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1.エンゲージリング
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「待ってください! 歩くの速すぎです」
「あ、悪い」
店を出ると、佐野先生は早足でずんずん歩いていくので、厚底サンダルのわたしは置いてけぼり。やっとのことで追いついて、佐野先生の横顔をチラリと盗み見たら落ち込んだような表情だった。
どうやらプレッシャーに負けてしまったらしい。指輪を買わなきゃいけない雰囲気に耐えられなくなってしまったようだ。
「プロポーズはいつするんですか?」
「そんなの俺が教えてほしいくらいだよ。いったい、いつ言えばいいんだ?」
じゃっかん、投げやりに言う。
「プロポーズって、そんなに勇気がいるものですか?」
「勇気というか……。結婚って、お互いの相手の人生も引き受けることでもあるから、なんだか怖いんだ」
佐野先生の場合、年齢的なことがあるし、ある程度のおつき合い期間となれば結婚という形になるのは自然なことだと思う。それでも、すんなりといかないものなのか。
これまでわたしはプロポーズなんてされたことがないし、結婚したいと思ったこともないので、どうにも佐野先生の気持ちを理解してあげることができない。
佐野先生にとって結婚の決め手はなんだったのだろう。結婚が怖いものだと言うのなら、それを決意させた相手はどんな人なんだろう。
「つき合ってどれくらいなんですか?」
「半年ぐらいかな」
「けっこう短いんですね」
「悪いかよ?」
「別にそういう意味ではないですよ。結婚までの期間は人それぞれだと思いますから」
「結婚前提のつき合いなんだよ。うちの小学校の校長の姪なんだ」
「じゃあ、お見合いみたいなものなんですね」
意外だというのが率直な感想。いまどき上司の勧める女性とお見合いだなんて、なんだか気の毒に思えてくる。
佐野先生は本当に彼女のことを好きなのだろうか。本当に幸せなのだろうか。
わたしはさっきの「怖い」という言葉がどうしても引っかかってしまう。結婚というのは、もっと夢があって浮き足立っちゃうようなものだと思っていたから。
「本当にその人と結婚したいと思ってるんですか?」
佐野先生はハッとした顔をするが、すぐに冷静に聞き返してきた。
「なんでそんなこと言うんだよ?」
「すごく不安そうなので。たまたま道端で会ったわたしなんかにエンゲージリングを選ぶのをつき合わせるなんて、佐野先生らしくないというか。昔の佐野先生はもっと自信に満ちていたような気がしたので」
いまの佐野先生はとても頼りなく映る。佐野先生にはもっと格好よくあってほしい。わたしが大好きだった佐野先生はすごく素敵な人だったから。
「大切な子、そう思ったから結婚したいと思った。それは本当だよ」
「ならいいんですけど」
「輝に心配されるとは、俺も情けないなあ」
佐野先生の彼女に対する想いはわかった。いまの短いセリフにすべてがつまっていて、たぶん本音なのだろう。彼女のことを心から愛しているんだ。
よかった……。
だけどなぜだろう。胸の奥が苦しい。さみしいような、悲しいような。疎外感のようなものも感じる。
「それにしても腹減ったなあ。なんか食べていくか? 今日のお礼におごってやるぞ」
歩いているうちに本来の調子を取り戻したのか、少し元気が出たみたい。佐野先生が少しばかり上から目線で言う。
だけど残念。
「お腹空いてません。お昼ごはんは、もうすませました」
「じゃあ、つき合えよ。デザートなら食べられるだろう?」
デザートと聞き、急に食欲がわいてくる。
「やった! なら喜んで!」
さっきまでの暗い気分はどこへやら。現金なもので、わたしはたったこれだけのことで気持ちが舞いあがってしまう。そういうところはまだまだ子どもだ。
きっと佐野先生もわたしのそういうところを見越して、言ったのだろう。あの頃と変わらない、朗らかな笑みを浮かべていた。
佐野先生が連れていってくれた店はわたしのリクエストで回転寿司の店。杏仁豆腐にパンナコッタ、チーズケーキに特製ソフトクリーム。たらふく食べて大満足。
「いくらなんでも食べすぎじゃないか? 腹壊すぞ」
「平気です。いつもこれくらいペロリと平らげてますから」
「太るぞ」
「大丈夫です。その分ちゃんと運動しますし、佐野先生と違ってまだまだ若いんで、新陳代謝もいいですから」
「ずいぶんと生意気になったなあ。昔は素直でかわいい子だったのに」
こうして七年ぶりの再会の時間が過ぎ去ろうとしていた。
食事中、意外に会話がはずんだ。佐野先生はわたしの大学生活に興味津々で、なんの授業をとっているのか、どんな分野に興味があるのか、はたまた彼氏はいるのかなど、矢継ぎ早に質問してきては楽しそうに笑った。
子どもの成長がうれしいみたい。完全にわたしのことを教え子のひとりとして接している。
でもわたしはちょっと違った。少し緊張していた。最初はそんなふうでもなかったんだけれど、笑いかけてくれたり、感心してくれたりと、間近で佐野先生のいろいろな表情を見ているうちにだんだんと意識してしまうようになってしまった。
力強い眼差し、男らしい喉ぼとけ、低いけどやさしい声、箸を持つ指先にさえドキドキしてしまう。
