ヒロインの立場を乗っ取ろうとした或る女の末路

君影想

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 うだうだと悩み続けて一か月。山火事が起こる夏がくるまでだいたいあと数か月。

 私は久しぶりに村の近くにやってきた。とはいっても、村人に見つかると絶対に面倒なことになるので、村のことは高台からちょっと眺めるだけに留めておく。ちょうどガトーが欲しがっている薬草があって、それがその高台の近くに自生しているものだったから、「私がとってきます!」なんて言ってチョコレートの籠を奪って一人でやってきた。ガトーはあんまりいい顔をしなかったけど、久しぶりに村をみたかったし…一人になりたかったのだ。一人になって私の胸の苦しさがなんとかなるとは思ってないが、息抜きをすることでこの状況を打破するいいアイデアが浮かばないかなって感じ。

 ぜーはーと息を切らし何とかやってきた高台から見た景色は…平和だった。近い未来に火事が起こるなんて信じられないぐらいに。さすがにこの距離だと顔はうまく判別できないけど、居る場所とかやってることとかで誰だかはなんとなくわかる。
 あそこで干し草を刈ってるのはたぶんラルフ、村のど真ん中でぶちぎれてるのは村長、私たちの家の近くで話しているのはたぶん…ヨハン兄さんと母さんで、農作業をしているのは父さんだ。彼の姿はいくら探しても見当たらないが、私のことが心配すぎて家で寝込んでる…はないな。うん。まぁ、普通に家でなにかしてるか、森に狩猟にでもしに行っているのだろう。

 __ああ、どうしようかな。私。

 ゴロン、と地面に寝転がれば、見たくなくとも真っ青な空が目に入る。
 空はすべてのものを吸い込んでしまいそうなほど青く透き通っているが、残念ながら私の悩みは吸い取ってくれないらしい。
 ガトーを騙していることも心苦しい。でも、真実をすべてバラしてしまうのも心苦しいし怖い。ヒロインとの出会いを奪ってしまったのも心苦しい。でも、もうこれはどうにもできない。私は、ヒロインの立場を乗っ取るなんて言ったけど、少しもヒロインの代わりになんかなれない。
 深くため息をついた私に、可愛い真っ白な小鳥が慰めるようにチッチと鳴きながら、そのふわふわした羽毛を頬にこすりつけてくる。とても人懐っこい鳥だけど、誰かに餌付けでもされてるのかな…なんて考えているうちに、麗らかでゆったりとした空気に呑まれて私は思わずウトウトしていた。
 ゆえに、私に近づく人間の気配に全く気付かなかった。

「…だ…メイ!?」

 突然あげられた悲鳴のような呼びかけに思わず飛び起きる。
 何度も目を擦りながらやっとのことで視界のピントを合わせると、そこには亜麻色の髪の美しい少女__私の友人、マルガレーテが私を見下ろしていた。

「ま、マルガレーテ…。ど、どうしてここに…」
「や、野草をとりに…。…いや、私のことなんてどうでもいいのよ!メイこそなにをしてたの!?突然消えて…!!!どれだけみんなに心配かけたと思ってるのよ!!」
「い、いや私は…」

 なんて話せばいいのかわからなくて、思わず視線が宙を右へ左へと彷徨う。
 そんな私を見てマルガレーテは、とにかく村に行くわよと腕を引っ掴み私を立ち上がらせ、村へと続く小道へと私を引きずっていく。
 ちょまってよと腕を振り払えば、「なによ?」とその気の強そうな榛色の瞳で睨みあげられる。
 
「いや、その…私…村に帰るつもりはあんまりないというか…」
「はぁ?」

 どすが効いた声。稀によく聞く本気のやつだ。理解できないとその声音も瞳もはっきりと教えてくれる。

「あの…その…ハハ…」

 だからと言って、少女漫画云々火事云々の話をしても頭がおかしいやつと思われるだけだ。言えるわけがない。
 どうしようと再び目線をガトーのごとくあちこちへきょどきょどさせていると、「ちっ」とイラつきの帯びた音がマルガレーテの口から発される。えっ、舌打ちされた…?

「どれだけ心配かけてるのかわかってる?」
「そりゃあ…もちろん…うん…」
「じゃあ、戻らないにしても説明義務があるとは思わない?」

 そうかも…と曖昧に頷けば、じゃあ説明なさいとぐっと顔を寄せられる。美少女の顔が突然近くに来て私はもうたじたじだ。もとからタジタジだったけど。

「で?」
「で、といいますと…?」
「一体全体どこで暮らしてるのよ?ちゃんと食べてるのよね?」
「そりゃあ、まぁ…はい…」
「答えになってない!」
「お菓子の家です!めっちゃ食べてます!」

 ぎりっと睨みあげられて思わず馬鹿正直に答えてしまう。び、美人の怒り顔って迫力あるなァ…!
 …あ。

「お、お菓子の家って…あの悪役のいる…!!!」

 そう言葉を発したマルガレーテの顔色は真っ青だった。



 そこからのマルガレーテは「パニック」という言葉をそのまま形にしたかのような混乱具合だった。
 並べ立てられるマイナスな言葉の連続と彼女のパニックに、「ああ、そういえば彼は悪役なのだった」なんて今更すぎる事実が頭を過る。"悪役"としてのフィルターのかからないありのままの姿の彼をあまりにも見すぎたせいで、その事実を忘れることはなくても"悪役"がどういった存在なのか、世間からどう見られるのかという事実を忘れかけていた。

