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第6話「大きくなった背中」

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   第6話「大きくなった背中」




 約束を交わしてから、エルハムとミツキの距離は縮まった。
 エルハムは、どんな自分を見せてもいいと言ってくれた彼を信頼し、ミツキは素の自分を見せてくれる彼女を信頼した。


 エルハムが教えた事をミツキはすぐに覚え、実行した。仏頂面な彼だけれど、挨拶をしたり、世話係のような事も積極的に行っていたため、城の者たちも次第にミツキを認め始め、好感を持って見ているようだった。
 騎士団でも、1番下っ端というのを理解しており、誠実に訓練や仕事に取り組んでいるようだった。それに、ミツキが使う剣術である「ケンドウ」を騎士団でも少しずつ取り入れているようで、それをミツキが指導していた。
 ミツキの強さや、堅実さを見られ、騎士団でも認められているようだった。


 そんな彼を見て、エルハムは嬉しいながらも、少しの寂しさがあった。面倒を見てきた弟が一人立ちするような切なさを感じていた。
 けれど、彼との時間がなくなった訳ではない。エルハムが出掛ける時は必ず護衛してくれたし、騎士団の練習がないときは、エルハムの近くに居てくれた。
 寝ているときは流石に同室とまではいかないので、特別にエルハムの下の部屋がミツキに与えられた。元々物置だった小さな部屋だけれど、ミツキが「物音がしたらすぐに駆けつけられるから、ここに寝泊まりしたい。」と要望し、それが叶ったのだった。
 そこまで、自分の事を考えてくれる彼は、とても頼りになり、年下の少年とは思えなかった。


 シトロンの事や周辺諸国、歴史なども彼に伝え終わると、エルハムには教えることがないと思っていた。
 けれど、1つだけ彼が苦戦している事があったのだ。


 「これは、何て書いてある?」
 「あぁ、これは、猫はお腹が空いています、よ。」
 「………なんだか、シトロンの文字は難しいな。」
 「ふふふ。何でも覚えるミツキがそんな事を言うなんて珍しいわね。」
 「…………前に居た国とは全く違うんだ。」


 ブツブツと言いながら、ミツキは白い紙とインクペンで、何度も同じ文字を書いていた。

 シトロンの国と、ミツキが居た「ニホン」という国の話す言葉は同じなのに、書く文字は違っていたのだ。そのために、エルハムがミツキに文字を教えることになった。

 本をすらすらと読めることが目標のようで、ミツキは毎日シトロンで使う文字の勉強を欠かさなかった。


 「そういえば、ミツキの名前はニホンではどう書くの?」
 「あぁ……平仮名と片仮名、それに漢字があって。正式なものだと、漢字で光樹。」


 ミツキは、練習していた紙を使って、自分の名前を書いてくれた。それを見て、エルハムは驚いてしまった。とても細かくて、綺麗な文字だったのだ。


 「わぁー………すごく難しいのね。でも、すごく整っててなんだか綺麗な形ね。」
 「そうだな。画数は多いものも少ないものもある。」
 「前に言ってた、光っていうのがこっち?」


 ミツキが先に書いた方の文字に、エルハムは指を置きそう尋ねると、ミツキは「そうだ。」教えてくれた。


 「すごいわ………何だか、光の形を表してるように見える。」
 「その漢字は、絵から少しずつ形を変えて、今の文字になったから、光も昔は絵で書かれてたんじゃないか?」
 「………そう。ニホンには素敵な文字もあるのね。」


 エルハムはミツキが教えてくれるニホンの世界に夢中になっていた。
 どんな本よりも素敵で、自分でも想像でにないような未来の国のように思えた。


 「そんなに気に入った?」
 「ええ!」
 「じゃあ、俺も少し日本語を教えるか?」
 「………ミツキ、それは本当?」
 「あぁ。時間があるときで良ければ。」
 「……嬉しいわ、ミツキ!ありがとうっ!」


 ミツキの提案は、エルハムにとって夢のようだった。
 少しでもニホンという国を知り、そしてミツキに近づけるようで、エルハムは嬉しかった。それに、何より彼がそんな提案をしてくれたのが、エルハムには信じられない事だった。

 出会った当時は、攻撃さえしてきたミツキだが、自分を少しずつ認め信頼してくれたのだろうか、とエルハムは思えて心が弾んだ。

 その浮かれた気持ちは言葉や表情だけでは足りなかったようで、エルハムはすぐにミツキに抱きついてしまった。


 「っっ……エルハムっ!急に抱きつくなっ!」


 エルハムより小さい少年は、エルハムの腕の中でバタバタと暴れながら抗議の声を上げた。
 けれど、彼が本気で嫌がっていたら、エルハムの事など突き飛ばしてしまう力を持っているのを、エルハムは知っていた。
 ミツキは、本気では怒っていないのだな、とわかると、エルハムはもう少しだけ彼を抱きしめ続ける事にした。


