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七の段 死闘 希望(一)
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十四郎の軍は、箱舘に向かう。
松前に入った唐子や上の国からの兵たちも、かなりを連れて出発し、茂別舘の兵も吸収するつもりであった。
凱旋というべきだったが、もちろん、蝦夷島最大の兵力を十四郎が握っているのを箱舘政庁に誇示する意味がある。
(そうでなければならない。)
あやめは思っていて、十四郎に念を押した。
「兄上がご健在だからな。」
という返事に、余念なく頷いた。十四郎の方も、そこには余念も雑念もない。
蝦夷島の統治のありかたの問題だからだ。
「父上は、新三郎兄上をお使いになる。」
「おやかたさま、……いえ、お兄上様は、お従いでしょうね。」
蠣崎志摩守とその側近たちにとって、降参によって新三郎が兵を喪い没落した以上、最も警戒すべきは、いまは十四郎なのである。
「兄上は、我慢されるだろう。ただ、御意見は述べられる。おれと、父上の前で言い合いになるかもしれない。」
「ご喧嘩はおやめなさいませ。」
「せぬよ。議は議だ。」
「そう、できればいいのですが……」
「そうだな。それでは済まない。」
(志州さまは、味をしめられたかもしれぬ。)
子らを対立させ、争わせることで、最後に自分が利を得るというやり方にである。このたびも、結局はそうなったといえる。
「だから、おれが兵をすべて握っておかねばならない。」
軍事的な存在感で、主権者が家中に拵えるであろう、この自分への掣肘勢力を圧倒しなければならない。
(いっそ、いまこそ、志摩守を継がせては……?)
あやめは思案するが、こればかりは一筋縄ではいかないように思えた。
(おやかたさまの処遇を、最善のものにしなければ。)
という思いも、当然、ある。ここで志摩守、あるいはその嫡子の座に十四郎を置けば、新三郎はどうなるか。
(御出家でもあそばされれば、……)
ふと想像するが、あの新三郎が決意し、箱舘に入った以上は、自害も出家も拒否しているのだ。
半島をくまなく手に入れた武将は、権力それ自体が目的ではなかった。アイノがアイノ本来の暮らしを営み、蠣崎家がそれを守る、和人の天下から切り離された蝦夷地や蝦夷島を作りたいのだ。和人商人の納屋が拵えたといえる志摩守の箱舘政庁を、いずれそのような蝦夷島統治に動かしていきたいし、その可能性に賭けたはずである。
(蠣崎家の御支配となった以上は蝦夷代官ではなく、ご降参の上、旗の色を変えた身であっても、志州さまのご嫡男は、いずれ権勢を取り戻される。そのように、誰もが思う。)
「急ぎましょう。こうしておられるあいだにも、箱舘ではお兄上様の党ができております。」
「急かして貰っても困る。」
十四郎は苦笑いする。兵を整え、松前の後片付けもするには、まだ一日は要る。それをさきほどすでに伝えている。そして、それを聞いて、左様でございますか、と平静な声を出しながら、内心ではじける喜びの色を隠しきれなかったのは、あやめではなかったか。
(あと一日、この松前でおれとふたりでいられるのを、喜んでくれた。)
あやめは十四郎の心中にはきづかないらしく、
「でございますが……」
「使いは絶やしていない。そちらもそうなのであろう?」
「はい。来る知らせも変わらず。箱舘は平穏。訝しいほどに何事もなし、と。」
「ならば、納屋殿。」十四郎は、立ち上がった。「諒とされよ。ご心配はいたみいるが、一日や二日急いだところで変わりもない。先ほども申したが、兵というのは、収めるのがむしろ手間でな。」
「左様ではございますが……」
不承不承の風で低頭するあやめに、ふと歩み寄って、かがんだ。顔を近づける。
「……今宵?」
あっ、と緊張したあやめは、御意、とか細い声でいった。
「無理はせぬ。ゆるりと参ろう。少しずつ、なにごとも。」
