八月の流星群

さとう涼

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第五章 奇跡の夜にメテオの祝福

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「施設の窓からこの丘が見えたんだ。本能なのかな。毎日のようにこの丘を眺めては、胸をかき立てられるものを感じていた。実際に来てみたら、なにもない原っぱで絶望したけどね」

 伊央の言葉は実に不思議な内容だった。

「それで泣いていたの?」
「そう。ここに来れば母親に会えるんだって、なぜか勝手に思い込んでいた。だから夜道もそれほど怖くなかった。なのに着いたら誰もいないし、歩き疲れて動く気力もなかった。そこにめぐるが現れた。ねえ、なんで? どうしてめぐるはここに来てくれたの?」

 伊央は好奇心いっぱいの目で問いかける。
 めぐるは言っていいものか迷ったが、伊央なら好意的に受け止めてくれるはずと思い、打ち明けることにした。

「遠くで伊央の泣いている声が聞こえたの。わたしの左耳は難聴でほとんど聞こえないんだけど、なぜか左耳から聞こえたんだ。伊央が泣きながら助けてって言ってるような気がした。それで声を頼りにここに来たの」
「それ本当?」
「信じられないだろうけど本当だよ。高校に入学してからも夜中に得体のしれない音声が聞こえてくるようになって、ある日それが伊央の声だって気づいた。理由はわかんないけど、伊央の悲しみとか苦しみを感じたの。あっ、でもこんな話……さすがに理解できないよね?」

 恐る恐る確認する。

「ううん。ほかには?」
「信じてくれるの?」
「嘘をついていないのはわかるよ。だから続けて」

 伊央は気味悪がることなく、耳を傾けていた。めぐるはほっとして続ける。

「あとね、伊央と初めて校門で言葉を交わしたときも感じたの。『こんな世界なくなっちゃえばいいのに』って。あのとき初めて言葉として認識できたんだ」

 この不思議な感覚は自分でも説明がつかないし、もしかすると錯覚なのかもしれないと思うときもある。だけどそのモヤモヤを、伊央なら解消してくれるような気がした。

「これってどういうことなんだと思う?」
「テレパシーみたいなものなのかも。人間の身体のなかには常に微弱な電流が生じているんだよ。たとえば身体を動かすとき、脳が筋肉に電気信号を送ってる。現実にそれを原理とした動く義手なんかも開発されているよ。そう考えたら、誰かの思考を誰かがキャッチするっていうのはあり得ないことじゃない。あくまでも僕が勝手に信じていることだけど」

 伊央は想像していたよりも誠実に言葉を返してきた。
 めぐるは科学というものは苦手な分野だが、伊央なりに理解しようとしてくれたことを喜んだ。

「まさか信じてくれるとは思わなかった」
「だって本当に思ってたから。『こんな世界なくなっちゃえばいいのに』って。だからめぐるの言ってること、信じられるよ」
「今も世の中を恨んでる?」
「ううん、今はぜんぜん。そういうの、全部すうっとなくなってた」

 伊央は笑って答えた。自分の存在を否定する要因がなくなり、それだけで心が晴れ晴れとなる。
 めぐるも安らかな気持ちになって大きく深呼吸をした。
 丘を通り抜けていく風が気持ちいい。昼間は気温が高いけれど、日没後は湿度もさがり、過ごしやすい。

「いつの間にか風が涼しくなったね」
「もうすぐ夏が終わるんだね」

 伊央もしみじみと言う。

「そうだね。きっとあっという間に秋が来るんだろうね」

 この街は一年を通して風が強い。その風が季節を運んできて、毎年お盆を境に夏と秋が入れ替わる。めぐるはそれを肌で感じながら、伊央と過ごしてきた時間の流れの速さに驚いていた。

 そしてこのとき、さらなる衝撃がふたりの身に降りかかった。

「あれ? なんか様子がおかしいよ」

 ふいに伊央がつぶやいた。その理由は、めぐるにもすぐにわかった。

「どういうこと?」

 丘の下に広がる街の明かりが区画ごとに一気に消えていく。瞬く間に、眼下に広がる街並みはほとんどの生活の光を失った。
 代わりに浮かびあがるのは国道や県道に連なる車のライトと非常用電源の光のみ。それはとても奇怪な光景だった。

「停電?」

 めぐるは不安に駆られた。天候も穏やかだし、災害も起きていない。こんな現象に遭遇するのは生まれて初めてだ。

「そうみたいだね。しかもかなり広範囲だよね」
「なんだか怖いよ、伊央」
「そのうち復旧するよ。外国ならともかく、ここは日本なんだから」
「だといいけど」

 ランタンの明かりだけが頼りだった。めぐるは息を呑み、この状況にじっと耐えるしかなかった。
 しかし、しばらくすると伊央が異変に気がつき、声をあげた。

「見て! すごいことになってる!」
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