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お題:最近思うこと。
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『大人になるということ』
「もうやだー、おもしろーい」
「だろ? まったく困っちまったよ」
オフィスの最奥にあるデスクに座る男。
その男へ淹れたてのコーヒーを持っていった女。
かれこれ10分ほど雑談をしている二人。
二人の会話は部署内にいる全員の耳に届いていることだろう。
「……あの二人、寝たと思う?」
隣のデスクで仕事をしていた同僚が、私にこっそりと声をかけてきた。
顔に出していないつもりでいたが、どうやら私は厳しい表情をしていたらしい。
同僚は頬に人差し指をあてて、強引に口角を上げながら顔をのぞき込んでくる。
どうやら「笑え」と、私に伝えたいようだ。
「いまは仕事中です。本日は金曜日ですし、その件でしたら終業後にアルコール有りの交流会を希望します」
「かしこまりました。では終業後に我が家の最寄り駅の店を予約してもよろしいかしら? うちに宿泊も可ですよ」
「それはとても良いご提案です。よろしくお願いいたします」
同僚に向かってにっこりと笑顔を浮かべて話しかける。
同僚は私に負けないくらいの良い笑顔で親指を立てた。
最近、同じ部署の男性上司と、とある女性社員との関係が怪しい。
二人は女性が新入社員だったころに、上司が教育係だったという関係だ。
もとから二人の間にはなにかありそうだと疑ってはいた。
女性が社外の男性と結婚し、産休育休という会えない期間を経たことで、なにかが再燃してしまったのかもしれない。
二人は関係を隠しているつもりのようだが、わかりやすく職場でいちゃついている。
「あの二人もようやるわ。お子さんまだ小さくて手のかかる時期なんじゃないのかね?」
「その話は終業後の交流会まで我慢してください」
「はいはい。しっかしさ、アンタはプロジェクトであの二人と一緒のチームだから大変だよね」
「……それについては否定いたしません」
私は笑顔を崩してため息をついてしまった。
上司には仕事のことで相談したいことが山ほどある。
だが、私が声をかけようにも、上司はプロジェクトの有無に関わらずもともと忙しい。そのうえ、いまは女性社員との時間を大切にしたいようで蔑ろにされてしまう。
女性のほうにだって頼みたい仕事がいくらでもある。
しかし、私より社歴の長い彼女は、後輩に指示されるのが気に入らないらしい。
休み明けの時短勤務なのだから任せられる仕事に限りがあるのは仕方がないことなのに、雑用ばかりだと不満を言うのだ。
まるで私が女性社員をいじめているように周囲へ吹聴する。
私が上司と組んで仕事をしていることにも嫉妬しているのだろう。
そして、私は上司に呼び出されて説教をされる。
「大人なのだから、もう少し空気を読みなさい」
何度も言われた。
空気を読めと上司は口にするが、十分に不倫関係の二人に配慮して動いていると思う。
礼を言われてよいくらいだと思っているが、それはそれで不倫に協力しているようで遠慮したい。
幸い、声をかけてくれた同僚のように、私のことを理解してくれる人がいるから仕事を続けられている。
しかし、どう頑張ったところで上司も女性社員も私情をはさみがちなので、悩みはつきない。
最近思うことがある。
『私がなりたかったのはこんな大人だったかな』
好きな本を読んでいてもつまらない。
以前は大好きな作家の新作が発表されると、それだけでそわそわしていた。
発売日に購入して、寝不足になりながら読んでいた。
音楽だって映画だって、以前のほうが感情を揺さぶられていた気がする。
『大人ってもっとかっこよくて、素敵な人ばかりだと思ってた』
最近はなにをしていても、つまらなくなったような気がするのだ。
自分がつまらない人間になってしまったようで、落ち込んでしまう。
こんなことを考えるのは心の健康を害しているとわかっていても、どろどろとした感情が押し寄せてくる。
「……やっぱり、今日は家でおとなしく本を読もうかな」
思春期に読んで号泣した物語。
最近はなにをしていてもつまらないから避けていた。
「あら残念。いつでも話を聞くから、きつくなったら言うんだぞ」
「ありがとう。やば、優しい同僚がいて泣きそう」
「だろうだろう。私の半分は優しさでできてんだから。誰だってひとりでゆっくり過ごしたくなるときもあるだろうさ」
だから気にするな、そう言って朗らかに笑う同僚が眩しい。
結局のところ、私は物語が好きだ。
ひとりで静かに本を読んで、心を落ち着けたくなるときがある。
「……空気を読むって、こういうことなのかねえ」
しみじみつぶやいた私に、同僚が不思議そうな顔をする。
