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20、

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   20、


「先生にお茶をお出ししてちょうだい」
「かしこまりました」

 そう言うと女中は深々とお辞儀をした後に、部屋を出てドアの鍵を締めて出て行く。こういうちょっとした時間も鍵は忘れずにかけるのだ、その辺は抜かりはない。

「すごいですね。部屋の扉の外から鍵をかけるなんて」
「この部屋、監獄みたいなものなんです」
「あ、ごめんなさい。自己紹介もまだだったのに。ほたるくんの友人の鑑花霞です」
「華嶽透碧です。お花を届けていただき、ありがとうございます」
「お花を届けたかったのは本当なんだけど、本来の目的は、わかるかな?」
「蛍さんからの伝言を預かった、ですか?」
「それもあるけどね。ほたるくんからの伝言は「ごめん。助けられなくて」だって」
「………ほたるさん」


 蛍はきっと動いてくれる。
 そう信じていたが、心配も多かった。自分の実家はこの国では大きな力をもった大企業である。その相手と一人の警察官が対立しても、力が勝るのは華嶽家だという事は一目瞭然だった。
 その事で蛍に迷惑がかかってしまうのではないか。そんな心配も大きかった。助けて欲しいけれど、無理はして欲しくない。
 そんな矛盾した考えが透碧あった。

 偽りの婚約者となったものの、それは本物ではない。偽物の関係。
 それがなくなってしまったら、自分と蛍の関係はただの知人になるのだろう。それとも、もう関わりがない人間同士となってしまうのか。透碧はその結果が怖くて仕方がなかった。


「今、ここでいろいろ話してしまって長居してしまうと怪しまれるかもしれないわ」
「え。怪しまれるって。今から何をするつもりなんですか?」
「お姫様のお城に忍び込んだのだから、やる事は一つしかないじゃない」
「まさか、それって………」
「お姫様、奪還作戦よっ!」


 両手で拳を作り、小さくガッツポーズをする花霞はどうやらやる気マンマンのようだ。綺麗で可愛らしい見た目からは想像もつかない発言をする花霞を見て、透碧は思わずクスクスと笑ってしまう。

「あ、私は本気でここから逃がしてあげるつもりよ?」
「申し訳ございません。それは理解しているんですが。その、ほたるくんの初恋の相手は、本当に素敵で可愛らくて、かっこいいなって思って。敵わないなって思って」
「ほたるくんの初恋の相手が私だって、ほたるくんから聞いたの?」
「いえ。でもわかります。ほたるくんが恩人さんの話、花霞さんの話をする時の微笑み方はとても柔らかくてにこやかで、幸せそうな表情なんです。ほたるくんにそんな表情をさせる人ってどんな方なんだろうって思ってました」
「そんな立派な人間同士じゃないよ。子育ててイライラしてつい怒っちゃったり、旦那さんが忙しすぎて会えなくて寂しくて泣いて「寂しいです」ってこんな年にもなって言っちゃうぐらい弱い部分も多いし」


 そんな風に愛しい人に甘えられたら旦那さんも嬉しいだろうし、反省しちゃうだろうなっと思う。やはり、花霞という女性とは愛される人なのだと透碧が思った。
 苦笑いを浮かべた彼女は、その後少し寂しそうな表情に変わった。何か自分は言いすぎてしまっただろうか。そう心配になりかけた時に花霞は口を開いた。

「ほたるくんが私を大切にしてくれるのはとっても嬉しいんだ。私にとっても彼は大切な人だから。いつまでも、こんな関係でも彼ともっともっと仲良くなりたいと思うの。だけどね、私は旦那さんもいるし、子どももいる。家族がいるの。もちろん、ほたるくんの事も家族と同じように愛している。だけど、私はほたるくんのお嫁さんにはなれないの」
「……花霞さん」
「私は椋さんが大好きで愛してる。彼以外の人と結婚するなんて、もう考えられない。それだけは変わらない気持ちだわ。この世の中には幸せのあり方は無限にある。ほたるくんが誰とも結婚しないで、私たち家族やはり仕事の人たちと楽しく過ごして行くのが幸せだと思うなら、それでもいいと思ってる。それがほたるくんの幸せならば。でもね、私たちは結婚して大好きな人たちと一緒に暮らす幸せを知っているから、どうしてもほたるくんにも押し付けたくなっちゃう。ほたるくんの気持ちも考えずに。それなのに、ほたるくんが偽物だけど婚約者が出来たって話を聞いて、なんか嬉しくなっちゃったの」
「偽物なのに、ですか?」


 偽物は本物には敵わないなって。所詮は代用品の壊れやすいものだ。
 それなのに、なぜ喜んでくれるのだろうか。
 不思議そうに花霞の方を見つめる。すると、花霞は目を細めて遠い昔を懐かしむように、別の方向を見つめながら教えてくれたのだ。

「私と椋さんもね偽物の結婚からスタートしたのよ」
「え、ええええ!?そうなのですか?」


 思わずはしたなく大声を出してしまった透碧を咎める事もなく花霞はクスクスと笑いながらそんな透碧を見て笑っていた。


「偶然とは言え面白いよね。気になるかしら?」
「はい!それはもう気になりすぎます!」
「じゃあ、一緒にここから逃げよう。まずはそこからだよ」
「ほたるくんにご迷惑がかかりませんか?」
「かかると思ってるなら、私に助けを求めないと思うわ」
「そうですね。……そうですよね」
「うん。じゃあ、私の言った通りにしてね。荷物は最低限にまとめて必要なものは持っていくからよく考えて。あと、動きやすい靴かな」
「わ、わかりました」


 何をするのかはよくわかっていなかったが。全て花霞にまかせようと思った。
 蛍が信用している恩人さんなのだから、大丈夫だろう。
 力強い味方が出来た事、そして悩みを聞いてもらったことで、透碧の心は随分と軽くなったのだった。






