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第四章 絶望のクライ
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どこからともなく鳥のさえずりが聞こえてくる。めぐるは視線をさまよわせ、鳥の姿をさがしてみるけれど、見つけることができない。早朝の空にさえずりだけが響いていた。
ここ最近、夜が静かだ。夕べも声は聞こえなかった。でもそれは決して悪いことではなく、おそらくいい傾向なのだろう。つまり伊央の精神が安定しているということだ。
めぐるが伊央に初めて出会ったのは十年前の六歳のとき。泣き声に引き寄せられるようにたどり着いた先に伊央がいた。
白い街灯の光が灯る丘で三角座りで丸まっている様子は、母親の子宮のなかの胎児みたいだった。まるで天から舞い降りて、この世界で生を受けるのをじっと待っているかのよう。触れたら一瞬で消えてしまいそうなほど、繊細さと儚さに満ちた姿だった。
伊央はあの場所で誰を待っていたのだろう。それとも誰も待っていなかったのだろうか。単に児童養護施設にいたくなくて逃げ出してきたとも考えられる。いずれにせよ、あの夜は不思議な夜だった。
時を同じくして、非番の四方堂も十年前のことを思い出していた。
十年前、四方堂は生活安全課に所属していた。当時、児童養護施設に預けられていた六歳の男児が行方不明になり、男児の捜索をしていた矢先、市内に住む男性から六歳の男児を保護していると通報が入った。
通報してきた男性の名は高比良利夫《としお》。妻と子どもふたりの四人家族で、男性の長男・佑(当時十一歳)がその男児を発見したという。
四方堂はすぐに高比良利夫の自宅に車で駆けつけ、捜索中の男児であることを確認すると、父親と長男から事情を聞いた。話を聞いて、すぐに事件性はないと判断した。
高比良利夫の妻は佑を誘拐犯扱いされたと誤解し、腹を立てていたが、それは母親として当然のことで理解はできた。
不可解なのは長女・めぐる(当時六歳)のほうだった。佑の話によると、男児を発見したのはめぐるだと言うのだ。めぐるに言われるがまま歩いた先にその男児がいたという。泣き声や助けを求めるような声は一切聞こえなかったという佑の証言から、めぐるの言動に疑問が残った。
そしてこの出来事のもうひとつの謎は六歳の男児がどうしてひと気のない丘にひとりでいたのかだ。しかも夜間にだ。
数個所の防犯カメラの映像に男児がひとりで通りを歩いている様子が映し出されていたが、道に迷っている様子が一切ない。どこか目的地を目指しているように見えた。
事件性がなかったのでそれ以上の捜査はされなかったが、奇妙な出来事として印象に残っていた。
登校途中、めぐるは足を止めた。数メートル先に四方堂が立っていたからだ。学園の校舎は見える場所だが、校門はまだまだ先にある。このまま引き返そうかとも思ったが、逃げたところで日や時間を改めて追いまわすつもりだろうと思い、とどまることにした。
「また事情聴取ですか?」
立場が下にならないよう、めぐるは近づいてくる四方堂に向け、自分から声をかけた。
「いや、今は非番なんだ。仕事じゃないよ」
「じゃあ、朝っぱらからなんの用ですか?」
「よっぽど嫌われているようだな。あの頃はすぐ兄さんのうしろに隠れるような気の弱い子だったのに、随分と主張するようになったなあ」
「わたしのこと、以前から知っていたんですか?」
「覚えてないのも無理はないよな。君はまだ幼かったから。美人のお母さんは元気かい?」
爆発物騒動で会ったときが初対面だと思っていたのにそうではなかった。なんて気味が悪いのだろう。真夏だというのに、めぐるは寒気を覚えた。
「なんなんですか? 刑事なのにストーカーですか?」
「ストーカーか。当然そこは否定するが、そう言われても仕方ないかもしれないな。わたしは個人的に君たちの過去に興味があるんだ」
「君たち?」
「君と雫石くんだよ。正確には雫石くんなんだが、彼のことを知るには君のことも知っておいたほうがいいような気がしてね」
「いったいなにを言いたいんですか? 少なくともわたしには人に興味を持たれるような過去はありません。いたって平穏に過ごしてきましたから」
しかし四方堂は「いやいや」と首を振る。
「十年前、当時まだ六歳だった雫石くんが児童養護施設から忽然と姿を消した。わたしは彼の捜索を担当していたんだよ。誘拐も視野に入れていたが、思いもかけず一般市民の男性から彼を保護していると連絡があった。それが君のお父さんだ」
めぐるは伊央と出会った六歳の頃の記憶を再び呼び起こす。
「まだ思い出せないかい? 君の家に伺った刑事のひとりがわたしだ」
「ああ、あのときの……」
顔と名前は憶えていないが、ふたりの刑事が家に訪ねてきたことは覚えている。
