死にたがりの狼は暁に目を覚ます

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 リィィンリィィンと鳴る刀は、ラウが進むに連れ掌に伝える振動を大きくさせる。近付いている感覚にラウの気が急く。だが急くほどにラウの呼吸は上がり、手足が鉛のように重くなっていく。

(くそっ……!!)

 もはや気力だけでは走れなくなった足に舌打ちし、上がる息を整える。

 エリファレットによる中和は続けられているが、ラウの体から完全に毒が抜け切らない。日常生活に支障はないが、少し体を動かすと途端に毒が全身を巡る。それだけ体の奥に毒が深く埋め込まれているのだ。

 普段あまりにも影響が出ないので、ラウはうっかり忘れそうになるのだ。

 グラスに口を付けるような気軽さで口付けるエリファレットに、他意はない。あれは、治療行為だ。

 だが彼の柔らかな唇と熱が与えられると、それを暴きたいと胸が疼く。素直で真っ直ぐな眼差しで、ころころと表情を変える彼が、内側からどんな表情を浮かべるのか。

 繰り返し触れるやわい感触と温もりが、ラウの胸に降り積もってゆっくりと熱を灯していくのだ。

 奪われてはならない。

 重い体を引きずり、歯を食いしばって再び走り出す。
 刀が導く先に、エリファレットがいる。場所はそれほど遠くないと、掌から刀が伝えている。

 無理矢理体を動かし、肩で大きく息をしながらも、ラウは刀が導く場所に辿り着いた。

 街の外れにある古びた小屋だった。農機具小屋として使われていたのだろうが、もう長く放置されて荒れ放題になっている。窓は破られ、蝶番の取れかけた扉が半開きになっている。

 その扉が、勢いよく吹き飛んだ。

「っ!?」

 反射的にさっと身構えたラウは、扉と一緒に吹き飛んだ黒い塊が人間だと知ってぎょっとする。急いで首を巡らせると、小屋から三人の男とエリファレットが躍り出る。

 警戒を現した立ち耳が前方を向いて伏せられ、銀の毛束が逆巻いて高く上がる。

 男たちは銀狼の子どもを取り囲み、さっと剣を引き抜いた。暴れる子どもを力付くで押さえつけようと、一斉に襲いかかった。

 ラウが割って入る暇はなかった。

 子どもは後ろから突きかかって来た男をさっと避け、その腕を掴むと軽々と投げ飛ばした。ビキィィッと嫌な音がして腕が折れ、悲鳴を上げながら男が地面に転がる。

 周囲が一瞬怯んだ隙に、子どもの小柄な体は別の男の懐に入り、鳩尾を下から突き上げた。ウグッと呻いた男の体が、反動で軽く浮き上がる。腹を抱え頭が下がったところを、中段の蹴りが顔面を襲う。

 どっと倒れ込んだ男を一瞥することもなく、素早い動きで最後の一人の間合いに入り込む。振り下ろされる剣を握る手元を蹴り飛ばし、顔面を掴んで引き倒した。ガッと呻いた男の息が詰まり、弾け飛んだ剣が狙い澄ましたように首元の皮一枚を引き裂きた。

