぐるを見あげた伊央の声は弾んでいた。今は悲しみも苦しみも感じない。夏の空にその声がやさしく吸い込まれ、めぐるのとまどいも静かに消えていった。

「お願い、ヒントをちょうだい」

 どうしても思い出せないめぐるは伊央の瞳をじっと見つめ、懇願する。アンバーの瞳は濁りひとつなく、その美しさに思わず見入ってしまいそうになる。
 伊央はめぐるの熱心さに目を細めてくすりと笑った。

「ペルセウス座流星群の観測日和は、毎年八月十二日から十三日らしいよ」
「八月十二日? その日は、わたしの誕生日だ……」
「めぐるも?」
「ということは同じ誕生日なの? すごい偶然! わたし、同じ誕生日の人に初めて会った!」

 伊央と同じ誕生日という偶然。そのことにも運命的なものを感じずにいられない。こうして自分がここにいるのだって、伊央に導かれたような気がしてならなかった。

「ところで、僕のことは思い出せた?」

 めぐるは黙って首を振る。降参という意味だ。伊央は「仕方ないなあ」と、すんなり答えを教えてくれた。

「めぐるはお兄さんと一緒にペルセウス座流星群を見に来ていたんだ」
「いくつのとき?」
「僕たちが六歳になった日だよ」
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