 「ニホン語を教えてくれるって、約束を交わすのならば、ぎゅーっとしなきゃいけないでしょ?」
 「……………はぁー………わかったよ。」


 ミツキは大きくため息をつきながらも、両腕を伸ばしてエルハムの体を抱きしめてくれた。
 その時、彼の耳が真っ赤になっているのを見つけて、エルハムは隠れて微笑んでしまったのだった。






 それから10年後。


 「あんなに可愛かった男の子は、どこにいったのかしら?」


 エルハムは、ウェーブのかかった髪をリボンで1つに纏めていた。その髪を左右にゆらゆらと揺らしながら、広い場所を歩いていた。

 草木がほとんどない屋外のこの場所で、騎士団は練習の真っ最中だった。皆、木の剣を持って、2人1組で戦っている。
 その中でも、エルハムが目が行くのはある構え方の人達。体の力を抜き、左手だけで剣を持ち、右手は添えるだけ。ひかがみを張り、爪先に力を伝えるようにしている。
 
 以前、ミツキが「一眼二足三胆四力」と言っていた。そのカンジも教えてもらったが、「剣道」では、眼の次に足が大切だという意味だという事らしい。

 騎士団では、ミツキが教えた「剣道」を実践している人も増えてきているようだった。


 そんな中で、銀色の防具をつけて、一際華麗に剣術を繰り出している黒髪の男性を、エルハムは先ほどから見つめていた。

 相手は騎士団に入ってきたばかりの新人の青年のようで、「重心が右か左かで、早さや飛距離が決まるから、自分で合うものを選ぶと良い。」などと、アドバイスをしているようだった。

 すっかり大人になった彼を見つめては、先ほど呟いた言葉が出てしまうのだ。
 呆然と彼を眺めていると、騎士団の一人がこちらに気づいて「エルハム様がいらしてるぞ!」と声を上げた。
 すると、皆が礼をして、エルハムを迎えた。
 そして、先ほどの黒髪の男がすぐにエルハムの元へと駆けてきたのだった。


 「姫様、どうしてこちらに?もしかして、一人でいらしたのですか?」
 「えぇ。皆様にいつものお礼に差し入れの焼き菓子を作ってきたの。」
 「それは、ありがとうございます。皆も喜ぶと思います。ですが、一人は危ないので、私を呼んでくださいといつも言っています。」
 「城の目の前になのよ。大丈夫です。」
 「万が一という言葉があります。」
 「…………ミツキは意地悪ね。」


 そう言って、エルハムは苦笑しながら目の前の男性を見つめた。

 黒髪の男性は、少し鋭い目つきだったが、瞳は大きくとても澄んでいた。大人びた顔つきと、鍛えた体、そしてすらりと伸びた手足がとても印象的な人だった。
 この男は、エルハムの専属護衛のミツキで、異国から突然来た少年だった。
 
 しかし、彼には少年の面影はほとんどなく、エルハムより小さかった身長も、今ではあっという間にミツキの方が大きくなっていた。
 そのため、立って彼と話をする時は、エルハムが見上げなくてはいけない。それが、エルハムにとって、何故だか悔しくて口を尖らせてしまう。
 すると、ミツキはエルハムの気持ちに気づいて、苦笑しながら膝をついてしゃがんでくれるのだ。そうすると、エルハムが少しだけ視線を下に向ける事で、ミツキの黒い瞳を見ることが出来るのだ。


 「焼き菓子、嬉しいです。ありがとうございます。」
 「………どういたしましてっ!」


 微笑みながら、エルハムが持っていた篭を受けとる彼をみると、エルハムはまた心がざわついて、強い態度を取ってしまう。
 その様子を、ミツキは不思議そうにしながら、言葉を掛けてくれる。


 「姫様、どうしました?」
 「何でもないわ。騎士団の皆様にも渡してね。」


 エルハムがそういうと、ミツキは「わかりました。」と返事をして稽古をしている皆の方へ行ってしまう。


 「本当にあんなに小さかったのに………立派になったのね。」


 大きくなった彼の背中を見つめながら、エルハムは少し寂しくなりながらそう独りで呟いた。


 この時、エルハム・エルクーリは26歳。
 ミツキ・タテワキは20歳になっていた。


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