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「鬼火だ! 鬼火が出たぞ!」
「ひいいいい、恐ろしや」
数馬が声の聞こえた方角に視線を向けると、そこには村人たちの姿があった。畑仕事を終えて帰路についていたのであろう。農具を手にした男たちが慌てふためいている。
村役人と同様、村人たちは顔を青くして大げさに身体を震わせながら、身を寄せ合っていた。
「……はあ、一人前の男たちが情けない。あのような女ひとりになにをそこまで怯えることがあるのか」
数馬は呆れかえってため息をつきながらぼやいた。すると、その声が聞こえていた村人たちが、信じられないものを見るような目を数馬に向けてきた。
「……お、お侍さまはあれが恐ろしくはないのですか?」
「たかが女ひとりだろう。私にはお前たちがそのように恐れるほうが不思議でならない」
「で、ですがお侍さま。あのように炎がゆらゆらと……」
村人たちは数馬に向かい、必死になって女のいる方角を見るように促してきた。あまりに必死に訴えてくるので、しかたなく数馬は再び女の方へ視線を向ける。
すると、そこには茶碗ほどの大きさの火の玉がぼんやりと浮かび上がっていたのだ。
「ん、なんだあれは」
数馬がおもわずそう声を上げたとき、火の玉がゆっくりと左右に揺れた。火の玉はそのまますうっと宙に浮かび上がっていく。
「──っひ、ひいいい! やはり鬼火だ」
「呪われる!」
村人たちは手にしていた農具を地面に落として顔を覆ってしまった。彼らは火の玉を視界に入れないようにしながらその場にうずくまると、念仏を唱えだす。
「……あれが鬼火だと? あんなものはただの蝋燭の灯りではないか」
数馬がそう言ったとき、浮かび上がっていった火の玉が、山桜の木の枝の辺りでぱっと二つに分かれた。
それを見ていた村人の一人が、数馬に向かって怒声を上げる。
「ご覧になったでしょう? あれが蝋燭の灯りであるものか。お侍さまが妙なことを言うから、霊が怒ってしまったじゃないか!」
恨みがましい視線を向けられて、数馬は驚愕した。怨霊や鬼火に対する村人たちの恐怖を侮っていた。
数馬は動揺から返答に窮してしまい、村人の力強い目から逃れるように山桜の方へ身体を向けた。
すると、再び視界に入った二つの火の玉が、上下左右に激しくゆらゆらと揺れはじめたのだった。
「……なるほどな。たしかに蝋燭の灯りであれば、あのような動きをすることはおかしいか」
数馬は腕を組み、目を凝らしながら火の玉の動きを観察した。
しばらくして、二つに分かれた火の玉は音もなく消えてしまった。気がつけば、その場にいたはずの女の姿もなくなっている。
村人たちは「鬼火だ」「呪いだ」などと大騒ぎをしている。数馬はその姿を眺めながら、何度目かわからないため息をつくと、騒ぐ村人たちに向かって声をかけた。
「おおかた誰かが火の始末を忘れでもしたのであろう。山から吹き下ろしてくる風で蝋燭の灯りが揺れただけだ」
数馬はすっかり冷静さを取り戻した。
すると、途端に腹立たしい気持ちになり、女のいた橋のたもとに勢いよく近づいていった。まだ近くに女がいれば、なにか言ってやらねば気が済まないと、強く拳を握る。
「──まったく。どうせあの女が灯りを置き忘れていったのだろう。火の不始末で山火事にでもなったらたまらんぞ」
数馬は山桜の木の根元に立つ。先ほどまで火の玉が出現していた場所だ。
きっとまだ近くにいるはずだと女の姿を探そうとしていたとき、山の方角から風が吹いてきた。その風に乗って、かすかな香りが鼻をかすめる。
「……ん、なんだこの匂いは?」
「ひいいいい、恐ろしや」
数馬が声の聞こえた方角に視線を向けると、そこには村人たちの姿があった。畑仕事を終えて帰路についていたのであろう。農具を手にした男たちが慌てふためいている。
村役人と同様、村人たちは顔を青くして大げさに身体を震わせながら、身を寄せ合っていた。
「……はあ、一人前の男たちが情けない。あのような女ひとりになにをそこまで怯えることがあるのか」
数馬は呆れかえってため息をつきながらぼやいた。すると、その声が聞こえていた村人たちが、信じられないものを見るような目を数馬に向けてきた。
「……お、お侍さまはあれが恐ろしくはないのですか?」
「たかが女ひとりだろう。私にはお前たちがそのように恐れるほうが不思議でならない」
「で、ですがお侍さま。あのように炎がゆらゆらと……」
村人たちは数馬に向かい、必死になって女のいる方角を見るように促してきた。あまりに必死に訴えてくるので、しかたなく数馬は再び女の方へ視線を向ける。
すると、そこには茶碗ほどの大きさの火の玉がぼんやりと浮かび上がっていたのだ。
「ん、なんだあれは」
数馬がおもわずそう声を上げたとき、火の玉がゆっくりと左右に揺れた。火の玉はそのまますうっと宙に浮かび上がっていく。
「──っひ、ひいいい! やはり鬼火だ」
「呪われる!」
村人たちは手にしていた農具を地面に落として顔を覆ってしまった。彼らは火の玉を視界に入れないようにしながらその場にうずくまると、念仏を唱えだす。
「……あれが鬼火だと? あんなものはただの蝋燭の灯りではないか」
数馬がそう言ったとき、浮かび上がっていった火の玉が、山桜の木の枝の辺りでぱっと二つに分かれた。
それを見ていた村人の一人が、数馬に向かって怒声を上げる。
「ご覧になったでしょう? あれが蝋燭の灯りであるものか。お侍さまが妙なことを言うから、霊が怒ってしまったじゃないか!」
恨みがましい視線を向けられて、数馬は驚愕した。怨霊や鬼火に対する村人たちの恐怖を侮っていた。
数馬は動揺から返答に窮してしまい、村人の力強い目から逃れるように山桜の方へ身体を向けた。
すると、再び視界に入った二つの火の玉が、上下左右に激しくゆらゆらと揺れはじめたのだった。
「……なるほどな。たしかに蝋燭の灯りであれば、あのような動きをすることはおかしいか」
数馬は腕を組み、目を凝らしながら火の玉の動きを観察した。
しばらくして、二つに分かれた火の玉は音もなく消えてしまった。気がつけば、その場にいたはずの女の姿もなくなっている。
村人たちは「鬼火だ」「呪いだ」などと大騒ぎをしている。数馬はその姿を眺めながら、何度目かわからないため息をつくと、騒ぐ村人たちに向かって声をかけた。
「おおかた誰かが火の始末を忘れでもしたのであろう。山から吹き下ろしてくる風で蝋燭の灯りが揺れただけだ」
数馬はすっかり冷静さを取り戻した。
すると、途端に腹立たしい気持ちになり、女のいた橋のたもとに勢いよく近づいていった。まだ近くに女がいれば、なにか言ってやらねば気が済まないと、強く拳を握る。
「──まったく。どうせあの女が灯りを置き忘れていったのだろう。火の不始末で山火事にでもなったらたまらんぞ」
数馬は山桜の木の根元に立つ。先ほどまで火の玉が出現していた場所だ。
きっとまだ近くにいるはずだと女の姿を探そうとしていたとき、山の方角から風が吹いてきた。その風に乗って、かすかな香りが鼻をかすめる。
「……ん、なんだこの匂いは?」
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