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(8)お互いを補う関係
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「僕も経験不足でなんて言葉をかけていいのかわかりません」
「それでハグ?」
「気持ち悪かったら離れますけど」
「ううん。このままでいい。しばらくこうしていたい」
どれだけ弱っているんだろう。いつもなら言わないような言葉も自然と出てくる。
「僕は雨宮さんを格好悪いなんて思ったことはありません」
「うれしいこと言ってくれるね」
「本心です。でも泣きたくなったら僕を呼んでください。ひとりで泣かせたくないんで」
そこまで言われてしまうと勘違いしそうになる。わたしたちは恋人同士じゃない。似たような境遇でつながっているだけの関係だ。
だけど不思議だね。こうしていると悲しみが薄れていく。ひとの温もりがこんなにもわたしに力を与えてくれるなんて、すっかり忘れていたよ。
鼻をすすり、指でそっと涙をぬぐう。
「ありがと。元気出た」
「本当ですか?」
「うん。自分でもびっくりするくらい」
体を離すと、蓮見くんがほっとしたように肩の力を抜いた。
「行こうか」
そう言ってまた歩き出す。つないだ手は離れてしまったけれど、さっきよりも平常心を保つことができる。
「蓮見くんは商品開発部に向いていると思うよ」
「そうでしょうか? 自分ではそんなふうに思ったことがなくて……」
「コツコツまじめに仕事に取り組んでいるし、いつも冷静だし、器用だし、お客様を大切にできる。うらやましいな」
「それ、まんま雨宮さんのことじゃないですか」
「いやいや、わたしなんて反省することばっかりだよ。三日に一度はへこんでるかも」
「意外です」
蓮見くんはくすりと笑った。
「おかしいよね」
「違います。自分のことを笑ったんです」
「どうして?」
「雨宮さんを心配して会いに来たんですけど、それだけじゃないのかもって。僕がここにいる理由ってたぶん……」
蓮見くんはそう言ったあと言いよどんだ。「たぶん」の続きはなんだろう。
沈黙が続く。雨あがりの静まり返った住宅街に足音だけが響いている。
「たぶん、僕がさびしかったんです。会議室で結城さんに泣かれたとき、ほかの男のために泣いている彼女をどうして僕がなぐさめなきゃいけないんだろうって考えてたらむなしくなって、誰かにそばにいてほしいって……」
言葉を選び、ゆっくりと伝えてくれる。
だめだ。わたしの胸が張り裂けそうだ。
「……だから、今日雨宮さんに会えてうれしかったです」
「うん……」
そう言うので精いっぱい。自分の語彙力のなさにあきれてしまう。だけど彼の言葉でどれだけわたしの孤独が癒やされただろう。
「つらいよね」
「そうですね」
「だよね。そうに決まってるよね」
つらくないはずない。これまでそんな素振りを見せることがなかったのは必死に隠していたからなんだね。
「でも雨宮さんのおかげで僕も元気出ました」
「わたしでも蓮見くんの役に立ってるのかな」
「はい。僕のつらさを知っているのは雨宮さんだけ。それだけで十分です」
「そっか」
「雨宮さんはもう大丈夫ですか?」
「うん。わたしも今日蓮見くんが来てくれてよかった。ひとりだったらしばらく引きずってたかも」
いまのこの時間のおかげで明日からまた仕事をがんばれそう。自分の未熟さやだめなところを知ることができた。今日の至らなかったところを今後に生かしていこう。そんなふうに前向きになることができたのは蓮見くんのおかげだ。
たったひとりでいい。アドバイスとかなぐさめの言葉がなくてもただいてくれるだけで心の支えになる。
「実は、結城さんの泣いた顔を初めて見ました」
それは意外。前に敦朗から、会社を辞める話を結城さんにしたときに「泣かれた」と聞いていたから。
「蓮見くんはやさしいもんね。彼女を泣かせるようなことをしなかったってことでしょう」
「雨宮さんは神崎部長と結婚していたとき、泣いたことはありましたか?」
「たくさん泣いたよ。喧嘩もいっぱいした」
「いいですね」
「よくないよ!」
「僕たちは一度もなかった」
だからうらやましいです、と蓮見くんが言った。
「喧嘩なんてしないに越したことはないと思うけどな。わたしは喧嘩ばかりで苦しかったから」
だからできれば喧嘩のない穏やかな日々を送りたいと強く思う。
「いまのふたりからは想像できないです」
「そう? 最悪だったよ。喧嘩の原因はいろいろで些細なことも少なくなかったんだけど、結果的に喧嘩の積み重ねが離婚の原因になった」
「え! そうだったんですか!」
蓮見くんが驚いて目を見開いた。
「すごーく大変だったよ」
「まあ、たしかに。喧嘩ばかりはきついですね。僕も本当は喧嘩なんて嫌いなんですけど、僕たちには必要なことだったんじゃないかって思ったんですよね」
「なんでそう思うの?」
「喧嘩してなんでも言い合える仲になっていれば……なんて考えることがあります」
「でもそれって相手が傷つかないように努めてたってことでしょう? 思いやりがあるってことじゃない?」
「いいえ、単なるプライドですよ。格好つけてただけです。彼女の心が揺れ動いていたとき、プライドを捨てて本音でぶつかっていれば引き留めることができたのかもって考えるときもありました」
いまとなってはその答えは誰にもわからない。それでもそう考えてしまうほど後悔しているんだろう。
わたしもそうだ。喧嘩ばかりだったあの頃。後悔しても遅いけれど後悔の日々だった。