 …でも、彼は悪役だけど、世間で想像される悪役なんかじゃない。庭に生えた雑草ですら抜いて捨てることができずに、こっそりと別の場所で育てようとするような穏やかで心優しい青年なのだ。

 だけど、いくらそう言い募ってもマルガレーテは、「だめよ」「騙されてる」「戻ってきて」の永遠ループ。少しも理解してもらえるような気配はない。
 …わかってる。これが正常な反応であり、マルガレーテは心の底から私のことを心配してくれている。たぶん、第三者から見ればおかしいのは私の方だ。
 
「…心配してくれてありがとう。でも、少なくともしばらくは戻れない」
「なぜ!?脅されているの!?」
「そうじゃないよ。しないといけないことがあるだけ」
「じゃあ、それが終わったらすぐ戻ってきてくれるの?」

 どうだろうね、と曖昧に笑いながら答えれば、ちゃんと答えてよと詰め寄られる。まるで、いつ結婚してくれるのかと詰め寄る彼女と、それをのらりくらりとかわそうとするダメな彼氏みたいだ。
 それでも、私はその質問に答えられなかった。別に言えない事情があるわけじゃない。純粋にそんなところまで頭が回っていなかった。

 村を火事から救ってもらった…その後。

 この世界は物語の世界だけど、物語みたいに「これで村は救われました。めでたしめでたし」とはいかない。その後もずっと世界は紡がれ続ける。私は…一体どうする…?



 その後はどうしてもそのことが頭から離れてくれなくて、気が付いたらマルガレーテとも別れてお菓子の家へと続く道を一人でとぼとぼと歩いていた。マルガレーテのことは、今日のことの口止めをして、あとは今度村行って全部話すからとかなんとか言ってどうにか丸め込んで、どうにかこうにか別れた。丸め込めたのかはよくわからないし、むしろこちらが丸め込まれて余計な約束をしたような気がする。
 …まぁ仕方ない。頭が回らなかったのだから。

 お菓子の家へと続く道はなんとなく薄暗い。悩みをスッキリさせたいと思っていたのに、なぜか余計に悩みを増やしている。
 いや、この問題は今さっき突然出現したものではない。潜在的にずっとある問題だったのだ。
 私は一体、火事から村を救ってもらった後…どうするんだ?ヘンゼルとグレーテルみたいに悪いお菓子の家の魔法使いを殺してお菓子の家の財宝を奪って家に帰る?だめだ、そもそもという前提が壊れているし、そんなことしたくもない。

 新たに増えた悩みをダラダラと考えながら道を進んでいると、か細く今にも消えてしまいそうな声が小さく響いた。

「…グレーテル」

 先ほどまでは、確かに無人だったはずの道の先で黒いローブが翻る。
 昼間は黒いフードに隠された初雪のような色の髪も、美しいその顔も、悪役らしからぬその困ったかのような下がり眉もなんの惜しげもなく晒されている。

「なんで、ここに…」
「その、心配で…。お、遅かったから。ごめんね…」

 彼は何度も詰まりながらその短い言葉をたっぷりと時間をかけて言い終えると、すまなそうに私に笑いかけた。知らない人がみたら、こちらを威嚇していると勘違いされてしまいそうなほどに不格好な笑顔。でも、私はこれが彼の精一杯でいつも通りの笑顔だとよく知っている。
 …よかった。どうやら私がマルガレーテと話していたことはバレていない。
 
「すみません…」

 バレていないという安心と罪悪感が混ぜこぜになった謝罪を下を向いたまま告げる。

「あ、謝らないで…!あの…その…」

 そうは言われてもどんな顔でガトーを見ればいいのかわからなくて、しばらく下を向き続けていたら、私より少しだけ温度の低い手が私の手の甲にそっと触れた。彼から触れてくるという初めての経験に驚いて顔を上げると、彼はスッとその手を引っ込めて彼自身の反対側の手と組み、「その…痛そうだったから…」と言い訳でもいうように目を逸らしながら漏らした。…どうやら、いつの間にか強く手を握りしめ過ぎていたらしい。掌に三日月のような赤い痕が4つ並んでいる。

「…すみません、ありがとうございます」

 私の言葉にガトーは淡雪のような笑顔を浮かべると、いつものようにどもりながら、消えてしまいそうな声で帰ろうかと告げた。小さく頷き返して、一歩踏み出すとガトーも静かに隣に並んで一緒に歩き出す。
 
 歩き始めてから家につくまで二人ともなにも話さなかった。
 時々、ガトーがなにかを言いたげに口を開いて息を吸いこむ音が聞こえてきたが、結局彼が実際に言葉を発することはなかった。
 私は私で頭にずっと「その後」のことが渦巻いていて、楽しくガトーとおしゃべり…なんて気分にはなれなくて、ただただ足元を見つめていた。



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