「お客様をお見送りするわ」
「夜遅いですので、私たちがお見送り致します」
「まだ話し足りないのよ。お送りする時間だけでも一緒に居たいわ。ブーケ教室のお話が興味深くて」
「かしこまりました」


 透碧たちが廊下に出ると、女中が1人立っており待ちわびた様子も見せずに、深々と頭を下げていた。
 花を届けに来た業者だった、透碧が玄関まで降りる事もないかもしれない。が、友人となれば話は別だ。すっかり仲良くなったのだという雰囲気を察知した女中は怪しむこともなく、了承してくれる。
 本当ならばついてこなくていい、とも伝えたかったがそこまで言ってしまうと、何か不審に思われてしまうかもしれない。女中も同行するのは断らずに、手土産の焼き菓子をもたせて共に透碧を見送ることにした。歩きながら、雑談を繰り返す花霞と透碧を見て、女中も安心したのか、どこかおだやかな表情をしていた。それに、花霞がブーケ教室で使う以外にも花々を持って来ており、それを女中である彼女にプレゼントしたのだ。その花が嬉しかったのだろうか、先程から機嫌もよく見せる。これも花霞の作戦なのだとしたら、油断させるのに大成功だなと思った。

 花霞が乗って来た車には運転手が乗車して待っていた。花霞の花屋のスタッフなのだろうか。同じようなエプロンをつけた女性だった。花霞と同じ年代だろうか。透碧と目が合うと、ガラス越しににこやかに笑みを浮かべて頭を下げてくれた。


「今回はキャンセルしたにも関わらず、お花を届けてくださいましてありがとうございました。次回は絶対にブーケ教室に参加させてください」
「お待ちしています。私もまたお話ししたいので。その際は、教室が終わった後はお食事をしながらしゃべりましょうね」


 そんな会話を交わしながら、花霞は車に乗り込む。
 透碧は少し離れた場所で見送る。

が、出発直前で「あ、忘れていました」と花霞が目を見開いて、バックから何かを取り出した後に透碧を呼んだ。慌てて透碧が駆け寄ると車のドアが開く。その瞬間。花霞は透碧の片腕を強く引っ張り車内へと引き込んでしまう。急いでドアを閉め終わると同時か少し早いぐらいで、車が急発進したのだ。


「お、お嬢様っ!?透碧お嬢様がっ!誰か!お嬢様が連れ去られたわ!誰かー!」


 女中の悲鳴と叫び声がドンドンと遠くなっていく。門番も咄嗟の事で役目も果たせずに門を締めることは敵わない。遠くで監視していたボディーガードだけがすぐに車を走らせたが、きっと間に合わないだろう。何と言っても花霞達が運転する車がかなりのスピードを出していたからだ。住宅地をいったりきたりしながら走り続けいる。

 あっという間の出来事。
 あんなに逃げたかった生家は、どんどん小さくなっていく。女中の声など、もうとっくに聞こえない。


「お姫様奪還計画、無事に成功ね」
「本当に家から出れちゃった。ははははは、すごい!すごいですね、花霞さんっ」


 透碧は興奮と嬉しさのあまりに笑いがこみ上げてきた。クスクスと笑う透碧を、花霞は驚いていたが、すぐにおだやかな表情に変わり、そして「透碧ちゃん、頑張ったわね」と優しく肩を叩いた。

 その途端に緊張の糸が切れたのだろう。いつの間にか笑い声は嗚咽に変わり、目尻からはボタボタと涙が溢れてきた。

「ありがとうございます。本当に、嫌だったんです。蛍さんに会いたかった。一緒ににいたいって思える人に出会えたのに。どうして、って。今回も我慢して諦めなければいけないのかって、怖くて仕方がなかったんです。それでも、ほたるさんに迷惑かかるのは嫌で。私はどうすればいいのかわからなくて」
「そうだよね。今までよく頑張っていたわ」


 自分の我儘な気持ちを受け止めてくれて、理解してくれる。
 そして、助けようと少し強引だけで力強く肩を押してくれる。蛍が恩人だという気持ちがよくわかる。
 きっと、花霞という女性は、自分にとっても恩人になってくれた。この人にはきっと2人でも敵わない人なのだろう、と実感する。

「透碧ちゃんは自分から逃げ出す事で、ご両親に反発したことになるわ。でも、それだけではただ喧嘩になってしまう。次にどうすればいいか、透碧ちゃんにはわかるわね」
「話し合い、ですね」
「そう。きっとうまくいかないこともあると思う。けれど、自分の気持ちがはぶつけておかないと、本心は伝わらない。それはご両親も一緒だと思うの。だからこそ、お話ししましょう。そこには私たちは行けない。2人の頑張りどころだよ」
「はい」

 ここまでお膳立てしてもらったのだ。
 あとは、透碧が頑張る番なのだろう。対等に話せる場所を準備して、自分の気持ちをぶつけなければならない。それだけでわかってくれる両親ではないのはもう長年の付き合いだから理解している。
 長い戦いになりそうだ。

「透碧ちゃん、怖い顔になってるわ」
「は、はい。ごめんなさい。戦いに向けて本気モードになってました」
「そんなに張り詰めないで。私は2人で頑張ってって言ったはずよ」
「ほたるさんと一緒にですよね?」
「ほたるくんは、もう動いてくれてる。だから、心配はしないで」


 そう言って花霞の友人だという栞という女性が送ってくれたのは蛍の家の前だった。
 部屋の電気はついていない。帰宅していないという事だろう。

 自分が両親に閉じ込められていた間、蛍には何が起こっていたのだろうか。
 蛍は導かれるまま、真っ暗な蛍の部屋へと足を踏み入れたのだった。


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