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5.今夜は欲ばりに甘えたい

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 翌日は月曜日。
 出勤するといつものように國枝先生のデスクまわりの掃除をはじめた。

 研究室には誰もいない。けれど今日は一限目に授業があるので國枝先生はあと三十分後ぐらいには出勤してくるはず。それまでに掃除を終わらせる予定だ。
 ところがドアをノックされ、こんな朝早くに誰だろうと思っていたらドアが開く音がした。続けて「おはよう」という声がする。
 そこに志摩さんが立っていた。いつもはノーネクタイなのに、今日はグレーのネクタイをしており、かしこまった感じだった。

「やっぱりいた。来るの、早いね」
「おはようございます。國枝先生ならまだいらしてませんが」
「いや、いいんだ。いらっしゃらないなら箱崎さんに預けていこうと思ってたから」

 見ると、その手には一冊の本がある。続けて、「お願いできるかな」とその本を掲げた。

「わかりました。お預かりします」

 本を受け取ると、見覚えのあるタイトル。

「この本、國枝先生がさがしていたものです。図書館にも書店にもなくて。古本屋さんにもあたってみたんですが、なかったんです」

 先々週、國枝先生に頼まれて論文に使う文献をそろえていた。志摩さんから預かった本は、リストのなかで唯一見つからなかった一冊だった。

「先週、國枝先生が嘆いていたんだよ。箱崎さんが手を尽くしても見つからなかったって。でもタイトルを聞いたら、たまたま僕が持っている本だったんだよ」
「すごい偶然ですね。この本、絶版になってしまって困っていたんです」
「実は、この本の著者、僕の大学時代の恩師なんだよ。それで持っていたんだ」
「そうなんですか!? ここまでくると奇跡ですね」

 このとき初めて知ったのだが、その著者はとても権威ある人で、今はアメリカにある研究機関に勤務しているそうだ。
 國枝先生はそれを知っていた上で、志摩さんに話をしたらしい。つまり、もしかして志摩さんなら持っているんじゃないかと期待していたのだ。

「箱崎さんとも縁があるみたいだね。披露宴でも偶然会えたし」
「本当にそうですよね」

 人とのつながりはつくづく不思議なものだと思う。
 わたしが航と出会えたのだって、大学で智花と友達になれたからだ。その智花が蒼汰くんとつき合っていなかったら、そして蒼汰くんが航と友達じゃなかったら、まったく違った運命だったのかもしれない。

「披露宴といえば、おとといは失礼しました。航のこともそうなんですが、わたしのスピーチもぐだぐだで。あれは思い出すのも嫌なんですけど」
「ぜんぜん気にしてないよ。それに日比谷さんはちゃんと謝罪してくれたしね」

 志摩さんは朗らかに言う。
 この器の大きさに、おとといは二度も助けられた。もっとも原因を作ったのも志摩さんではあるのだけれど。

「そうそう! 三次会で真野さんっていう子と話したよ。この大学の卒業生なんだってね」

 志摩さんが目を見開き、思い出したように言った。

「はい、真野ちゃんは学部が同じで、今でも仲よくしてます」

 そういえば真野ちゃんは、新しい出会いを求めて三次会に行ったんだった。ということは志摩さんと友達になれたのかな。

「真野ちゃんはすごくいい子なんです。明るくて前向きでやさしくて、男の子にも人気があったんですよ」
「モテそうなタイプだよね。実際、僕の友達が気に入っちゃって。連絡先も交換していたみたいだから、もしかしたらもしかするかもね」

 そっか、相手は志摩さんじゃないのか。でも、真野ちゃんにいい出会いがあったのならよかった。なにも協力できなかったけれど、逆にわたしがいなかったから、うまくいったのかも。

「なんか、うれしそうだね」
「真野ちゃんたち、うまくいくといいなと思って」
「そうだね、うまくいくといいね」

 志摩さんもうれしそうに言ってくれる。
 おととい、志摩さんから一定以上の好意を持たれているのを知ったばかりだけれど、こうして普通に話せているのは彼の気遣いがあるからだ。いつものように明るく接してくれるから、わたしも普通に話せる。

「それじゃあ僕はこれで。今日はこれから北海道に出張なんだ」
「もしかして、この本を渡すために大学に来たんですか?」

 ネクタイをしているのはそういうことだったのかと思いながら尋ねる。
 今から空港に行かなくてはならないほど時間がないのなら、自宅からまっすぐ向かえばいいだろうに。どれだけ律儀なんだろう。

「二日間留守にするから、なるべく早いほうがいいと思って。あっ、返すのはいつでもいいですよって國枝先生に伝えておいて」
「わかりました。わざわざありがとうございました」

 志摩さんはやさしげに目を細めて頷くと、研究室を出ていった。
 予想通り、それから三十分ほどして國枝先生が顔を出す。志摩さんが研究室にいらしたことを説明しながら預かった本を渡すと、「律儀だねえ」とわたしが思ったのと同じことを言って、感心していた。
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