溺愛婚約者と秘密の約束と甘い媚薬を

蝶野ともえ

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1話「旅の前夜」

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   1話「旅の前夜」




 高緑風香は、これまでの人生で初めて絶望を味わっていた。まだ28年しか生きていないが、それでもこんなにも苦しくて、毎日泣いて過ごす日々がくるなんて思ってもいなかった。



 「…………柊」


 風香は、彼から連絡のないスマホを見て、また泣きそうになってしまった。仕事にも手がつかない日々が続いており、休日返上で作業をしているが、それでも何度もスマホを見てしまう。何か通知が来る度に、咄嗟にスマホの画面を見てしまう。そして、大きくため息をついてしまうのだ。

 その時に画面に表示されたのは、「久遠美鈴」の文字。風香の1番仲が良い友人だった。そんな美鈴相手でも、電話に出る気分ではなかったが出ないわけにもいかない。小さく息を吐いてから通話ボタンを押した。


 「もしもし……」
 『風香、大丈夫………じゃないよね。もう声が死んでるよ………』


 自分では普通の声のトーンで電話に出たつもりだったが、彼女にはすぐにバレてしまったのだろう。それとも、本当に声が普段とは変わっていたのか。
 まだ泣いてしまうぐらいなのだから、精神的に安定はしていない、と自分の事を客観的に見てしまえばそうなのだろう。
 けれど、そんなに簡単に元気になるわけでもないのだ。

 『………警察からはまだ連絡ないって事だよね?』
 「うん………。まだ連絡は来てないんだ」
 『そう、あんまり気落ちしすぎないんだよ。風香が倒れちゃったら、柊さんが帰ってきた時に心配しちゃうんだから』
 「そうだね………」


 久遠美鈴(くおんみすず)の心配してくれる言葉に返事をしつつも、風香はまだ彼の事を考えるのを止める事など出来なかった。


 『柊さんが行方不明になってから1ヶ月か………本当に無事に帰ってきてくれるといいね』


 そう。風香の恋人であり婚約相手である青海柊が、3月のある日に忽然と姿を消したのだ。

 行方不明になってしまう日の前日も、彼とデートをしていた。結婚式の食事やお土産は何にしようか?ドレスは何を着ようか?と2人で話をしたのだ。
 風香の誕生月である6月に結婚式を挙げようとプロポーズしてくれたのは、約1年前だった。
 結婚式や、夫婦になった後の事も楽しみにしていたはずの柊。それなのに、何故自分の前から何も言わずにいなくなってしまったのか。
 風香はその日からずっとショックを受け続けていた。


 「……心配なんだ。何か事件に巻き込まれたんじゃないかって思えて………」
 『そうなんだよね。柊さんの職業柄、そこが1番の心配だよね………』


 柊の仕事は警察官だった。
 しかも、最近流行りのドラッグの取り締まりをしているようだったのでかなり心配だった。何か事件に巻き込まれているのではないか。
 今、彼は苦しい思いをしていないか。怪我をしているのではないか。そんな事を考えては眠れぬ夜を過ごしていた。
 けれど、警察からは何か事件に巻き込まれたのか調査中としているが、今の所は進展なしのようだった。


 『大丈夫?少し楽しいことした方がいいかもよ?あ、私が風香の家に行こうか?』
 「ううん………ごめん。まだ、一人で居たいんだ」
 『そっか……無理はしないでね。あ、少し今の場所から離れて一人旅してみるのもいいかもしれないよ。気分転換も大切だよ?』
 「一人旅か…………」
 『そうそう!あ、ごめん……会社から電話だ。また何かあったら連絡してね』
 「うん。ありがとう、美鈴」


 風香は彼女にお礼を伝えた後、電話を切った。
 美鈴はサバサバしていて、頭が良く活発な性格だった。大学卒業後はネットショッピングのお店を立ち上げて、少しずつ人気が出てきているようだった。とても優しい美鈴の事だ。会社でも、良い社長として人気なのだろう。
 そんな彼女だからこそ、性格が全く違う風香とも仲良くなれたのだろうと、感じていた。