新三郎は、部下を待たせている。足早に去った。
(十四郎さまの、小面憎さよ。)
あやめは心遣いがうれしいが、内心で毒づいてみる。頬が熱い。
松前に入った唐子や上の国からの兵たちも、かなりを連れて出発し、茂別舘の兵も吸収するつもりであった。
凱旋というべきだったが、もちろん、蝦夷島最大の兵力を十四郎が握っているのを箱舘政庁に誇示する意味がある。
(そうでなければならない。)
あやめは思っていて、十四郎に念を押した。
「兄上がご健在だからな。」
という返事に、余念なく頷いた。十四郎の方も、そこには余念も雑念もない。
蝦夷島の統治のありかたの問題だからだ。
「父上は、新三郎兄上をお使いになる。」
「おやかたさま、……いえ、お兄上様は、お従いでしょうね。」
蠣崎志摩守とその側近たちにとって、降参によって新三郎が兵を喪い没落した以上、最も警戒すべきは、いまは十四郎なのである。
「兄上は、我慢されるだろう。ただ、御意見は述べられる。おれと、父上の前で言い合いになるかもしれない。」
「ご喧嘩はおやめなさいませ。」
「せぬよ。議は議だ。」
「そう、できればいいのですが……」
「そうだな。それでは済まない。」
(志州さまは、味をしめられたかもしれぬ。)
子らを対立させ、争わせることで、最後に自分が利を得るというやり方にである。このたびも、結局はそうなったといえる。
「だから、おれが兵をすべて握っておかねばならない。」
軍事的な存在感で、主権者が家中に拵えるであろう、この自分への掣肘勢力を圧倒しなければならない。
(いっそ、いまこそ、志摩守を継がせては……?)
あやめは思案するが、こればかりは一筋縄ではいかないように思えた。
(おやかたさまの処遇を、最善のものにしなければ。)
という思いも、当然、ある。ここで志摩守、あるいはその嫡子の座に十四郎を置けば、新三郎はどうなるか。
(御出家でもあそばされれば、……)
ふと想像するが、あの新三郎が決意し、箱舘に入った以上は、自害も出家も拒否しているのだ。
半島をくまなく手に入れた武将は、権力それ自体が目的ではなかった。アイノがアイノ本来の暮らしを営み、蠣崎家がそれを守る、和人の天下から切り離された蝦夷地や蝦夷島を作りたいのだ。和人商人の納屋が拵えたといえる志摩守の箱舘政庁を、いずれそのような蝦夷島統治に動かしていきたいし、その可能性に賭けたはずである。
(蠣崎家の御支配となった以上は蝦夷代官ではなく、ご降参の上、旗の色を変えた身であっても、志州さまのご嫡男は、いずれ権勢を取り戻される。そのように、誰もが思う。)
「急ぎましょう。こうしておられるあいだにも、箱舘ではお兄上様の党ができております。」
「急かして貰っても困る。」
十四郎は苦笑いする。兵を整え、松前の後片付けもするには、まだ一日は要る。それをさきほどすでに伝えている。そして、それを聞いて、左様でございますか、と平静な声を出しながら、内心ではじける喜びの色を隠しきれなかったのは、あやめではなかったか。
(あと一日、この松前でおれとふたりでいられるのを、喜んでくれた。)
あやめは十四郎の心中にはきづかないらしく、
「でございますが……」
「使いは絶やしていない。そちらもそうなのであろう?」
「はい。来る知らせも変わらず。箱舘は平穏。訝しいほどに何事もなし、と。」
「ならば、納屋殿。」十四郎は、立ち上がった。「諒とされよ。ご心配はいたみいるが、一日や二日急いだところで変わりもない。先ほども申したが、兵というのは、収めるのがむしろ手間でな。」
「左様ではございますが……」
不承不承の風で低頭するあやめに、ふと歩み寄って、かがんだ。顔を近づける。
「……今宵?」
あっ、と緊張したあやめは、御意、とか細い声でいった。
「無理はせぬ。ゆるりと参ろう。少しずつ、なにごとも。」
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