FLORAL-敏腕社長が可愛がるのは路地裏の花屋の店主-

さとう涼

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9.心の奥で触れ合って

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「咲都」
「はいっ!?」

 突然、下の名前で呼ばれ、反射的に顔を上げた。

「名前で呼んでみたかったんだ。いい?」
「はい、もちろんです」

 だけど、ますます顔がほてり、もう食事どころではない。胸がいっぱいになって、涙が浮かんできた。
 だって幸せなんだもん。好きな人に名前を呼ばれることがこんなにも感動することだったなんて、初めて知った。

「今回のことは反省してる。瑠璃のことで、それだけ咲都を追いつめてたってことだよね」
「えっ?」

 わたしの涙を見て、冴島さんは勘違いしたようだ。申し訳なさそうに眉尻を下げている。
 わたしは涙をぬぐい、「違うんです」と必死に否定するも、次から次へと涙がこぼれてきてしまい自分では手に負えない。そのうちまわりのお客様にまで注目されてしまった。

「どうした? 喧嘩かい?」

 とうとう見かねた店主の武藤さんがテーブルまで来る始末。

「いいえ、喧嘩じゃないんです!」

 でも武藤さんは怖い目で冴島さんをまじまじと見た。
 なんでこうなっちゃうの?

「ちょっと兄ちゃん。どんな理由なのか知らないけど、女の子を泣かせちゃだめだよ」
「武藤さん、誤解なんです」

 勘違いしている武藤さんを止めようとするも、「おじさんにまかせな」と聞く耳を持ってくれない。
 しかも「兄ちゃん」だなんて。彼があの冴島物産の創業者一族であることを知ったら、きっと腰を抜かすだろう。

「俺は咲都ちゃんが赤ん坊の頃から知ってるけどよ、まじめでがんばり屋で親孝行で、本当にいい子なんだよ」
「武藤さん、やめてください。これは──」
「咲都ちゃんは黙ってろ。かわいそうに、こんなに泣いて」

 すると冴島さんの顔が引きしまる。そしてきっぱりと言った。

「もう泣かせませんから。彼女を幸せにするとお約束します」

 冴島さん? 違うのに……。
 違うんです。わたしが泣いたのはうれしかったからなんです。もし冴島さんに裏切られていたら自分はどうなってしまうのだろうと怖くてたまらなかったから、今のこの時間が幸せで安心できるんです。
 だけど、うまく言葉にできない。

 武藤さんは冴島さんの言葉に一瞬呆気にとられていたけれど、彼の真剣さを感じ取り、心を動かされたようだった。

「男に二言はないな」
「もちろんです」
「今度泣かせたら、商店街の連中が黙っちゃいないからな。みんなで咲都ちゃんの恋愛を応援しようって一致団結したところなんだよ」

 商店街のみんなで? しかも、わたしの恋愛を応援?
 わたしって、そこまでされるほど心配されていたの?

「武藤さん、いくらなんでも大袈裟ですよ。もう子どもじゃないんですから」
「なに言ってんだよ、咲都ちゃん。ようやくできた彼氏が変な男だったらどうするんだよ?」
「変な人じゃないので安心してください」
「でもつき合って、まだ半月ぐらいなんだろう? そんなんで相手のことがわかるもんか」
「わかります──っていうか、つき合って半月ってどこからそんな情報を?」

 冴島さんとここに来たのは一ヶ月ほど前のことだ。

「そんなの決まってんだろう。塔子ちゃんから聞いたんだよ」
「やだ、お母さんったら……」

 商店街の集まりがあったときに嬉々《きき》として語っていたらしい。
 この間の日曜日のデートから帰ったあと、塔子さんに「どうだった?」としつこく聞かれ、そのときに少し前からおつき合いしていると報告をしたのだけれど。なにも商店街の人たちにまで話すことないじゃない。

「冴島さん、すみません」
「みんなに愛されてるんだね。でも僕のこの気持ちは誰にも負けないよ。これからは不安にさせないくらいに、咲都のことを大事にする」
「冴島さん……」

 だけど、わたしは十分なくらいに大事にされていた。これ以上、大事にされたらわたしはどうなってしまうのだろう。

「そういうことです。なのでご安心を」

 冴島さんが武藤さんからのプレッシャーを軽々とはねのけた。
 言い方はやわらかいのに自信に満ちた顔。逆に武藤さんがたじろぐほどだった。

「兄ちゃん、顔に似合わず男気があるなあ。そこまで言うなら信じるよ。とにかく咲都ちゃんをよろしく頼むな。俺は咲都ちゃんの父親からなにかあったら力になってほしいって言われてんだよ」
「お父さんが!?」 

 わたしは驚きのあまり、武藤さんの腕をすがるように掴んだ。

「その話をしたのって、いつのことですか!?」

 武藤さんには日頃から商店街の運営のことなどでお世話になっているけれど、父も個人的なおつき合いはそれほど深くなかったはず。それなのにわたし個人のことを頼むだなんて、違和感がある。
 武藤さんは少しさみしそうに微笑むと、静かに話しはじめた。

「春名さんはもし自分が死んだあと、咲都ちゃんが花屋を継ぐことになったら、どうか面倒を見てやってくれって頼みにきたんだよ」

 自分が死んだら……。そんなこと、わたしの前では言ったことないのに。

「父がそんなことを言っていたなんて、なんだか信じられません」

 花屋の仕事に関しては厳しくて、店を手伝うわたしにだめ出しばかりだった。わたしに期待なんてしていないふうで、花屋を継げと一度も言わなかった。

「俺だけじゃないよ。商店街のみんなに……一人ひとりに頭を下げてたよ。痩せ細った身体で、青白い顔で……。春名さん、どんなに心残りだったか。本当は自分でいろいろ教えたかったんだろうな」
「お父さん……なに言っちゃってんだろう。最後までわたしのこと……ぜんぜん信頼……してなかったんじゃない」

 涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。反抗的なことを口にしながらも本音はうれしくてたまらない。
 わたしが花屋になるってどうしてわかったの? お父さんが生きていた頃は、花屋になろうなんてこれっぽっちも考えていなかったんだよ。むしろ花屋が大嫌いだったんだから。

「僕も力になるよ。お父さんのお店、がんばって守っていこうね」

 冴島さんのやさしい声が胸に響いてくる。

「はい、がんばります。こんなふうに支えてもらっているわたしは幸せ者です」

 店を潰すものかと毎日朝から晩までがむしゃらに働いて、家に帰ってからも花の勉強をして、ひとりでがんばっているつもりでいた。けれどそれは傲慢な考えだった。
 わたしはたくさんの人に支えてもらっている。平栗さんをはじめとする商店街の人たちがいつも見守ってくれていたのだ。
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