 内気な性格で、絵を描くだけが楽しみで、小さい世界で暮らしていた風香の視界を広げてくれたのが、柊だった。
 様々な国に行ったり、新しいお店を開拓したり、何でも挑戦していたという彼の学生時代。その話しに、風香はいつもドキドキさせられていた。
 そんな彼から貰ったダイアモンドがついたソリティアの指輪。それが彼が自分のとなりに居たという証明になるだろう。
 けれど、そんなものになっても今、柊は居ない。彼が居ないのならば、何の意味もないのだ。


 「…………でも、外すことなんて出来ないよ………」


 風香は指輪にそっと触れながら、そう呟いた。その言葉は、静かな部屋に消えていく。
 一人暮らしをしている風香だったが、結婚後はもちろん柊の家で暮らす予定だった。忙しい日々だったために、結婚してから引っ越しをしようという事になり、まだ風香は一人暮らしをしていたのだ。けれど、この部屋には彼と過ごした記憶が沢山残っている。柊は必ず帰ってくると信じていても、会えない日々が続くと、昔の事を思い出しては辛くなってしまうものだった。
 

 そんな時に美鈴から言われた言葉。一人旅というのが、風香のざわついている心に引っ掛かったのだ。

 少し気分転換をすれば、彼の事が何かわかるかもしれない。それに、気が滅入ってしまってはいい仕事も出来ないだろう。仕事をしなければ、風香だって生きてはいけないのだ。
 メソメソと泣くだけではなく、少し行動しようと風香は心に決めた。


 「よし………、決めたっ!出掛けよう」


 パンッと手を叩いてから風香は仕事用のパソコンの前に座った。仕事をするわけではない。
 すぐに行ける旅行先を決めて、明日にでも出掛けてしまおうと思ったのだ。






 旅行会社のHPをみて悩む事、約数時間………。



 「で………何やってんだろう………私」


 予約を完了したホテルの詳細がかかれたものをプリントアウトした紙を見て、風香は苦笑いを浮かべてしまう。

 風香が悩みに悩んで予約したのは、ここから数時間新幹線や電車に乗り、やっと到着する海沿いの小さなホテルだった。近くには雰囲気のいいレストランやケーキが美味しいと評判のカフェやスパなどもあり、海を見ながらゆっくりするのに調度いいなと思ったのだ。
 何故、そこまでその場所について詳しいかというと、風香はその場所を訪れた事があったのだ。
 
 そう、柊と初めて遠出の旅行をした思い出の場所だったのだ。

 彼とは所縁のない場所に行こうと思っていたのに、何故か引き寄せられるように、そのホテルを予約していた。
 初めての柊との旅行に前日はドキドキして眠れなかったり、新幹線に乗っても手を繋いで、泊まる場所やレストランの予習をしたり、夜は二人で綺麗な花びらが浮かんだお風呂に入ったり………涙が出そうになるぐらいに、幸せな時間だった。
 そんな場所に行って、また切なくなるのもわかっている。今回、隣に柊はいないのだから。

 それでも、その場所に行きたいと強く思ったのには何か理由があるのだろう。
 風香はそう思って、その場所に行くことに決めた。


 「2泊3日だから………その分の仕事は徹夜で終わらせよう!」


 風香の仕事はフリーのイラストレーター。
 そのため出勤などもなく、自宅で仕事をしている。締め切り期限を守ればいいだけと思われがちだが、イメージと違うなどの理由から何度も手直しが入ったりする。そのため、風香は締め切りより、早め早めに終わらせるようにしていた。それに忙しいときに限って、大きな仕事を貰ったりするものだった。断る事も出来ないため、フリーもなかなかに忙しいのだ。

 けれど、自分で決めた休息のために、溜まっていた仕事を今夜で完成させるつもりだった。最近はとてもではないが集中する事が出来なかったのだから仕方がない。
 風香は、長い髪を束ねてパソコンを見つめペンタブを持った。


 柊の事を忘れることなんて出来はしない。
 だから、この仕事を頑張れば彼の事に集中できる。
 その思いで、風香は仕事に取り組んだ。


 そして、それは朝日が登り、昼前になるまで続いたのだった。




 
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