魚伏記 ー迷路城の姫君

とりみ ししょう

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断章 馬と猫(二十四)

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 西舘の家宰にあたる宿老は、若い当代に仕えて、もう四年にもなる。穏やかだった先代との違いには戸惑うこともあったが、慣れた。いまの左衛門尉は御所さまのご実弟であるがゆえに、西舘「兵の正」家の権能も増し、その分家中の仕事が大変にはなったが、遣り甲斐も増したのである。北畠氏一族における西舘の地位は上がり、婿養子からはじまった若い主君が周囲の期待通りの英邁さでそれを支えている。
 ただ、「若」と呼び慣れていた頃から、左衛門尉こと小次郎顕範の奇妙な癖には違和感を禁じ得なかった。
 城内、検校舘に出入りしすぎる。検校舘など、折り目正しい浪岡武士であれば、そう足を踏み入れたい曲輪ではない。その名の通り検校を名乗る座頭のたぐいのみならず、当時の職人としてははみ出した職種や特殊な技芸の持ち主が流れ着く、ひどく猥雑な場所としか思えない。
(泣き母君のご実家があったゆえ、やむを得ないが、……?)
 とはいえ、その功罪は測りがたい。先代の側室に短期間召された亡母の父親は、唐人の血を承けたという噂の薬師であった。その薬師から、若君はいつの間にか、阿芙蓉(アヘン)という薬物の製法を受け継いでいた。
それが西舘、ひいては御所全体にどれだけの利をもたらしていることか。この頃から目立った、「兵の正」としての左衛門尉の目覚ましい軍事的成功も、軍備だけとってもそれが支えるところが大きかった。
 ただ、阿芙蓉とそれをまさに自家薬籠中のものにしている若い主人に対して、宿老はなにか不気味なものを感じるのを抑えきれない。母譲りのものだろう、作り物のような美貌も、常に意表をつく派手な言動も、なにか拭い難い不吉な影と表裏であるように思えてならないのであった。
(検校舘などへのお出入りがやはり、悪い。腹は借り物、ご才幹は間違いなく大御所さまのお胤ゆえとは言え……。)
 宿老はしかし、それに近いことを言われただけでも、左衛門尉がどれほど癇を立てるかを知っている。少年時代の終わりから、あれほど温雅だった若さまが、そこだけは変わってしまったのが不思議なほどだ。
 おそらくは母親のそれに違いない出自を謗られたゆえに、それこそ検校舘の座頭を無礼うちしてしまった事件があったが、それ以来、むしろ検校舘に深入りするようになってしまったのである。
(無名舘の姫さまにお構いになるのも、よろしいのだが……。)
 高価な猫を送ってやるのはよい。妹君に情け深いのは何も悪いことではないのである。
 だが、長患いだとかのご身辺を、こそこそと探るような真似をされるのは如何なものだろうか。それも、検校舘にたむろする連中を使ってである。
(あんな卑しい者どもの相手を、この儂がまずせねばならぬのは、ごうばらなことじゃ。)
 官途名くらい名乗っている身分の宿老からすれば、不愉快なことであった。
 今日も、暗い庭先に潜んだ職人風の若い男から、つまらない話を聞かねばならなかった。いかにも卑しい者が、なにをトクトクと益体もつかぬ話を、と苦々しく思った。

「つまらぬ話を聞かせて、悪かったな。」
 火影にみえる左衛門尉の秀麗な容貌は、別に照れている風でもない。
(わかってはおられるのじゃが……。)
「滅相もございません。あのような者どもを、じかにお目にかけるわけには参りませぬ。」
 左衛門尉は、なにか苦く笑ったようだ。
「……妹の慰みとも思うて押しつけるようになってしもうたが、病のもとになるのではな。」
「ままならぬことにございました。」
 青年はなにか考えているようだが、
「引き取ってやるよりないな。……金木にでもやるか。」
(あっ、この方の、もう一つ悪いところじゃ。)
 宿老は「金木」に反応せざるを得なかったが、まあこれも仕方のない、と嘆息はする。

(これほどの男前よ。そして、奥方を亡くされてから、もう何年にもなる。)
 少年期に西舘の一人娘の婿に入り、運悪くすぐに病没させてしまった。
 西舘の血筋を残せなかったのを浪岡宗家の出の者が気に病むこともなかったのに、どうしたものか義理立てするかのように次の正室を迎えず、西舘にやや近い血筋の子供をあっさりと継嗣の養子にとってしまった。
 そして、自分は独り身を続けている。
(女と気儘に遊ぶのも、じゃから、構わぬ。……が、この方が相手にされるのは、面倒の種になりかねぬ家の女子ばかりではないか。)
 左衛門尉はうまく遊ぶらしく、家宰格として後始末をさせられたことなどないが、話を漏れきくたびに、物堅いこの武士は首を振る思いなのである。
(それこそ、検校舘にうろうろしているその手の女をお相手にされればよいのに、なぜこの方は、北畠のご一門に連なる方々ばかりに手を出されるのか。)
 血の繋がりなどもう遠く薄いとは言え、この浪岡には北畠氏一門が集まり、御所たる浪岡北畠宗家の藩屏を為している。奥州での長年月を経るうちに別家として臣下に下っても、北畠氏には違いない家が、あちこちの舘を任されている。
(金木舘に年ごろの姫君がいらしたか……? まさか、また御令室か何かではあるまいな?)
 人のつまを盗むような真似は、いざと言う時に謀反の種にもなりかねぬ。それだけはやめて欲しいと思うのだが、左衛門尉はいかにも真面目で道義心が強げに見えるわりに、その点では実は無頓着であった。嫁入り前の娘に手をつけるのも、人妻を不貞に誘いこむのも、大っぴらにこそせぬが、内面の抵抗心はない。
 家宰は、なにかそこにも、暗いものを感じずにいられなし、なにか喉につかえるような思いがある。もう少しで、なにかひどく厭な気づきを得てしまいそうだ。

 左衛門尉は、もう別のことに思い至ったようだ。先ほど伝えた、これもつまらぬとしか宿老の家宰には思えぬ話柄であった。
「松前から来た、蝦夷侍の小童、なんと言いおったか……。」
「たしか、蠣崎天才丸でございますか。蝦夷代官の息子でしたかな。」
「その天才丸が、齢若のくせに、女癖が悪いらしいとか?」
 左衛門尉はくっくっと笑いながら言った。目の前にいる宿老は知らないが、その喋り方は、姫さまが最近また見せるようになったものに、ひどく似ている。
「まあ、さっそく下女などと戯れておるようで。」
「妹が病身を養わねばならぬ庵の風が乱れるのはいかぬな。」
 そう言いながら、左衛門尉はなにか嬉しそうに見えた。


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