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第五章 奇跡の夜にメテオの祝福
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「伊央、この声ってもしかして……?」
だが伊央は唇を引き結んだまま。
「どうかした?」
「こんなの、知らない」
「え?」
「僕の記憶と違う」
「記憶違いじゃなくて、伊央は一部しか覚えていなかっただけなんだよ」
「そんな……。十六年間、ずっと誤解していたなんて」
伊央は膝を折り、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
ICレコーダーの音声は十六年前の伊央の産みの母親である玲奈の声。伊央が産まれる直前、尚央の携帯電話に助けを求めるものだった。玲奈の細いソプラノの声は不安そうに震えていた。
この声を聞く限り、彼女は伊央の誕生を心から望んでいた。
予定日よりも早い陣痛に動揺し、真っ先に尚央に電話をした。携帯電話の充電が残り少ないことに気づいていたのかどうかは今となっては不明だが、玲奈は父親よりも救急車よりも尚央を頼った。
「どれだけ不安だっただろう。わたしには想像がつかないよ。でもお腹にいる伊央のことを大切にしてきたんだとわかるよ」
これまで伊央は誰にも望まれずに生まれてきたのだとばかり思っていた。実の母親にすら疎まれ、産み捨てられたのだと。
胎児のエコー写真を見せられても、どこか半信半疑だった。写真が本物だと証明するものはなにもない。御影理事長が捏造したものかもしれないとさえ思っていた。
「僕の今まではなんだったんだろう。自分の運命を呪って、夢も希望もなく過ごしてきた。マヌケすぎるよ」
伊央は目を閉じ、ICレコーダーを大事そうに胸に抱く。
喜び、悲しみ、後悔、安堵、不安……。相反するさまざまな感情が渦を巻いて、涙の粒になる。それが幾重にもなって伊央の頬を伝っていった。
ランタンの光がその涙を照らし、まるで宝石のように輝いていた。
「今日は星がよく見えるね」
めぐるは伊央の隣に腰をおろすと、夜空を見あげた。
北の方角に、おおぐま座、こぐま座、カシオペヤ座、ケフェウス座などが見える。
おおぐま座はひしゃくの形をした北斗七星を含む星座。ひしゃくの先端のベータ星とアルファ星を結んで、その長さを五倍に伸ばした場所に北極星がある。
北極星はこぐま座の尻尾の先端部分にあたり、一年を通してほとんど位置が変わらず、古来より北の方角を示す道しるべになっていたことはあまりにも有名だ。
「ねえ、知ってた? 今の時代の北極星はこぐま座のポラリスだけど、一万年以上前はこと座のベガだったこともあって、逆に八千年後には白鳥座のデネブになるらしいよ」
「知ってる。地球の地軸が数万年の周期で円を描いて動いているからだよね。でも八千年後だと地球の環境が激変して、人類は絶滅している可能性もあるね」
「絶滅する前に人類は大型宇宙船を開発して別の惑星に移り住んでいるかもしれないじゃない。伊央は夢がないなあ」
めぐるは伊央に笑いかけた。
「リアリストと言ってよ」
袖で涙を拭い、伊央も小さく笑う。
もう一度ふたりは星座の広がる夜空を見あげた。
「わたしたちが生まれた日の夜と同じ空なんだね」
「“ほぼ”同じね」
「わかってる。でもまったく同じじゃないからいいのかもね。今こうして見ている空は今のこの瞬間だけのもので、十六年前とも違う。だからこそ、目に焼きつけておきたいって思える」
「うん、それは同感。写真もいいけど、こんなにも星を近くに感じられるこの感動は、今ここでしか味わえないから」
伊央が空に向かって左手を伸ばす。三本指の手のひらの輪郭が空に浮かびあがった。
めぐるはその手のひらを愛おしい気持ちで見つめる。それは世の中に絶望しながら生きてきた伊央の象徴のようなもの。
だが、それでも伊央は懸命に生きてきた。学校に通い、勉学に勤しみ、道を大きくはずれることもなかった。
「物心がついたときからこの左手を憎んできたけど、同時に僕のアイデンティティでもあった」
「アイデンティティ?」
「僕が僕である証。僕を産んだ母親は、僕の顔を知らなくても、この左手を見て自分の子どもだと判別できる。僕は親を憎みながらも、心の片隅では会いたいと思っていたんだ。六歳の誕生日のときもそうだった。僕は自分のルーツを知りたくて、施設を抜け出してひとりでここに来た」
「この場所のことは誰かに教えてもらったの?」
「ううん。産院跡っていうのも最初は知らなかった。日本に帰国してから、図書館にあった古い地図で調べてわかったんだ」
