恋い焦がれて

さとう涼

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3.不謹慎なデート

013

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 いよいよ今日は佐野先生とのデートだ。
 デートと思っているのは自分だけなのが悲しいけれど、今日だけはめいいっぱい楽しみたい。
 もちろん美術館に行くだけ。それ以上は望まない。特別な意味がないから佐野先生が一緒に行こうと言ってくれたこともわかっている。だから最初で最後の思い出にするんだ。

 午前九時。支度を終え、自分の部屋で待っていると、約束通り、電話が鳴った。
 もうすぐ着くということだったので、外で待つことにした。

 わたしは家族と分譲マンションに住んでいる。小学四年生のときにこのマンションに引っ越してきた。
 翌年、佐野先生が担任になって家庭訪問でうちに来たんだけれど、わたしは緊張してドキドキしていたのに、佐野先生はリビングに入るなり、壁に飾ってある白いイチゴの花の絵を見て、「素敵な絵ですね」と朗らかに言った。それは母が趣味で描いている水彩画で、イチゴの花はわたしの誕生花でもある。イチゴの花を見たことがなかった佐野先生は、興味深げにその絵を眺めていた。
 母は中学と高校は美術部で、高校を卒業してからは絵を描くことはなかったらしいけれど、わたしが小学生になった頃から再び絵を描くようになった。意外にも佐野先生も中学と高校時代は美術部だったらしく、母と少しだけそんな話をしていたことを覚えている。

 一分ほどで一台の黒いステーションワゴンが走ってくるのが見えた。左のウインカーが点滅し、減速してマンションの前に止まる。助手席のパワーウィンドウが開いて、運転席に座っている佐野先生が見えた。

「乗って」

 どうしよう……。
 初めての佐野先生の車に舞いあがる。身体が固まって動くことができない。そんなわたしを不思議がり、佐野先生が車のなかから助手席のドアを開けてくれた。

「どうした? 具合でも悪いのか?」
「いいえ、大丈夫です」

 助手席に乗り込むと、ふわりと芳香剤の香りがした。ドアを閉め、シートベルトに手にかける。

「九時じゃちょっと早かったかな? バイト、夜中までだもんな」
「早くないですよ。バイト明けでも、朝はちゃんと起きるんで。お母さんがうるさいんです。朝ごはんはちゃんと食べなさいって。だから、家族みんな、休みの日でも早起きなんです」
「輝は意外にちゃんとしてるんだな」
「『意外に』は余計です」

 佐野先生が楽しそうに笑った。
 わたしがシートベルトを着用したタイミングで、佐野先生がウインカーを右に切り替える。後方を確認すると、ゆっくりと車を発進させた。

「ご両親は変わりないようだな」
「元気ですよ。マンションのローンもたっぷり残ってますし、妹もまだ小さいんで、倒れられちゃ困ります」
「それはそうだな。輝の大学の学費もあるしな。妹さんもいたんだな」
「はい。六つ下なんで、いま中二です。生意気盛りで参ります」

 ジュエリーショップの帰りに立ち寄った回転寿司の店でもいろいろと近況を話していたけれど、あのとき話しきれなかったこともたくさんあって、車のなかでも話は尽きなかった。
 佐野先生はやさしい。運転中も常にわたしの様子をうかがって、車酔いはしていないかとか、喉は乾いていないかと気遣ってくれる。運転も丁寧で、高速道路ではずっと走行車線を走っていて、無理に追い越そうとはしない。大人の余裕があって、すごく安心できる。


 二時間後、道に迷うことなく無事に美術館に着いた。佐野先生は車のナビをセットしていなかった。あらかじめ道順を調べていたのかなと思ったけれど、高速道路をおりてからはわかりにくい道。にもかかわらずスムーズにハンドルを動かして、曲がり角を曲がっていた。
 前にも来たことがあるのだろうか。そう思わせるような運転だった。

 広い駐車場なのに、あまり空いているところがなく、なるべく出入口近くのところをさがして、そこに車を駐車した。
 近代的で洗練されたコンクリートの建物が豊かな自然のなかにそびえ立っている。一部、天井と壁面がガラス張りになっていて、太陽の光に反射したガラスが宝石の翡翠《ひすい》みたいに見えた。

「きれい……」

 思わずつぶやいた言葉に、佐野先生が小さく笑った。

「だろう?」
「やっぱり前にも来たことがあったんですね」
「まあな。これでも元美術部だから」
「知ってます」
「あれ? そんな話したことあったか?」
「小学生のときに聞きました」

 佐野先生は当時のことを覚えていないみたいで、「本当か?」と納得いかないような顔をする。結局最後まで思い出すことができず、とても悔しそうだった。
 わたしは、そんな佐野先生の表情を一瞬たりとも見落とすまいと、必死に脳裏に焼きつかせていた。こんな顔を見るのも今日が最後になるのかなと思ったら、途端に苦しくなって、胸がきゅっと痛んだ。

「輝?」

 ふいに佐野先生がわたしに目線を合わせるように、少し腰を曲げてかがんだ。すごく近い。
 たぶん普段からこんなふうに教え子に接しているんだろう。だけど二十歳のわたしにはこれはきつい。意識してしまって、身体が硬直してしまった。仕方なく佐野先生の目を見つめ返していたら、逆にすっと視線をそらされた。

「佐野先生?」
「なんか、悪い。癖だな」

 恥ずかしそうに言って、苦笑した。
 なに、それ。佐野先生のほうが照れてるじゃん。やだ、おかしい。こんなことってあるんだ。

「なかに入ろう、佐野先生」
「なんで笑う?」
「笑ってませんよ」
「いや、笑ってるだろう」

 笑ってしまった理由は、佐野先生も普通の男の人なんだなあと思ったから。きっと、わたしのことをちょっとだけ女性として意識してくれたんだと思う。
 ジュエリーショップに入るのを躊躇していた佐野先生も意外でびっくりしたけれど、こんな姿も新鮮だ。子どもの頃には見ることのできなかった、もうひとりの佐野先生が顔をのぞかせるたびに、自分が大人として扱ってもらっていることを感じる。
 うれしい。でも期待しそうになる。わたしの心は揺れ動き、複雑な心境だった。
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