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透明煙草のくゆる夜
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喫煙男と禁煙眼鏡
休憩に煙草を吸う為に屋上へ向かうと、惚れた男の横顔が見えた。
彼はこちらには気付かず、ぼうっとただ夏の夜風に当たっているだけのようだった。
その珍しい姿に、何となく気配を消して彼を観察した。
数秒ほど見ていると彼は気怠げにポケットへ手を突っ込み、親指とそれから何本かの指で摘まんで何かを引っ張り出した。
それは指で隠れるほど小さな物なのか、はたまた薄暗い時間帯なせいか、何なのかまでは確認出来なかった。
しかし彼が手の中のそれを指で叩いて、そこから何かを口に咥えていく姿で合点がいった。
あれは彼が今やめている筈の煙草だ、ただし、恐らく彼にしか見えてはいない。
「…何やってんだ」
驚かせないように足音を立てながら近付いて言葉を投げると、こちらに振り向いた彼が笑った。
彼は先程まで肘をついて凭れていた落下防止柵の手すりに背中を預けると、ポケットからまた透明のものを取り出した。
何をしようとしているかがわかってしまえば右手で弄ぶそれの形や材質まで見えるようで、彼は唇に挟んでいた透明の煙草の先を風避けにするように手で覆うと、俺の想像通りに親指でレバーを押すパントマイムで、誰にも消すことの出来ない火を点けた。
「エア煙草、上手いもんだろ?」
そう言って明るい月をスポットライトのように背負った彼は、唇に人差し指と中指を添え、頬を少しへこませて煙を吸い込むような顔をしたあと、上を向いてふーっと吐き出す仕草をしてみせた。
誰が見ても二本の指に挟まれた赤い蛍のように光る煙草と、細長く吹き出された吐息の先にゆらゆらと揺蕩う紫煙が薄闇に浮かびそうなその姿に、もしもこの場に筋金入りの嫌煙家が居たなら、忽ち咳き込みながらこの場を立ち去るだろうと思った。
「ああ、さすがやるね」
いつだったか、少しだけ真面目に演劇をやったことがあるのだと話していた彼を褒めながら同じように横に並び、手すりに肘をついて本物の煙草を咥えたところで、そんなに吸いたいならと彼に包みの方を差し出してみた。
「何、チップの代わりって? いいよ、まだ諦めたくねー…」
そう言って彼はそっぽを向くと、再び透明の煙草に唇を近付けた。
「だいたい、前だってカッコつけてふかしてるだけだったし」
もう一度煙を吐き出す仕草をした彼は、それで気が済んだのか律儀にも先程のように透明の携帯灰皿を取り出すと、透明の煙草を押し付けて消す真似をした。
「カッコつけて?」
「…煙草に手を出す最初の理由なんて、大きく分けりゃあ格好つけか恋人の真似くらいなもんだろ」
他にある?と問いかける彼に、たしかにな、と同意した。
「身に覚えがあるんだ?」
「まあそれなりに、」
「だろ?」
笑う彼に、誰に憧れたんだとか、誰に格好つけたかったんだとか訊こうとして迷ってやめて、ただ暫く沈黙を育てた。
ふと彼の目線が出入口に向かったのが横目で見えて、用事があるかもしれないのに何となくまだ離れがたくて、悪戯で彼の鼻先にふ、と軽く煙を吹き掛けた。
意地悪、とこちらを睨んだ彼に笑って脛の辺りを靴の爪先で軽く蹴られて、こちらも笑って軽く謝った。
優しいことにまだ俺の休憩に付き合ってくれるらしい様子の彼は、俺の吸っている銘柄を突然パッケージも見ずに当ててきた。
「正解、吸ったことあんの」
「俺バニラとかフルーツ系の甘いやつ専門だもん
貰い煙草するほどは吸ってねーし」
そこで言葉を止められて、昔の恋人の話でもされたらと内心身構えるが、単に周りに吸ってる奴が多かったから知ってるのは匂いだけだ、と言われて、ほっとして隣にいる彼を見た。
彼もこちらを見ていて、薄暗いのに何故だかしっかりと目と目が合っているのがわかった。
二人の間を遮るものは自分の煙草の香りくらいしか感じられなくて、吸い寄せられるように彼に顔を近づけた。
鼻先を触れ合わせても見つめ合えたまま彼は逃げなくて、そこに甘えるように俺は首を傾けて、今度は唇同士を触れさせた。