「じゃあ、伊央自身がこの場所を覚えていたってこと?」
いくら記憶力がいいからといって、産まれた場所を覚えていることはあり得るのだろうか。
だが伊央は唇を引き結んだまま。
「どうかした?」
「こんなの、知らない」
「え?」
「僕の記憶と違う」
「記憶違いじゃなくて、伊央は一部しか覚えていなかっただけなんだよ」
「そんな……。十六年間、ずっと誤解していたなんて」
伊央は膝を折り、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
ICレコーダーの音声は十六年前の伊央の産みの母親である玲奈の声。伊央が産まれる直前、尚央の携帯電話に助けを求めるものだった。玲奈の細いソプラノの声は不安そうに震えていた。
この声を聞く限り、彼女は伊央の誕生を心から望んでいた。
予定日よりも早い陣痛に動揺し、真っ先に尚央に電話をした。携帯電話の充電が残り少ないことに気づいていたのかどうかは今となっては不明だが、玲奈は父親よりも救急車よりも尚央を頼った。
「どれだけ不安だっただろう。わたしには想像がつかないよ。でもお腹にいる伊央のことを大切にしてきたんだとわかるよ」
これまで伊央は誰にも望まれずに生まれてきたのだとばかり思っていた。実の母親にすら疎まれ、産み捨てられたのだと。
胎児のエコー写真を見せられても、どこか半信半疑だった。写真が本物だと証明するものはなにもない。御影理事長が捏造したものかもしれないとさえ思っていた。
「僕の今まではなんだったんだろう。自分の運命を呪って、夢も希望もなく過ごしてきた。マヌケすぎるよ」
伊央は目を閉じ、ICレコーダーを大事そうに胸に抱く。
喜び、悲しみ、後悔、安堵、不安……。相反するさまざまな感情が渦を巻いて、涙の粒になる。それが幾重にもなって伊央の頬を伝っていった。
ランタンの光がその涙を照らし、まるで宝石のように輝いていた。
「今日は星がよく見えるね」
めぐるは伊央の隣に腰をおろすと、夜空を見あげた。
北の方角に、おおぐま座、こぐま座、カシオペヤ座、ケフェウス座などが見える。
おおぐま座はひしゃくの形をした北斗七星を含む星座。ひしゃくの先端のベータ星とアルファ星を結んで、その長さを五倍に伸ばした場所に北極星がある。
北極星はこぐま座の尻尾の先端部分にあたり、一年を通してほとんど位置が変わらず、古来より北の方角を示す道しるべになっていたことはあまりにも有名だ。
「ねえ、知ってた? 今の時代の北極星はこぐま座のポラリスだけど、一万年以上前はこと座のベガだったこともあって、逆に八千年後には白鳥座のデネブになるらしいよ」
「知ってる。地球の地軸が数万年の周期で円を描いて動いているからだよね。でも八千年後だと地球の環境が激変して、人類は絶滅している可能性もあるね」
「絶滅する前に人類は大型宇宙船を開発して別の惑星に移り住んでいるかもしれないじゃない。伊央は夢がないなあ」
めぐるは伊央に笑いかけた。
「リアリストと言ってよ」
袖で涙を拭い、伊央も小さく笑う。
もう一度ふたりは星座の広がる夜空を見あげた。
「わたしたちが生まれた日の夜と同じ空なんだね」
「“ほぼ”同じね」
「わかってる。でもまったく同じじゃないからいいのかもね。今こうして見ている空は今のこの瞬間だけのもので、十六年前とも違う。だからこそ、目に焼きつけておきたいって思える」
「うん、それは同感。写真もいいけど、こんなにも星を近くに感じられるこの感動は、今ここでしか味わえないから」
伊央が空に向かって左手を伸ばす。三本指の手のひらの輪郭が空に浮かびあがった。
めぐるはその手のひらを愛おしい気持ちで見つめる。それは世の中に絶望しながら生きてきた伊央の象徴のようなもの。
だが、それでも伊央は懸命に生きてきた。学校に通い、勉学に勤しみ、道を大きくはずれることもなかった。
「物心がついたときからこの左手を憎んできたけど、同時に僕のアイデンティティでもあった」
「アイデンティティ?」
「僕が僕である証。僕を産んだ母親は、僕の顔を知らなくても、この左手を見て自分の子どもだと判別できる。僕は親を憎みながらも、心の片隅では会いたいと思っていたんだ。六歳の誕生日のときもそうだった。僕は自分のルーツを知りたくて、施設を抜け出してひとりでここに来た」
「この場所のことは誰かに教えてもらったの?」
「ううん。産院跡っていうのも最初は知らなかった。日本に帰国してから、図書館にあった古い地図で調べてわかったんだ」
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