 流れるような動きだった。圧倒的な身体能力で、三人の男を瞬く間に倒してしまった。

 冴え冴えとした翠玉の瞳が、闘志が失せた男たちを冷たく睥睨する。

 ぞくりと、ラウの背筋を冷たいものが走り抜ける。

 ひどく、美しい動きだった。無駄が一切なく、相手を確実に狩る。どれも手加減をされなければ、命を落としかねない。

 あれは、ただの子どもではない。ころころと表情を変え、素直で愛らしいだけの少年ではない。

 猛々しくも麗しい。紛れもない獣だ。

 息を飲むほど酷薄で、目を奪われるほど美しい。

 氷の気配を纏ったエリファレットが、戦意をなくした男たちを見下ろす。容赦なく獲物を噛み殺す、冴え冴えとした酷薄な瞳だ。獲物を狩り終えた獣の獰猛な気配を纏っている。

 だが顔を上げた先にラウを見つけると、ぱっと花が咲き乱れるように笑いかけた。

「ラウ!」

 容赦なく腕を極めて折り、下手すれば死にかけない鳩尾への攻撃と顔面への蹴り。掴んだ頭を躊躇わず地面に叩き向け、蹴り飛ばした剣で首元を裂く。

 その酷薄さと冷酷さから一転した子どもの笑顔は、少年らしく瑞々しく無邪気で愛らしい。

 そばまで走り寄り、毒の影響で動きが鈍いラウを覗き込む。大きな翠玉が不安げに揺らめく。

「大丈夫ですか? ごめんなさい。いきなり目の前がキラキラっとしたと思ったら、急に眠くなってしまって……、気が付いたら知らない人間がいて……怖くなって逃げてきたんですけど……」

 おとなしく待っていられなかった弁明を、エリファレットは必死になってする。

 まさか眠らされ、連れ去られるとは思っていなかった。眠りの粉が少なかったのか、あるいは効かない種族だったのか、思いの外早く目が覚めたエリファレットの驚きようはなかった。

「ラウ、僕を探しましたよね? だからこんなっ……んっ……!?」

 なおも言いつのろうとするエリファレットを黙らせるように、ラウは首根っこを引き寄せ唇を塞いだ。

「……ぁ……ふっ……」

 緩んでいた唇の隙間から舌を滑り込ませ、驚きで慄く舌を絡めとる。

「ぁん……あ……ふぁ……」

 思いのまま舌を絡ませ吸って擦ると、ガチリと固まっていたエリファレットの体から力が抜けていく。しなだれかかる体を抱き寄せ、腰を抱く。

「……ぁ……ラ、ウ……」

 小さな口内を好き勝手に貪ると、顔を真っ赤に染めて、翠玉をとろりと緩ませた子どもが出来上がる。上気した頬に淫蕩を覗かせる瞳と、情事を物語る赤く色付いた唇。

 ラウは目を細め、唾液に濡れた唇を親指の腹でそっとなぞる。

 ふるりと、耳と尻尾が正直に震える。

「あぁ……いい顔になったな……」

 この顔が見たかった、とラウは一人腑に落ちる。

 好きなままに思う存分貪ったので、体は嘘のように軽い。手足の先まで血が通い、熱を帯びているようだ。

 ラウは力が抜けて惚けたままのエリファレットを軽々担ぎ上げると、もと来た道を帰り始める。昏倒している男どもには、一瞥もくれない。エリファレットは手加減を知っている。大怪我をしてはいるが、死ぬこともないだろう。発見が遅れ、最悪死んだとしても自業自得であるし、それで痛む心も腹もラウは持ち合わせていない。

「ラウ……」

 おとなしく担ぎ上げられたままのエリファレットが、背中から小さくラウを呼ぶ。

 体を通して直接響く幼い声が妙に心地よく擽ったい。
 顔が見えるように抱き直すと、ひどくぼんやりしたエリファレットの顔が近付く。先の余韻で唇は赤く艶かしいが、柔らかく丸い頬が色を失っている。翠玉もどこか虚で、ラウは柳眉を寄せる。

「どうした?」

 器用に片手で体を支え、エリファレットの頬に手を伸ばす。

 するりと甘えるように擦り寄ったエリファレットの唇から、重たい吐息が落ちた。

「……ぼくは……その剣、あまり、好きじゃないです……」

 ぼんやりとする翠玉は淫蕩の色が消え失せ、酔ったような鈍さを見せている。

 ラウはかすかに瞠目し、刀を一瞥する。

 この刀は、氷雪の魔物を斬った刀だ。忌まわしい魔物をも斬り倒した。なればこそ、畏れを抱いて体を震わせるのか。

 だがこの子どもを殺す時が来るならば、使うのはこの刀だ。

 お前に害をなすものではないと口を開きかけるが、ラウはその言葉をぐっと飲み込んだ。

 ラウに殺されることを切望する子どもに対して言えるセリフではない。

 だが、今のラウに易々とこの子どもの首を刎ねることが出来るだろうか。

 酩酊したようなエリファレットの銀の髪にそっと口付け、抱く手に力を入れる。

 たぶん、もう無理だ。
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