「……味、わかった?」
唇を離して問いかけると、眉を顰める男と再び目が合った。
「……こんなちょっとじゃ味なんてわかんないよ、
…でも、あんたの昔の恋人に眼鏡の子はいなかった、ってことだけはよくわかった」
言いながら彼は掛けていた自分の眼鏡を外して、専用の布を取り出すとレンズを拭きだした。
「…悪い、」
思わず謝ると、へたくそ~、とまるで子供のような言い方で罵られた。
「…初めて言われたわ」
「だろうねえ、」
雑に返事をした彼に無事に拭き終わったらしい眼鏡を向けられて、目を閉じてそれを受け入れた。
「…やっぱあんた何でも似合うんだな」
眼鏡姿の俺を褒めてくれたのは嬉しいが、生憎こちらは視界が歪んで何もまともに見えなかった。
「……こんな度の強いの掛け…、」
顰めっ面の俺の頬に言葉を遮るように手が添えられて、視界は首を傾けて瞳を閉じた彼でいっぱいになった。
「…したままするならさ、これくらいの角度じゃねえとぶつかるんだよ
…ちゃんと覚えた?」
唇をぺろりと舐めながら微笑んだらしいその表情を、きちんと捉えたくて外した眼鏡を彼に掛け返した。
先程の俺と同じように彼も目を閉じてそれを受け入れたので、ついでに髪も直してやって親指で耳を撫でてから顳顬を辿ると、そのまま顎を持ち上げた。
「………ちゃんと出来てた?」
「…やっぱ、煙草はあんま好みじゃないな」
今度は味もわかったようで、唇を離すと潤んだ瞳を逸らした彼が、俺の問いかけは無視してそう呟いた。
「〝煙草は〟?」
「……灰、落ちるよ」
彼の言葉に手元を見ると、俺の指に挟んだ煙草はいつの間にか半分近くが灰になっていて、慌てて灰皿を手繰った。
そんな俺に彼は楽しそうに吐息で笑ったあと突然俺の腕に触れて、
「もし次する時は一回で成功させてね、」
と耳元で囁いた。
目を見開いて振り向くが、彼は背中を見せながらこちらに手を振って出口の方へと消えて行った。
「……こりゃ落とすには一筋縄じゃいかねえな」
二本目の煙草を吸い直してクールダウンすべきか、もう少し余韻を味わおうか、迷いながら煙の消えた夜空を見上げた。
休憩に煙草を吸う為に屋上へ向かうと、惚れた男の横顔が見えた。
彼はこちらには気付かず、ぼうっとただ夏の夜風に当たっているだけのようだった。
その珍しい姿に、何となく気配を消して彼を観察した。
数秒ほど見ていると彼は気怠げにポケットへ手を突っ込み、親指とそれから何本かの指で摘まんで何かを引っ張り出した。
それは指で隠れるほど小さな物なのか、はたまた薄暗い時間帯なせいか、何なのかまでは確認出来なかった。
しかし彼が手の中のそれを指で叩いて、そこから何かを口に咥えていく姿で合点がいった。
あれは彼が今やめている筈の煙草だ、ただし、恐らく彼にしか見えてはいない。
「…何やってんだ」
驚かせないように足音を立てながら近付いて言葉を投げると、こちらに振り向いた彼が笑った。
彼は先程まで肘をついて凭れていた落下防止柵の手すりに背中を預けると、ポケットからまた透明のものを取り出した。
何をしようとしているかがわかってしまえば右手で弄ぶそれの形や材質まで見えるようで、彼は唇に挟んでいた透明の煙草の先を風避けにするように手で覆うと、俺の想像通りに親指でレバーを押すパントマイムで、誰にも消すことの出来ない火を点けた。
「エア煙草、上手いもんだろ?」
そう言って明るい月をスポットライトのように背負った彼は、唇に人差し指と中指を添え、頬を少しへこませて煙を吸い込むような顔をしたあと、上を向いてふーっと吐き出す仕草をしてみせた。
誰が見ても二本の指に挟まれた赤い蛍のように光る煙草と、細長く吹き出された吐息の先にゆらゆらと揺蕩う紫煙が薄闇に浮かびそうなその姿に、もしもこの場に筋金入りの嫌煙家が居たなら、忽ち咳き込みながらこの場を立ち去るだろうと思った。
「ああ、さすがやるね」
いつだったか、少しだけ真面目に演劇をやったことがあるのだと話していた彼を褒めながら同じように横に並び、手すりに肘をついて本物の煙草を咥えたところで、そんなに吸いたいならと彼に包みの方を差し出してみた。