「私もいつか誰かにそっと寄り添える優しい大人になれるかな」
「もうやだー、おもしろーい」
「だろ? まったく困っちまったよ」
オフィスの最奥にあるデスクに座る男。
その男へ淹れたてのコーヒーを持っていった女。
かれこれ10分ほど雑談をしている二人。
二人の会話は部署内にいる全員の耳に届いていることだろう。
「……あの二人、寝たと思う?」
隣のデスクで仕事をしていた同僚が、私にこっそりと声をかけてきた。
顔に出していないつもりでいたが、どうやら私は厳しい表情をしていたらしい。
同僚は頬に人差し指をあてて、強引に口角を上げながら顔をのぞき込んでくる。
どうやら「笑え」と、私に伝えたいようだ。
「いまは仕事中です。本日は金曜日ですし、その件でしたら終業後にアルコール有りの交流会を希望します」
「かしこまりました。では終業後に我が家の最寄り駅の店を予約してもよろしいかしら? うちに宿泊も可ですよ」
「それはとても良いご提案です。よろしくお願いいたします」
同僚に向かってにっこりと笑顔を浮かべて話しかける。
同僚は私に負けないくらいの良い笑顔で親指を立てた。
最近、同じ部署の男性上司と、とある女性社員との関係が怪しい。
二人は女性が新入社員だったころに、上司が教育係だったという関係だ。
もとから二人の間にはなにかありそうだと疑ってはいた。
女性が社外の男性と結婚し、産休育休という会えない期間を経たことで、なにかが再燃してしまったのかもしれない。
二人は関係を隠しているつもりのようだが、わかりやすく職場でいちゃついている。
「あの二人もようやるわ。お子さんまだ小さくて手のかかる時期なんじゃないのかね?」
「その話は終業後の交流会まで我慢してください」
「はいはい。しっかしさ、アンタはプロジェクトであの二人と一緒のチームだから大変だよね」
「……それについては否定いたしません」
私は笑顔を崩してため息をついてしまった。
上司には仕事のことで相談したいことが山ほどある。
だが、私が声をかけようにも、上司はプロジェクトの有無に関わらずもともと忙しい。そのうえ、いまは女性社員との時間を大切にしたいようで蔑ろにされてしまう。
女性のほうにだって頼みたい仕事がいくらでもある。
しかし、私より社歴の長い彼女は、後輩に指示されるのが気に入らないらしい。
休み明けの時短勤務なのだから任せられる仕事に限りがあるのは仕方がないことなのに、雑用ばかりだと不満を言うのだ。
まるで私が女性社員をいじめているように周囲へ吹聴する。
私が上司と組んで仕事をしていることにも嫉妬しているのだろう。
そして、私は上司に呼び出されて説教をされる。
「大人なのだから、もう少し空気を読みなさい」
何度も言われた。
空気を読めと上司は口にするが、十分に不倫関係の二人に配慮して動いていると思う。
礼を言われてよいくらいだと思っているが、それはそれで不倫に協力しているようで遠慮したい。
幸い、声をかけてくれた同僚のように、私のことを理解してくれる人がいるから仕事を続けられている。
しかし、どう頑張ったところで上司も女性社員も私情をはさみがちなので、悩みはつきない。
最近思うことがある。
『私がなりたかったのはこんな大人だったかな』
好きな本を読んでいてもつまらない。
以前は大好きな作家の新作が発表されると、それだけでそわそわしていた。
発売日に購入して、寝不足になりながら読んでいた。
音楽だって映画だって、以前のほうが感情を揺さぶられていた気がする。
『大人ってもっとかっこよくて、素敵な人ばかりだと思ってた』
最近はなにをしていても、つまらなくなったような気がするのだ。
自分がつまらない人間になってしまったようで、落ち込んでしまう。
こんなことを考えるのは心の健康を害しているとわかっていても、どろどろとした感情が押し寄せてくる。
「……やっぱり、今日は家でおとなしく本を読もうかな」
思春期に読んで号泣した物語。
最近はなにをしていてもつまらないから避けていた。
「あら残念。いつでも話を聞くから、きつくなったら言うんだぞ」
「ありがとう。やば、優しい同僚がいて泣きそう」
「だろうだろう。私の半分は優しさでできてんだから。誰だってひとりでゆっくり過ごしたくなるときもあるだろうさ」
だから気にするな、そう言って朗らかに笑う同僚が眩しい。
結局のところ、私は物語が好きだ。
ひとりで静かに本を読んで、心を落ち着けたくなるときがある。
「……空気を読むって、こういうことなのかねえ」
しみじみつぶやいた私に、同僚が不思議そうな顔をする。
「私もいつか誰かにそっと寄り添える優しい大人になれるかな」
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