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10.届かぬ想いの行方

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 部屋に入ると、わたしは三人分のコーヒーを淹れた。スティックシュガーとミルクを添えてテーブルに置くと、航が真っ先にコーヒーを飲んでくれた。

「雫さんもどうぞ」
「さっそく奥さん気取り? そうやってわたしを見下せて、さぞ気持ちいいよね」
「やめろ、雫」

 雫さんの攻撃的な言葉に航が注意をうながすが、雫さんは今にも舌打ちしそうなほど不機嫌な顔をしてわたしを牽制してきた。

「見下してなんていません。でもわたしの存在がうとましいというのはわかります。わたしもそう思ってますから」

 わたしは正直に話した。上辺だけの格好つけた言葉じゃ、彼女には伝わらない。そう思った。

「うとましい? そんなものじゃないでしょう? 憎くて仕方ないんじゃないの?」
「憎いというより怖いです。人からそういう感情を露骨にされるのが初めてで、正直雫さんにどう接していいのかもわかりません」
「じゃあ、怒れば?」
「えっ?」
「わたしが航くんとエッチしたとか、航くんがあなたの悪口を言ってたとか嘘ついて、ふたりの仲を裂こうとしたんだよ。わたしがあなたの立場なら、怒鳴り散らしていたと思う。でも改めてふたりで会ったときも、あなたはそうしなかった。わたしはその余裕もムカつく。だから航くんを絶対にあきらめないと決めたの」

 年下の雫さんにここまで言いあてられ、もうなにも返せなかった。
 雫さんの言う通り、わたしは覚悟とか航を信じているなどと言って、いい大人を演じていた。もちろんそれは本当のことだけれど、雫さんにとって本音をさらさないわたしは信用に値しないのかもしれない。

「俺とエッチした!? 悪口を言ってた!? なんだよ、それ!? 雫がそんな嘘を言ってたなんて初めて聞いたんだけど」
「嘘……。航くんは知らなかったの?」
「美織は雫のことはなにも言ってこなかった。ふたりで会ったこともな」
「……へ、へえ。そうなんだ」

 雫さんは動揺しているのか、目を泳がせていた。

「なんでかわかるか? 本当のことを言ったら、俺が雫を責めると思ったからだ。美織は雫のことを思いやって黙ってたんだよ」

 雫さんは衝撃を受けたように顔を強張らせる。そこへ航の冷たい声が追い打ちをかけた。

「でも俺は美織を傷つける人間は許さない。たとえ雫でも今から俺の敵だ」
「わ、航くん……」
「今までは多少の我儘も甘くみてやってきたけど、これ以上は無理だ。仕事の相談にものれない。電話もかけてこないでほしい」

 雫さんは悲しげな顔になり、唇を震わせた。
 航のわたしを大切に想ってくれる気持ちはすごくうれしかった。でも心から喜べない。こんな殺伐としたやり取りはつらすぎる。

「航、もういいの。わたしはもう傷ついてない。だから今の雫さんへの言葉を取り消して」

 わたしはできるだけ穏やかな表情を作って言った。でも航の怒りはおさまることはなかった。

「よくないだろう! もちろん俺にも落ち度がある。雫の気持ちに気づいていながら、なあなあにしてきたのが悪いんだ。でも雫が美織に言ったことは別だ!」

 航は興奮気味に言って、雫さんに向き直った。ここまで怒りを滲ませる航を見ることは初めてなのだろう。雫さんが小さく縮こまって脅えていた。

「雫、おまえの気持ちはわかったよ。でもだからって美織を攻撃していいことにはならない」
「航、本当にもうやめて。雫さんがわたしにあんなことを言ったのは、わたしを傷つけるためじゃなくて、航のことが好きだからだよ。そうまでしても航のことがほしかったんだよ」
「だからって、そんなことしてどうなる? なあ、雫だって苦しいだろう? 嫌なんだよ! 俺は雫のそんな顔をこれ以上見てられないんだ!」
「……航……くんっ……」

 雫さんの目からとうとう涙がこぼれた。わたしの前では泣きたくなかっただろうに。
 けれど一度流れた涙はそう簡単に止まることはなかった。我慢していた分、一気にあふれ、次から次へと頬を濡らしていく。華奢な身体が余計に小さく見える。すすり泣く声が部屋中に響いていた。
 わたしは見ていられなくて、雫さんの隣に移動しようとしたら、航に引き留められた。

「気がすむまで泣かせてやろう」
「でも……」
「いいんだ。今、俺たちがなぐさめてもどうにもならないんだよ」

 航の言う通りだった。どんな言葉も今の雫さんには届かない。今は現実を受け入れることが大切なのかもしれない。
 この日、泣き崩れた雫さんを抱えるようにして、航が部屋まで送った。だいぶ時間が経ってから戻ってきた航に様子を尋ねたら、憔悴しきってはいるけれど大丈夫だろうという答えだった。
 ふたりきりの部屋でなにを話したのかはわからない。でも雫さんのフォローはしているはず。航はそういう人だ。
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