魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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逸文 比翼連理 三十三

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 りくはなにを言ったらいいのかわからない。なにをしたらいいのかを考えられない。痛みを伴う、圧倒的な躰の消耗が命ずるままに、茫然と横たわっていた。男の手が、まず腹と胸に広がった液体をなにかの布で拭ってくれる。それを遠慮したり制止したりするのも、忘れてしまった。
「桶はないか?」
 最初に聞かれたのが、それだった。りくはまだ、あまり声が出ない。目がその場所を教えたのだろうか。新三郎は全裸のまま立ちあがり、やがて水を満たした小さな結桶と、そこら辺にあったのだろう布を持って部屋に戻ってきた。
 そして驚いたことに、りくの汗を丹念に拭きはじめた。跳ねあがるようにしてりくは半身を起こし、後生だから、と布を自分の手に取った。あまりにも体液を吐きすぎた自分の秘所とその周りを清めるために、丸まって背中を向けた。
 どうにか済ませ、着物を羽織ろうと手を伸ばしたところで、後ろ向きに抱き寄せられた。そのまま、また寝かされる。りくは驚いて、声も出ない。
(まさか……。また?)
 新三郎の欲は、一度放っただけでは収まっていないのだろうか。
 そうでもないらしい。新三郎は、りくと話したいのだ。ただ、温かみを離さぬままで、語り合いたい。もう、もとには戻れないとわかっていた。
「……りく、斯様のことになった。」
 耳の後ろから、新三郎のやや沈んだような声がした。
「はい。りくは、うれしうございます。……やっと、想いを遂げられました。」
「想い……。尋ねてよいか。いつからじゃ? 姫さまがお命じになったときからか? いや、おれが、お前たち伊勢の者を引き受けたとき?」
(馬鹿!)
 りくの眼から涙が噴き出した。あれほど泣いたのに、まだ涙が出る―と自分でも不思議ですらある。
「つっと、と申したではありませぬか。つっと、お慕いしていた。天才丸さまをお可愛いと思うていた。猫を隠した頃には、このひとが愛おしいとわかってしもうた。」
「それほどに前か?」
「はい、ご元服後、みるみる立派なお侍になられても、おやさしさは変わらなんだ。うれしうございました。つらいことに耐えられ、立派じゃと思うた。あくがれた。分際が違う。かなわぬ想いと知れていたのに、……いつか、一度でいい、かくなりたいと願っておりましたよ。」
「左様か。……遅かったかもしれぬが、なったな。……おれも、うれしい。」
 わあっ、とりくは叫びだしたい。報われた、むくわれた、わたしの想いは報われていた……。
「……りくは、よく泣くな。あの、猫のときに泣かれて困ったのを、今思い出した。」
「申し訳ありませぬ。……お困り?」
「うむ。」
「あら?」
「女はなじょう、泣くのかの? 泣かせるつもりもないのに泣かれると、男は戸惑うばかりじゃ。」
「あいすみませぬね。じゃが、若旦那さまがお泣かしになるのよ。あなたさまだけが、この、りくを、泣かすのじゃ。」
「そうなのか。」
「女泣かせ!」りくは笑い声をたてた。
「いささか、意味が違おう。おれは、女を泣かせたりは……。いや、りく、お前の涙はきれいじゃな。」
 あっ、りくは躰を固くした。柔らかに抱いてくれていた男の腕の力が増した。
「見たい気もする。よって、また、泣かせてみよう。」
 それこそ意味が違いませぬか、と言おうとしたりくの、息がとまった。首筋に、男の熱い息と、唇を感じている。
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