魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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断章 馬と猫(二十三)

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(見られた? こんなところを? 畜生!)
 天才丸は台所の外で、りくたちの様子に気づいて、歩を返しかけているらしい。ここから見えはしないが、それがわかった。
(馬鹿、馬鹿、なにを思い違いしている?)
 りくの躰は熱くなり、胸と胸の間に汗が流れるのがわかった。天才丸は子供だから、少し齢上のりくが男女の戯れにあるように思って、物怖じしたのだろう。まさか、遠慮したつもりなのだろうか。
「やめてください! なにをされますか!」
 りくは大きな声を、こそこそ去っていこうとする天才丸の背中に向けてあげた。
 ことさらに音をたてて、天才丸が台所に踏み込んでくる。
「何事か?」
 刀に手をかけた。
 研ぎ師はたまらない。りくの肩に手を置いたままで驚いて固まってしまったが、
「若旦那、このひとが!」
 と、りくがまた叫ぶと、慌てて手を放した。
「あ、違うんで!」
「何が違うのか? お家の者に不埒な振る舞いがあったと見えるが?」
 りくがミケを抱いたまま、駆け寄ってきた。
「若旦那、この研ぎ屋さんが、いきなり触ってきて……!」
 涙ぐんでいる。天才丸は息を呑んだ。どうしたらいいのかわからずに突っ立っている研ぎ師に向かい、
「おぬし! そこへ直れ!」
 刀に手をかけて、一歩前に出る。
「か勘弁してください! りく、おりくよ、なんだお前、何か言ってくれ!」
「りく、この者は知り合いか?」
「出入りの刃物研ぎのひとでございますが、……そのような仲ではけっしてござりません。」
 りくは怯えた風に首を振った。これは言っておかねばならない。
「おい! そのような、とは……、おりく、それはないだろうよ。お前だって厭がっていなかったじゃねえか!」
 りくは、哀しげな悲鳴をあげてみせた。
「知った職人と思うて安心していたら、いきなり……!」
「……と言うておる。なにか申すことがあるか?」
 天才丸の背は、研ぎ師にもう並んでいる。何より、職人がいくら力自慢腕自慢でも、この当時の庶人と武家とでは鍛え方の次元が違った。
(子供だが、敵わねえ! 下手にやりあったら、必ず斬られる!)
 研ぎ師は、土間に平伏した。
「わ、わかりました。出来心にございます。つい、思い違いをいたしまして、りく……おりくさんの肩に手を。いや、それ以上は、なにも。」
「この者に謝るのか?」
「謝ります。おりく、悪い!調子に乗ってしもうた! 二度としねえ! すまねえ!……あっ、旦那!」
 天才丸は黙って、刀を抜いた。職人は逃げようとしたが、腰が抜けたように動かないし、下手に動くと斬られるに違いない。そのまま低頭して、固まってしまう。
 りくもさすがに慌てる。殺させてしまっては、天才丸は知らないが、西舘の密偵まがいの男であるだけに、面倒だ。それに、天才丸にも迷惑がかかる。
「若旦那、謝ってくれましたから、許してやっておくんなさい。お台所でおしゃべりしてしまった、あたしも悪い。どうか、命だけは……。」
 天才丸は、白刃を研ぎ師の鼻先にそっと突き付けた。
「若旦那!」
「おぬし、研ぎの職人だと。こいつは、お前の目から見て、どうしたものかね?」
「は、……よく手入れなさってます。いやおれなんぞ包丁ばかりだから、こんな立派な刀はわからねえ。」
 天才丸は笑うと、刀を鞘に収めた。その慣れた手つきに、研ぎ師は安堵の息を大きくついた。
「おれはこのお屋敷の番役じゃ。お家の者に下手な真似をまたしたら、今度は見逃せぬ。また出入りするかは、おぬしの親方に相談しろ。」
(こいつが、蝦夷侍の小童か。)
 研ぎ師は慌てふためきながら、放り出していた道具を集めた。天才丸が研ぎ石を拾って渡してやると頭を下げる。そして、物も言わずに逃げ出した。

「りく、災難じゃったな。」
 りくは、若旦那に何度も礼を言った。胸の中のミケにも、お礼を申しな、と言う。天才丸はその様子を見てにこりとしたが、
「りく、あいつはやめておけよ。大した腕はない。結構刃こぼれがあるんだが、気づけなかったようじゃ。」
 それを聞いて一瞬きょとんとした、りくの表情が急に崩れた。
 冗談半分の軽口に笑いだすのかと思った天才丸は、思わずあとじさる。
 わっ、とりくが泣きだしたからだ。涙が噴き出し、大きな泣き声を抑えようともしない。
「おい、おい、りく。おりく? なじょう、泣く? ……怖かったのか?……違う? 違うのか。ではなんじゃ?……おい、泣くでない。泣かんでくれよ。」
 泣き声を耳にしたふくなどが来られて、こんな所を見られてはたまらぬ、と思った。何を思い違いされて叱られるかわからぬし、それが姫さまの耳にでも入っては、と慌てる。
 りくは、泣きだした途中から、天才丸の内心もよく気づいている。それがわかっているからこそ、余計に涙が止まらない。
 腕のなかのミケが、りくが無意識に力を入れて抱きしめるのが苦しいらしく、一声鳴いた。

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