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9.心の奥で触れ合って

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「さっきは恥ずかしいところを見せちゃってごめんね」
「いいえ。びっくりしましたけど、だいぶ落ち着きました」

 あのあと無事に役員会議室の生け込みを終え、久々に冴島さんとお昼ごはんを食べている。
 場所は前にふたりで訪れた、商店街にある馴染みの定食屋。日替わりメニューの鯖味噌定食をふたつ注文した。

 午前中、冴島さんを含め、三人であの役員会議室で打ち合わせをしていたそうだ。しかし冴島さんだけがほかの予定が入っていて途中退席し、最終的にあんなことに……。

「瑠璃さんっておきれいな方ですね。ハーフなんですか?」
「クウォーターだよ。母親が日本人とドイツ人のハーフで、有名なモデルだったらしいよ。子どもの頃はフランスとイタリアに住んでたって言ってたな」
「国際的な方なんですね」
「でも性格があんな感じだろう。最初は僕も驚いたよ。だけどあれで仕事はかなりできるんだ。色気を売りにしてるけど、そんじょそこらの男より男らしくて、柔道は黒帯で合気道も習ってたらしいよ」

 柔道に合気道か。それなら野上さんが押し倒されていたのも、なんとか頷ける。

「性格は少々難ありだとしても手もとに置いておきたい逸材なんだ」
「冴島さんが認めるほどすごい方なんですね」
「けっこうヘッドハンティングもあるらしいんだ。実は恒松社長も瑠璃を狙っていてね」
「恒松社長も?」
「彼、頭が切れるだけじゃなく、提示する契約金も半端じゃないから、ほんと困るんだよ」

 冴島さんは鯖味噌を口に運び、軽い口調で言う。

「参るよなあ。苦労してやっと口説き落としたのに」

 つまり冴島さんが自らヘッドハンティングしたということか。
 そこまで聞かされるとさすがに妬けてくる。彼女は冴島さんに認められた人。おまけにきれい。そんな人はきっとほんの一握りだ。

「レセプションの日、冴島さんと瑠璃さんをお見かけしました。あと恒松社長も。あれはそういうことだったんですね」
「そうなんだよ。レセプションに瑠璃が出席していることを小山田さんが知らせてくれたんだ」

 それで慌てて駆けつけたということだった。
 小山田さんの情報網は社内一らしく、どこから入手してきたのか、その情報を出先の冴島さんにいち早く伝えてきたそうだ。

「春名さんも近くにいたなら声をかけてくれればよかったのに」
「あまりにもおふたりがお似合いだったので」
「ふたりって、僕と瑠璃?」
「はい、それで勘違いしてしまいました。冴島さんが、恒松社長から強引に瑠璃さんを引き離すのを見て、てっきりおふたりが深い関係だと思ってしまったんです。瑠璃さんが冴島さんの本命なのかもしれないと……」
「そうだったんだ……」

 冴島さんはそう言ったきり、黙り込んでしまった。
 どうしたのだろう。今の話が冴島さんの気に障ってしまったのだろうか。

「失礼なことを言ってしまったのなら謝ります。ごめんなさい。でもそんなふうに思っていた自分が間違っていることに、あとから気づいたんです」

 わたしは野上さんとコタさんに相談して励まされたことを話した。それでも冴島さんの表情が沈んでいく。

「僕も気をつけるよ。誤解とはいえ、嫌な思いをさせちゃってごめん」
「謝らないでください。わたしがすぐに冴島さんに確認すればよかったんです」

 冴島さんを責めるつもりはまったくなかった。そうじゃなくて、わたしが言いたいのは……。

「今回のことを反省して、今度からは必要なときは自分の気持ちを正直に口にしたいと思います。……会いたいとか、声を聞きたいとか、我儘もあるかもしれないんですけど」

 うわぁ、この場の勢いで、言う予定のなかったことまで言ってしまった。冴島さんに引かれたらどうしよう。
 すると冴島さんが安心したように頬をゆるめた。

「めちゃめちゃうれしいよ。僕も正直に言うよ。実はここのところ自信をなくしていたんだ」
「冴島さんがですか?」
「うん。本当は、自分で思っているほど春名さんに好かれていないのかも、春名さんのやさしさを好意だと勝手に勘違いしていたんじゃないかって」

 冴島さんがどうして? わたしの態度がそんなふうに思わせてしまったの?

「でも気持ちを聞けてほっとした」

 なんだか信じられなくて冴島さんの顔を見つめることしかできない。
 やだ、どうしよう。冴島さんには申し訳ないけれど、これってすごくうれしいかも。そう思ったら、次第に興奮してきて顔がどんどん熱くなってくる。おまけに汗もふき出してきた。

 冴島さんがおもむろに箸を置く。よく見ると、すでに定食を食べ終わっていた。わたしときたら半分以上残っている。

「す、すみません。急いで食べますね」

 完全にキャパオーバー。わたしはとっさに話題を変えてしまった。

「ゆっくりでいいよ」

 冴島さんは気にする様子もなく微笑んでくれた。
 箸を持つ手が震えそうだ。彼の視線から逃れるように冷めたお味噌汁をすすった。

「今夜、会える?」

 えっ、急にそんなこと……。うれしいけれど、できればお味噌汁をすすっているときに言わないでほしかった。
 お味噌汁を飲み込んで、「はい」と返事をする。
 今日は残業の予定だったけれど、残った仕事は明日の開店前にやればいい。ようやく会えるんだ。このチャンスを逃したくない。
 わたしは視線を合わせる。

「うれしいです、会えるの」
「僕も」

 甘い声で即答されて、その余裕にやっぱり負けたと思いながら目を伏せた。
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