小柄な母が長身のほうの男性に勇ましく立ち向かってヒステリックに文句を言っていた。その男性が四方堂だったのだ。
ここ最近、夜が静かだ。夕べも声は聞こえなかった。でもそれは決して悪いことではなく、おそらくいい傾向なのだろう。つまり伊央の精神が安定しているということだ。
めぐるが伊央に初めて出会ったのは十年前の六歳のとき。泣き声に引き寄せられるようにたどり着いた先に伊央がいた。
白い街灯の光が灯る丘で三角座りで丸まっている様子は、母親の子宮のなかの胎児みたいだった。まるで天から舞い降りて、この世界で生を受けるのをじっと待っているかのよう。触れたら一瞬で消えてしまいそうなほど、繊細さと儚さに満ちた姿だった。
伊央はあの場所で誰を待っていたのだろう。それとも誰も待っていなかったのだろうか。単に児童養護施設にいたくなくて逃げ出してきたとも考えられる。いずれにせよ、あの夜は不思議な夜だった。
時を同じくして、非番の四方堂も十年前のことを思い出していた。
十年前、四方堂は生活安全課に所属していた。当時、児童養護施設に預けられていた六歳の男児が行方不明になり、男児の捜索をしていた矢先、市内に住む男性から六歳の男児を保護していると通報が入った。
通報してきた男性の名は高比良利夫《としお》。妻と子どもふたりの四人家族で、男性の長男・佑(当時十一歳)がその男児を発見したという。
四方堂はすぐに高比良利夫の自宅に車で駆けつけ、捜索中の男児であることを確認すると、父親と長男から事情を聞いた。話を聞いて、すぐに事件性はないと判断した。
高比良利夫の妻は佑を誘拐犯扱いされたと誤解し、腹を立てていたが、それは母親として当然のことで理解はできた。
不可解なのは長女・めぐる(当時六歳)のほうだった。佑の話によると、男児を発見したのはめぐるだと言うのだ。めぐるに言われるがまま歩いた先にその男児がいたという。泣き声や助けを求めるような声は一切聞こえなかったという佑の証言から、めぐるの言動に疑問が残った。
そしてこの出来事のもうひとつの謎は六歳の男児がどうしてひと気のない丘にひとりでいたのかだ。しかも夜間にだ。
数個所の防犯カメラの映像に男児がひとりで通りを歩いている様子が映し出されていたが、道に迷っている様子が一切ない。どこか目的地を目指しているように見えた。
事件性がなかったのでそれ以上の捜査はされなかったが、奇妙な出来事として印象に残っていた。
登校途中、めぐるは足を止めた。数メートル先に四方堂が立っていたからだ。学園の校舎は見える場所だが、校門はまだまだ先にある。このまま引き返そうかとも思ったが、逃げたところで日や時間を改めて追いまわすつもりだろうと思い、とどまることにした。
「また事情聴取ですか?」
立場が下にならないよう、めぐるは近づいてくる四方堂に向け、自分から声をかけた。
「いや、今は非番なんだ。仕事じゃないよ」
「じゃあ、朝っぱらからなんの用ですか?」
「よっぽど嫌われているようだな。あの頃はすぐ兄さんのうしろに隠れるような気の弱い子だったのに、随分と主張するようになったなあ」
「わたしのこと、以前から知っていたんですか?」
「覚えてないのも無理はないよな。君はまだ幼かったから。美人のお母さんは元気かい?」
爆発物騒動で会ったときが初対面だと思っていたのにそうではなかった。なんて気味が悪いのだろう。真夏だというのに、めぐるは寒気を覚えた。
「なんなんですか? 刑事なのにストーカーですか?」
「ストーカーか。当然そこは否定するが、そう言われても仕方ないかもしれないな。わたしは個人的に君たちの過去に興味があるんだ」
「君たち?」
「君と雫石くんだよ。正確には雫石くんなんだが、彼のことを知るには君のことも知っておいたほうがいいような気がしてね」
「いったいなにを言いたいんですか? 少なくともわたしには人に興味を持たれるような過去はありません。いたって平穏に過ごしてきましたから」
しかし四方堂は「いやいや」と首を振る。
「十年前、当時まだ六歳だった雫石くんが児童養護施設から忽然と姿を消した。わたしは彼の捜索を担当していたんだよ。誘拐も視野に入れていたが、思いもかけず一般市民の男性から彼を保護していると連絡があった。それが君のお父さんだ」
めぐるは伊央と出会った六歳の頃の記憶を再び呼び起こす。
「まだ思い出せないかい? 君の家に伺った刑事のひとりがわたしだ」
「ああ、あのときの……」
顔と名前は憶えていないが、ふたりの刑事が家に訪ねてきたことは覚えている。
小柄な母が長身のほうの男性に勇ましく立ち向かってヒステリックに文句を言っていた。その男性が四方堂だったのだ。
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