どうかこのドキドキは一時的なものであってほしい。だってわたしたちの間には次の約束はない。連絡先の交換もしていない。偶然がない限り、会うのもきっと今日が最後だろう。
「あ、悪い」
店を出ると、佐野先生は早足でずんずん歩いていくので、厚底サンダルのわたしは置いてけぼり。やっとのことで追いついて、佐野先生の横顔をチラリと盗み見たら落ち込んだような表情だった。
どうやらプレッシャーに負けてしまったらしい。指輪を買わなきゃいけない雰囲気に耐えられなくなってしまったようだ。
「プロポーズはいつするんですか?」
「そんなの俺が教えてほしいくらいだよ。いったい、いつ言えばいいんだ?」
じゃっかん、投げやりに言う。
「プロポーズって、そんなに勇気がいるものですか?」
「勇気というか……。結婚って、お互いの相手の人生も引き受けることでもあるから、なんだか怖いんだ」
佐野先生の場合、年齢的なことがあるし、ある程度のおつき合い期間となれば結婚という形になるのは自然なことだと思う。それでも、すんなりといかないものなのか。
これまでわたしはプロポーズなんてされたことがないし、結婚したいと思ったこともないので、どうにも佐野先生の気持ちを理解してあげることができない。
佐野先生にとって結婚の決め手はなんだったのだろう。結婚が怖いものだと言うのなら、それを決意させた相手はどんな人なんだろう。
「つき合ってどれくらいなんですか?」
「半年ぐらいかな」
「けっこう短いんですね」
「悪いかよ?」
「別にそういう意味ではないですよ。結婚までの期間は人それぞれだと思いますから」
「結婚前提のつき合いなんだよ。うちの小学校の校長の姪なんだ」
「じゃあ、お見合いみたいなものなんですね」
意外だというのが率直な感想。いまどき上司の勧める女性とお見合いだなんて、なんだか気の毒に思えてくる。
佐野先生は本当に彼女のことを好きなのだろうか。本当に幸せなのだろうか。
わたしはさっきの「怖い」という言葉がどうしても引っかかってしまう。結婚というのは、もっと夢があって浮き足立っちゃうようなものだと思っていたから。
「本当にその人と結婚したいと思ってるんですか?」
佐野先生はハッとした顔をするが、すぐに冷静に聞き返してきた。
「なんでそんなこと言うんだよ?」
「すごく不安そうなので。たまたま道端で会ったわたしなんかにエンゲージリングを選ぶのをつき合わせるなんて、佐野先生らしくないというか。昔の佐野先生はもっと自信に満ちていたような気がしたので」
いまの佐野先生はとても頼りなく映る。佐野先生にはもっと格好よくあってほしい。わたしが大好きだった佐野先生はすごく素敵な人だったから。
「大切な子、そう思ったから結婚したいと思った。それは本当だよ」
「ならいいんですけど」
「輝に心配されるとは、俺も情けないなあ」
佐野先生の彼女に対する想いはわかった。いまの短いセリフにすべてがつまっていて、たぶん本音なのだろう。彼女のことを心から愛しているんだ。
よかった……。
だけどなぜだろう。胸の奥が苦しい。さみしいような、悲しいような。疎外感のようなものも感じる。
「それにしても腹減ったなあ。なんか食べていくか? 今日のお礼におごってやるぞ」
歩いているうちに本来の調子を取り戻したのか、少し元気が出たみたい。佐野先生が少しばかり上から目線で言う。
だけど残念。
「お腹空いてません。お昼ごはんは、もうすませました」
「じゃあ、つき合えよ。デザートなら食べられるだろう?」
デザートと聞き、急に食欲がわいてくる。
「やった! なら喜んで!」
さっきまでの暗い気分はどこへやら。現金なもので、わたしはたったこれだけのことで気持ちが舞いあがってしまう。そういうところはまだまだ子どもだ。
きっと佐野先生もわたしのそういうところを見越して、言ったのだろう。あの頃と変わらない、朗らかな笑みを浮かべていた。
佐野先生が連れていってくれた店はわたしのリクエストで回転寿司の店。杏仁豆腐にパンナコッタ、チーズケーキに特製ソフトクリーム。たらふく食べて大満足。
「いくらなんでも食べすぎじゃないか? 腹壊すぞ」
「平気です。いつもこれくらいペロリと平らげてますから」
「太るぞ」
「大丈夫です。その分ちゃんと運動しますし、佐野先生と違ってまだまだ若いんで、新陳代謝もいいですから」
「ずいぶんと生意気になったなあ。昔は素直でかわいい子だったのに」
こうして七年ぶりの再会の時間が過ぎ去ろうとしていた。
食事中、意外に会話がはずんだ。佐野先生はわたしの大学生活に興味津々で、なんの授業をとっているのか、どんな分野に興味があるのか、はたまた彼氏はいるのかなど、矢継ぎ早に質問してきては楽しそうに笑った。
子どもの成長がうれしいみたい。完全にわたしのことを教え子のひとりとして接している。
でもわたしはちょっと違った。少し緊張していた。最初はそんなふうでもなかったんだけれど、笑いかけてくれたり、感心してくれたりと、間近で佐野先生のいろいろな表情を見ているうちにだんだんと意識してしまうようになってしまった。
力強い眼差し、男らしい喉ぼとけ、低いけどやさしい声、箸を持つ指先にさえドキドキしてしまう。
どうかこのドキドキは一時的なものであってほしい。だってわたしたちの間には次の約束はない。連絡先の交換もしていない。偶然がない限り、会うのもきっと今日が最後だろう。
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