お互い正反対の理由なのがおかしいけれど、わかり合いたい。そう思えた。
「それでハグ?」
「気持ち悪かったら離れますけど」
「ううん。このままでいい。しばらくこうしていたい」
どれだけ弱っているんだろう。いつもなら言わないような言葉も自然と出てくる。
「僕は雨宮さんを格好悪いなんて思ったことはありません」
「うれしいこと言ってくれるね」
「本心です。でも泣きたくなったら僕を呼んでください。ひとりで泣かせたくないんで」
そこまで言われてしまうと勘違いしそうになる。わたしたちは恋人同士じゃない。似たような境遇でつながっているだけの関係だ。
だけど不思議だね。こうしていると悲しみが薄れていく。ひとの温もりがこんなにもわたしに力を与えてくれるなんて、すっかり忘れていたよ。
鼻をすすり、指でそっと涙をぬぐう。
「ありがと。元気出た」
「本当ですか?」
「うん。自分でもびっくりするくらい」
体を離すと、蓮見くんがほっとしたように肩の力を抜いた。
「行こうか」
そう言ってまた歩き出す。つないだ手は離れてしまったけれど、さっきよりも平常心を保つことができる。
「蓮見くんは商品開発部に向いていると思うよ」
「そうでしょうか? 自分ではそんなふうに思ったことがなくて……」
「コツコツまじめに仕事に取り組んでいるし、いつも冷静だし、器用だし、お客様を大切にできる。うらやましいな」
「それ、まんま雨宮さんのことじゃないですか」
「いやいや、わたしなんて反省することばっかりだよ。三日に一度はへこんでるかも」
「意外です」
蓮見くんはくすりと笑った。
「おかしいよね」
「違います。自分のことを笑ったんです」
「どうして?」
「雨宮さんを心配して会いに来たんですけど、それだけじゃないのかもって。僕がここにいる理由ってたぶん……」
蓮見くんはそう言ったあと言いよどんだ。「たぶん」の続きはなんだろう。
沈黙が続く。雨あがりの静まり返った住宅街に足音だけが響いている。
「たぶん、僕がさびしかったんです。会議室で結城さんに泣かれたとき、ほかの男のために泣いている彼女をどうして僕がなぐさめなきゃいけないんだろうって考えてたらむなしくなって、誰かにそばにいてほしいって……」
言葉を選び、ゆっくりと伝えてくれる。
だめだ。わたしの胸が張り裂けそうだ。
「……だから、今日雨宮さんに会えてうれしかったです」
「うん……」
そう言うので精いっぱい。自分の語彙力のなさにあきれてしまう。だけど彼の言葉でどれだけわたしの孤独が癒やされただろう。
「つらいよね」
「そうですね」
「だよね。そうに決まってるよね」
つらくないはずない。これまでそんな素振りを見せることがなかったのは必死に隠していたからなんだね。
「でも雨宮さんのおかげで僕も元気出ました」
「わたしでも蓮見くんの役に立ってるのかな」
「はい。僕のつらさを知っているのは雨宮さんだけ。それだけで十分です」
「そっか」
「雨宮さんはもう大丈夫ですか?」
「うん。わたしも今日蓮見くんが来てくれてよかった。ひとりだったらしばらく引きずってたかも」
いまのこの時間のおかげで明日からまた仕事をがんばれそう。自分の未熟さやだめなところを知ることができた。今日の至らなかったところを今後に生かしていこう。そんなふうに前向きになることができたのは蓮見くんのおかげだ。
たったひとりでいい。アドバイスとかなぐさめの言葉がなくてもただいてくれるだけで心の支えになる。
「実は、結城さんの泣いた顔を初めて見ました」
それは意外。前に敦朗から、会社を辞める話を結城さんにしたときに「泣かれた」と聞いていたから。
「蓮見くんはやさしいもんね。彼女を泣かせるようなことをしなかったってことでしょう」
「雨宮さんは神崎部長と結婚していたとき、泣いたことはありましたか?」
「たくさん泣いたよ。喧嘩もいっぱいした」
「いいですね」
「よくないよ!」
「僕たちは一度もなかった」
だからうらやましいです、と蓮見くんが言った。
「喧嘩なんてしないに越したことはないと思うけどな。わたしは喧嘩ばかりで苦しかったから」
だからできれば喧嘩のない穏やかな日々を送りたいと強く思う。
「いまのふたりからは想像できないです」
「そう? 最悪だったよ。喧嘩の原因はいろいろで些細なことも少なくなかったんだけど、結果的に喧嘩の積み重ねが離婚の原因になった」
「え! そうだったんですか!」
蓮見くんが驚いて目を見開いた。
「すごーく大変だったよ」
「まあ、たしかに。喧嘩ばかりはきついですね。僕も本当は喧嘩なんて嫌いなんですけど、僕たちには必要なことだったんじゃないかって思ったんですよね」
「なんでそう思うの?」
「喧嘩してなんでも言い合える仲になっていれば……なんて考えることがあります」
「でもそれって相手が傷つかないように努めてたってことでしょう? 思いやりがあるってことじゃない?」
「いいえ、単なるプライドですよ。格好つけてただけです。彼女の心が揺れ動いていたとき、プライドを捨てて本音でぶつかっていれば引き留めることができたのかもって考えるときもありました」
いまとなってはその答えは誰にもわからない。それでもそう考えてしまうほど後悔しているんだろう。
わたしもそうだ。喧嘩ばかりだったあの頃。後悔しても遅いけれど後悔の日々だった。
お互い正反対の理由なのがおかしいけれど、わかり合いたい。そう思えた。
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