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幸せの定義とは、人それぞだと皆、口を揃えて言うだろう。
どん底の人生を経験したことがある河崎蛍でも、その答えは同じである。
どれだけ金や地位、名声を手に入れても満足出来ない人もいれば、田舎の小さな家に動物と共にひっそりと暮らすだけで贅沢だと幸せを感じる人間がいる。
自分は何が幸せだと感じるだろうか。そう考えると、まだわからない。
けれど、今の生活を辛いとは思わない。
むしろ、勤務先に行くのが楽しいと思えるのだから、周りから見れば幸せな事なのだろう。
仕事は激務であり、緊急時は家に帰れない日が続くこともある。今日だって退勤時間前に仕事が舞い込み、終電を逃して仕方がなくタクシーを探して歩いている。だが、今日は昔でいう華の金曜日。華という名の酒と開放感に酔った人々が、次々にタクシーを捕まえてしまうので、蛍の分は余っていないようだ。
歩くと1時間はかかる距離だが、コンビニでおにぎりを買いながらトボトボと歩き帰るのもいい気温だった。
夏が終わり、ちょうど良い心地の風が流れて行く金木犀の香りがする季節。蛍が好きな季節だ。
蛍がふっと目を向ける先に、一風変わったものがあのを見つけた。
いや、一人の人間だろう。だが、なかなか見ない風景に蛍は何故か呆然とそれを見入ってしまう。
そこには、流れる星のような交通量の多い大通りにまたがっている歩道橋があった。その柵の上で、カフェでお茶でもしているかのように、足をブラブラさせながら座っている若い女性が居たのだ。
今の時刻は深夜2時。
他に周りを歩くものもいない。そして、いくら明るい場所である街中の歩道橋であっても、高さがあるため、運転手も気づかないようだ。
暗闇で、その女の表情はわからない。
だが、上品なレースのタイトスカートに黒のブラウス、そして光りが通ると艶めいて輝く髪、そして背筋とすらりとした脚はピンと綺麗に伸びている。洗練された上品な仕草。あんな場所に座っているのに、あの女はきっといいところのお嬢様であると容易に想像出来た。そう、自分とは違う世界で生きている人間だ。
だからこそ、気になるのだ。
あの女は今、幸せなのだろうか、と。
すると、カツンッっと何かが落ちた音が響き、蛍は一瞬ハッとした。
人が落ちた時のような大きな衝撃音ではない。 気になって道路を見ると、道路に光り輝く何かが落ちているのがわかった。上を辿ると、彼女が耳に触れて、何かを手にするとそのまま腕を伸ばして、そのまま何かを落としていた。また、カンカンッと無機質なコンクリートの上に音を鳴らしながら落ちて行くのが見えた。車が途切れている時をねらっているようだが、捨てているのだろう。
耳に触れたとすると、ピアスやイヤリングだろうか。
蛍は、やはり気になり、歩道橋の上まで登って行く。
近づいていくと、女性は随分と若い事がわかった。きっと自分より年下で大学生ぐらいだろうか。服装的にはOLにも見えるので、実際の所はわからない。とにかく、若者が危険な行為をしているのは確かなのだ。
蛍は自分の職業的にも無視出来ない状況に、やっとの事で近づき声を掛けることにした。
「お姉さん、今から死ぬの?」
「……」
「それに何投げてたの?危ないよ」
「光る魚に餌やりをしていました」
初めて聞く彼女の声は、とても澄んでいて大人っぽいものであった。どちらかというと低い声かもしれないが、ナレーターになったらきっと聞く人を癒してくれそうな、そんな声音。まだあったばかりだというのに、彼女らしいな、と思ってしまうから不思議だ。
けれど、彼女の発した言葉の意味がわからずに首を傾げると、下ばかり見ていた女の視線がこちらを向いた。
丸い瞳は髪と同じ色の黒目は大きく、影になっているはずなのに、スモーキークオーツのように透けて輝いて見えた。肌は全身が真っ白であり、モデル顔負けの美肌であった。陶器肌というのだろうか。本当に東洋の人形の肌のようであったし、容姿も端麗であった。
「光る魚って車だよね。車にあげるの?」
「車は人間が運転していますよね?私は要らないから、差し上げようと思いまして……」
「アクセサリー?投げたら壊れちゃうんじゃない?」
「この世で一番モース硬度が高い石だから大丈夫です」
「……硬度が高いって、ダイヤモンド!?」
思わず声を上げて歩道橋の下を見る。丁度車が走っており車道を照らしているが、どこに落ちているのかここからではさすがにわからなかった。
「欲しかったらあなたが食べてもいいですよ。人間ですもんね?」
「……残念。俺は蛍なんだ。ダイヤより綺麗に光りますよ」
蛍の冗談に、一瞬キョトンとした彼女は、すぐに破綻して微笑ましい笑みと笑い声を見せてくれた。
「秋の蛍。あなたは長生きする珍しい蛍なんですね」
無表情だった彼女はクスクスと笑うと、フェンスの上に立ち上がり、そのまま歩道橋に飛び降りた。
ふわりと香ったのは、金木犀の香り。彼女が秋を感じさせてくれていたようだ。手元には、金木犀の小枝があったのだ。
「蛍さん。本当のお名前は?」
「本当だよ。蛍って書いて、けいって読むけど、みんなほたるって呼んでる」
「そうですか。じゃあ、私に引き寄せられちゃったのは仕方がなかったですね」
「口説いてるの?」
「……透明な碧ってかいて透碧と申します。じゃあ、気をつけて帰ってくださいね、ほたるさん」
そう言うと、こげ茶色の長い髪をなびかせて、彼女は歩道橋から降りていった。
その背中を見送り、見えなくなった頃、「こんな時間に一人で帰らせるのは危ないか」と慌てて彼女の後を追いかけたが、いつの間にか止まっていた黒塗りの高級車が路肩に停められており、その車に乗ってその場から姿を消してしまっていた。
この街中にある、色とりどりの魚が泳ぐ川で、蛍は引き寄せられるように彼女と出会ったのだった。
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