「何、チップの代わりって? いいよ、まだ諦めたくねー…」
そう言って彼はそっぽを向くと、再び透明の煙草に唇を近付けた。
「だいたい、前だってカッコつけてふかしてるだけだったし」
もう一度煙を吐き出す仕草をした彼は、それで気が済んだのか律儀にも先程のように透明の携帯灰皿を取り出すと、透明の煙草を押し付けて消す真似をした。
「カッコつけて?」
「…煙草に手を出す最初の理由なんて、大きく分けりゃあ格好つけか恋人の真似くらいなもんだろ」
他にある?と問いかける彼に、たしかにな、と同意した。
「身に覚えがあるんだ?」
「まあそれなりに、」
「だろ?」
笑う彼に、誰に憧れたんだとか、誰に格好つけたかったんだとか訊こうとして迷ってやめて、ただ暫く沈黙を育てた。
ふと彼の目線が出入口に向かったのが横目で見えて、用事があるかもしれないのに何となくまだ離れがたくて、悪戯で彼の鼻先にふ、と軽く煙を吹き掛けた。
意地悪、とこちらを睨んだ彼に笑って脛の辺りを靴の爪先で軽く蹴られて、こちらも笑って軽く謝った。
優しいことにまだ俺の休憩に付き合ってくれるらしい様子の彼は、俺の吸っている銘柄を突然パッケージも見ずに当ててきた。
「正解、吸ったことあんの」
「俺バニラとかフルーツ系の甘いやつ専門だもん
貰い煙草するほどは吸ってねーし」
そこで言葉を止められて、昔の恋人の話でもされたらと内心身構えるが、単に周りに吸ってる奴が多かったから知ってるのは匂いだけだ、と言われて、ほっとして隣にいる彼を見た。
彼もこちらを見ていて、薄暗いのに何故だかしっかりと目と目が合っているのがわかった。
二人の間を遮るものは自分の煙草の香りくらいしか感じられなくて、吸い寄せられるように彼に顔を近づけた。
鼻先を触れ合わせても見つめ合えたまま彼は逃げなくて、そこに甘えるように俺は首を傾けて、今度は唇同士を触れさせた。
「……味、わかった?」
唇を離して問いかけると、眉を顰める男と再び目が合った。
「……こんなちょっとじゃ味なんてわかんないよ、
…でも、あんたの昔の恋人に眼鏡の子はいなかった、ってことだけはよくわかった」
言いながら彼は掛けていた自分の眼鏡を外して、専用の布を取り出すとレンズを拭きだした。
「…悪い、」
思わず謝ると、へたくそ~、とまるで子供のような言い方で罵られた。
「…初めて言われたわ」
「だろうねえ、」
雑に返事をした彼に無事に拭き終わったらしい眼鏡を向けられて、目を閉じてそれを受け入れた。
「…やっぱあんた何でも似合うんだな」
眼鏡姿の俺を褒めてくれたのは嬉しいが、生憎こちらは視界が歪んで何もまともに見えなかった。
「……こんな度の強いの掛け…、」
顰めっ面の俺の頬に言葉を遮るように手が添えられて、視界は首を傾けて瞳を閉じた彼でいっぱいになった。
「…したままするならさ、これくらいの角度じゃねえとぶつかるんだよ
…ちゃんと覚えた?」
唇をぺろりと舐めながら微笑んだらしいその表情を、きちんと捉えたくて外した眼鏡を彼に掛け返した。
先程の俺と同じように彼も目を閉じてそれを受け入れたので、ついでに髪も直してやって親指で耳を撫でてから顳顬を辿ると、そのまま顎を持ち上げた。
「………ちゃんと出来てた?」
「…やっぱ、煙草はあんま好みじゃないな」
今度は味もわかったようで、唇を離すと潤んだ瞳を逸らした彼が、俺の問いかけは無視してそう呟いた。
「〝煙草は〟?」
「……灰、落ちるよ」
彼の言葉に手元を見ると、俺の指に挟んだ煙草はいつの間にか半分近くが灰になっていて、慌てて灰皿を手繰った。
そんな俺に彼は楽しそうに吐息で笑ったあと突然俺の腕に触れて、
「もし次する時は一回で成功させてね、」
と耳元で囁いた。
目を見開いて振り向くが、彼は背中を見せながらこちらに手を振って出口の方へと消えて行った。
「……こりゃ落とすには一筋縄じゃいかねえな」
二本目の煙草を吸い直してクールダウンすべきか、もう少し余韻を味わおうか、迷いながら煙の消えた夜空を見上げた。
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